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石炭紀紀行(鱗木SF・改)  作者: 夢幻考路 Powered by IV-7
石炭紀は、氷河期だ。ー巨大昆虫の謎に迫るー
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石炭紀の昆虫が大きいのって、なぜ?(5)

あくまでも、私の推測だけど、という前置きをいくつかしなければならない。

機体の外を見れば、雲がすっかり晴れて、万年雪が、夏にもかかわらず白い爪痕を残していた。

「これ、マレーシアで以前とったやつ」

私は、端末にとある昆虫の写真を映し出した。

――コーカサスオオカブト。

リィは食い入るように見た。

「すご……この殻、まるで鎧ね。翅まで装甲化してるみたい。それに角…角っていっていいのよね?・・・こんなの見たことないわ」

そもそも、石炭紀には甲虫がいないのだ。

アリアもまた驚いた様子だ。

「中生代でもこんな凄い昆虫、見たことない!ってかこんなのいる環境、まだ残ってるんだ」

――君は知っててもいいんじゃないかな、と思いつつ。

「ふふーん、いないでしょ、こんなの。これ取った時寒くてさ。赤道直下なのに夜中は10度台になって、明け方まで野犬におびえながらライトの前で寝ずの番。」

――あれは――ガチで寒かった。それでいてコーカサスは雄一匹。Gnapholoryxが2種とれたのはうれしかったし、勿論他の昆虫もしこたま採集できたのだが――

「マレーシアって赤道よね」

「熱帯にいるけど高山帯にいるから、夜は冷え込む――ほとんど風邪をひくくらいに。それ以降、虫取りの時はどうしても重装備になっちゃうんだよね――特にカブトムシやクワガタは、高山に行かないと大きいのがとれない。で、そうすると、寒い。」

「熱帯の虫だから、暑いのが好きなのかと思ってた」

「私は飼育やらないけど、文献を見る限りだとクワガタやカブトムシを大きくする方法は至ってシンプルだよ。とにかく冷やす。ぎりぎりまで冷やして、一定の温度をキープしながら長時間育てる。ほとんどの種類に通用するし、餌よりよほど、冷やすほうが効くらしい。」

アリアは目を瞬かせながら、思わず聞き返した。

「逆ベルクマン則が働くから寒かったら小さくなるんじゃないの?」と。

「寒い環境で大型化する」といえば、ベルクマンの法則だ。

真っ先に思い浮かぶのはクマなどの恒温動物。

そして、昆虫や節足動物のような変温動物には、その逆・・・

逆ベルクマン則:「暑いところの方が大きくなる」

が働く、といわれている。

恐竜が大型化したのも逆ベルクマン則が関連しているかもしれない――恒温性といいつつ、現在の鳥類や哺乳類に比べるとだいぶ代謝が低いのだ。

彼女が専門とするのは、灼熱の時代。

温暖化が進む環境で、その温度上昇とともに進化し、みるみる大きくなった恐竜たちだった。

「有効積算温度で考えると面白いよ」

「成熟に要する有効積算温度の基準温度と、成長に要する基準温度が違う、と仮定してみる。」

アリアは少し困惑したようだった。

「有効積算温度・・・?基準温度・・・?」

知らない語というわけではないけれど、話の地平を合わせるための、演技だ。

――そうであってほしい。小麦の有効積算温度の話、私のノートうつしてたよね。

「有効積算温度は植物や昆虫の生育に関して用いられるんだけど、彼らは体温調節できないじゃん?」

「うん、それで?」

「となると、一日の中で、ある一定の温度、これを基準温度というんだけど、以下だと育てないんじゃない?という概念がまず想起されるんだよね。」


「なるほど。。。わかった気がする」


「だから、その一定の温度以上の時間が成長に重要だろうと考えてみる。1日当たりの日平均気温から基準温度を引いて、発育日数をΣすることで求められる」


「つまり、日平均気温のうち、育つのに必要ない温度を引いた分の総和が成長に寄与する?。」


「そう!その総和が一定に達した時、成熟して羽化したり、花が咲くと考える。このとき、成熟のための基準温度が、成長のための基準温度よりも高かったら?」


「1日当たりの平均温度-基準温度が、成熟のためのものよりも成長のためのものの方が大きくなるわね」

「そう、グラフにしてみると、成熟のための有効積算温度は一定なので、温度が高いと短い期間で成熟が達成される。このとき、成長に用いられた積算温度は、成熟のための積算温度=一定+、成長に用いられた日数×(成熟のために必要な基準温度ー成長のために必要な基準温度)になるよね?」


「そうなるかも」

「となると、低温でゆっくりじっくり時間をかけて育てた方が大きく成長できるという話になる。ま、これは仮説の一つに過ぎないけどね」

――おいアリア、本気で忘れてたじゃないか…と、私はちょっとイライラをこらえていた。

ノート、前見せたよね?

