外伝19話:五年越しの誓い(後編) -elSakt jex MevHez'ra S'adara-
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外伝19話:五年越しの誓い(後編) -elSakt jex MevHez'ra S'adara-
* * *
「そんなに不機嫌にならないでくれ、カリエク。帳簿が無事で、ついでに俺の首も無事だったんだ。良かったじゃないか」
「良くない。あんたの大事な身体を、帳簿なんかと比較するな」
「今日の俺は《青獅子隊》会計主任だぞ。会計主任が帳簿を第一に考えて、何が悪いんだ」
「事前に申し……言ったよな。絶対に俺から離れるなと。あんたに倒れられたら、俺たち全員が終わる」
「大丈夫、わかってるよ。俺の捜査力が最後の砦だってことくらい。ちゃんと帳簿を読み解いて、今日中に解決してみせる。《青獅子隊》の『会計主任』の名にかけてな!」
茶目っ気の笑い方をする少年憲兵に、尋ねかけたのはサイラだった。
「楽しそうで何よりですが、主任。この調子で本当に、今日中に解決できますか」
「仕方ないだろ、そうせざるを得ない。ウチの会計士の帰りを待っていても遅い以上、俺が皇太子公認の非公認会計士になるしかないんだから。心配するな。算盤の扱いは初心者同然だけど、でも暗算は少し得意なほうなんだ」
会計とか解決とか、先ほどから護衛官たちが内輪で何の話をしているのかはわからないが、この少年は最年少らしく見える外見とは裏腹に、護衛官たちの間に随分と自然に溶け込んでいるようだった。
彼の捜査力が「最後の砦」だと言っていた。彼ほどの卓越した能力があれば、きっと異様に若い年齢など関係なく、仲間に信頼されるのだろう。
(ボクの能力って、まだまだ全然なんだなぁ……)
親しげな青獅子隊の面々を見ながら虚しい疎外感を感じていると、少年がちらりとスフィルのほうを見やり、「そういえば」とつづけた。
「良かったな、カリエク。スフィル君は、きみの大ファンのようだよ」
「え……っ?」
なぜわかったのか聞く前に、少年憲兵がちらりと視線を下にやった。スフィルがさげている細剣の鞘を見ているようだった。
「細剣の鞘に、きみの座右の銘が描かれている。しかも筆跡までカリエクそっくりに真似て描いてるから、ただ格言の内容が好きというよりは、描いた人物が好きらしいことがわかる。――まあ、気持ちはわかるよ、スフィル君。カリエクの字はきれいだよな。俺も真似したくなる」
「御冗談を。あんたには遠く及ばない」
カリエクがぶっきらぼうに手を振った。
「それってまさか俺の『速記法』のこと?」
「いや、帳簿の汚くあらせられる字じゃなく、手紙や御神符のほうだ」
「まさか。きみが先達だよカリエク。まじめに書くときは、よくカリエクの書を手本にしてるんだ。『書は人なり』というが、きみの字はとりわけて装飾が施されていなくても、はっと目を引いてしまう美しさが、何気ない曲線のなかに織り込まれているだろう。書の技術も卓越しているが、きっとその強さと優雅さを併せもった人柄が、書に滲み出ているんだろうな。ほかにはない魅力があって、俺は好きだよ、きみの字」
(うわぁ……)
どんな人間でも思わず胸がきゅんと高鳴ってしまうほどの眩しい微笑みを、少年はカリエクに向けていた。
対してカリエクは、この世のものでない何かを目にしたような、強張った顔をしている。
無理もない。誉められているというよりは、それを通り越して口説かれているような心地だろう。少年憲兵の意図が何であれ、言い知れぬ気恥ずかしさを感じて当然だ。現に見ているだけのスフィルでさえ、思わず赤面してしまっている。
数秒間の気まずい沈黙を打ち破ったのは、サイラだった。
「主任、なぜ突然、護衛官を口説いているのですか」
「えっ? べつに口説いたつもりは――いや、口説いてたのか、俺?」
少年はなぜか、きょとんとしていた。
「やれやれ。主任、スフィル一等兵との同調率を上げすぎです。今すぐに一等兵から離れて、自我をきちんと整えてください」
