第4章 二人の役割(3)
空麻はとにかく目の前の敵を目で追うことに必死だった。自分は鎧武者と戦うことはできない。とにかく健人と鈴花が戦う邪魔をしてはならない。とはいえ自分の身を守ることしか考えられない自分がもどかしいと感じた。
健人が空麻と鈴花の前に出ながら言う。
「あいつの相手は俺がする。鈴花は空麻を守りながら俺を援護しろ。空麻は鈴花の傍から絶対に離れるなよ」
「ええ」「はい」
鎧武者は以前見た時と同じように武器を持っていない。しかしその驚異的な力は以前見た時に思い知らされている。
空麻達はそれぞれ準備を整えたが、鎧武者は一向に動こうとしない。攻撃してこないのは空麻としてもありがたいが、唯一の出入り口が防がれているので、厄介なことに変わりはない。
そこで、鎧武者の後方、出入り口の方から足音が聞こえてきた。姿を現したのは二十代くらいの女性だ。上は緑色の道着のような服で、下は膝丈くらいのスカートをはいている。そして彼女の身の丈程の長さもある薙刀を持っている。
距離は結構あるが、女が薄笑いを浮かべていることだけは空麻にも分かった。
「ごきげんよう、龍水健人。私の思い通りにここまで来てくれてありがとうね」
「神奈……。やっぱりてめぇが一枚噛んでいたわけか……」
健人が神奈と呼んだ女性が一歩進む。
「さぁて、あんたの顔も見飽きたし、ここで殺しておこうかしら」
神奈は平然と殺すと口にした。空麻はそのことに驚愕する。鎧武者はまだ化け物みたいなものだったので、殺意があることも頷けた。しかし目の前の女は人間だ。まっとうな人間のはずだ。それなのに同じ人間を殺すことなど、空麻には信じられない。
霊体が視えるようになり、化け物にも遭遇して、それだけでも違う世界に来てしまったと空麻は感じていたが、ここに来て、さらに別の世界に迷い込んでしまったように感じる。
「まあでも……、あたしとあんたの仲だし、あれを出してくれたら見逃してあげなくはないわぁ」
「あれってなんだよ……」
健人が返すと、神奈は明らかに苛立ったようにこう言う。
「はぁ! とぼけないでよ。標山空麻を連れているということは、標の杖を持っているってことでしょう」
標の杖。夜刀神を鎮めた麻多智が持っていたとされるものだ。しかし空麻にはそんなものを託された覚えはない。記憶喪失になる前に持っていたのかもしれないが、少なくともその後に標の杖を見たことすらない。
健人と鈴花も知らないのか、何も言い返さない。
「ちっ……。その様子じゃ何も知らないか。いいわ。折角だから教えてあげる。標山空麻、アンタは標山家が何を祀っていたのかを知っているだろう」
まさか自分が質問されると空麻は思っていなかった。正直、目の前の女が怖い。平気で人を殺そうとする人間だ。足が震えて、声が上手く出せない。しかしここで怖気づいてしまうわけにもいかない。空麻はなんとか声をひねり出した。
「夜刀神だろ……。蛇の神の……」
「そうよ。夜刀神……。中途半端に逃げ残っている化け物とはいえ、あれの力は絶大よ。標山の人間はまあまあ優秀な霊媒だけど、それだけではあの化け物は制御しきれない。そこで必要になるものがあるわ。何だと思う?」
ここまで言われたら霊媒能力に明るくない空麻にも分かる。
「標の杖……だろ……」
空麻はそうとしか思っていなかった。しかし神奈はさらに言葉を待っているようで、おかしそうに薄笑いを浮かべながらこんなことを訊く。
「で? 他には?」
他に必要なものなど、空麻には分からなかった。代わりに健人が口を開く。
「何わけ分かんねぇこと言ってんだよ?」
「おいおい。本気で分からないの。ったく、どいつもこいつも間抜けね」
神奈は愉快そうに笑い続ける。この女の哄笑を聞きたくはないと思いつつも、標山家のことを何か聞きださなければならないと空麻は感じた。
ひとしきり笑い終えた後、神奈は笑みを零しながらも、横に視線を送った。
「そこの鎧武者。なんだと思う?」
