外伝12話:赤ずきんの王子様 -elHejkRexk Jez're-
'19.07/10 一部演出修正。
'19.12/03 演出を全面的に変更。
'20.08/29 一部演出変更。
'20.08/31 部分的に修正。物語上の変更はありません。
'20.09/29 一部演出変更。
外伝12話:赤ずきんの王子様 -elHejkRexk Jez're-
* * *
「次の作戦コードは、『ゼロ』」
スフィルがそれを宣言した瞬間、護衛官たちは一斉に、方向を変えて走りだした。
唯一、その状況についていけない様子なのは、護衛対象「ホムラ王子」役の後輩だった。呼び名は、エズレ・フェレルリーク。
彼は先を行くスフィルの上着の袖を引っ張りながら、制止をかけた。
「待てスフィル。『ゼロ』ってなんだ。なんで急に逆方向に走ってるのか、説明しろ」
後輩の彼が、先輩のスフィルに対して尊大な物言いをするのは、彼が年上だからだ。入学年齢が皆バラバラな憲兵学校では、年齢と先輩後輩関係が一致しないことはめずらしくない。
エズレは現在16歳で、スフィルよりも2歳年上ということになる。このチームで言えばノワンと、そして奇しくも、本物のホムラ王子と同い年である。
「今は時間がありません。のちに詳しく説明しますから、まずは逃げましょう」
「おれは今説明しろと言ってるだろ。それが聞こえなかったのか?」
スフィルが早く走ってほしいと願う反面、エズレは頑なに、スフィルが説明するまで動こうとしなかった。
緊迫した状況など意にも介さぬその態度は、まさに「王子様」そのものだ。
まさかこの後輩は、ご叮嚀に不遜な態度まで王子様らしく役づくりしてくれているのかと、一瞬スフィルの頭にそんな疑念がよぎった。
「予期しない非常事態にそなえて、事前に『安全な』緊急退避場所を設定してるんです。そこに一刻も早く退避する。それが作戦コード『ゼロ』の意味です」
「それで、どこにあるんだ、その安全な避難場所ってのは」
「東訓練場の奥の雑木林に、古い廃棄武器庫があるんです。そこに向かいます」
一瞬目を見開いたエズレは、やがて静かに言った。
「却下する」
「はぁ?!」
素っ頓狂な声を上げたのはティガルだ。
「テメエ、後輩の分際で、試験の足引っ張るんじゃねえぞ!」
エズレは腕を組んだまま、不遜に言い放った。
「『護衛の分際で』、護衛対象にナメた口きかないでくれますか。ティガル、今の試験官が見てたら減点ですよ」
「んな採点基準あるかっ!」
ここで喧嘩が始まってはおしまいだ。スフィルは慌てて、間に割って入った。
「殿下、どうか御身の安全のためにも、一度引き返していただきたいのですが」
「イヤだね。おれはそんな馬鹿馬鹿しい指示は受けない。あの雑木林って、完全に逆方向だろ。経路の半分まで進んだ今の段階で、またゼロからやり直すって――護衛の現場は、『やり直し』が利くほど甘くはねえよ。ったく、これだから護衛素人のチビは」
「るせえなエズレ! 警護課入って一年未満の後輩が、したり顔で護衛業界語ってんじゃねえ」
「護衛官目指しはじめて、たかだか数年のあんたに言われたくないですよね。生まれたときから業界エリートのおれとは、端から立場が違う」
「テメエ、元王室護衛官の息子がそんなに偉いかよ」
「少なくともあんたよりは、意識も経験もあるって自覚してるんですがね」
「んだとコラ!」
この護衛対象エズレ・フェレルリークは、警護課の主任教官ハーナムの一人息子である。
ハーナム教官といえば、現役時代は先王の親衛隊長だった凄腕護衛官で、王国一の伝説の護衛官とも名高い。
(なるほど、『王子様』か)
奇しくも今回、王子様役を演じているが、彼はもともと「護衛界の王子様」といって間違いない出自なのだ。ある意味、ぴったりの役柄なのかもしれない。
「とにかく黙ってついてこい、エズレ! 敵は公安なんだぞ!」
一喝したティガルが、まるで本気で殴り飛ばすような勢いだったので、エズレはしぶしぶといった様子で、何とか歩きだした。
