外伝10話:似非乙女の似非少年(後編) -Sver HaktZehtek-
'20.09/11 演出を大幅に変更した上、ノワンに関する新規情報を追加。
外伝10話:似非乙女の似非少年(後編) -Sver HaktZehtek-
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スフィル・アクトツィアティク一等兵は、憲兵学校で「まるで少女のような美少年護衛官」として名が通っているが、実際それは間違いである。
スフィルは正真正銘の女子なのだ。
名乗っている「スフィル」は、本来の呼び名「スフィーリア」の男性形である。
スフィーリアはかつて、命の恩人の王室護衛官に憧れる、ごく普通の町娘だった。――否、「お嬢様」と呼ばれて屋敷に使用人が十数人生活していたあたり、「ごく普通」ではなかったのかもしれない。
父は一代にして富を築いた古美術品取引会社の社長で、いわゆる成金。夢は自分の娘を、故郷目都の首長の長男に嫁がせること。スフィーリアの許婚は、十年も年上の名家の首長嫡男と決まっていた。
スフィーリアが自分の夢を叶えるために無理やり家出したとき、首長家への一方的な婚約破棄を猛烈に恐れた父は、なんとしても娘を、結婚適齢期まで家に縛りつけようとした。鎖でつないでまで連れてこさせ、家に監禁してまで首長家と結婚させようとした。
諦めきれないスフィーリアに対して、父は毎日のように「お前には無理だ」と諭して聞かせた。
それでも何とか逃走すれば、父は今度は、部下に命じて、国中の憲兵学校を捜索させ始めた。
「赤毛の女憲兵」は珍しい。学校に出自と経歴を正直に申告すれば、父に捕まるのは時間の問題だった。
かくしてスフィルは、性別を「男」と偽り、偽名でこっそり憲兵学校に入学するしかなかったのだ。
それが、かれこれ三年前の話である。
スフィルは現在、絨毯の壁と、不機嫌な同僚に囲まれていた。
同僚ノワンに絨毯の端まで連れてこられた挙げ句、彼は向こうにいるほか仲間からの視界を遮るように、スフィルを挟んで向こう側の支柱に手をついた状態で、こちらを睨んでいる。
「あ、あの……ノワン君?」
すぐ目の前にあるノワンの不機嫌な顔を見上げながら、スフィルがおずおずと切り出せば、ノワンは威圧的に顔をしかめ、スフィルの発言を無視して話しだした。
「さっきあの馬鹿に聞いた。お前、あの馬鹿発案のフザけた作戦を、本当に遂行したらしいな」
ノワンの言う「あの馬鹿」というのは、ティガルのことだろう。
ティガルがふざけて「乙女トラップ大作戦」と名付けた作戦は、見目麗しき美少年スフィルを囮にして敵を引きつけ、さらに相手に女と誤解させて襲わせて羞恥心を植えつけ、情報を引き出す弱みとして利用するというものだった。
「ティガルはちょっとおバカなことしか言わないですけど、でもあれは、意外と遂行価値のある作戦だったと思います。おかげで敵役に関するヤバい情報も手に入れましたよ。実は敵役の正体は――」
「ヤバいのはこっちだってんだよ、馬鹿!」
ノワンが遮って、彼には珍しくストール越しに声を荒らげた。それと同時にスフィルの背面の支柱が揺れ、その振動が絨毯越しにスフィルの背中に伝わってきた。
「お前、自分がどんだけの危険に晒されたかわかってんのか! ホント危機感のねえヤツだよな。野郎だらけの兵舎で平気で雑魚寝するしよ、こっちの気も知らねえで……」
言いかけたノワンは、そのまま続けることなく、かぶりを振って沈黙した。
憲兵学校で唯一スフィルの性別を知っているのが、このノワンという同期の少年だった。
スフィルは人前で脱ぎたがらない理由を、「怪我をしているから」と言い訳していた。昔山賊に襲われたところを王室護衛官に助けられた話は皆にしているので、全員、その時の傷だろうと納得してくれている。
