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外してはいけない腕輪を外されたので、逆ハー令嬢への本音【実況】が夜会中に漏れました 〜元クレーム処理担当は、嘘泣きの構造を許さない〜

作者: 平八
掲載日:2026/05/10

公爵家の庶子令嬢セレナには、絶対に外してはいけない腕輪がある。

それは、十歳の洗礼で授かった「心声の祝福」を封じるための魔道具だった。


心の声が周囲に漏れてしまう、祝福という名の呪い。


しかもセレナの前世は、理不尽な客、泣き落とし、責任転嫁、被害者ぶる加害者を嫌というほど見てきた元クレーム処理担当だった。


貴族学院の夜会で、王子たちに囲まれる可憐な男爵令嬢ミレイユは、セレナの腕輪に目をつける。


「その腕輪、苦しそうですわ。わたくしが外して差し上げます」


善意を装って腕輪を外された瞬間、セレナの心声は会場中に響き渡った。


――ああ。案件化しました。


嘘泣き、責任転嫁、救世主ムーブ、声量だけの騎士道、涙を証拠にする王子の判断。

そのすべてが、元クレーム処理担当の心声実況によって淡々と処理されていく。


これは、無口な庶子令嬢が何も言っていないのに、なぜか夜会を一件崩壊させてしまうお話。

私、セレナ・アルヴェインには、絶対に外してはいけない腕輪がある。


理由は簡単だ。


外すと、私の心の声が漏れる。


しかも、前世で十年分のクレーム対応を積んだ女の、最悪に冷静な心の声が。


十歳の洗礼の日。


私は「心声の祝福」という、ありがた迷惑にもほどがある祝福を授かった。


心の中で思ったことが、周囲に聞こえてしまう。


神殿の司祭は「神に偽りなき魂を授かった証です」と言った。


父は青ざめた。


私は、その場で前世の記憶を取り戻し、こう思った。


――個人情報保護の観点から、極めて危険な案件ですね。


次の瞬間、神殿中にそれが響いた。


司祭は固まった。


父は膝から崩れかけた。


それ以来、私は腕輪型の魔道具を身につけている。


銀色の細い腕輪。


見た目は上品な装飾品だが、実際は私の心声を封じるための命綱である。


私が公爵家に引き取られたのも、この祝福が理由だった。


私はアルヴェイン公爵の庶子だ。


母は下町出身の元メイド。


父は高位貴族としては珍しく、母と私を完全に切り捨てることはしなかった。


もっとも、社交界に堂々と出せる存在でもなかったため、私は幼い頃を下町で過ごした。


下町は、貴族学院よりよほど教育的な場所だったと思う。


口では笑っていても目が笑っていない商人。


酒をおごらせるためだけに涙を浮かべる女将。


責任を押しつける時だけ声が大きくなる職人。


謝りながら絶対に謝っていない客。


前世のクレーム処理担当としての記憶も相まって、私は人の言い訳、泣き落とし、責任転嫁、被害者演出に対して、妙に目が利くようになってしまった。


その結果、私は貴族学院でこう評価されている。


「物静かで、控えめな庶子令嬢」


大変ありがたい誤解である。


私は物静かなのではない。


黙っていないと、社会的に死ぬだけだ。


その夜、貴族学院の大広間では、学期末の夜会が開かれていた。


白い大理石の床。


天井から下がる魔石灯。


壁際に並ぶ楽団。


香水と花と焼き菓子の甘い匂い。


いかにも貴族らしい、上品で、華やかで、息苦しい場所だった。


私は壁際で、なるべく背景と同化するように立っていた。


目立たない。


喋らない。


余計な案件に関わらない。


これが学院生活を平穏に過ごすための三原則である。


しかし、平穏というものは、たいてい向こうから破れに来る。


「エレナ様、わたくし、本当にそんなつもりではありませんでしたの」


広間の中央で、鈴を転がすような声がした。


ミレイユ・ロゼット男爵令嬢。


可憐な桃色のドレスに身を包んだ彼女は、潤んだ瞳で一人の令嬢を見上げていた。


見上げられているのは、エレナ・フォルスター侯爵令嬢。


第一王子エリオット殿下の正式な婚約者である。


エレナ様は背筋を伸ばし、静かに立っていた。


