第1話 プロローグ
***プロローグ***
ガシャン、と重い硝子の砕けるような音がした。
「しまった! 落としちまった」
かび臭く薄暗い地下蔵で、小さなランタンを手にしていた誰かが声をあげる。
「おい、ティモ。大事なお宝だぞ、壊したら売り値が下がるだろ、気ぃつけろや」
大柄な男がいらだったような声をあげた。どうやら二人の男たちは、盗みに入ったこそ泥のようだ。
「大丈夫だって、まだ他にも」
そこでティモと呼ばれた男が言葉を切った。言葉はそれ以上続かない。
背中合わせで他の棚を物色していた大柄な男が、不思議に思って振り向いた時、目に入ったのは天井まで届きそうな大きな黒い影。影は、ティモの上半身をその大きな口にぱっくりとくわえ込んだように覆い被さっていた。真っ黒な影の中にこちらに向いた血走った大きな目がふたつ見える。男が見ているのがわかったのか、目は笑いの形に細く弓なりに変化した。
ひい、という声にならない声が大柄な男の口から出た。男はその影から目が離せないままじりじりと後じさり、扉にたどり着くと今度は大きな悲鳴をあげながら地上への階段を這うようにしてのぼり、外へ飛び出した。
「で、うちの者がそのこそ泥、――実は馘にしたうちの元雇い人ですが――を捕まえたんですがね。でかい図体しているのにものすごく怯えていて、どうにか話を聞き出したら、相棒が魔物に喰われたと言うんですよ。そこですぐにここの扉を閉めて鍵をかけた次第です」
と、この地下蔵の持ち主で隣に大きな宿屋を持っている男が、眉根を寄せ憂鬱そうな顔でそう説明した。
なるほど、とつぶやきつつ、魔術師が地下蔵の方を向いて目をすがめた。長い金色の少しくせのある髪がふわりと背中を流れ、ふわりと風になびく。顔の左側は前髪に隠されているが、見えている方の顔は白く整っている。二十代半ばから後半くらいに見えるが、魔術師の見た目と年齢は、必ずしも一致するものではない、というのは一般人にも周知の事実だ。
たまたま宿に泊まりにやってきた都の魔術師だというが、見た目はこじゃれた格好をした都の裕福な若者にしか見えない。だが、その見た目に反して、魔物の話をしてもまったく動じず怖じ気づく風もないところは心強い。たしか女名前だった気がするが、まさかあの有名な魔術師ではないだろうな、それにしては若すぎる、と宿の主人は思っているが顔には出さない。
「ここには何が置いてあるんですか?」と、魔術師が訊いてきた。
主人は、困惑した顔でかぶりを振った。
「ここには、先々代からのガラクタがつまっていて、まぁ、多少は価値のある物もあるかもしれないですが。自分はそういうものにあまり興味がなくて」
ほう、と緑の目の魔術師が意味ありげに主人を見やる。主人はこほんと一つ咳払いをした。
「……いや、言い訳がましいですな。ようは、置いてある骨董品が薄気味悪かったので、締めっぱなしで放置しておりました。鍵も宿の鍵入れに入れっぱなしでしたんで、なくなったことにすら気づいてませんで」
「なるほど、そういうことですか。まぁよくありますよ、そういうこと」
うん、と魔術師が納得したようにうなずき、主人は自分の失態となじられずに済んで安堵したようにかすかに息をついた。
「それで魔術師殿、到着早々で大変申し訳ないが、ここの魔物の始末をお願いしたいんです」
主人が少し震える手で魔術師に地下蔵の鍵を差し出す。その金色の髪の魔術師はためらいもせず鍵を受け取ると、主人の顔をみて首をかしげた。
「でも、もうここの地下に魔はいないようですけどね? この近所にも潜んでいる気配はないですよ」
えっ、と、宿の主人は、喜んでいいのか悲しめばいいのか解らないという顔をした。魔物がいないならそれにこしたことはないが、それはどこへ行ってしまったのか。近所で何かあったら、うちの責任になってしまうだろうか。それともう一人の安否も気にかかる。
「……わかるんですね。もういない、そうですか。……では、こそ泥の相棒はどうなったんでしょう」
「それはこれから僕が中に入って確かめましょうか。念のため、ご主人は後ろへ下がっていていただけますか?」
金色の魔術師は、この状況に不似合いな明るい笑みを浮かべて主人にそう言うと、不穏な気配のする鍵穴に鍵を差し込んだ。主人が慌てて後ろへ下がったのを確認してからゆっくりと重い扉を開ける。階下は闇に塗りつぶされ、真っ暗な洞に見える。その下方からかすかに風が吹き上がってきて、魔術師は、すん、と一回鼻を鳴らしつぶやいた。
「潮の香りがする……」
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男が町へ入ってきただけで、誰もが足を止め、まじまじと見やったのにはそれなりの理由があった。
その男は、晩秋のねっとりと熟れすぎた果実のような太陽が水平線にすっかり沈みきるぎりぎりのところで門の前に現れた。隣村バステリから続く見通しの良いなだらかな坂になった街道をずっと歩いてきたのだろうが、晴れてはいても雲が多い天気でしかも薄闇にまぎれていたせいか、どこからともなくふいに門の前に湧いて出たように見えた。