「すまない。思いの外スフィル君との思想の相性が良くて、彼の感情が入ったままになっていたようだ。どうやらスフィル君は、相当カリエクのことが好きらしくて、俺にまで伝播してしまったんだ」
「だからいつも言ってるでしょう、同調率を上げすぎるなと」
説教するサイラの横を通り過ぎながら、少年は先ほど彼がいた倉庫の前に立った。こちらに背を向けて、ひとりでゆっくりと深呼吸しているようだった。
「あの、感情がうつるなんて――あるんですか、そんなこと」
驚いて尋ねたスフィルに、サイラはなんてことないとばかりに笑った。
「驚かせてすまないな、スフィル一等兵。うちの主任は、つい両目で視た相手の思想や感情が伝播してしまう、困った体質なんだ。【同調】能力などと呼んでいるが、本人の意思に関係なく発動してしまうから、たまにこうした同調事故も起こる。もっとも、先ほどから貴官が案じているように、思考を読む能力ではない。そこは安心していいぞ。せいぜい感情程度しかうつらないからな」
少年は倉庫の壁に手をついてもたれかかったまま、ため息とともに言った。
「ちょっとおかしいと思ったんだよな。俺っていつも、カリエクのこと考えるだけでドキドキするほど敬愛してたっけ? って、何回か自分を疑った。やっぱりスフィル君の感情だったとは……」
「ほう……貴官、そんなに尊敬してるのか、カリエクのこと」
サイラが感慨深そうにじっと見つめながら、そう尋ねてきたので、スフィルは真っ赤になってコクコクと頷いた。
「は、はい。ボク、今までカリエクさんを目標に訓練してきてて……」
「そうなのか。ではここで出会えたのも、なにかの縁だな。せっかくの機会だ。カリエクになにか護衛としての助言でも貰うといい」
「いいんですかっ!」
「無論。後進を育成することも、指揮官の務めだ。そうだろうカリエク」
「勝手に話を進めるな。仕事中に無駄話などするわけがないだろ」
とうのカリエクは、まったく乗り気ではないようだった。
「仕事のことはかまわないよ。俺はここで、しばらく自分探しの旅に出てくるから。それに、予期せぬご縁こそ、大切にしたほうがいい」
そう声を発したのは、倉庫の前にいる少年だった。彼は現在、壁を向いたまま地面に腰を下ろしている。「自分探しの旅」などと不思議なことを言っているが、誰もその言葉の奇妙さを問いただそうとしない。あの「さとり少年」は、そういう不思議キャラで通っているのかもしれない。
ニ対一になってようやく諦めたのか、カリエクが小さなため息とともにスフィルに向きなおった。
「助言などと言ってもな……」
いきなり無茶振りされて困っているようにも、仕事の邪魔をされて腹立たしく思っているようにも見える。
あからさまに不機嫌さを滲ませたその端正な顔を、スフィルはじっと見上げていた。あらためて見ていると、ふつふつと実感が湧いてくる。
彼が、本物のカリエク・イエナザラク。「バケモノ」と呼ばれた、伝説の卒業生。今、憧れの卒業生とこうして対面しているのだ。
気まずい空気のなか仏頂面を貫くカリエクに、何か言わなければと思った。
「あ、あの、カリエクさん、同門の先輩として、すごく尊敬してます」
「そうか」
会話は終わった。
訪れた沈黙に戸惑いつつも、スフィルは慌てて次の言葉を発した。
「ボク、カリエクさんみたいに強くてカッコイイ護衛官になりたいんです。卒業して実績を積んだらいつか、ボクもホムラ皇太子殿下の親衛隊に入りたいんです!」
「そうか。願うのは勝手だが、それは殿下がご決定になることであって、お前に決める権利はないからな」
カリエクがにべもなく言った。その口調は、冷静な指摘というよりは、冷酷な指摘に感じられる。
「た、たしかに……そうですよね」
(やっぱカリエクさん、ボクに怒っとる! 初対面でいきなり《青獅子隊》の首絞めたけん、たぶんまだそのことを怒っとるっちゃないかな……)
再び空気の張り詰めた沈黙にさらされていると、横からサイラが声を上げた。
「後輩に対して冷たいぞ、カリエク。ものすごく敬愛されてるからって、そんなに照れなくても」
「照れてない」
「すまないな、スフィル一等兵。我々の副隊長は、若干称賛に弱くて照れ屋なところがある。根は優しくていいやつなんだが、称賛されるとこの通り、照れてしまってな。赦してやってくれ」
