外伝11話:ゼロから始める脱出計画 -Mhmlet qax elwhr-
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外伝11話:ゼロから始める脱出計画 -Mhmlet qax elwhr-
* * *
「なぁ、スフィル。さっきノワンに何言われた? またヒデエこと言われたんだろ。あいつ、ホント容赦ねえ言い方しかしねーからな。俺の相棒を傷つけたら、今度は俺のほうからぶん殴ってやんぜ!」
「待ってください。ノワン君は悪い人じゃないですし、何も変なこと言われてませんよ」
「そりゃ嘘だな。なんか『ヤバいこと言われた』って顔してんぜ、お前」
スフィルたち護衛班が、「門」へとつながる道へと移動していたときだった。先頭を行くスフィルの顔をちらりと見やりながら、ティガルはそう断言した。
さすがは相棒、スフィルの顔色から、そんなことまで察したらしい。
「いえ、ノワン君ではなく、さっき敵方に聞いた情報について考えてたんです。この試験、ちょっと信じがたいことが起こっているようでして」
「信じがたいこと?」
「あとで説明します。ひとまず、せっかくティガルたちが開けてくれた『門』を通過してしまいましょう」
「ああ」
スフィルは護衛班を引き連れながら、先ほどザイレム以外の四人の見張りがいた「門」を通過した。
ティガルたちに白い飾手拭を取られた見張りの四人は、その場に倒れながら、こちらを恨みがましい目で見上げている。
その前を通り過ぎる際の、ほんの一瞬のことだった。スフィルの視界の端で、ふと彼らのうちのひとりの表情が目に留まった。
暗い目つきをした、髭面の若い男だった。
彼はうつむきがちになっていたが、スフィルの目は確かに捉えた。彼はその口角を上げて、笑みを浮かべていたのだ。
ぞぞりと、背筋に冷たいものが走った。
あの笑みは、まぎれもなく勝利を確信した者の笑みだ。ちょうど、戯札で手札にいい札が揃った時の、あるいは陸上将棋で相手が悪手を指した時の表情だ。
(なんでだ。なんでそんな顔ができる……?!)
護衛班に負けているのに、すでに死人にされているのに、彼らは勝利を確信しているのだ。つまり、スフィルたちの班の敗北を。
ふと、スフィルの脳に疑念がよぎる。
もしや彼らは、この先で何が待ち構えているのか、知っているのではなかろうか。
ザイレムはたしかに、なぜ公安が出ているのかは知らないようだった。
だがきっと――この先にどんな罠が仕掛けられているのか、それは知っていたのだ。この公安の男の笑みはきっと、そういう意味の笑いなのだ。
(しまった! こんなことなら、さっきザイレムさんに聞いておくべきだった……!)
おそらく、この倒れている見張り兵は、尋ねたところで口を割らないだろう。本来なら飾手拭を取られた死人は口をきいてはいけないので、先ほど協力を申し出たザイレムが相手でもない限り、聞き出すことは到底無理な話だ。
(どうする? 一旦戻って彼に訊きなおす?)
だがそれによって、せっかく囮作戦によって開いた突破口が、また閉じられてしまう可能性が高くなる。
時間が経てば経つほど、見廻りの敵たちに気づかれやすくなる。気づかれては、門を突破するための今までの努力は水の泡。そうなってはスフィルたちは袋の鼠にされたまま、脱落を待つしかない。
そのリスクを負ってまでして、再び先ほどの第三ステージのザイレムのところへ戻ることはできない。
次のステージに、進むしかないのだ。
スフィルは「門」の先を見据えた。
目の前の景色は変わらず、絨毯の迷路のみだが、この「門」という名の境界を越えた先が、第四ステージ。脱出までの道のりでいえば、後半戦に差し掛かったところだ。
試験で想定された設定では、襲われた式典会場である屋敷の門を出た先の、最初の路地である。内部の行き来がしにくい屋内と違い、どこからでも敵が出入りできる。ある意味一番全方位からの警戒が必要な場所だ。
そして、おそらくこの先には、公安の見張りたちが知る、何らかの『罠』がある。
スフィルは最大限の警戒をしながら、第四ステージへと踏み出した。
細い路地を進んで曲がり角になったところで、うしろに制止をかけながら立ち止まる。
今のところは、人の気配はない。
「皆さん、ここからが第四ステージで、設定上は『屋外』です。この先は路地なので、どこから敵が来るかわかりません。そしておそらく、ここには何らかの『罠』があります。それぞれの持ち場から、全方位への警戒を怠らないでください」
「了解」
スフィルの緊張を感じ取ってか、一同警戒しながら、無言のままに野外訓練場の砂上を歩いた。
だが――
「おかしい。静かすぎる」
当初の予想に反して、周囲をうろついている敵は、ひとりもいない。
「そうか? こんなもんじゃね?」
聞き返したティガルに、スフィルは視線で前方を示した。
「いいえ、今までは部屋の間取りで行ける箇所が限られていたので、多くの見張りを配置させても無意味だったんですが、路地へ出たら自由に移動しやすいぶん、もっと多くの敵がいるはずなんです」
「『いるはず』って――実際いないんだからいいだろ。なにか問題なのか?」
「問題というか……」
それなら、先ほどの公安の男の笑い顔はなんだ。あの顔はたしかに、視えていた人間の顔だった。自分たちが張り巡らせた罠に、敵がはまり込んでいくその様が、明確に視えていた人間の。
(まさか、これがもう、罠なのか……?)