山側から町に入ることができる唯一の大門を閉めようと早めに位置についていた門当番の青年二人は、その男を見るなり大戸に手をかけたまま固まってしまった。声をかけるでもなく門を閉めるでもない、すっかり腰の引けてしまった門番たちの視線を意にも介さず、男は難なく門を抜けまっすぐに町の大通りに向かって歩いていった。
ここは山間の細長い小さな町で名をララスという。
鳥になって大空からもしここを見下ろしたとすれば、巨大な目にも似た集落をみることができるだろう。山あいの町並みは真ん中が膨らみ、両端は細くなっていて、いかにも巨大な目のようだ。真ん中の瞳の部分には、丸く広場が開けているため、なおさらのことそう見える。
町はこの地方にしか生育していない珍しい木で作られた食器や、町ぐるみで公的に飼っている羊から作る毛織物などの特産品、そして、沿海州の大きな港町バラヴィアへ行くために立ち寄る商人たちの落とす金で生活が成り立っていた。
海はよく見えるが、町は海辺より一段高みにあり、気軽に漁に出られるほど近くない。整えられた道に沿ってぞろりと小さな家々が立ち並び、目のふちに当たる部分から外側に広がるそれぞれの家の裏から山裾ぎりぎりまでは、畑や牧場が続くが、そこへも町の中からしか行くことはできない。
では、山側からはどうか、というと、けもの道すらろくについていないような険しい山を登り、さらに断崖絶壁をどうにかして降りてこなくては町に入ることはできない。そうかといって山を迂回して海辺に抜けて行こうとしても、どんな旅慣れた者でも十日ほど余計にかかると思って間違いない。そのため、この町を通り抜けようとする者たちは、何がどうあっても夜が訪れる前に目頭と目じりにあたる両端にある門を通るしかない。だが、その門も夜間には閉められてしまい、頑丈な扉と強力な結界が旅人を阻むことになる。朝に門番が開けてくれるまで一晩外で待つしかないのだ。
そして、その場合に備えて、門の外には厩付きの小さなお助け小屋もあった。さすがに寝台まではないが、三方の壁には作りつけの腰掛があり、部屋の真ん中には石を積みあげた小さな囲炉裏が切られていてお湯も沸かせる。そのうえ、頑丈にできていて雨風をしのげるほかに、厩を含んだ敷地内に強力な魔封じが施されていて、たとえ魔物や獣に襲われても一歩その結界の中へ入ってしまえば、かなりの確率で助かることができた。旅人達が心配しなければならないのは、ならず者や泥棒のみだ。だが、それもある程度は回避できる。邪な気持ちで他人に近づく者は、小屋の中の結界によって有無を言わさず小屋の外にはじき出されるのだ。
両開き門の間口は、二台の馬車がようやくすれ違える程の広さで、両脇には見張り台が設置されていた。梯子を登れば、三階建て程の高さに小さな部屋があり、そこからは街道と町並みの両方を眺めることができる。夜の帳が下りきる前に、見張り台に待機していた夜間の門当番が、沿海州の町バラヴィア側と隣のバステリ村側のそれぞれの門を閉める。時間は大雑把に決められていて、太陽が半分がた海に浸かった頃合い、だ。季節によって当然時間はまちまちになるが、それはしかたがない。定刻ではなく、夜が訪れる時間で決まるからだ。
太陽が沈みきらないうち、あたりはまだだいぶ明るいが、決まりは決まりだ。そこで閉めなければ、ずるずると門を閉める機会を逸してしまい、何か悪いものを呼び込んでしまうことがあるかもしれない。夜の魔物は危険だ。もちろん、昼間でも魔はいないわけではないが、夜のものたちは、質が悪い。
昼も夜も、最初から全ての魔を排除したらいい、という案もなくはなかったようだが、魔術師の中には使い魔を飼っている者や、魔道具に魔物を封じて自分の魔力を増強している者もいる。医療を司る魔術師たちにも一部にもそういう者たちがいて、彼らを一概に排除はできないのだ。
実際に過去には色々あった。その色々の災厄から、町はもうずいぶん前に、門を閉めてせめて夜だけでも安穏に過ごすすべを学んでいた。そのためには、決まった手順通りに門を閉めることが、何十年か前に町議会で定められた大事な掟だった。
もちろん、街道に人影が見えても手順は変わらない。誰が来ても待たない、待ってはならない。これも決まりだった。たとえば、門番の都合で多少早く閉めて、旅人から文句が出たとしても、町はいっさい取り合わない。閉めるのが遅くなってしまうより、早めのほうが許される。
石の積まれた高い塀と木と鉄で作られた頑丈な門には、高名な魔術師の手による魔封じが施されていて、よほどの力がなければこじ開けることすら叶わない。一旦閉めてしまえば、町は安心して夜を越せた。
とはいえもちろん、それで全ての災厄が閉めだせるわけではない。宵闇にまぎれてやってくる魔は多い。そして心に闇を持つ人間も同じだ。それは避けようがない。
その奇妙な男は、まさにそのようなわずかな隙間をついて門から町に入り込んだ。