「だから、照れてないと言っている」
断固とした口調でそう言ったあと、カリエクはくるりと背中を向けてしまった。
「行くぞ。これ以上は時間の無駄だ」
「初心を思い出せ、カリエク。貴官も数年前は、この試験を受験する立場だっただろう。憧れの先輩に助言を貰えたら、きっと彼らの士気が上がるぞ」
「こいつらの試験だろ。俺には関係ない」
「待ってください先輩! あのっ!」
スタスタと歩いていこうとするカリエクに呼びかければ、彼はぴたりとその場で足を止めた。つづけて話そうとするスフィルの言葉は、遮られた。ほかならぬ、カリエク自身の言葉によって。
「まあ――ひとつだけ言うことがあるとすれば」
彼はちらりとスフィルにふり返りながらつづけた。
「結果を出すための最もシンプルな方法は、結果が出るまで挑戦し続けることだ。――つまり、結果を出したきゃ諦めるなってことだ」
「え……?」
スフィルは先ほど、任務成功を諦める決断をしたばかりだった。まさか彼がその件を知っているとは思えないが、タイミングが見事に一致しているだけに、スフィルは問わずにはいられなかった。
「カリエクさん! もしですよ、もし、任務成功を諦める作戦のほうが高成績が取れる場合、先輩ならどうなさいますか」
「その方法で『秀』が取れるのか?」
「いえ、でもその次くらいなら取れるかもしれません」
「なら、愚問だ。『秀』を取る。護衛対象を護る。両方成し遂げられる道があるなら幸いだ。迷わずその選択を採るに決まってるだろ」
「でも現実的には、護衛対象の体力が……」
「もっと現実的にはだ、スフィル一等兵。護衛対象というのはおそらく、お前の想定より数段体力と危機管理能力がなく、勝手に死地に飛び込むほど愚かしく、いくら側を離れるなと言ったところでお耳をお貸しになることさえなく、まともに護られるお心皆無な死にたがり屋であらせられる。今のお前の護衛対象がどんなヤツだかは知らないが、実物よりは遥かにマシだということだけは知っておけ」
容赦なく主君たるホムラ王子をこき下ろしているように聞こえるが、決して王子を軽んじているわけではない。主君を大切に思うがゆえの言葉なのだろう。カリエクの言葉には、彼の職務に課せられた重い責任を感じさせた。
(まさかあの噂、本当なのかな……)
以前、情報通なティガルが言っていた。《青獅子隊》には、たったひとりしか警護課出身の護衛官がいないのだと。
護衛部隊である以上、そんなわけはないと、その時スフィルは笑った。きっと《青獅子隊》が特殊なチームだからといって、ティガルが誇張したデマに違いないと。
だがすくなくとも、今日ここに来ている憲兵の少年とサイラが、警護課ではないことは確かだ。しかもサイラにいたっては、親衛隊長であるにもかかわらず、なぜか陸軍の制服を着ており、憲兵ですらないのだ。
先ほどカリエクが言っていたとおり、親衛隊に誰を入れるのか決めるのは、護衛対象の王子殿下その人だ。なのでもし王子が望めば、護衛部隊という枠の中に護衛以外の人間を入れることも可能だ。
もしや王子様はなにか護衛以外の目的があって、そのことのために親衛隊の人員を割いているのではないか。スフィルの頭に、そんな疑念が浮かんだ。
ホムラ王子は、神職としても統治者としても完璧な、慈悲深く優秀な王子様だと聞いている。神殿にこもりきりの神職には珍しく、あちこちに積極的に赴き、御自ら問題解決を手掛ける方だそうだ。だとすると、王子が護衛部隊に護衛を入れないのもうなずける。
先ほどの少年憲兵は、「捜査」と言っていた。きっと彼は、護衛ではなく何らかの捜査のために雇われているのだろう。
きっとカリエクは、護衛素人ばかりがいる中、必死に護衛対象たる王子を護ってきたのだろう。チームの信頼関係が大切と言われる護衛業界で、たったひとりで護衛対象を護ること。その責任の重さと苦労ははかり知れない。
本物は、重みが違う。スフィルには成功を諦める選択の余地があるが、本物にそんな選択の余地はない。どれほど圧倒的に不利でも、ただ一途に護り抜くしかないのだ。