他人に対してつっけんどんな姿勢を貫く、この少年ノワンは、その時からスフィルにだけは妙に優しく、イタズラ半分で脱がそうとしてきた連中を追い払ってくれたこともあった。
その理由が、彼にも人に見られたくない古傷があるからだと判明したのは、スフィルがたまたま、着替えている彼の首筋に、深い切り傷を目撃したからだった。
その瞬間に睨んできた彼の目は、今思い出しても身震いがするほどに冷淡だった。首の怪我は、絶対に見てはいけないものだったらしい。
見られたからには公平にお前も見せろと、ノワンに強引に迫られた結果――彼を納得させるために、性別を白状せざるを得なかったというわけだ。
最初はそれに恐れていたスフィルだったが、ノワンは元が秘密主義なだけあって、スフィルの秘密を誰かに話すことはしなかった。
これがもし相棒ティガルだったなら、彼のあけすけな性格からして、残念ながら秘密は全警護課の知るところになっていたに違いないので、唯一知られたのがノワンだったことは、スフィルにとって幸運だったといえる。
意外にもノワンは、それからはまるで妹に接するように、親身にスフィルを気遣ってくるようになった。任務中にあからさまに特別扱いすることはないが、今のようにふたりきりだと、どうもよく心配される。彼にはスフィルと同い年の妹がいるらしいので、その妹という比喩も、あながち間違いではないのかもしれない。
現在スフィルに説教する彼は、まごうことなく、無茶をした妹を叱る兄のそれだった。
「心配かけてごめんなさい。でもボクは、自分の私室に囚われながら、夢を追えない後悔をするよりはマシだと思ってます。何を捨ててでも、王室護衛官になる夢を叶えたいんです」
ノワンはキッとスフィルを睨むと、スフィルのうしろで絨毯が震えるほどに強く支柱を握りしめた。
「いいか。お前はたまたま、今までヤベエほど幸運だっただけだ。この先もその運の良さが続くと思ったら、痛い目みるぞ」
ノワンの言うとおり、すべては「幸運」だった。
幸いにして、スフィルは元から背が小さく、童顔だった。その上、見慣れない異民族の血が流れていることもあって、ティガルを筆頭とした周りの人間には、成長期がまだの子どもということで騙し通せていた。
さらに、「北方蛮族を怒らせたら喰われる」という謎の偏見がイスカ人の間で蔓延っていたことも、秘密を守り通すのに大きく買っていた。イスカ人たちが恐れている蛮族像は、数百年も前のただの伝説であり、スフィルの母方の親戚たちは、いたって普通の人たちなのだが、その変な偏見のおかげで、今まであまり変なスキンシップを取られることもなく、ここまで無事に来られたのだ。
「ったく、こっちは毎回ヒヤヒヤさせられてるってのに……よりによってあの馬鹿の作戦を決行しやがって! 思わずあの馬鹿の顔面を殴りたくもなるだろ! スフィルに余計なこと言いやがったあの馬鹿を!」
「まさかさっき、それが理由でティガルと喧嘩したんですか? お願いですから、仲良くしてくださいよ。ただでさえノワン君、いつもチームで浮いてるのに……」
スフィルの心配を、ノワンはわずらわしいとばかりに一蹴した。
「うるさい。よけいなお世話だ」
「護衛で大切なのはチームの信頼関係なんですから、この機会に、皆と仲良くなったらいいじゃないですか」
「結構だ。生憎俺は、憲兵という人種が大嫌いなんでな」
自分が警護課の憲兵のくせに、ノワンは苛立たしげにそんなことを言った。
憲兵嫌いで有名なノワンが、こうしてお節介を焼くのは、本当にこの学校でスフィルひとりだ。おそらくスフィルが年下で、彼の妹を連想させるからなのだろうが、本来の優しくて気のいい性格を隠してまで、同僚たちにあえてつっけんどんな態度を取るノワンには、スフィルはもどかしい思いでいる。
