18.5
イビスは苛立っていた。
本来ならば、簡単な仕事のはずだった。
難癖をつけて、認めないと言い切る。こちらの立場は揺るがない。ならば、相手が折れるしかない。
今まではそれで十分だった。実際、それで多くを退けてきた。
――なのに、今回は違う。
相手が下がらない。
それどころか、余計な援護まで現れ、形勢が崩れた。
酒をあおっても胸のざわつきは収まらない。濁った泥のような感情だけが残る。
そんなイビスの耳元に、コルヴァスの静かな声が落ちた。
「司教。教皇猊下が、結果をお待ちでいらっしゃいます」
「わかっている!」
感情のままに机を叩く。鈍い音が響いた。
それでもコルヴァスの表情は微塵も変わらない。
「もちろんでございます。ただ……状況が整っていないことも、猊下は理解しておられるでしょう」
イビスは黙った。
コルヴァスは淡々と続ける。
「結論を急ぐのは危険です。しかし、結論が出ないままというのも、また……よろしくない」
そう、結論が必要なのだ。教皇が納得する結論が。
「結論を出すには、結果が要ります。結果さえあれば、判断は容易です。幸い――備えは、ございます」
そう言って、机の上に小さな包みをそっと置く。
ごとり、と重たい音がした。
妙な存在感を放つそれを、イビスは胡乱気に見つめる。
「……これは?」
「もしもの時のために、お預かりしていた物です。使用の可否は、司教のご判断にお任せいたします。私は、結果が明確になることを望んでいるだけです」
言葉はあくまで穏やかに告げ、一礼して引き下がる。
ただ、この状況を打破する解決策は示された。後はイビスの決定だけ。
「どう使う?」
短い説明を聞き終えたとき、イビスの口元に笑みが浮かんだ。
「……そうか。明確に、だな」
コルヴァスは何も答えない。
ただ静かに、視線だけを伏せた。
「だから、この調子でウィステリア様を守ろうね!」
サクラは身振り手振りを交えながら、楽しそうに語りかけてくる。
視察官は神子を陥れようとしているとかなんとか。あまりに荒唐無稽な話で、ヒバリはいまひとつ理解できていない。
それでも、ヒバリは幼馴染の不可思議な言動に付き合うのは嫌ではなかった。
「なあ、サクラ」
「なになに?」
サクラが前のめりになって聞いてくる。
「一応、確認なんだけどさ。……これ、本当に大丈夫か?」
「何が?」
無邪気に首を傾げるその姿に、ヒバリは一瞬だけ言いづらそうに視線をそらした。
「視察官って、偽証も厭わない連中なんだろ? だったら――思い通りにいかなかった時、なりふり構わなくなる可能性、あるよな」
水を差す形になるのは承知のうえで、それでもはっきりと口にする。
サクラはぽかんと口を開け、そのまま固まった。
「ど、どうしよう!?」
次の瞬間、悲鳴にも近い声を上げ、部屋の中をぐるぐる回り始める。
しばらくの間、ぶつぶつと落ち着かない幼馴染の様子を眺めていた。落ち着いてきたころ合いを見計らって、ヒバリは再び声をかける。
「落ち着けって。もし何かするなら、どこ狙うと思う?」
「う、うーん……ウィステリア様本人よりは、神木……かな」
「だよな。あの人には護衛がついてる。直接はやりづらい。だったら神木だ。しかも“視察官”だから、近づくなとも言えねえ」
サクラが大きく首を振る。
「お願いして、神木の警備を強められないかな?」
「強めても意味ないだろ。――だったら、オレたちでやればいいだろ?」
幸いにも、ヒバリたちが宿にしているのは教会だった。ここからなら、神木を見張ることはたやすい。
「でも、二人だけで大丈夫かな? 孤児院の仲良くなった子たちに手伝ってもらう?」
「なんて言って、手伝わせるんだよ?」
「えーと、視察官がウィステリア様をいじめてるから、来たときは注意しててって」
ヒバリは唸った。
できなくはないだろう。孤児院の子らは、なぜか神子にかなり好意的だ。
「そうだな、昼間は普通に祈りに来る人も多いし、それで十分か」
「じゃあ、気を付けるべきは夜なのかな。寝ずの番みたいでワクワクするね!」
「早番と遅番に分けようぜ。オレは早番で見張るわ」
嬉しそうに、でも少し申し訳なさそうにサクラが「いいの?」と聞いてくる。
サクラは夜更かしは得意だが、早起きは苦手だ。いいも悪いも、逆は無理だろう。
ヒバリが頷くと、満面の笑みを浮かべた。ヒバリは照れたように頬をかく。
「居眠りすんなよ!」
「ヒバリこそ、寝坊しないでね!」
「するかよ、サクラじゃあるまいし」
軽口を叩き合うと、顔を見合わせて笑い合った。