そんな立場から見たら、護衛対象を殺させて諦めるなど、そんな選択肢は端からないも同然だ。
「体力がない程度なら何の問題ない。担いででも連れて行けばいいだけの話だ」
彼はいとも簡単なことのように言った。それがどれほど大変なことかは誰よりも知っているはずだが、彼が普段抱えている責任と比べれば、「何の問題もない」部類に入るのだろう。
「覚悟があるなら何でもやればいい、スフィル一等兵。部隊に入れるかどうかは殿下がご決定になることだが、『最強の護衛官』になるのは、お前の自由だからな」
彼はそれだけ言うと、再び歩きだした。
「証明しろ、スフィル・アクトツィアティク一等兵。お前にできることは、証明することだけだ」
背を向けたままそう告げるカリエクを、スフィルは唖然とした表情のまま見送った。彼が今どんな顔をしているのかはわからない。だが率直な言葉でなくても、彼が応援してくれているのがわかった。
じわりと、涙がこぼれそうになる。
5年前のあの時とは、違った。
今日は、しっかりと伝わったのだ。スフィルの表明した決意――そして、覚悟は。そして彼は、それを受け止めた上で、応援してくれている。
カリエクにつづいて、《青獅子隊》の残りの二人も倉庫の向こう側へと歩きだしていた。
「証明します!」
気づけばスフィルは、彼らの背中に向かって叫んでいた。
「ボクはこの試験で任務成功して、そして絶対、最強の護衛官になります!」
この叫びは、きっと届いた。
歩いていく《青獅子隊》の彼らは、憲兵学校本館に吸い込まれるように見えなくなった。
遠く見上げる先、白亜の校舎の頭上には、雲ひとつない蒼天が広がっていた。
きっと覚悟は伝わった。次は言葉ではなく、行動であらわす番なのだ。この難易度の高い試験で、任務成功させるという、行動によって。
もう逃げることは考えない。この試験で逃げているようでは、本物の王子殿下は護れない。
「お前、本当に目指すつもりなんだな、任務成功」
不意にうしろからそう言ったのは、ティガルだった。スフィルは改めて、ティガルに向きなおった。
「改めて、目標を変更します。『秀』を取り、護衛対象を護りきる。それがボクたちの唯一のゴールです」
ティガルはケタケタと笑いながら、相棒の肩を無造作に叩いた。
「やっぱな、そーこなくっちゃと思った。それでこそオレらのスフィルだっての。さっきからオレにはわかりきってたんだぜ。お前が早々にムリだって諦めるなんて、ムリだってことはな」
「えっ、ティガルが反対してたのって、そういう理由だったんですか」
「たとえここで良い成績で卒業できても、お前のことだから、一生後悔するだろうな。相棒にそんな選択させたくねーなって思ったワケよ、オレとしては」
たとえこの試験のことを班で一番理解しているのはスフィルだったとしても、どうやらスフィル自身の性情に対する理解は、ティガルのほうが上だったらしい。
「オレは最強ゲーマーのお前の采配に、すべてを賭ける。お前の憧れの部隊に入隊したい思いは、ここにいる誰にも負けてねーだろ」
「ティガル、ありがとうございます」
かつて憧れたのは、護衛官たちの高貴なる誇りだった。どれほどの危機に瀕しても、けっしてゆらぐことのない誇りだ。
あの憧れの卒業生にとっては、きっと「秀」の成績こそが彼の誇りなのだ。
では、スフィルにとっての誇りは何なのか。あらためて自問するが、もうすでに答えは出ている。
「ちなみに、かなりムズカシイことを知ってて聞くんだが――勝算は?」
「確実に言えることは、すくなくとも、ゼロじゃないってことです」
「その根拠は」
「愚問です。現実世界に無理ゲーは、存在しないですから」
そう。スフィルの誇りは、ゲーマーの誇りだ。「諦めない」という、現実を生きるゲーマーのプライドに他ならない。
笑みを浮かべていつものの口癖を言えば、ティガルは急に吹き出した。
「ちょっ、なんですか」
「いや、ようやくいつものお前に戻ったなと思ってな。それでこそオレの相棒だぜ」
ティガルが拳を突き出した。
「なら、今からすべきことはひとつ。絶対勝つ作戦を考えるぞ、相棒」
「了解!」
スフィルもそれに、拳を合わせる。トン、と小気味良い音がした。