先ほどまでのルートで確認した見張りの人数は、例年の試験の敵数を、はるかに超えていた。だからこそよけいに、この静けさには肩透かしをくらったように感じる。
絨毯から絨毯へと、背中をつけるように素早く移動するあいだ、敵の足音はおろか、スフィルたち護衛班のほかには、人の気配すら感じられない。
不気味だ。
戦力が桁違いだとわかる敵は恐ろしいが、それでもわかるだけマシだ。少しは対策のしようがあるからだ。
本当に一番恐ろしいのは、戦力が見えない敵なのだ。
この静寂に包まれた迷路のなかで、相手の意図が視えない。その不気味な静けさを纏った事実が、スフィルを恐懼させた。
何が。一体何が罠なんだ。
一刻も早くそれを突き止めなければ、ここでのスフィルの判断が、全員を脱落へと追い込んでしまう。
見極めろ。敵の意図はなにか。なぜ誰もいないんだ。
「――ル、――ィル」
遠くで、なにか声が聞こえた気がした。
「おい、スフィルってば!」
次の瞬間、肩への軽い衝撃とともに、ティガルが耳元で叫んできた。慌てて顔を上げれば、ティガルが深刻な顔で見下ろしていた。
「お前、大丈夫か? さっきから上の空だぞ。顔から髪まで真っ赤だし、もうバテてんのか?」
「平気ですよ、ボクを誰だと思ってるんですか。暑くて顔赤いのは皆一緒ですし、それに髪赤いのは元からですから!」
「そーだった」
相棒はスフィルがあまりに真剣に考え込んでいたからか、あえてそんな冗談を言って笑った。
「さっきの見張りの人、きっと知っていました。このステージに罠があることを。たぶん、この静けさが罠なんです。どこかで大量に待ち伏せしてるハズなんです。でも――どこで待ち伏せしているかが、わからない。ボクは会場の見取り図を記憶していますが……それが、おかしいんです」
「どうおかしいんだ」
「第四ステージは、東西南北4つの門につながる大通りと、入り組んだ路地からできている道で、ステージとしては今までで一番広大なんです。ですからこんな広いステージに、『必ず通る』なんて言える場所は、ひとつもない。つまり待ち伏せできる場所なんて、存在しないんですよ」
ティガルは黙ったまま相棒の話を聞いていたが、やがてつぶやくように言った。
「罠だってのが、考えすぎなんじゃねーの」
適当にあしらった様子でも、いつものように陽気におどけて言ったふうではなかった。
スフィルの懸念はよく当たる。それを考慮した上で、彼なりに考えて言葉を紡いでいるのだろう。彼のゆっくりとした語調からは、そんな慎重さがうかがえた。
「このステージには、第五ステージへ進める経路が無数にある。待ち伏せしなきゃなんねえポイントが多すぎる以上、お前の言うように、このステージで待ち伏せしてるなんてことはありえねえ。囲われた屋内のほうがはるかにオレたちを倒しやすいんだから、敵サンが前半戦でケリをつけるつもりで、前半に戦力投入したって考えるのが自然だろ」
「でも――」
「なんだよ。論理的に考えて『ありえない』選択肢については、思い悩むだけムダだぜ。お前、深刻に捉えすぎだっての」
たしかにティガルの言う通り、考えすぎなのかもしれない。卒業試験というこの三年間で一番大事な任務で、最年少でありながら班長を任されているので、スフィルがその重圧で、普段より慎重になっていることは否めない。
「でもティガル、今日は絶対に落とせない試験なのに、ボクはあろうことか、まだ敵指揮官の作戦の全貌が視えていない。ボクはチームの皆の力は信頼していますが、何より恐ろしいのは、その実力を出させることなく、脱落させてしまうことです。――警戒する理由は充分でしょう」
「俺はこの試験は初めてだからわかんねーけどさ、例年と比べたらどうなんだよ」
スフィルは以前にも、先輩たちの卒業試験に、何度か護衛対象役として参加したことがある。ティガルが訊いているのは、その時のことだった。
「今回はいつもと全然違いますよ。敵の人数も、戦力も、何もかも」
何よりも、敵の連携能力が異常なのだ。