表情は崩れていない。


けれど、指先がわずかに震えているのが見えた。


その周囲には、第一王子エリオット殿下、騎士団長子息ダリル様、宰相家次男ロイ様がいた。


いわゆる、ミレイユ嬢の取り巻きである。


ミレイユ嬢は、学院に入学してから半年で、彼らの中心に収まった。


彼女は上手い。


本当に上手い。


王子には、守ってあげたい儚い少女として。


騎士団長子息には、庇護すべきか弱い存在として。


宰相家次男には、誰にも理解されない聡明な少女として。


相手ごとに、少しずつ違う顔を見せる。


そして令嬢たちには、周囲に聞こえない声量で棘を刺す。


その後、周囲にだけ見える角度で怯える。


最後に、殿方にだけ届く声で「わたくしは大丈夫です」と言う。


すると、本人は誰も責めていないのに、周囲が勝手に加害者を作ってくれる。


よく訓練された被害者演出だった。


私はグラスの水を口に運びながら、黙ってそれを見ていた。


腕輪がある。


大丈夫。


心の声は漏れていない。


だから、私は内心でだけ淡々と報告する。


――第三者巻き込み型の被害者演出を確認。本人は要求を口にせず、周囲に代弁させる形式。対応コストは高額になる見込みです。


もちろん、誰にも聞こえていない。


はずだった。


「エレナ、またミレイユを責めたのか」


エリオット殿下が、責めるようにエレナ様を見た。


エレナ様は唇を引き結ぶ。


「私は何も申しておりません」


「だが、ミレイユは傷ついている」


「傷つけられたという具体的な発言があるのでしたら、お聞かせください」


おお。


さすが正式な婚約者。


事実確認の姿勢がある。


前世の私なら、いま拍手していた。


「そうやって理屈で追い詰めるのが、君の悪いところだ」


エリオット殿下は言い放った。


私は無表情で水を飲んだ。


――理屈を放棄した側が、理屈を責める事案を確認。解決困難です。


その時、ミレイユ嬢の視線が、ふと私の手元で止まった。


嫌な予感がした。


経験上、こういう時の嫌な予感は、だいたい当たる。


「セレナ様」


ミレイユ嬢が、花がほころぶように微笑んだ。


「その腕輪、とても素敵ですわね」


私は軽く会釈した。


「ありがとうございます」


「でも……少し、苦しそうですわ」


来た。


善意の顔をした干渉である。


「いえ、これは必要なものですので」


「必要?」


ミレイユ嬢は大きな瞳を不安げに揺らした。


「もしかして、どなたかに無理やりつけられているのではありませんか?」


周囲の視線が、私の腕輪に集まる。


まずい。


非常にまずい。


私は静かに首を振った。


「違います。これは私自身に必要なものです」


「でも、セレナ様はいつもお静かで……まるで、何かを我慢していらっしゃるみたいで」


ミレイユ嬢は一歩近づいた。


「わたくし、心配です。そんな痛そうなもの、外して差し上げたいのです」


――救済者ムーブを確認。本人の事情確認を行わず、拒否を遠慮と決めつける高リスク対応です。


危ない。


危なすぎる。


だが、腕輪は仕事をしている。


漏れていない。


私はできるだけ穏やかに答えた。


「お気遣いありがとうございます。ですが、外せません」


するとミレイユ嬢の瞳に、みるみる涙が浮かんだ。


「そんな……わたくし、ただセレナ様を助けたかっただけですのに」


早い。


涙の立ち上がりが早すぎる。


クレーム対応で言うなら、入電三十秒で「上の者を出せ」と言う客である。


「セレナ」


エリオット殿下が、低い声で私を呼んだ。


「ミレイユの善意を無下にするのか」


私は内心で額を押さえた。


外側では、ただ黙ってうつむいた。


「殿下。これは本当に――」


「少し外すだけだろう」


ダリル様が腕を組んで言った。


「やましいことがないなら、外せるはずだ」


なぜ、やましいことがある前提なのか。


ロイ様まで眼鏡を押し上げる。


「セレナ嬢。公爵家があなたに不当な拘束をしている可能性もある。ここは、皆の前で確認するのが公平では?」