進みながらも、エズレはどうしても気になることがあったらしく、不機嫌な様相を呈した先輩護衛官を見上げた。
「公安ってなんですか。なぜ『公安が絡んでいる』、たったそれだけのことで、ビクビク怯えて逃げ回る話になるんですか」
「は――?」
ティガルは唖然と目を見開いた。
驚いたのは、今の言葉を聞いていたスフィルとノワンも同じだった。
「いつもの試験と協力する課が違うだけで、警戒しすぎじゃないですかね」
エズレは、公安の戦力を知った上で、ナメた発言をしているふうではなかった。彼は本当に、何も知らないのだ。
さすがにティガルも、この時ばかりは驚きで、先ほどまでの怒りを忘れたようだった。
「エズレお前――もしかして、公安のヤバさを知らねーのか?」
「生まれながらに護衛エリートのおれが、他課のことなんか知ってるわけないでしょう、興味もないし」
平然と言ってのけるエズレに、護衛班全員の目が点になった。
「おま……ウソだろ?」
憲兵学校の訓練生は、半年間の基礎訓練のあと、憲兵13課のなかから、自分が進む課を選択する。エズレは父親が有名な護衛官で、当然のように警護課に進んだからか、他課のことを何も知らなかったらしい。
だからあれほどまでに、無警戒に拒否していられたのだ。あれは派遣公安課を知らないがゆえの、無知ゆえの愚行だったのだ。
派遣公安課は、決して警護課と「同じ憲兵」などではないというのに。
「エズレ、あいつらの異名、知ってるか? 『憲兵部の殺し屋』って呼ばれてんだぜ」
端的に説明したティガルに、エズレは太い眉をひそめた。
「殺し屋? まるで犯罪者みたいなヒドイ異名ですね」
「犯罪者ではねーけど、連中が何人も殺ってるのは間違いねえ。だから『殺し屋』なんだよ」
「殺ってるって……」
ティガルのその言葉を聞いた途端、明らかにエズレの表情が変わった。今まで斜に構えていた態度から一変、まるでなにかおぞましいものを目にしたかのような、恐怖を宿した顔になった。
「どういう意味ですか」
「公安の半数以上が、陸軍からの転身者だ。その意味はさすがに分かんだろ。あいつらはオレたちと『同じ憲兵』じゃねえ。陸軍の血が半分流れた、混血組織ってとこだ」
「なっ、陸軍の……?」
ティガルの「陸軍」のひと言に、エズレはようやく事の深刻さを悟ったようだった。
王国陸軍は、憲兵と同じ王国軍とはいえど、殺しのプロである。
内部の都市で犯罪者を「逮捕する」のが憲兵の目的なら、陸軍の目的は、王国外部から侵入する敵を「排除する」こと。必然的に、そこでは生々しい命のやり取りが行われる。
そんな殺伐とした訓練を受けた陸軍人が、その任務を退役したあと、憲兵へと転身すると、大方派遣公安課に入ることになるのだ。そして、ほかの課では手に負えないほどの凶悪な犯罪者を駆逐する。
何人もの死者が出るほどの闘争に駆り出される。それが彼らの日常なのだ。
「要は常時戦争モードで、本格的に殺しの訓練受けてんだよ、あいつらは。連中に駆られたくなきゃ、とっとと逃げんぞ」
「意味がわかりませんよ! なんでそんな危険なヤツらが、この試験にいるんだよ!」
エズレは動揺を隠せずにいた。
「つまりおれは、そんな危険な連中に狙われてるってのか?! 大体、例年は任務成功があたりまえの簡単な試験なんでしょう! だから参加したってのに、聞いてねえよ、こんな――」
その瞬間、スフィルは歩きながら愚痴を垂れるエズレに飛びかかった。
防ぐ暇も与えず、エズレの口は塞がれた。
もごもごと抗議の声を上げようとしたエズレの耳元に、スフィルはささやくように告げた。
「静かに。誰か来ます」
今いる絨毯の向こう側で、誰かが早足に走る音が聞こえたのだ。音からして、複数人いるようだった。
エズレは口を押さえられたまま、目を見開いていた。
スフィルの腕に、エズレの高鳴った心臓の鼓動が伝わってくる。緊張からか恐怖からか、その鼓動はあまりに速かった。
ティガルとノワンは無言のうちに剣を構え、ダカはその場で愛用の複合弓に矢をつがえていた。
足音は現在、薄い絨毯一枚挟んだ向こう側で、ちょうどスフィルたちがいる前を、小走りに駆けていた。