空麻には分からなかった。先に反応したのは、やはり健人だ。健人は大きく眼を見開いて、鎧武者をじっと見つめる。その瞳には驚愕と怒りが混じっているように空麻には見えた。
「まさか……。てめぇら、そこまで腐ってたのかよ……」
「それを言うなら標山家もでしょう。そこのガキにも同じことを言ってあげなさいよ」
健人は歯軋りをしながらも何を言わない。それを見かねたのか、神奈はあっさりと鎧武者の正体を告げた。
「そこの鎧武者の霊体はね……。麻多智よ」
麻多智。夜刀神という蛇神を打ち倒した英雄。彼が実体化しているということのようだ。そして、麻多智の霊体が敵の手に回っている。もうその意味を察することができない空麻ではない。
「標山家は麻多智の魂を自分の家に縛り付けていたのよ。それで夜刀神を制御して、その絶大な力を利用してたってわけ」
かつて生きていた人間の魂を縛り付けているということだ。自分の意思とは関係なく、安らかに眠ることができず、戦いの道具にされている。霊能力が少しでも戻った今の空麻なら、それがどれだけ残酷なことなのか、想像に難くない。
「一応、アタシ達は正式な形で降霊はしたわ。だから、来てくれたのはそいつの意思よ。けど、それより先はアンタ達の想像通りね」
「それだけじゃねぇだろ」
健人が怒鳴る。空麻も忘れているわけではなかった。鎧武者には小さな子供がいるのだ。その正体も分かっていない。いや、健人は既に察しているようだ。だからここまで怒りを露わにしているのだろう。
「正式な儀式で麻多智を呼んだってことは、その中の子供はまさか……」
健人の言葉を聞いて、神奈はさらに愉快そうな笑みを浮かべる。自分の悪事を知らしめることができたようで嬉しいようだ。
「そうよ……。もう一つの必要なものは既に手に入れてるのよ。標山家の人間ならここにもいるのよ。鎧の中にね……」
標山家の子供はミヨクの他にもまだいたようだ。空麻は当時の記憶を失っているので、標山家の家族構成を覚えていなかった。ただ、一歩間違えれば、自分が鎧武者の霊媒として悪用されていたと考えると恐ろしくなってきた。
「そっちの標山空麻でもよかったんだけど、上手く隠れていたみたいだからね。代わりに、先に見つけた生き残りを利用させてもらったまでのことよ。ただこのガキを匿っていた奴らは、麻多智が使っていた夜刀神を制御するための道具、標の杖を持っていなかった。その様子じゃ、あんた達も持っていないようね……」
そこで、神奈は一歩踏み出した。それを見て、健人と鈴花が武器を構える。空麻も忘れていたわけではない。神奈はただ親切に標山家のことを教えてくれているわけではないのだ。
「さぁて、そろそろ殺すか。おい、麻多智。龍水家の二人は殺せ。標山のガキは四肢を折って生け捕りにしろ」
神奈がそう言うと、鎧武者は走り出した。重い鎧を着ている者とは思えない程の、速くて、軽快な走りだ。それでいて圧倒的な重量感もある。
対して鈴花は矢を取り出し、弓を引いて、即座に鎧武者へ放った。その手際の良さは綺麗だったというのもあるが、空麻としては、鈴花も真守と同じ戦闘霊媒だという現実をはっきりと突きつけられた瞬間であった。
鈴花が放った矢は、鎧武者の身体を貫くどころか、鎧武者に見切られ、その手中に収まってしまった。しかしそれを見た神奈が苦虫を潰すような顔をした。
「おい麻多智。それをすぐに捨てろ」
「弾けろ! 藍狼」
鈴花がそう叫んだ瞬間、鎧武者が握っていた矢が爆発した。ただ普通に考えられる火炎を伴った爆発ではない。何か青い光が球状に広がったような爆発だ。その爆発が鎧武者の腕の装甲を剝した。
「ぐるぅ……」
その爆発の中から、小さな狼が現れた。狼といっても当然生きたものではないことは空麻にも分かっている。鈴花の肩によく乗っている霊体の狼だ。青白い靄を周りに漂わせながら、藍狼と呼ばれた狼が鎧武者の腕に噛みつこうとする。
「ぐあぁぁああああ」
しかし鎧武者が右腕を振るうと、藍狼は呆気なく殴り飛ばされてしまった。
それを見て、神奈がくすくすと笑う。
