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番外編:宰相は瞠目する

お立ち寄り下さりありがとうございます。

 宰相ロナルドはその職務柄、気を許す相手は少ない。その数少ない相手である軍の総帥カーティスとは酒仲間でもある。二人とも、公務を離れれば、飲酒量は瓶で数える酒豪でもある。

 国を担う重責をこなすことで日々溜まりがちな疲れを癒すべく、――疲れが無くとも――、今日も二人は酒を飲み交わしていた。


「そういえば、明日は、殿下の婚約者候補選びのお茶会があるのだな」


 カーティスが1本目を空けながら、呟いた。

 ロナルドは眉間にしわを寄せる。仕事を忘れる一時に水を差された思いだった。

 ロナルドのここ数年の不満には、殿下のことも必ず含まれていた。

 宝の持ち腐れとは正に殿下のことを言うのだと、苦々しく思っていた時期はとうに過ぎ、今は将来に不安を覚えていた。


「殿下が選ぶことはないだろうが、仕方ない」

 ロナルドは2本目を開け、瓶から漂う香りにいくばくかの癒しを覚える。


「お主は夢がないな。出会いがあるかもしれないだろう。殿下の心を揺さぶるほどの」

 磊落なカーティスは、酒の手伝いもあり、楽観的な可能性を大声で口にする。

 ロナルドは鼻を鳴らした。

 そのようなことが起こるのならば、今日は酒を飲むことはなかっただろう。

 けれどもロナルドは分かっていた。

 どこかで、ごく僅かではあるが、まだ自分が殿下に対して望みを捨てきれないことを。

 奇跡を願うような望みは、己の職務に在ってはならないことだ。

 ロナルドはグラスを一息で飲み干した。

 


◇◇

 交易で栄えるクロシア国にこの人ありと言われて久しい宰相ロナルドは、その評判に見合う有能さから、現状に対して落胆を覚えることは少ない。落胆するような現状は、その敏腕さで打破するからである。

 しかし、今、この瞬間、彼にしては珍しく、内心で溜息を付いていた。

 

 今日、予定どおりに王太子殿下主催のお茶会が開かれ、将来の王太子妃候補たちが招待された。

 王太子エドワードに、ひいては国の将来に不安を抱いていたロナルドは、その伴侶を幼いころから鍛えなければならないと、穏やかな笑顔の下で並々ならぬ決意を漲らせていた。

 

 エドワードが非常に賢い子どもであることは、殿下が物心ついた頃から、だれの目にも明らかだった。外見も恐ろしい程に整ったもので、国王陛下夫妻の頬は緩めるだけ緩んでいたものだ。

 けれども、殿下が長ずるにつれ、城の誰もが不安を抱き始めた。

 殿下には感情という感情が感じられなかったのだ。

 一切のことに関心を向けず、その整った容姿が崩れることはない。唯一、香りについては関心があったが、それすらも最近は失われつつある

 そもそも彼自身の生にすら関心がないようにも見える。

 

 あれでは、国難に際したときでも、淡々とできることをした後は成り行きを見ているだけで終わるだろう。いや、もしかすれば、何もせずにこれも流れだと見ているだけかもしれない。

 

 殿下のあの気質は教育でどうなるものではないと判断したロナルドは、国の将来の為、殿下の伴侶と側近を、殿下を上手く導いてくれる存在へと鍛え上げようと決断していたのだ。

 

 しかし、これではどれだけ鍛えなければならないのか――

 

 偶然を装って廊下に立ち、好々爺然とした笑顔の陰で、お茶会から引き上げる参加者の顔を観察していたロナルドは、落胆を覚えていた。

 どのご令嬢も薄っすらと頬を染め、瞳は遠くを見つめて輝いている。

 殿下の容姿のすばらしさだけが心に残っているらしい。

 ご令嬢をエスコートしているご令息たち、――将来の殿下の側近候補は、緊張から解放され、明るい顔を見せ、国の将来にも、ご令嬢の未来にも不安を覚えている様子はないようだ。

 