公平。


便利な言葉だ。


相手の事情を無視して距離を詰める時、人はよくその言葉を使う。


私は父を探した。


広間の奥。


保護者兼学院理事として参加していた父、アルヴェイン公爵がこちらに気づき、顔色を変えている。


しかし距離がある。


人垣もある。


間に合わない。


「セレナ様」


ミレイユ嬢が、そっと私の手首に触れた。


「大丈夫ですわ。わたくしが、外して差し上げます」


やめてください。


それは本当に、やめてください。


口に出そうとした。


けれど、王子の視線、周囲の視線、庶子という立場、父の家名。


すべてが喉を塞いだ。


次の瞬間。


かちり、と小さな音がした。


腕輪が外れた。


広間の空気が、ふっと軽くなる。


そして。


私の心声が、夜会場に響いた。


――ああ。


広間中が静まり返った。


私の口は閉じている。


けれど、声は響く。


明瞭に。


冷静に。


最悪なほど事務的に。


――案件化しました。


「え?」


誰かが声を漏らした。


私は動かなかった。


動けなかった。


ミレイユ嬢は、私の腕輪を手にしたまま瞬きをしている。


エリオット殿下が周囲を見回した。


「今、誰が喋った?」


――発言者の特定より先に、原因物を持っている方の手元確認を推奨いたします。


広間の数名が、咳き込んだ。


ミレイユ嬢の手の中にある腕輪へ、視線が集まる。


ミレイユ嬢は慌てて微笑んだ。


「な、何かの魔法でしょうか? 怖いですわ……」


涙が、また浮かぶ。


――涙を確認。


――目的は恐怖表現ではなく、周囲による保護行動の誘発と思われます。


――発生速度が早く、自然涙としては不自然です。


令嬢たちが、一斉に扇を上げた。


口元を隠すためである。


肩が震えている者が何人かいる。


エリオット殿下が声を荒げた。


「無礼者! ミレイユを侮辱するな!」


――不適切な現状把握を確認。


――殿下は現在、婚約者の沈黙を無視し、男爵令嬢の涙を国家案件として処理しようとしております。


――判断権限を返上していただきたい。


「ぶっ」


誰かが吹き出した。


すぐに咳払いで誤魔化された。


エリオット殿下の顔が赤くなる。


やめて。


本当にやめて。


王家相手に判断権限の返上を要求しないで、私の心声。


それはもう、庶子令嬢の内心で処理していい範囲を超えている。


――なお、現時点で案件は王家・侯爵家・公爵家を巻き込む複合事案へ拡大しております。


だから報告を続けないでください。


「誰だ! 姿を見せろ!」


エリオット殿下が叫ぶ。


――姿を見せる必要はございません。


――現在、最も姿勢を正すべきは殿下です。


教師の一人が、窓の外を見始めた。


見ていないふりをしている。


しかし肩が揺れている。


ダリル様が一歩前に出た。


「卑怯者め! 隠れてミレイユを傷つけるなど、騎士道に反する!」


――声量による威圧を確認。


――内容の不足を音量で補う行為は、議論ではなく騒音です。


「っ……!」


ダリル様の顔が強張った。


広間の奥で、男子生徒が顔を背けた。


完全に笑っている。


ロイ様が眼鏡を直した。


「いまの声は、事実に基づかない中傷だ。ミレイユ嬢が傷ついている以上、発言者には謝罪義務が――」


――論理構成に重大な欠陥を確認。


――前提がミレイユ嬢の涙のみで構成されています。


――証拠能力は、湿ったハンカチ以下です。


今度は、はっきりと笑いが漏れた。


令嬢の一人が、扇の陰で崩れ落ちそうになっている。


エレナ様だけは、目を見開いて私を見ていた。


いや、私ではない。


正確には、私の手首を。


腕輪が外された私の手首を。


気づかれた。


終わった。


私の平穏な学院生活は、ただいま死亡診断書を発行された。


ミレイユ嬢は唇を震わせた。


「ひどいですわ……わたくし、本当にセレナ様を助けたかっただけですのに……!」


――「助けたかっただけ」を確認。


――結果責任を善意で相殺しようとする定番文句です。