「ヤツら、いたか?」
「いや。だが、第四門の付近にはいるはずだ。徹底的に探すぞ」
エズレを抱えて息を殺している、ただそれだけの時間が、とてつもなくながく感じられた。
敵はようやく、何事もなくスフィルたちの横を過ぎ去り、別の絨毯の奥へと消えた。
絨毯の迷路には、また静寂が訪れた。耳を澄ませば、敵が行った先――今までスフィルたちがいた方向から、敵役の男たちの声が聞こえてきた。探せ、まだそう遠くへは行ってないはずだ――声はそう言っていた。
とりあえず、危機は脱したようだ。
スフィルはほっと、安堵の息をもらした。
「敵に気づかれなくて幸いです。大丈夫ですか、王子殿下」
「ったり前だろ!」
エズレはすぐにスフィルの腕を振りほどくと、乱暴に赤い長外套についた砂埃を払った。
公安の脅威を聞いたあとから、エズレは先ほどまでの、何者も意に介さぬ態度から一転、異常なほどにあたりを警戒し始めた。
これは試験なので、なにも本当に殺されるわけでもないのに、この護衛官二世は、よほど「殺し」に関わることが苦手らしい。
将来護衛官になる身として、それで大丈夫なのだろうかと、スフィルは他人事のように考えていた。
「おいスフィル、もし敵に見つかったら、ちゃんとおれを護れるんだろうな」
スフィルに向けて放たれた言葉は、恐怖からか、半ば裏返っていた。
「おいエズレ、偉そうなこと言ってんじゃねえ! さっきだって危ないところをスフィルに助けられたくせに……」
詰め寄るティガルを、エズレは不遜に見上げた。
「悪いですか? 設定上、余は皇太子ですよ。偉い人が偉そうにして、何か問題でも?」
「なんだと、このクソ護衛対象が」
ティガルが殴りかからん勢いだったので、スフィルは慌てて止めた。
「ティガル、待ってください。『王子殿下』に手を上げるつもりですか」
「止めるなよ、スフィル。殿下も閣下も知ったことか。この大事な試験の邪魔するなら、誰だって容赦しねーぜ。とくに、オレの相棒を見下すクソ野郎は、たとえ本物のホムラ王子だろうと、泣いて謝るまで切り刻んでやらねーと気がすまねえ」
護衛官としてはとんだ根性だが、ティガルは頑としてそう言い放った。
「ティガル、これ以上護衛対象の体力を削らないでくださいよ。彼には自力で歩いてもらうんですから」
相棒にそんなことを言いながらも、スフィルは先ほどの、エズレを押さえつけていた感触を思い出していた。
赤く火照った皮膚、激しく高鳴る心臓の鼓動、とめどなく滲む汗、そして上がった息で、肩を上下させて呼吸していた。
たしかに、敵に見つかったら即脱落するという、緊迫した状況下にはあった。エズレが敵に恐怖を抱いていたのも確かだ。
だがそれ以上に、密着したエズレの身体から、イヤというほど伝わってしまったのだ。――彼の体力が、すでに限界を迎えていることを。
エズレはティガルを見上げ、不遜に言い放った。
「勘違いしないでくださいよ、先輩。おれは試験に協力してここにいますけど、卒業生に協力してやる義理はない。護衛対象が護衛に従順に従ってやる理由はないんですよ」
「テメエなあ……!」
相変わらず、先輩に対して随分と偉そうな物言いだが、彼はただ驕り高ぶっているのではない。
スフィルはあの時、敵から隠れるためにエズレの身体を引き寄せた時、気づいてしまったのだ。
彼は「王子様」を演じていた。
彼は意図して、偉そうに見せているのだ。体力が限界だという、個人的だが切実な事情を隠すために。
護衛官として致命的なほどに体力がないという、どうしようもない事情でやむなく班に迷惑をかけるよりは、意図的に迷惑をかけているふうを演じたのだ。曲がりなりにも「護衛界のエリート」であるという、彼の護衛官としてのプライドを守るために。
それを知ってしまってからは、彼に対して怒る気にはなれなかった。
そもそも、護衛対象の体力のなさを問題視することは間違いだ。護衛官としての訓練を受けているわけでもない現実の王子殿下なら、もっとはるか前の段階で音を上げていてもおかしくはないのだ。