「ホント馬鹿ねぇ。どうせ、中身が子供だから手加減したんでしょうけど、腕を吹き飛ばすくらいの気概でいかないと、殺されるのはアンタよ」
神奈は手に持っている薙刀の石突で地面を突いた。そしてこう言う。
「来い。土蜘蛛」
その言葉とともに神奈の隣に現れたのは、蜘蛛と呼ぶには巨大すぎる存在だった。脚を曲げているにもかかわらず、体高が神奈と同じくらいだ。生きている蜘蛛ではありえない大きさだ。
現在、神奈と蜘蛛の化け物が、この洞窟の唯一の出入り口の前を陣取っている。そこから動こうとする様子はない。戦闘は鎧武者に任せて、空麻達の退路を塞ぐことに専念しているようだ。
鈴花はもう一度弓を引く。狙いは蜘蛛の化け物の方だ。一本の矢が勢いよく放たれた。
「きくかよ」
そう叫びながら神奈が手を前に出すと、土蜘蛛の口から白い糸が放たれた。やがて糸というよりは塊となったそれは、矢を撃ち落とした。それから神奈が言う。
「おいおい、アタシ達に構っている余裕なんてある?」
いつの間にか、鎧武者が鈴花のすぐそこまで来ていた。そして鈴花と鎧武者の間に健人が割り込む。鎧武者の拳を健人は刀で弾いた。
しかし鎧武者は全く怯まず、さらなる攻撃を健人に加えようとする。健人はその攻撃も刀で防御したが、威力を押し殺すことができず、後方へ弾き飛ばされてしまった。
「兄さん!」
「おいおい。よそ見してる場合かよ!」
土蜘蛛が再び白い糸の塊を放っていた。しかも今度は一つではなく、五つだ。それらが、鈴花に襲いかかる。
「碧狼!」
鈴花がそう呼ぶと、今度は緑色の靄を纏った狼が現れた。先程の藍狼と違って、鈴花くらいの大きさの霊体だ。その霊体が鈴花の盾になるように糸の塊を防いだ。
一方で、体勢を立て直した健人は鎧武者と対峙している。鎧武者の攻撃をかわしてやり過ごしているが、防戦一方だ。
戦況くらいなら空麻にも分かる。健人と鈴花は敵を倒すことより、この場から脱出することを優先している。だから鈴花は土蜘蛛を攻撃して突破口を開こうとしていたことも分かる。そして敵もその思惑が分かっていて、神奈が土蜘蛛で出入り口を塞ぎ、そこから動かずに、遠距離攻撃で鎧武者を援護しているのも分かっている。
分かっていても、空麻は一緒に闘うことができない。ヘンシェル教会の前でもそうだったが、守られてばかりだ。そんな自分を情けないと思いつつも、やはり、健人や鈴花のような霊能力を持っていない自分では役に立たないことも自覚している。
「空麻君は絶対にそこから動いちゃダメ」
終いには鈴花にそんなことを言われる始末だ。女の子を盾にするようなことしかできない自分が嫌だ。こんなことを言うと、鈴花は絶対に激怒するだろうが、自分にも健人や鈴花のように闘う力が欲しい。
そこで、新たな足音が出入り口の方から聞こえてきた。かなり大きな音だ。全速力でこちらに向かっているようだ。神奈が慌てたような声を上げる。
「おい。見張りは一体何してたんだ? いや待てよ。この感じは……。おい、鎧武者。あいつらの相手をしていろ」
そして神奈が出入り口の方を向いた。しばらくもしないうちに、足音がすぐそこまで近づくとともに、叫び声も聞こえてきた。
「かんなぁぁぁぁぁぁあああああああ」
空麻はその声を聞いて、全く知らない人が来たと思った。自分の知っている人物なのだが、彼女のそんな激しい声を聞いたこともないし、普段の彼女からは想像もつかないような声だったからだ。
「来たかクソガキィ!」
神奈が叫びながら彼女を迎え撃つ。彼女は勢いよく駆けて、刀を振り下ろす。神奈が薙刀を横に構えて、刀を防いだ。彼女はそれに構わず刀を押し込み、刀を神奈へ通そうとする。彼女も同じだ。本気で人を殺そうとしている。
やがて二人は互いの武器を弾き、一度距離を取った。そして同時に、同じくらいの大きな声で怒鳴り合う。
「クソ蛇が! ぶっ壊す!」
「ゴミ虫が! ぶっ潰す!」
尋常じゃない程の殺気を纏った久遠真守がそこに立っていた。