 自分の使命の大きさに身の引き締まる思いがしたロナルドは、頭の中でどのご令嬢を候補に残すかについて考えを巡らせ始めた。

 

 あの感情のない殿下が誰かを選ぶことなどあり得ない。

 そのような可能性があるなら、そもそもロナルドはここに立っていることもない。

 微かに、僅かに奇跡を夢見たことは認めるが、職務に夢を差し挟むロナルドではない。

 冷静に考えるならば、殿下にはどのご令嬢も区別すらついていないだろう。

 つまり、残念ながら、人選は偏にロナルドに託されることになる。

 どのご令嬢にも期待が持てないのなら、せめて、害にならない者を選んで鍛え上げるしかないと、ご令嬢たちの家と派閥を思い浮かべた。

 

 すべてのご令嬢たちを見送り、廊下が静けさを取り戻すと、ロナルドは陛下に奏上する準備のため執務室に戻ろうとした。

 

 ――そのとき、

 

 一組のご令息とご令嬢が、礼節と品位の許される限界の速度で、会場からこちらに向かって進んできた。

 

 あれは、マーレイ公爵家の…

 

 ロナルドが二人を認識して、そして目を見開いた。

 エリザベス嬢は、天使のように愛らしいと評されるその容姿を恐怖一色に染めていた。純粋な恐怖である。

 

 一体、何が起こったのだ…?

 

 咄嗟に会場の方に目を遣ったが、会場は静かなままで、護衛の近衛が飛び出してくる気配もない。非常の事態が起こったとは思えない。

 ロナルドが状況を確認する間に、エリザベス嬢たちは彼の目の前を通り過ぎた。


「ふ…、不敬罪…」


 微かに譫言の様な囁きがロナルドの耳に入った。


 エリザベス嬢が何か失態したのだろうか…。


 不敬罪という言葉から浮かぶ極めて合理的な推測だが、ロナルド自身を納得させる強さはなかった。エリザベス嬢は幼いながらも既に外国語を2つも習得しているとの情報がある。そこまで聡い子どもが礼を失するとは考えにくい。

 ふと思い至って、ロナルドの顔には苦笑が浮かんだ。

 たとえ不敬なことをされても、あの殿下自身は気になさることはあり得ないだろうが。

 

 ともかく、マーレイ公爵家は国の中枢に位置する貴族だ。状況の確認は必要だろう。推測で答えを得られないならば、この目で確かめるしかない。

 ロナルドは会場の広間に足を向けた。

 けれどもロナルドは数歩も行かない内に足を止めることになった。広間から近衛と侍従を従えた殿下が出てきたのだ。

 ロナルドは礼を取ろうとして、

 

 そして――、


 誰の目にも分かるほど、大きく目を見開いた。


 これが、あの殿下なのか…?


 常ならば、目の前に立ってすら何も映していないかのように光のなかったサファイアの瞳は、強い眼差しを持ち、輝いていた。

 常ならば、空気に溶け込むかのような薄い気配が、覇気を帯び、侍従と近衛の威儀を正させていた。

「人が変わる」、そのような言葉が彼の頭に過った。


 驚愕から抜け出せず、礼も忘れて立ち尽くすロナルドを認めて、殿下は声をかけた。


「ロナルド。婚約者についてそなたの意見はいらない。私の婚約者はエリザベス嬢以外あり得ない。これから陛下に会い、直接その旨を伝える」


「畏まりました」


 鷹揚に頷き立ち去る殿下を、長年の経験で取り出した平静な態度で見送りながら、ロナルドはゾクリとした興奮が駆け抜けるのを自覚した。


 ロナルドは沸き立つ心を抑え、執務室へと踵を返した。

 世の中、何が起こるか分からないものだ。奇跡というものを体験するとは思わなかった。奇跡は予想を覆し、伴侶の人選はなくなった。

 そう、なくなったのだ。

 ロナルドは喜びと共に意味を噛みしめた。

 残るは、側近だ。あの殿下を最大限手助けする人材に育て上げねばならない。ほんの数分前とは異なり、ロナルドは己の責務に奮い立ち、はたと気づいた。

 

