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終章 31 『現象』

夢を見た。

ということを思い出した。

しばらく夢は私と馴染んでいて、夢ではなくなっていた。

いや、無くなりかけていた。

いつか見た景色も、流れる音楽も、呼吸の音も、人の体温も、心臓の感触も、頭の中の霧も、全て少しずつ、少しずつ馴染んで、消えていった。

私は全てを経験したから

同時に全てを失くしていく。

夢と私は∞の現象として、一つに終わろうとしていた。

私は青い点滅する現象だった。

何を見ていたかは覚えていない。

言葉の無い世界だったから。


ちょうど夢が消えかける時、ふと一つ、泡が浮かんだ。

ただの青い泡。

それを見ても、言葉は思い出さなかった。

でも、私はその時、何故か目を覚ました。


そして、真っ黒い箱の中にいた。

何百年の月日が経ったのだろうか。

システムの声が、私に私を思い出すかどうかたずねた。

私は思い出さなくてもいいかと思った。

でも、その時一つだけ、もう思い出したことがあった。


柳は夢から覚める夢を見て、

ベッドの中で、これも夢かなと思いつつ、暗い天井を見ていた。


光は無いはずなのに、目を瞑れば逆に、青い光が浮かんでくる。

光は、光の中に無い。光は光を捉える人にある。


今もあの夢の中にいるのかもしれない。

或いは都合よく後付けされた設定と物語なのかもしれない。

それでも、この夢には光がある。それは確かだ。



■卒業式

 

 

 学校は、死んでいる。

 真っ白で、動くことはない。

 その広大な死体の中に、二人きりで取り残された。

 キゴウと柳だけ。二人きりの卒業式。


 キゴウはいつも通り柳と別れた。

 そして、他の人達と同様に、そのまま会うことはないのだろうと思った。


 キゴウは今、夢を見ている。

 最後の戦いの中で。


 柳は、あの場所でキゴウを待っていた。

 機械のように動じず、無表情で、キゴウに告げる。

「エリア1で夢が終わろうとしていた時に、一つだけ分からないことを思い出した。両親は何故、交配で私を生んだのか。眠りにつく前に、それだけ確かめようと思った」


 最後にそれだけ確かめようと思った。

 箱から出て、何もない白い地面をペタペタと素足で歩いた。

 歩き方から何もかも、まるで忘れてしまった。

 転びながら、立ち上がり、ペタペタペタペタと歩いた。

 誰もいない白い大地を。


 やがて、柳はエリア2で眠った。

 人々は通り過ぎていくが、誰にも彼女は見えなかった。

 人は見たいものを見るから、忘れられたものを見る人はいない。

 彼女の上を、何も感じず、人々は通り過ぎていく。

 白い球のような雪がシンシンと降り出して、

 彼女の身体を包んでいった。

 

 雪は暖かかった。息は白かった。

 無になる身体は冷たく、熱かった。

 あたりまえのことが、少しずつ思い出された。

 そして、そのままもう夢の無い夢へと落ちるのかと思った。


 冷たいものが触れて、暗闇の中に引きずりだされたのは、その時だ。

 触感はほとんど麻痺していたが、何かが自分に触れているのだとは、何となく分かった。

「大丈夫?」と頭の中で、それは聞いた。

 

 記憶を戻すことにした。

 そして、学校に通った。

 特に意味もなく、自分を見つけた者で目的を果たそうと思った。

 彼人はその後も、ことあるごとに同じことを聞いていた。

「大丈夫か?」「大丈夫?」

 ただ、聞く相手は柳ではなかった。

彼女は出会うべくして、出会う人間と会った。そして、その出会うべき人間も出会うべき人と出会っていた。


「私と一緒にいてほしい」

 再会した日、柳はキゴウに望みを伝えた。



■生活



 柳は妊娠した。彼女はお腹をさすりながら、その正体を今でも探ろうとしている。

 キゴウと柳は、自然主義者のようにシステムを介さずに子供を作り、産もうとした。深い意味はなくどこかで生まれた流れだった。自然交配で作ったのであれば、そのまま自然に生むのが自然だ。

 ただその自然に至る過程では、システムの介入を数多に通した。キゴウも男性器を持ってはいたが、機能を失っていた。それらの調整は想像する一瞬で済んだ。


 二人は半分、自然主義の暮らしにも慣れ始めた。“生きるための生活”を営み始めた。生きる必要のない一人分の箱の中だけで暮らしてきた者が、今は大きな木造の家を持っている。