通常、要人である護衛対象に体力がないのは、あたりまえのことだ。だからこそ例年、この最終試験の助っ人を募集されるのは、警護課に来て一年未満の新入りの後輩たちなのだ。
エズレの体力が限界なのはどうしようもないし、そのことを責められるべきでもない。
スフィルは再び、目的地を見据えた。
考えろ。
ほかに方法を探すんだ。一度態勢を立て直したあと、再びこの迷路を脱出する手立てを。
もう一度、同時並行でいくつものパターンを試行するのだ。
深く息を吸って、吐き出す。
いくつもの作戦を考え出し、同時進行で蔦を這わせろ。すでに体力に限界を迎えている護衛対象を、一度安全な場所で休憩させた、そのあと。
道のりの半分の時点で、早く歩けないほどになっているこの護衛対象を、ゼロ地点から、最後の第六ステージの向こう側の馬車まで、安全に連れていく方法を、ありったけ考えて、検証するんだ。
なんとか進行距離を短くできないか。護衛側で、エズレの負担を軽くすることはできないか。彼を回復させるには何が必要か。手持ちの水筒だけで、彼をゴールまで持続させることは可能か。
這わせた選択肢は、そのことごとくが干からびて散り果てた。
この炎天下。残りの水分量。エズレの体力。
その物理的にどうにもできない三点が、すべての選択肢を枯れさせてしまった。
(ダメだ、このままじゃ――)
プツン、と、何かが途切れた音がした。
「あ……」
唖然として声を発したスフィルを見逃さず、相棒が声をかけてきた。
「どうした、スフィル。大丈夫か」
「ええ、問題ありませんよ。退避場所へ進みましょう」
咄嗟に返答したが、やはり三年を共にした相棒には、それがぎこちなく映ってしまったのだろう。
彼はスフィルの返事が嘘であると、瞬時に見抜いたようだった。ティガルは声を低くして、彼には珍しいほどの真剣な表情で、こう問いかけてきた。
「お前、今――何が視えていた?」
やはり、相棒に隠し事はできないらしい。仕方がないので、スフィルは正直に答えた。
「一度退却したあとの、その先です。再度脱出を試みる方法を、数十通り模索していました」
「どうだった」
「『任務成功のために』、思いつくやり方はすべて脳内で検証しましたが――不可能でした。一度戻って王子殿下を回復させるところまではいいんです。問題はそこからです。王子殿下を、それから倍の道のりを走らせることは、物理的に無理があります」
「そんなの、エズレだって護衛官の端くれなんだ。死ぬ気で頑張らせるしかねーだろ」
後輩の肩を抱えて「なあエズレ、お前死ぬ気で頑張るよなあ?」と先輩の圧をかけるティガルを、スフィルはため息とともにたしなめた。
「根性でどうにかなるレベルじゃないですよ。なにより、水分不足は深刻です。死ぬ気で頑張るだけならいいですが、下手をしたら本当に脱水で死んでしまいます。もちろんそうなる前に、ボクが降参の狼煙を上げて試験を終わらせるしかないですけど、そもそもこれは、エズレ君の試験じゃないんです。そんな無理をさせることはできません」
「じゃあ、どうするってんだよ。ほかに案がないんだろ?」
スフィルは思いの外――自分でも驚くほどあっさりと、一番直視したくなかった、今残る唯一の選択肢を、相棒に告げることができた。
「この際、潔く諦めましょう」
「何だと……?」
「任務成功を諦めるしか、道はないんです」
「スフィル、お前……」
ティガルが愕然としてつぶやいた。「ちょっと待てよ。いつもなら、『方法がない』なんて言わずに、見つかるまで探すのがお前だろ? お前にしちゃ、諦めるのが早すぎないか?」
「この場合、諦めるのが早ければ早いほど『良い』からですよ」
「何が良いんだよ、諦めなんかの!」
「ティガル。ボクは今、『任務成功を諦めるしか、道はない』って言ったんです。つまり、諦めることさえできれば、まだ道はあるんですよ」
「どういうことだ……?」
それは、これが試験であるからこそ、その性質を突いた策だ。
訝しむティガルに、スフィルは告げた。任務を失敗させながら、試験を成功させるための、唯一の秘策を。




