「後は野となれ山となれ、いや、山はないから川となれ」
冷汗が背中を伝っていた。
「あぁ、もう。ケイはいいなぁ、だって、認められてる、って感じあるもん」
「そうかな」
「だっていきなり蔓なんて渡されても、あたしには全然だもん。昨日も、だから教えてもらえたんでしょ、出来るから。私には、伸びしろすらなかったのよ」
一瞬、私の中で何かが切れた。
――そういう問題じゃないと思う。
私はその無神経さに湧き上がってきた苛立ちを鎮めるので、精いっぱいだった。
村との関係をここまで冷え込ませておいて、それでいいのか。
「私は村に認められるほど有能じゃないからダメ、ケイと違って」
だって、そんな軽い絶望で泣いているのか。
私たち2人ともの問題として認識できないような、そんな軽薄な人間なのか。
私は、正直言ってこの見栄えと図体だけはでかい女に腹が立ってならなかった。
だいいちここまで、こいつにほぼ無理やり連れてこられたような形だった。
この閉鎖的な、出口のない森の奥底、人類の版図の文字通り最果てにある村までね。
そこで嵌められて身も心も捧げなければならなくなり。
樹皮布をまとって――いや、たぶん普段は裸で、この密林のなかで子を孕みながら閉経するまで作業艀の中で暮らさなければならなくなるのであれば、その責任は全部こいつにあると言っていい。
凡てはここにいる妊婦たちの気分次第なのだ。
私たちは常に、旅人として2人1セットで扱われてきた。
それだけに、あんたが村の旅人に対する評判を貶めるというのは、私に危害が及ぶことを意味しているというくらいは、すこしはわかってほしい。
だいいちなんだ、ケイと違って、とは。
私はたしかにフィジカルにはかないようもない。文字通り、片手でのされるのが関の山だろう。特に器用かといわれれば、そんなこともない。ただひたすら考えるだけの、首から下は役立たずな人間だ。だからそういう点で優越感を感じていたのはまぁ、赦せる。
しかしだ、私がたまたま歪んだ籠を1個完成させて、歪んでいるがためにプレミアがつくかもという微妙な理由で納入された、そういう微妙な一面において私に負けたからと言って。
その言い方はなんだよ。
どういう了見だ。
はいはいそうですね、私が首から下でアリアに勝ることなど、ひとつたりとも許せない、ってことですね。
――私はここまでの怒りを、一言も口に出すことはなかった。
全力で食い止めていた。
この村で、本当に一人になってしまったとき、どうなるかはわかり切っていたから。
しかし、本当に人間に対してカンカンに腹を立てたのは、いったい、いつぶりだろう。
そしてその対象が、この孤立した村の、ただ一人の真に信頼できる――そして私の数えられるくらいしかいない、名前と顔が一致している友人に向けられていること自体が、赦せなかった。
いやそもそも、地球を統括するクソAIや社会制度ではなく、人間自体に怒りを向けること自体を、私は禁忌とし、それをなるべく避けるように生きてきた。
そこを、私はいま踏み越えた。
誤った。
アトラスに何度となく教えられ、地球における教育の基本をなしている呪いが、私にふと去来した。――人は誤るものである――
そして、こう続くものだ。
――ゆえに、すべてをアトラスに問い、ゆだねなさい――
そう続く、あの呪いの言葉。
自らを徹底的に卑下させ、計算資源が不足気味のポンコツAIより劣ったものに仕立て上げ、人々をその存在するにも値しない、平均化知性へと箱詰めしていく教育課程。
だから千年も地球は停滞し続けた――いや、アトラスに停止させられ続けたと陰謀論を殴り書きされたとしても、正直いえば否定しがたいくらいに憎しかった。
ふっと霧が晴れた。
より下を見たからかもしれない。
――アトラスに比べれば、はるかにましだ。
アレに支配された、くそったれた地球社会に戻るならば、石炭紀の森で、二人で野に還るほうがよほどましだ。
あーもう、後は野となれ山となれ。
いや、山はないから川となれ。
バシバシと背中を叩かれていた。
「ケイ?どうしたの?固まって」
「いや――少なくとも、これから一緒に暮らしていく人たちとは和解したほうがいいと思う」
――一生の縁かもしれないからね。
「でも――ここから、どうやって?」
「答えはいつも、ひとつじゃないよ。」
それから、私は口に手を寄せた。
アリアは察して、うん、と身をかがめて耳を――いや、口を近づけた。
――なるほど、I love youとでも言っているふりをして聞こう、と。なかなかに策士だな。
私は思い切り声を小さくして、手短に言った。
「私たち人間に自由意思なんてない、って言ったでしょ?意思も自分も道理も、全部後付けの理屈なんだよ。だから、やり直そう」
そう言い終わると、アリアはまた背筋を伸ばして、腰に手を当てた。
「…それ、ずっとわかんないんだけど」
「とにかく。私たちが怯えてる事態は、まだ実現してないってことだよ」
「そう?」
「そもそも、この村に予測可能性って、あった?いままでボクが立ててきた予測は、観察するたび、大抵外れてきたよ。大学で文化人類学の単位とってたのにね。」
「じゃあ、どうしろっていうの?」
「まって、いま状況を整理してる。」
――たぶん、私たちが想像し、推量できるようなものは、ハズレなのだ。
それが不可能な世界に、彼女らは生きているのだから。
<「そもそも、この村に予測可能性って、あった?いままでボクが立ててきた予測は、大抵外れてきたよ。大学で文化人類学の単位とってたのにね。」 つまり、前章でケイが立ててきた村に関する仮説や推測は、観測とよく合致せず、軒並み外れていたとケイ自身が認めている点に留意>
(蛇足;伏線など)
神経、の語源は蔓と強いかかわりがある。蔓は、伸びる。籠はネットワークをなす。歪みは価値になる。民藝的な手作業社会。
・主体感(Sense of Agency)
・生の不可量性(The imponderabilia of actual life)
メタ要素:因習村