――なお、相手が明確に拒否していたため、善意による免責は適用外となります。


広間の空気が変わった。


最初は困惑だった。


次に、笑いを堪える空気になった。


そして今、少しずつ、視線の質が変わっている。


誰も言えなかったことが、言葉になってしまったからだ。


ミレイユ嬢は、それでも優秀だった。


彼女はすぐに私から視線を外し、エレナ様へと向き直る。


「エレナ様、わたくし、やはり嫌われているのですね。セレナ様まで、こんな……」


――対象のすり替えを確認。


――自分の行為への指摘を、別人物からの悪意に変換しようとしています。


ミレイユ嬢の肩が跳ねた。


心声は止まらない。


止めたい。


とても止めたい。


けれど、腕輪は彼女の手の中だ。


そして一度流れ始めた前世のクレーム処理担当は、案件終了まで報告をやめない。


――ミレイユ嬢の手順は非常に丁寧です。


広間が静かになった。


私の心声だけが響く。


――一、相手にだけ聞こえる声で挑発。


――二、周囲にだけ見える角度で怯える。


――三、殿方にだけ届く声量で「私は大丈夫」と告げる。


――これにより、本人は何も要求せず、周囲が勝手に加害者を作ります。


ミレイユ嬢の顔から、血の気が引いた。


エレナ様の指の震えが止まる。


――完成度の高い被害者演出です。


――大変よく訓練されています。


――ただし、二階席からは全部見えています。


その瞬間。


広間の二階席にいた令嬢たちが、一斉に顔を伏せた。


笑っている者。


頷いている者。


口元を震わせている者。


誰も、ミレイユ嬢を庇わなかった。


「ち、違いますわ! そんなつもりでは――」


――「そんなつもりではなかった」を確認。


――意図の否認により、結果責任を回避する定番文句です。


――前世であれば、ここから録音確認に入ります。


録音。


しまった。


前世単語が出た。


まあ、今さらである。


すでに現場は崩壊している。


ミレイユ嬢は震えながら、エリオット殿下の袖を掴んだ。


「殿下……わたくし、怖いです……」


エリオット殿下は彼女を庇うように前へ出た。


――殿下、それは救済ではありません。


――自分が善人に見える位置へ移動しているだけです。


エリオット殿下が凍った。


会場の温度が、さらに数度下がった気がした。


エレナ様が、静かに目を伏せる。


その表情は、怒りではなかった。


悲しみでもなかった。


ただ、何かが終わったことを受け入れた顔だった。


やめてほしい。


本当にやめてほしい。


私の心声のせいで、王子と侯爵令嬢の婚約問題まで案件化している。


これは公爵家庶子が処理してよい範囲を完全に超えている。


その時、背後から低い声が落ちた。


「セレナ」


父だった。


アルヴェイン公爵。


いつも厳格で、表情を崩さない父が、今まで見たこともないほど青ざめた顔で立っていた。


その手には、予備の腕輪がある。


けれど、腕輪を渡す前に、父はミレイユ嬢へ静かに手を差し出した。


「ロゼット嬢。その腕輪を返していただこう」


ミレイユ嬢は震える唇で言った。


「わ、わたくしは、ただ……」


――同一文言の再使用を確認。


会場が静まり返る。


――「ただ助けたかっただけです」は、本日三回目の使用となります。


――状況説明ではなく、責任回避用テンプレートと判断いたします。


ミレイユ嬢の唇が、ぴたりと止まった。


――なお、テンプレートの連続使用は、相手の納得ではなく不信感を蓄積させます。


――再発防止策の提出を推奨いたします。


もうやめて。


そこまで言わなくていい。


でも、少しだけすっきりしている自分がいるのも否定できない。


ミレイユ嬢は、今度こそ何も言えなくなった。


父は、もう一度だけ静かに告げた。


「返していただこう」


その声は、怒鳴っていない。


だからこそ、誰も逆らえなかった。


ミレイユ嬢は震える手で腕輪を返した。


父はそれを受け取り、私の手首に予備の腕輪を通しながら、小さく言った。


