第5章 二人の世界(1)
神奈が逃げ去った後、空麻達は下山を目指した。しかし空麻達が通ってきたトンネルを含む全て道が塞がれており、しかも霊能力が上手く使えない場所らしいので、それらを通り抜けることはできなかった。おそらく空麻達を逃がさないようにするために、神奈達が仕掛けたものだろう。
結局、エレンがメアリという霊体の女の子を山に降ろすことでミヨク達の仲間に救援要請することしかできなかったようだ。そうしている内に辺りは暗くなってしまったので、一同は洞窟に戻り、そこで一夜を過ごすことにした。
そして、この夜をどう切り抜けるかを考えるために、一同が天井のない広場に集まる。
「まず、神奈の狙いが何なのかが分かりました」
真守がそう切り出した。しかし真守はあの時いなかっただろうが、空麻達は神奈の口からその目的を聞いている。健人がそれを言った。
「標の杖だろ。それはもう知ってる。けど、その標の杖がどこにあるのかは分からねぇ」
そうだ。神奈は空麻が標の杖の持ち主だと疑っていたが、空麻はそんなものを手に持った覚えはない。龍水家の人達も知らないようだ。真守も以前は空麻に聞いていたくらいだから知らなかったはずだ。
しかし真守は分かっているようで、はっきりとこう言った。
「標の杖は既にここにあります」
そして真守はミヨクの方を見た。正確には、ミヨクが手に持っている長い杖だ。
「みよ君が持っている杖、アーミラリステッキというんですけど、その杖に標の杖が組み込まれています」
ミヨクがどうしてそんなものを持っているのか、空麻には甚だ疑問ではあるが、その疑問は標の杖を持つ本人が抱いているようだ。
「どうして……これは魔術補助……」
ミヨクはそう言いかけて止めた。今、ミヨクは魔術と言った。それを隠しているように見えたが、その気遣いが無駄であることは空麻も知っている。
クレメンスという牧師姿の男が申し訳なさそうに口を開く。
「すみません。私が既に、昼間の戦闘で魔術をみせてしまいました。だからミヨク君、魔術のことを彼らに話してもいいですよ」
ついに魔術なんていうものまで出てしまったことに空麻は驚愕していた。先程の口振りだとミヨクも魔術に関わっているのだろう。霊能力だけでもついていけないのに、さらに別の超常現象が登場してしまった。
「そうですか。ならもう言いますけど、クレメンス先生や俺、そしてエレンは魔術師という存在です。クレメンス先生の魔術を見たならもう分かってると思いますけど、何もないところから火や水などを出現させる、超常的な現象を引き起こす能力です」
ミヨクの説明を聞いて、健人がこんなことを言う。
「戦闘霊媒の俺が言うのもなんだけど、魔術なんてものがこの世界にあったなんてな。なんだかすげぇな……」
そこで健人の眼の色が変わったのが、空麻にも分かった。その鋭い視線は真守に向いている。
「で、真守。お前さんは夜刀神の独占権を得る時に、その標の杖を使ったのか?」
「はい。でも、当時はこれが標の杖であることを知りませんでした」
真守の答えを聞いて健人が溜息をつく。そして呆れたようにこんなことを訊く。
「お前さんは夜刀神の力を使っていても、独占権を得ることには否定的だったはずだ。夜刀神との戦闘も辞さないほど深刻な理由があったということか?」
真守は躊躇うようにミヨクを窺う。その視線に察してか、「俺が言うよ」とミヨクが言ったが、真守が首を横に振ってから、しっかりと前を向いて話し始めた。
「みよ君の命を救うために必要でした。みよ君は肉体と魂の繋がりが非常に希薄で、一時は命の危険さえある状況でした。だから、その繋がりを補うために夜刀神の独占権が必要でした」
ミヨクは体調を崩していた。空麻は見なかったが、車いすに乗っていたこともあったとのことだ。ただ、命の危険があるほどの深刻なものだとは空麻も想像していなかった。
「その繋がりの話を詳しく説明するとなると、魔術について結構話すことになるんですが……」
