第3話:女帝 ― 琥珀の標本とプラスチックの庭園 ― ①
紫の荒野は、ある一点を境にして唐突に途絶えていた。
荒れ果てた地平線の先に現れたのは、世界の切り落とされた断面のような、暴力的なまでの色彩の氾濫だった。
そこは、音という概念が死に絶えた世界だった。
白砂の回廊を抜け、荒野の泥濘を這い進んできた少女の足が、その境界を踏み越えた瞬間、耳慣れない乾燥した音を立てる。
キュッ、キュッ。
「……なに、ここ」
少女は、自身の足元を見下ろして息を呑んだ。
地面は土でも砂でもなかった。光を過剰に跳ね返す、滑らかなプラスチックの平原。継ぎ目のない極彩色の樹脂が、どこまでも平坦に世界を塗り潰している。
見渡す限り広がる庭園には、狂い咲いたような深紅の薔薇が溢れていた。だが、その花弁はどれほど風を待ってもそよぐことはない。指で触れれば、それは生物の柔らかさではなく、硬質なビニールの弾力をもって少女の手を拒絶した。薔薇の茎や葉の側面には、工場で成形された際に残されたのであろう「型の継ぎ目」が、細く鋭い筋となって走っている。葉の一枚一枚にまで精巧な脈が刻まれているが、そこには生きた樹液の代わりに、冷たい透明な樹脂が、血液の固まりのように充填されていた。
「悪趣味なドールハウスね。それとも、一生出られない高級な無機室かしら?」
メルミが鼻を鳴らし、爪を立てることもできないほど滑らかなプラスチックの芝生の上を、滑るように歩く。
彼女の黄金の毛並みにこびりついていた、あの白砂の泥が、汚れ一つない鮮やかな緑の地面にポタポタと滴り落ちた。それは、完璧に成形されたこの「静止した世界」において、唯一の不潔な異物であり、同時にこの場所が嘘であることを告発する、生々しい傷跡のようでもあった。
空気に漂うのは、噎せ返るほどに濃厚な、それでいて奥行きのない造花の甘い香りと、それを強引に塗りつぶす冷徹な消毒液の匂いだ。
少女は、その匂いを吸い込むたびに、肺の奥が凍りつくような感覚に襲われた。かつて自分を閉じ込めていたあの場所――漂白された白いシーツ、窓のない廊下、そして枕元で鳴り続けていた、終わりのない電子的な脈拍音。それらの記憶が、鼻腔の奥からじわじわと這い出し、少女の背筋を冷やしていく。
「メルミ、見て。池があるよ」
庭園の中央には、透き通った水槽を沈めたような、四角い池があった。
だが、少女がその縁に膝をついても、水面に波紋が広がることはない。池を満たしているのは液体ではなく、硬化した透明な合成樹脂だった。
池の中を泳ぐ金魚は、尾鰭を優雅に広げた瞬間のまま、厚い樹脂の層の中に閉じ込められていた。金魚の口からこぼれた気泡さえも、真珠のような球体のまま虚空で静止している。それは泳いでいるのではない。永遠という名の無酸素室に縫い付けられた、無惨なほどに美しい「標本」だった。
「動かないの。……全然、死んでないみたいに、動かないの」
少女が、その偽物の水面に指を触れようとした、その時だった。
カラン。
静寂を切り裂くように、硬い、宝石が床に落ちるような音が庭園の奥から響いた。
少女の心臓が大きく跳ねる。
「誰……?」
庭園の最奥。プラスチックの蔦が、生き物の血管のように不気味に絡みつく巨大な玉座に、彼女は座っていた。
豊満な身体を、重厚なベルベットのドレスで包み込んだ女帝。ドレスの裾はプラスチックの地面を広く覆い、その布地さえもが、触れれば静電気で肌を焼くような、人工的な光沢を放っている。
彼女の頭上には、自ら光を放つ十二の星が輝く冠が戴かれ、その慈愛に満ちた微笑みは、この世界のあらゆる苦痛を、私がお引き受けしましょうと囁いているかのようだった。
だが、その神々しい顔には、あるべきはずの瞳がなかった。
まぶたの下にあるはずの、世界を観測するための器官は失われ、そこには深い闇の空洞が、ただぽっかりと、忘却された洞窟のように開いている。
女帝はその空っぽの眼窩から、絶え間なく大粒の涙を零し続けていた。
カラン、カシャン、カラン。
地面に落ちた涙は、空気に触れた瞬間に急速に温度を失い、透き通った蜂蜜色の琥珀へと姿を変えていく。
女帝は、少女たちが持ち込んだ足元の泥を見ることも、その混乱に触れることもせず、ただその空洞から、この庭園をさらに美しく、さらに動かなくするための「愛」という名の樹脂を流し続けていた。
「あら、ご挨拶ね。あんなに泣かれては、こちらの三半規管まで湿気でやられてしまうわ。感情の垂れ流しは、一番の公害だと思わない?」
メルミが毛を逆立て、低く喉を鳴らした。
女帝はゆっくりと、少女の方へその「見えない顔」を向けた。
瞳がないからこそ、その向けられた顔は、視覚というフィルターを通さず、少女の心の奥底にある、最も柔らかく、最も怯えている部分を、見えない触手で探り当てるように正確に射抜いていた。
少女は、がま口のストラップが肩に食い込むほど強く握りしめた。
がま口の中にある、あの不快で、生温かいザクロの泥。
それが、このあまりにも清潔で、あまりにも動かない楽園の中で、異様な熱を持ってドクン、ドクンと脈打っているのを、少女ははっきりと感じていた。
(つづく)