「大体、作戦を考えただけのティガルを、殴ることないでしょう。今だってイライラしすぎですし」
「それはお前が、危機感なさすぎるからだろ!」
ノワンは珍しく悲痛な声をあげると、スフィルの顔にこれ以上ないほどに詰め寄った。普段は髪で隠している左目が、黒い巻き毛の間からかろうじて見える。怪我によりあまり開かない瞼に縁取られて、陰にありながらも点のように小さな瞳孔が、彼の必死さを訴えかけていた。
「いいか、お前の秘密が卒業までに誰かにバレたら、今までのお前の努力が、全部水の泡になるんだぞ。だから俺は今まで黙っててやってんだ。本当なら、とっとと今すぐ女子寮に行けと言いたいところだがな!」
卒業して一人前の護衛官になってしまえば、個室の兵舎を契約できるので、野郎六人部屋の今ほどの危機ではないだろう。それまではどうしても黙っていてほしいと、ノワンに頼み込んだのだ。
「ありがとうございます、ノワン君」
これほど親身に心配してくれたことに対して礼を言えば、ノワンは不意を突かれたような顔をして、側方を向いた。
「まあでも、その様子じゃ、あの敵役にバレてはいねえんだよな。あいつに何もされてねえよな?」
「大丈夫ですよ」
それを聞くと、ノワンはその場で、長い長い安堵の息をもらした。よほど彼を、気が気でない状態にさせていたらしい。
「ほんとにすみません。でもたとえどんなリスクを負っても、今日の試験だけはどうしても、確実に点を取りたいんです」
「ま、今日の試験が王室護衛官になれるチャンスに繋がるからな。お前らしいと言えばらしいが――」
今日の最終試験の成績が、卒業後の進路に大きく影響してくるのだ。
今日、となりの校舎のバルコニーで試験を観ている来賓の中には、憲兵署の人事担当者もいて、彼らは我先に優秀な憲兵を引き抜こうと、狙っているという話だ。優秀な訓練兵には、今日中にスカウトの声がかかることもあるらしい。
一口に「護衛官」と言っても、卒業後の進路はいろいろで、王室の護衛官になるためには、まずはそれ以外のいわゆる「エリート部隊」に入って、実績を積まなければならない。
スフィルが卒業後の進路として狙うのは、王都の憲兵署所属部隊である。いつ誰に暗殺を企てられてもおかしくないほどの要人ばかり警護するので、将来王室護衛官になるための、確かな実績につながるのだ。
ただ、さすがにそんなエリート部隊は門戸が狭く、国内最高峰のエリート憲兵学校と称されるこの学校の卒業生ですら、例年、配属されるのは、その年に最優秀成績を修めた数名のみ。
年齢と体格でハンディキャップがあるスフィルでは、総合成績一位で卒業して、ようやく入れるかどうかといったところだ。
「夢を叶えるためには、手段を撰んではいられませんから。自律は護衛官の基本ですよ。――『汝、いかなる時も己の主人たれ』です」
「お前、その格言好きだよな」
ノワンがぶっきらぼうに言った。
「ええ。現役王室護衛官の、憧れの先輩の言葉ですから」
「本当に、無茶だけはするなよ。――いや、言ったところでムダか。なら言い換えるが、次に無茶をしようとしたら、俺が確実に止める。その覚悟をしておけ」
ノワンは一方的にそれだけ言うと、
「以上だ。行くぞ」
と、もと来た道へ引き返していった。
(ノワン君には言いそこねたけど……)
スフィルは頼れる同僚の背中を見送りながら、頭の中では、派遣公安課と判明した、敵役のことを考えていた。
(また近いうちに、無茶しなきゃいけないかも)
この試験は、こちらの想像以上にヤバイ。
スフィルのよく当たる「ゲーマーの勘」が、この試験が一筋縄ではいかないことを告げていた。