真守が言いにくそうに俯く。魔術関連の話はあまり話したくないのだろう。戦闘霊媒でもない空麻にとっては、魔術関連の詳しい説明は不要だが、健人や鈴花がどう判断するかは分からない。
健人が口を開いた。特に威圧的でもなく、頭を掻きながら言う。
「そこは話したくなければ話さなくていいぜ。お前さん達にも込み入った事情があるみたいだし、俺はそこに関してはあまり興味がない。それより今後の話をしよう」
「そうですね」
健人の提案に、真守が真っ先に応えた。そしてこの場を仕切るのは自分だと宣言するように話し始める。
「鎧武者の中身は極力生きて捕らえるようにしますが、神奈や他の雑魚共は私が殺します。健人さんは私と一緒に、鈴花さんはみんなを避難させてください。明日にはトンネル付近に救援が来るはずです」
この発言に、空麻は恐怖を覚えずにはいられなかった。
戦闘霊媒よりも、魔術師よりも、空麻の世界を激変させたのは、人殺しが身近にいるということだ。相手がテロリスト同然の極悪人であるとはいえ、何の躊躇もなくその命を奪う人間がいる。空麻にはその事実が耐えられなかった。
そして周りの反応も空麻にとっては異様だった。健人は納得しているように相槌を打っている。鈴花やミヨクやクレメンスも何も言う様子はない。エレンは怯えきった様子だから、おそらく何も言えないだけだろう。しかし他のみんなは敢えて何も言わないように空麻には見えた。それでいて平然とした態度で真守と接している。
いつの間にか、空麻は言葉をこぼしていた。
「よくないよ……」
一度こぼしてからは、もう止まらなかった。空麻はしっかりと真守を見据える。
「人殺しなんてよくないよ」
真守は一瞬だけ意外そうな顔をしてから、すぐに顔つきを変えた。
「今、何と言いましたか?」
まだ、真守は質問しただけだ。空麻にはそう感じた。怒りはまだ抑えられている。殺気を帯びた表情は見せていない。もう一度、空麻は言おうとしたが、当然空麻の言葉は聞こえていたようで、真守は言葉を続けた。
「私は奴に両親を殺されたのですよ」
おそらくそういうことだろうと空麻も予想はついていた。真守の憎しみを理解できないわけではない。しかしこの後に続く真守の過去は空麻の想像を絶するものだった。
「五年前。奴は突然標山の森を襲撃し、私の父と母を殺しました。しかも、ただ心臓を突いて殺したのではありません。敢えて急所を外し、多くの切り傷を与えた後、私の目の前で二人の首を刎ねました。両親の血を私に浴びせるように……。それから奴は、私の両親の生首を持ち、私の目の前で潰しました。眼球が顔に当たりました。脳漿が髪につきました。私にはあの時の光景が今でも忘れられません」
真守はかろうじて冷静さを保っているようだが、話すにつれて早口になっていく。徐々に興奮しているのが空麻には分かった。
「それでも神奈を殺すことが駄目だと言うのですか?」
真守は人を殺すことを何とも思っていない。空麻はそう確信した。もちろん今日会った紅城神奈やその手下のような悪人しか殺さないだろう。しかし殺人という行為に対しては何も抵抗はないようだ。実際に、昼間に神奈の手下をあっさりと殺したらしい。
そして、エレンはともかく、他のみんなは真守が殺人を行ったことをまったく咎めない。あの鈴花さえも、少し怯えた様子を見せているとはいえ、どこか慣れているような反応を示していた。
「私は戦闘霊媒です。奴らのような害虫を駆除することも仕事なのですよ」
真守の言うことは本当なのだろう。だからこそ、殺人が容認されている状況が空麻にとっては耐え難かったのだ。真守や鈴花や健人も、今まで優しくて良い人のように思えていたのに、得体の知れない生き物のように思えてきた。
「でも、ご両親は復讐なんて望んで……」
「あなたに何が分かるんですかっ!」
ついに真守の怒りが爆発した。
「両親が望んでいない? だから許せとでも言うんですか! 復讐なんてやめろって言うんですか! そんなことできるわけないでしょ!」