彼らの任務は、「護衛を見つけて、倒したら終わり」ではない。それぞれの重要な地点に見張りを置き、その地点のすべてを定期的に周回する見廻りの兵士がいる。まるで迷路に張り巡らされた蜘蛛の巣のように、少しでも異常があれば瞬時にその情報が届けられ、戦力を集中させるよう、合理的な配置になっている。
敵兵の背後に、彼らを統率する「何者か」が存在する証拠だ。
問題は、そこなのだ。
「やっぱり、この静けさはおかしいんです。――特に、この敵なら」
前半戦を見たかぎりでは、この敵役の指揮官は、合理的な人間だ。理由のない場所への戦力投入は一切なく、置くべき場所にしっかりと兵を配置している。兵法の基礎理論に忠実に、敵が配置されていたのだ。すくなくとも、敵指揮官が、兵法に明るいことは間違いない。
だからこそ、おかしい。
そんな兵法理論に忠実に兵を置いてきた指揮官なら、ティガルが言うように、短期決着をつけるために前半に大人数を投入するような真似はしない。
見張りに人数を割くべき場所を絞り込み、相手を誘導して待ち伏せる。さながら陸軍の作戦に参加している気分にさせられるほどの、合理的な配置。それがこの敵役の指揮官像なのだ。
ゆえに、今まで散々見張りと見廻り位置を錯乱させるような配置で置いてきた指揮官が、ここで何もしてこないことは、ありえない。
「今までの動きから見るに、敵は、必ず仕掛けてきます」
だからきっと、この静けさは、何らかの罠のはずだ。
「そうか。生粋のゲーマーのお前がそこまで言うんなら、間違いないんだろうな」
ティガルは信じてくれたらしい。
でも、一体何の罠なのか。肝心のそれがわからない時点で、何ら対処のしようがなかった。
「で、そろそろ話せよスフィル。あの敵の男に、何聞いたんだ」
「あの人たち、『公安』だそうです」
端的に告げれば、途端にティガルとノワンが、同時に顔を引きつらせた。
「何だと……?」
「どういうことだよ、スフィル! なんで俺たちの試験に、公安なんかが……」
「わかりません。参加させられている当人たちも知らないそうです」
ただ、考えれば考えるほど、今回の敵役は公安「らしい」と思えてならなかった。
派遣公安課の仕事は、治安の悪い地域の重犯罪者たちを、一斉に制圧すること。多くの場合、その相手は組織だった武装勢力で、公安は綿密な作戦のもとに敵のアジトを包囲し、籠城する武装勢力と激しい攻防を繰り広げるのだ。
試験の前半戦において敵が見せつけた、護衛たちを包囲する組織だった作戦はまさに、彼らの得意とする領域だった。
「公安が参加してんなら、そりゃ公安の教官の指示以外にねーだろうが――あの公安のクソハゲ教官、ほかの課の試験にクソ真面目につきあってやるほどのお人好しだったか?」
「いや、あの教官にかぎってありえねえな。やはりこれは、何かの陰謀と考えるのが――」
珍しくなにか言いかけたノワンの言を、スフィルは無言のうちに遮った。
今、たしかに遠くで音が聞こえたのだ。
――ピ、ピーッ
女性の声域ほどの、金属質な音だった。憲兵学校にいれば、必然とよく聞く音だ。
「今、軍笛が鳴ったか?」
ティガルが音のほうへと振り向いた。聞こえてきた方角は、先ほどまでいた第三ステージからだった。
あの音は、先ほども聞いたような気がする。敵役の見張りや見廻りたちが鳴らしたのだろう。
「誰かほかのやつらが見つかったかな」
今回の受験者である警護課の卒業生は全部で15人で、それぞれ3から4人の班に分かれて受験している。
スフィルたちは「護衛三班」と呼ばれる班で、彼らのほかにはあと一、ニ、四班の、のこり3班の護衛班がいる。
おそらく、違う班の誰かが敵に見つかって、応援を呼ばれてしまったのだろう。普通ならそう思うところだ。
だが――
(なんだろう。何かが引っかかる)
今の音、なにか違和感があった。
憲兵学校に在籍している以上、軍笛の音なら日常的に聞いている。だが、それではない。スフィルの頭に引っかかっているのは、なにか別のことだった。
(なんだろう。――リズム?)