 殿下を変えたものは、エリザベス嬢なのだろう。

 しかし、先ほどのエリザベス嬢は――、恐怖一色だった。

 

 あの少女の恐怖の理由はつかめなかったが、なんであれ、あの様子では殿下の婚約者になることをすんなりと承諾するとは思えない。

 けれども、殿下を生まれ変わらせた存在は何としてでも手に入れたい。


 ロナルドは陛下に王権をかざしてマーレイ公爵家に承諾させるか思案を巡らせ、一瞬の後、首を振った。

 マーレイ公爵家は王家に並ぶ力も財力も持つ。公爵一家のエリザベス嬢への溺愛はあまねく知れ渡っている。波風を立てることは避けるべきだ。

 何より、一人の心を手に入れるということがいかに難しいことかを知れば、殿下の得るものは大きいだろう。

 あの殿下は素晴らしい為政者になり得る。才は持っている。その才を使う意志も持ったのだ。後は経験だ。

 

 ロナルドは心を鬼にすることを決めた。



◇◇

 城下で王太子殿下のご成婚を祝う花火が打ち上げられる音を聞きながら、ロナルドは軍の総帥であるカーティスと酒を酌み交わしていた。

 いつものように磊落なカーティスは笑みを浮かべてロナルドを見た。


「お主が殿下の出会いを否定したあの日が、懐かしいな」


 ロナルドは鼻を鳴らした。

「そなたも話題が少ないな」


 カーティスはあの日のお茶会以降、ロナルドを酒の肴とするのが軍規で定められたのかと思うほどに、必ず口にする。


 カーティスは豪快に笑った。

「うれしいお主の間違いだからな」


 ロナルドはグラスに目を落として、やり過ごした。

 カーティスはロナルドを弄るために口にしたのではなく、何度でもあの日の喜びを味わいたいために、口にしているのだと分かっていた。

 そしてそれは正直に言えばロナルドとて同じだったのだ。


 カーティスは肩を竦め、話題を転じた。

「しかし、殿下がエリザベス嬢を落とすまで、これほど時間がかかるとはなぁ」


 ロナルドも思わず溜息を吐いた。

 婚約に関して手は出さないとした決断を、後悔することはなかったが、エリザベス嬢が手強かったのか、殿下が悪手過ぎたのか、婚約が為されるまで6年もかかるとは思わなかった。その間、彼女の為に、彼女の幸せのために、まい進する殿下を見て、そのあまりの献身ぶりにロナルドは意識の片隅で不安を抱いていた。

――彼女を得られなかったとき、殿下は壊れてしまうのではないだろうか。

 だから、エリザベス嬢が婚約を承諾したと聞いたとき、ロナルドは好々爺の仮面の下で安堵の息を付いた。あの日はカーティスとの酒が進んだものだ。


 ロナルドの追憶は、カーティスの太い声に遮られた。

「伴侶を得た殿下は、きっと素晴らしい為政者になるぞ」


 感慨を込めて紡がれた言葉に、ロナルドは言葉を返した。

「殿下はもう十分素晴らしい為政者だ」


 国を富ませるため流通を改革し、国防を高めるため、近隣諸国と同盟を結び、懸案の国の体制を変えさせた。

 すでに歴史に名を残す為政者だろう。


「確かに!」

 豪快なカーティスの笑い声を聞きながら、ロナルドは心の中で思った。

 エリザベス嬢、いや、妃殿下のことだけに全ての感情を注ぐ殿下の危うさは、あの妃殿下なら上手に補ってくれるだろう。

 だから、私が願うことはこれだけだ。


 あの二人のこれからの時間に、幸多からんことを。


 ロナルドはゆっくりと乾杯を捧げた。


お読みいただきありがとうございました。


完結から時間が経った話にお立ち寄り頂いて、ありがたい限りです。

今回の番外編はあまり糖度が高くない話で申し訳ございません。

次の番外編を投稿するときに、削除する予定です。


相変わらず、新しい病気が猛威を振るっています。

石里の近くにもとうとうやって来ました…。


お立ち寄り下さった全ての皆さまのご健勝を

心からお祈り申し上げます。


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