意外にも真守が神奈に放っていたような殺気を空麻は感じなかった。おかしな表現であるが、ただ単純に激怒していた。空麻の目の前にあったのは、人殺しの怒りではない。普通の人間の普通の怒りだった。
「でも……」
空麻は言葉を発しようとしたが、真守の次の一言に遮られた。
「記憶のないあなたには分からないのよっ!」
その言葉で、空麻は何も言えなくなった。真守がどこまで意図してその言葉を放ったのかは分からない。しかし自分も両親を殺された者であることを空麻は認識せざるをえなくなった。そのことを今まで意識してこなかったことも――。
つまり両親を殺されたはずなのに、その記憶がないので両親を殺された苦しみが分からない。真守の意図はともかく、空麻はその事実を突きつけられてしまった。
「真守っ!」
そこで今まで静観していたミヨクが大声を上げた。真守をじっと睨みつけている。対する真守は先程までの怒りが嘘のように肩を竦めて大人しくなった。
「それは……空麻には言ったらだめだろ……」
ミヨクがそう言うと、真守は泣きそうな顔をしつつ、みんなから目を逸らした。そして何も言わずに洞窟の外へと走り去ってしまった。
「真守さんは私に任せてください」
「クレメンス先生……。すみません。お願いします」
クレメンスが真守の後を追っていった。それを見送った後、ミヨクは空麻の方を向いた。ただ真っすぐに空麻を睨んだまま歩み寄ってくる。明らかに怒っている。
「ミヨク君……」
空麻が呆けている間に、ミヨクは空麻の目の前までやってきて、そのまま立ち止まることなく空麻の顔面を殴りつけた。
「ぐっ……」
空麻はミヨクの拳を受けて尻餅を突いた。殴られた方の頬を押さえながら見上げると、目の前にミヨクが立っていた。
「お前、真守が昼間の奴らみたいなただの殺人鬼なんかと思ってんのかよ」
ミヨクの指摘で空麻はようやく気づいた。確かに真守は人を殺していた。しかし神奈のような殺人を楽しむ悪人とは違う。できることならそんなことはしたくないと思っているだろう。
ミヨクは少し怒りを抑えたようで、落ち着いた口調で話し始めた。
「お前は標山家を離れて、霊媒とは無縁の世界に行ったんだろ。命のやり取りもめったにないはずだ。だから殺人は絶対だめだって言うのも分かる。けどそんな常識が通用しない世界もあるんだよ」
さらに空麻は思い知らされる。自分が真守に言ったことは正しいか間違っているかの問題ではない。そもそも真守のいる世界を何も知らない自分には言う資格のないことだった。
「お前が今までいた世界なら、警察がいて、大抵の犯罪はそれでなんとかなるから、仇討ちなんて認めない方がいいのは分かる。けど、戦闘霊媒なんていう存在がある世界じゃお前の知っている常識は通用しない。お前が来てしまったのはそういう世界だ」
神奈のような、蜘蛛の化け物を従える人間を警察がどうにかできるとは空麻にも思えない。軍隊ならば何とかなるかもしれないが、つまりそれ程強大な力を持った存在だということだ。法律に頼ることなんてできない。ならば自らの力で復讐するしかない。確かにミヨクの言う通り、空麻の常識の外にある存在に対して、常識の中の倫理観は通用しないだろう。
「そういうことだからな。真守には俺からもちゃんと言っておくから、後で謝れよ」
そう言って、ミヨクは踵を返した。そして真守が走り去っていった先へ向かおうとしている。その途中でエレンに声をかけた。
「エレン。お前も行くぞ」
「でも、私は……」
「お前はまだ真守のことを友達だと思ってるんだろ。だったら大丈夫だ。俺もついてるから」
ミヨクが優しくそう言うと、エレンは小さく頷いた。そしてミヨクとエレンは広場を後にした。
その後に、健人がわざとらしい咳をしながら空麻に近づく。
「まあ、ミヨクが先に言ったということもあるし、俺達は巻き込んだ側だからあまり強くは言わねぇけど、お前さんはもう霊媒の世界に来てしまったんだ。この世界にいる間だけでもいいから、今までの常識は捨てろ。いいな」
「分かりました……」
空麻はようやく、違う世界に来たことの本当の意味を実感した。