気になったのは、音そのものではなかった。そのリズムだった。
(そう、あのリズムだ。たしか、ずっと前にも聞いたことがあるんだ)
どこだ。どこで聞いた。思い出せ。
そこで急に、夏の生い茂った草の匂いが、スフィルの鼻孔をツンと刺激した。
脳裏に鮮やかに蘇ったのは、初夏の昼下がり、新緑に囲まれた裏庭。目の前の芝生に腰掛けていたのは、時おり愛嬌のある笑みを見せる、無精髭の男。かつて慕っていた叔父の姿だった。
――思い出した。
かつて、王国陸軍の退役軍人の叔父が、幼き日の少女スフィーリアに説明してくれたこと。
(そうだ。陸軍には音の信号があるんだ)
突然スフィルは、その場でぴたりと硬直した。
「まさか――」
わかったのだ。この罠の正体が。この不気味な静けさの理由が。
あの笛の目的は、仲間をそちらに呼ばせることじゃない。
逆だ。仲間を指定の場所に行かせることにあったのだ。
やはり。
(ボクらはすでに、罠に嵌っていた……!)
「皆さん、急いでください、今すぐにここから逃げます!」
「え?」
「ホムラ王子殿下、申し訳ございませんが、殿下の御身の安全のため、至急『緊急脱出ルート』へと移動します。どうかご容赦ください。――皆さん、行きますよ」
スフィルは慌てて、進路の逆側へと走りだした。その気迫を感じたのか、皆すぐに転回して班長に続いた。
「おい待てよスフィル、どういうことか説明しろ!」
走りながら問いかけてきたティガルに、スフィルは口疾に答えた。
「今の笛、ほかの班を見つけた合図じゃなかったんです! 今見つかったのは、ボクらの班だったんです!」
「どういうことだよ?!」
「短音一回長音一回の音。あれは、王国陸軍で使われる信号だったんです! その意味は、『4』です」
「4?」
「第四ステージへとつながる門は4つ。おそらく、その4つの門に番号を対応させている!」
「じゃあ今の音は、どの門かを示してたってことか? だからって、なんで逃げるって話になるんだ」
「門の敵が全滅させられていたことに、見廻りが気づいたとします。彼らが次に取る行動は、前方にいる仲間に合図を送り、今からボクたちが進もうとしているルートに待ち伏せさせることだと思いませんか」
「そうか……そういうことか」
ぼそりとつぶやいたのはノワンだった。「四つの門のどれかひとつを必ず通る。言い換えれば、四つのうちのどれを通ったかがわかれば、その先の道も自ずと予測できる――そういうことだろ」
「ええ。だからこの路地には、誰もいなかったんです。彼らは最初から、合図があったら四分の一にルートを絞って、ボクたちを迎撃するつもりだったんです」
「何、だと……?」
簡単な話だった。あまりに広大なステージなら、ある程度場所を絞ればいい。それだけの、単純で合理的な話だったのだ。
心臓がドクドクと脈打つ。
マズい。今すぐにそこから逃げろ。
本能がそう警鐘を鳴らしている。
こうして話している今にも、この先に大人数が集まってきているはずだ。一刻も早く撤退しなければ、ここにとどまり続ければ、たちまち彼らに張り巡らされた蜘蛛の巣に引っかかり、蜘蛛の餌食となる。
「この先どうする、スフィル。もうあの門には戻れねえぞ」
先ほどの音が示すのは、来た門はすでに、見廻りによって封鎖されているということだ。
だがだからといって、このまま先に進めば、待ち伏せる敵の餌食となってしまう。
ちらりとうしろの護衛対象を見やる。彼は赤い長外套越しにでもわかるほど、荒い息をしている。これから長時間にわたって走ることはできそうもない。
この状況で、取れる選択肢はなにか。
隠れながら進む、囮作戦、密偵作戦、ほかには――。
脳内で、選択肢の蔦を伸ばす。
だが、次の瞬間には、スフィルは超えることのできない現実を目の当たりにしていた。
伸ばした枝葉は、皆途中で潰えてしまったのだ。
あらゆる作戦を「不可能」にしているのは、ほかでもない、体力が限界に近い護衛対象を連れ回して進まなければならないという事実だ。
背中を冷や汗がつたっていく。
脳内のシミュレーションで、ただひとつだけ、生き残った方法があった。それは唯一の、そして最後の手段だった。
「急遽、作戦を変更します。次の作戦コードは――『ゼロ』」
護衛官たちが、一斉にスフィルにふり返った。
この最終試験に向けて、事前にいくつもの作戦を綿密に設定している。そのなかでも「ゼロ」は、よほど立ち行かなくなった時の、最後の手段として設定したプランだった。設定していおいて何だが、実際に使うことはないだろうと思っていたプランである。
スフィルの宣言が意味するのは、最後の手札を切ったということ。それ以外に手段がないとも等しい宣言だった。