試験前の一夜漬けだったから忘れちゃったかな…と思いたい。


すると、リリィが会話に戻ってきた。

「じゃあ、石炭紀の熱帯は涼しいから昆虫が大きくなったってこと?」



「少なくとも、ありうるよね。石炭紀からペルム紀の赤道は、過去5億年で一番気温が低いレベル。涼しくて一年中気温が安定した石炭紀の赤道地帯は、現在の赤道付近の高山を加圧したような環境といえる。現在の熱帯の高山だと昆虫の巨大化現象は飼育下で冷やしたときほど明らかじゃなくて、気圧の低下が原因じゃないかと目されてる」


「すくなくとも、中生代の乾燥して熱い低緯度帯とは全然違う」


「そう。それ以降、更新世まで地球の赤道は、ずっと平均して石炭紀より暑い。なぜなら、石炭紀~ペルム紀前期、昆虫が巨大化した時代の次にくる氷河期は更新世だし、熱帯雨林が発達するのも石炭紀~ペルム紀の次は新生代だよ。」


「あれ、でもさっきの話だと、同じ種内での大型化の話じゃない?進化につながる?」


「そう、同じ設計の昆虫でも、大型化しやすい条件がそろってるし、実際に大型化させられる。もし一部の個体の大型化が始まれば、大きな個体のほうが有利になる局面が出てきて、それが有利であれば雪だるま式に巨大化が進んでいく。クワガタやカブトムシでは、げんにおこっていることだよ。彼らもまた、更新世氷河期の巨大昆虫といえるのかも。」


「…ほかにもある?」


「あるよ。低温では、酸素要求量がそもそも少なくなるし、ガスの溶解度まで上がる。低温になることじたいが、酸素説を相当に強化するんだよ。」


「ぬるいラムネはよく噴き出す」


「ま、それだけなら酸素説をほんの少し補助するだけなんだけど、さらには排熱にも有利になる。そもそもメガネウラが飛ぶとして酸素なみに問題なのが、放熱だよ。トンボと同じように飛べばお湯が沸くという試算すらある。」


「…お湯が沸くって」


「気温30度を前提に飛行時の体温を試算したら体温が104度上昇することになったらしい。そしてそれを冷やすための強力な循環器系を仮定して、メガネウラ温血説を提唱」


「メガネウラ温血説」


「ま、それも一理あるというかむしろ大あり。でも、メガネウラの巨大化の本質かもしれない。だって強力な循環器系があれば、そもそも拡散に頼る呼吸器だから酸素濃度を高くしないといけないという前提が成立しない。昆虫も酸素運搬タンパクとしてヘモシアニンや、時にはヘモグロビンまで持ってるからね。」


「そんなのもう、酸素説の前提崩しじゃない!」

リリィが膝を叩いて、ビシッと背を伸ばした。

――さっきの議論をちゃんと踏まえてくれる。ちょっとうれしかった。


「うん、そもそも現在に類例がまったくいないレベルの、酸素説かそれ以上を仮定しなきゃいけない昆虫は、Meganisoptera、Palaeodictyoptera、Megasecopteraなどごく一部のグループ、あとは昆虫じゃないけどArthropleuraくらいだからね…