「……すまない。間に合わなかった」


その一言で、私は理解した。


これは救助ではない。


現場保存だ。


腕輪が、かちりとはまる。


次の瞬間、世界は静かになった。


心声が止まる。


あまりにも静かだった。


楽団も、いつの間にか演奏をやめていた。


誰も喋らない。


私はゆっくりと顔を上げた。


そして、会場中の視線と目が合った。


最悪です。


いま最も処理したくない案件が、私自身になりました。


もちろん、もうその声は漏れない。


漏れないことが、せめてもの救いだった。


私は深く一礼した。


「お騒がせいたしました」


それ以外に、言えることなどなかった。


ミレイユ嬢が、震える声で叫んだ。


「い、今の声は誰ですの!?」


誰も答えなかった。


ただ、令嬢たちが扇の陰で肩を震わせていた。


エリオット殿下は青ざめた顔でエレナ様を見た。


エレナ様は、静かに膝を折って礼をした。


「殿下。本日の件につきましては、後日、両家立ち会いのもとでお話しさせていただきます」


声は穏やかだった。


だが、その穏やかさがかえって怖かった。


エリオット殿下は何も言えない。


ロイ様は眼鏡を押し上げようとして、手を止めた。


ダリル様は口を開いたが、声量を出す勇気を失ったらしい。


父が私の前に立つ。


「セレナ。帰るぞ」


「はい、お父様」


私はもう一度だけ会場に礼をした。


この場で最も礼儀正しく振る舞った者が、最も多くの本音をばらまいたという事実については、深く考えないことにした。


翌日。


学院は、当然ながら大変なことになった。


まず、ミレイユ・ロゼット男爵令嬢は体調不良を理由に欠席した。


エリオット殿下も、王宮から呼び出しを受けたらしい。


ダリル様は妙に小声になった。


ロイ様は、証拠能力という言葉を聞くたびに眼鏡を落とすようになった。


そして私は。


「セレナ様」


廊下で、令嬢三人に囲まれていた。


逃げ道はない。


非常に遺憾である。


「昨日は、本当にありがとうございました」


「いいえ。私は何もしておりません」


「分かっておりますわ」


令嬢の一人が、きらきらした目で私を見る。


「そういうことにしておきます」


違う。


本当にしていない。


私は腕輪を外され、心の中の業務報告が漏れただけの被害者である。


「私たち、ずっと思っておりましたの」


「でも、言えば嫉妬だと言われますもの」


「セレナ様は、私たちが言えなかったことを……」


「言っておりません」


私は即答した。


令嬢たちは、なぜか感動したような顔をした。


「まあ……なんて謙虚な」


違います。


事実確認です。


その後も、同じような声を何度もかけられた。


廊下で。


教室で。


図書室で。


中庭で。


私は昨日まで「無口な庶子令嬢」だった。


今日からは「無口だけれど、すべてを見抜いている令嬢」になっていた。


評価が悪化している。


方向性が違うだけで、明確に悪化している。


昼過ぎ、私は図書室の奥でようやく一息ついた。


本棚の陰に隠れるようにして座り、腕輪に触れる。


ちゃんとはまっている。


もう二度と外さない。


命に代えても外さない。


「ここにいたのね」


柔らかな声に顔を上げると、エレナ・フォルスター侯爵令嬢が立っていた。


私は立ち上がろうとしたが、エレナ様は手で制した。


「そのままで。少しだけ、お礼を言いたかったの」


「お礼を言われるようなことはしておりません」


「そうね。あなたは何も言っていなかったわ」


エレナ様は微笑んだ。


その微笑みは、昨夜よりずっと自然だった。


「でも、私は救われました」


私は言葉に詰まった。


こういう時、前世のクレーム処理担当は役に立たない。


感謝は苦手だ。


苦情より、ずっと処理しづらい。


「……偶然です」


「ええ。では、偶然に感謝いたします」


エレナ様はそれ以上、私を責めることも、持ち上げることもしなかった。


ただ静かに礼をして、去っていく。


その背中は、昨日より少しだけ軽そうに見えた。