 これはエリア3で廃墟になっていた家を、周りの人間の力も借りて清潔にしたものだ。

 経済と呼ばれる交渉を通して、ここでは人と貸し借りをする。情報化された知識や意識のデータをNFTで与える代わりに労働力を提供してもらった。知識など、エリア2以上であれば、別になんの制約もなく無限に手に入るが、システムを通さないエリア3ではある種ケイの言う“縛りプレイ”が行われている。

 もっともこれはまだ緩い取引であって、多くのエリア3では自動計算そのものを禁止されている事がほとんどだ。もしくは、後から世界のルール変更がされて、いつの間にかそうなったのかもしれない。

 キゴウは少しずつ脳に蓄えられていた情報を切り売りしていた。そして赤子が眠るベッドと、体を洗う浴槽と、ご飯を食べさせる机と、ご飯を作るキッチンと、人の手を借りながら創作した。想像では一瞬で終わるものを、手を使って創造することは遥かに大変だ。いつか、ケイから仮想の中で教えられた知識は売らずに、今少しは役立っていた。

 

 キゴウと柳は夜、同じベッドで眠った。

 柳のお腹に手をあてると、ポコポコと時おり膨らんで、キゴウの手を跳ね返す。

柳は少し顔をしかめて痛そうにした。

「蹴ってるらしいよ。この中で」

 生命がこの中に既にいるらしい。

 彼女はその重みが苦しく、仰向けになることができないようで、キゴウのほうを向いて眠る。

 隆起する中央の皮膚。


――「その中身は開けてみないと分からない」


キゴウの頭のどこかで少年の声がした。


■ 排泄。


自然主義の人間は不効率な身体をしている。取り込んだものも逐一排泄しないと自らが汚染されて生きていけない。

 流れる水の音。

 排泄物の上に浮かぶ、小さな人形のような身体。

「流れてしまった」と動く柳の口元。


 また、目が覚める。夢を見ていたようだ。

 何度目が覚めただろうか?

 眠らずに何度、目が覚めただろう。

 エリア3で、キゴウは毎夜この「夢から覚めた夢」に襲われる。


 リビングの明かりが漏れている。

 キゴウは布団から起き上がり、扉を開いた。

 柳が座って、お腹をさすっている。

「どうした?」

 キゴウが聞く。

「動かないんだ」と柳は言った。



■生命



 エリア2に再び入り。

 命は、システムにシミュレートさせて、取り戻した。

 自然主義の神の一人は愛。もう一人は死。

 この行いが死への信仰を偽ることになるのか判断に迷ったが、柳の意向で蘇生することにした。

 お腹の中の子供は、その後順調に育った。

 或いは子供が止まったのも、ただの夢だったのかもしれない。

 

――激しい痛みの中で、柳はこれまでないような顔をした。

 体中汗だくになり、顔を必死にしかめながら、悲鳴のように叫んだ。

 キゴウはその手を握った。

 柳は苦しみながらも目を開けて、自分の股を見ていた。

 決してその正体を見逃さないように、目を凝らして。

 やがて、頭が出てきた。

 柳は力が抜けたように放心して、代わりに穴から出てきたそれが大声で泣き始める。

 頭蓋が異様に縦にのび、粘液にまみれたドロドロの腕でもがき、皮膚を赤く染めながら、何かを求めるようにかすれた声で泣き続ける。


 柳は赤子を抱えさせられると、それまでの人生で見たことがないような穏やかな表情で微笑んだ。赤子の叫びと母のほほ笑み。その二つは対照的なようで、一つのものだった。


 キゴウは、柳から手渡されて子供を抱いた。

 これが新しい望みをつくる者だろうか。

 抱いたものは、シミュレートされた願望を、無垢に抱いている者なのだろうか。

 子供はキゴウを見上げた。


 これが、新しい行く先を作る者だろうか。

 その瞳には、キゴウが反射していた。



■ゴースト



 キゴウは頭を抱えて、座り込んだ。

 黒い雨が降りしきり、手の皮膚が焼けただれている。

 赤子のように体を血と体液が包む。

 何故、こうなっているのか分からない。

 記憶が混乱している。

 

 嫌な予感がして、キゴウは飛びのいた。

 地面を糸が這っている。

 いくつもの糸がキゴウを取り囲んでいる。


 想像が働かない。

 何も浮かんでこない。


 影が次第に人型になる。

「落ち着いて」


「ケイ?」


 影はキゴウを掴むと、飛び上がる。

「違う」

「その人はもういない」


 手の中をよく見てごらん。

 見えるものを見てごらん。


 その手の中に赤子はいない。

 キゴウは真っ黒な箱の中で目が覚める。

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