地球の大気を何倍にもしたり、酸素濃度を発火レベル以上にあげるよりは、こういう連中が特殊な代謝を発達させたというほうが、まだ説明がつけやすいとは思う。

原始的な昆虫は甲殻類譲りの血液循環による酸素供給を行っていて、小型化に伴って心臓も血も退化したと考えれば、サイズ制限が緩かったことにそこまで変なポイントはない。

でも、これは「巨大化できる」理由で、巨大化が特になる状況はさらに別にある、と思う」


そして、私は石炭紀の地球儀を映し出した。

パンゲアの熱帯赤道域に沿って、巨大な緑の帯が走っている。

「まずこの、地球儀を見てほしい。この緑のベルトが、石炭林。巨大昆虫はほとんど、この大陸を横断するベルトの上で見つかっている。」


「言われなくてもそのくらい」

――そりゃ、当然だ、という話でもあった。

なぜなら――石炭紀だからだ。この、赤道パンゲアを横切る一つの熱帯雨林が、大陸移動によってヨーロッパとアメリカに分配され、産業革命を支えたからである。


「この石炭林で見つかる生物相は、びっくりするほど共通性が高い。つまり――このアマゾン川流域数個分もある熱帯雨林が、一つの生息地になる。

長距離の移動ができる種のほうが有利で、滞空時間をあげるなら翼を大きくするのが得策。

げんに、おもに地上を這う昆虫には極端レベルの巨大化は見られない。

いたとしても、現在の大気でありうる大きさにとどまってる。」


「広域の移動のため、っていうと、山火事などの時に逃げおおせるメリットもありそうね」


「逃げ延びるっていっても、山火事の広がりは現代においても時速20㎞を越えるから、石炭紀の酸素濃度で起きる山火事はとても逃げ切れるようなものじゃない。

再生し始めた生態系にいち早く乗り込む、もしくは、大規模な火災で分断された生息域をまたいですぐ繁殖ができる、あたりだと思うかな。」


「大きいとなると、それだけ遠くまでフェロモンや音をばらまいて仲間を呼べそう」


「そだね。しょっちゅう大規模な火災に見舞われて、石炭のしばしば1割以上が炭に占められる石炭紀後期からペルム紀においては、それは特に重要だっただろうね」


「寒冷でよく火災による大規模なギャップができる環境」


「さらにこの、飛ぶってことを観点に入れると、ほかにも面白いことが見えてくる。

石炭紀の飛行性昆虫の化石記録は、酸素濃度が急上昇した後、急激に増えて多様化していく。

石炭紀前期にはそもそも昆虫化石が殆ど出ないんだ。

もしかすると、初期の飛行昆虫は「大きくないとうまく飛べないが、大きくなるには酸素が低すぎた」ジレンマをかかえていたのかも。

とくに飛翔筋が発達するまでは翼を動かすこともままならなかったはずだし、滑空だよりのはず

――ほら、紙飛行機をめちゃくちゃ小さく折ると、飛ばないでしょ。」


「レイノルズ数が低くなるってことね!小さいものの場合空気がはちみつみたいに粘っこくなるから、飛ぶより泳ぐように漕ぐほうが効率よくなる、って」


「そう、小さい昆虫にはそもそも翅が膜状であることのメリットが乏しい。げんに空気を漕ぐように振り回すための、小さすぎる翅をもつ昆虫はクマバチはじめ沢山いる。

それに、虫にとって、高いところから落ちるって、どうだと思う?」


「痛くもかゆくもない、だって小さくて軽いし…」


「そう、そして風に飛ばされるから飛ばずとも移動できる。から、滑空する必要すら薄い。パラシュートみたいな毛でいいのでは?ってなる。

有翼飛行の発明には、ある程度の大きさがないといけないんだ。

げんに昆虫以外の節足動物に、翅はないし、昆虫は現状では史上最小の飛行動物だよ。

それはむしろ、飛行性昆虫の起源が巨大な種で、小型化してしまったからかもしれない」


「…まだある?」


「あぁ。あとこれ忘れてた…熱帯雨林があるのって、新生代と石炭紀~ペルム紀だけなんだよ。その話は…さすがに、熱帯雨林を見に行くときにしよう」


飛行場と街並みが、地平線に見え始めていた。


Tseng, M., Kaur, K. M., Soleimani Pari, S., Sarai, K., Chan, D., Yao, C. H., ... & Fograscher, K. (2018). Decreases in beetle body size linked to climate change and warming temperatures. Journal of Animal Ecology, 87(3), 647–659.

*様々な甲虫において低温でサイズが大きくなることを指摘。

Horne, C. R., Hirst, A. G., & Atkinson, D. (2018). Insect temperature–body size trends common to laboratory, latitudinal and seasonal gradients are not found across altitudes. Functional Ecology, 32(4), 948-957.

*飼育下では温度低下とサイズ増加が相関するが、野外では標高上昇とサイズ増加は必ずしも一致しない。これは酸素濃度低下や季節性などの影響があるかもしれないとしている。

May, M.L. 1982: Heat exchange and endothermy in Protodonata. Evolution 36, 1051–1058.

*熱帯の気温30度でメガネウラが飛翔すると体温が50度以上、試算によっては温度上昇が104度に達してしまうなど、オーバーヒートの問題を指摘。温度の低い薄明時に飛行するか、滑空するか、活発な循環器を持つ必要性を指摘。しかし、前提として石炭紀の熱帯を、現代の熱帯と同程度の気温と仮定している。

Harrison, J. F., Kaiser, A., & VandenBrooks, J. M. (2010). Atmospheric oxygen level and the evolution of insect body size. Proceedings of the Royal Society B: Biological Sciences, 277(1690), 1937-1946.

様々な説を網羅。

Briggs, D. E. G. (1985). Gigantism in Palaeozoic arthropods. Special Papers in Palaeontology, 33, 157.

*熱帯雨林ニッチについて言及

Wilkinson, M. (2016). Restless creatures: The story of life in ten movements. Icon Books Ltd.

*邦訳「脚・ひれ・翼はなぜ進化したのか: 生き物の「動き」と「形」の40億年」

翼について述べる途中で、小型の昆虫が翅を発達させたことの奇妙さに触れている。


**ここで述べた巨大生物にPulmonoscorpiusが含まれていないことに文句が出るかもしれないが、書肺で呼吸する生き物であり、気管循環ではないうえに、酸素濃度が上昇する前の生き物だ。

Arthropleuraも酸素濃度の上昇以前から巨大化していたようであるし気管説にはやや疑問があるのだが、ひとまず便宜上、高酸素期に広く生息し、有名どころなので入れてみた。

***ちなみに酸素説の良い適応として、初期四足動物などの肺を持つ生き物も挙げられる。この件に関しては、いずれ四足動物回にやろう。



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