私は深く息を吐いた。


これで終わりなら、まだいい。


そう思った瞬間、図書室の入口に人影が立った。


第二王子ノア殿下だった。


第一王子エリオット殿下の弟であり、昨日の夜会では最後まで壁際から事態を見ていた方だ。


穏やかな顔立ちだが、目が笑っていない。


前世の経験上、こういう方はだいたい話が通じる。


同時に、だいたい面倒である。


「セレナ・アルヴェイン嬢」


「はい」


「昨日の件について、王家として正式に詫びる。兄が迷惑をかけた」


「恐れ入ります」


「君が何も言っていないことは理解している」


「ありがとうございます」


「だが、君の心声は、兄よりよほど現状を正確に把握していた」


やめてください。


評価しないでください。


その方向の評価は、今後の業務負荷を増やします。


ノア殿下は、私の顔を見て少しだけ笑った。


「今、嫌そうな顔をしたね」


「いいえ」


「では、そういうことにしておこう」


この方もその言い方をするのか。


流行しないでほしい。


「君を王家の問題に巻き込むつもりはない」


ノア殿下は続けた。


「ただ、兄の件は王家で処理する。君が処理する案件ではない」


私は思わず顔を上げた。


王子が、少しだけ肩をすくめる。


「その言い方なら、安心するかと思って」


少しだけ、安心した。


少しだけである。


大変不本意ながら。


「ありがとうございます」


「それと」


ノア殿下は、声を落とした。


「今後、君の腕輪に触れようとする者がいれば、王家への不敬として扱うよう手配する」


「それは……少し大げさでは」


「外すなと言われたものを外した結果、夜会が一つ崩壊した。十分だろう」


否定できなかった。


ノア殿下は穏やかに微笑む。


「安心していい。君の平穏を守るためだ」


私は少し考えてから、答えた。


「殿下」


「何かな」


「善意で案件を増やす方は、たいてい善人の顔をされています」


ノア殿下は一瞬だけ目を丸くした。


それから、静かに笑った。


「なるほど。肝に銘じよう」


その返答は、昨夜の誰よりもまともだった。


だからこそ、少し怖かった。


まともな人間は、時に最も自然に距離を詰めてくる。


ノア殿下が去った後、私は机に額をつけた。


昨日から今日にかけて、事態は一応、改善した。


ミレイユ嬢の演技は剥がれた。


エレナ様は救われた。


王家は動いた。


令嬢たちは、少しだけ声を上げやすくなった。


それは、きっと良いことなのだろう。


ただし。


私の平穏な学院生活については、復旧の見込みが立っておりません。


私は腕輪を撫でながら、心の中で深く、深くため息をついた。


もちろん、その声はもう漏れない。


漏れないはずだった。


――が。


少し離れた本棚の向こうで、誰かが小さく吹き出した。


私は固まった。


腕輪を見る。


きちんとはまっている。


では、なぜ。


本棚の向こうから、ノア殿下の声がした。


「失礼。最後のため息だけ、顔に出ていた」


私はゆっくりと立ち上がった。


「殿下」


「何かな」


「ただいま、新規案件の発生を確認いたしました」


ノア殿下は、楽しそうに笑った。


私はこの瞬間、悟った。


腕輪をつけても、心の声を封じても。


私の平穏は、どうやら昨日の夜会に置いてきてしまったらしい。


なお、回収の見込みは。


今のところ、ありません。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


無口な庶子令嬢の中身が、前世のクレーム処理担当だったら……というお話でした。

セレナ本人は本当に何も言っていません。

ただ、外してはいけない腕輪を外された結果、夜会が一件、見事に案件化しました。


面白かった、セレナの平穏が復旧する見込みはなさそうだと思っていただけましたら、評価・ブックマークで応援していただけると嬉しいです。

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