父親とは
妙子は元通り学校に通っていた。
妙子にとって勉強は楽しいようで、ミリアがよく教えていた。
基本的にファーゼンハイト家では夜はみなリビングで過ごす。
今日妙子はミリアからアイロンのかけ方を学んでいた。
セレスもアイロンを使えるが、ミリアには及ばない。
テレビの外面が動物園を映した。
「動物園か……なあ、ミリア、妙子?」
「何、兄さん?」
「何、お父さん?」
「今度の休みに動物園に行かないか?」
「いいわね。三人で行きましょうか」
「うん、行きたい!」
「それじゃあ、決まりだな」
休日の日、三人はジープに乗って中野動物園を訪れた。
三人でお出かけするのは、これが初めてだった。
30分ほどでジープは動物園に到着した。
「うわー! ここが動物園!」
妙子は目をキラキラさせた。
「妙子は動物園に来るのは初めてか?」
「うん! 初めて!」
セレスとミリアは顔を見合わせて、二人ともほほえんだ。
セレスは三人分のチケットを買い、三人は動物園の中に入った。
「ねえ、お父さん!」
「何だ?」
「あそこにウサギがいる!」
「ウサギか……どうやら触れるようだな」
「妙ちゃん、ウサギを触りに行こうか?」
「うん!」
二人はウサギを触りに出て行った。
ここではウサギを自由に抱っこしていいらしい。
セレスは二人がウサギと触れ合っているのをカメラで写真に撮った。
きっといつか、この写真を懐かしく思うことがあるかもしれない。
そう思ってセレスは写真を撮ることにしたのだ。
妙子はウサギを慎重になでていたが、やがてウサギを抱っこし始めた。
ウサギは抵抗しなかった。
妙子はまるで母親が我が子をいつくしむようにウサギを抱いていた。
よしよしと、ウサギの頭を妙子はなでている。
やがて飽きたのか二人はセレスのもとに戻ってきた。
「もう、ウサギはいいのか?」
「ええ、もう十分よ」
「うん! 楽しかった! かわいかった!」
「じゃあ、先に進もう」
セレスたちが先に進むと、今度はライオンの雄が寝そべっていた。
「うわあ……ライオンだあ……ねえ、ミリアお姉ちゃん! ライオンって大きいんだね!」
「ウフフ、そうね、妙ちゃん。よく見て。ライオンにはたてがみがあるでしょう?」
「あっ、ほんとだ!」
妙子は欄干から身を乗り出してライオンを見つめている。
ライオンは眠そうにだれていた。
その次はトラを見た。
そして、シロクマ、キリン、ゾウ、カバ、サル、パンダなどを見た。
「そろそろ昼時だ。どこかで食事を取ろう」
セレスが提案した。
三人はそれぞれ食事を注文した。
カレーライスだった。
帰りのジープの中、妙子は眠ってしまった。
「妙ちゃん、寝ちゃったね」
「ああ、そうだな。疲れたんだろう」
「兄さん、ありがとう」
「ん?」
「今日は楽しい日になったわ」
「まあ、家族らしいことをしてみたくてな」
運転席に座ってセレスが答える。
ミリアは助手席、妙子は後部座席にいた。
「なあ、ミリア?」
「どうしたの、兄さん?」
「俺は父親をやれているだろうか?」
「ええ、できていると思うわ。どうして?」
「俺も自問自答しているのさ。あるべき父とは何か? とね」
「あるべき父か……私たちの父さんはどう思って私たちを育ててくれたのかしらね?」
セレスとミリアの父は首都月都の教会で働いている。
昔は朝日ヶ丘の教会で働いていた。
セレスの父と母は共に牧師だった。
特に宗教教育は厳しかった。
毎日を平穏、無事に過ごせたのなら、「神」に感謝しなさい、と。
家庭は祈りの生活だった。
セレスとミリアのファーゼンハイト家は名前からわかる通り、外国人、異民族を出自に持つ。
月州に帰化した元外国人だ。
「多分、父さんはシベリウスを模範にしたんだ。シベリウスは教育にも関心を持っていたからな」
「私は兄さんは父親に向いていると思うわ」
ミリアが隣からほほえみかけた。
「そう言えば、今度の火曜日は妙子の授業参観だったな?」
「ええ、そうよ」
「俺も休みを取れたから、出ようと思う」
「あら、兄さんも来るの?」
ミリアは軽く驚いた。
「『父』が出ないわけにもいかないだろう?」
月州では父権制が確立された結果、子供の教育は父の導きに従うべきとの考えがある。
そもそも、シベリウス教の「神」は「父」、「父なる神」なのだ。
「父」が主導する在り方こそ、シベリウス教のあるべき在り方なのである。
それでもセレスのような「父」は、まだ少数だった。
今でも男は「仕事」、女は「家事、育児」という価値観は残存している。
それがぐらつき始めたのが昨今の時代状況だった。
一部の少数の人々がまず変化を主導するのだ。
大多数というものは、既存の価値観から一歩も外に出てこないものなのである。
いや、それから逸脱することをひどく恐れる。
逸脱すれば「多数派」ではなくなるからだ。
変化とはある少数の「先見者」たちから始まり、徐々に一般化していくものである。
セレスのような「父」は月州でもまだ少ない。
ましてや授業参観に出席する人などさらに少ない。
セレスとミリアは妙子の授業参観に出席した。
周囲には母親たちでひしめいていた。
男は見事にセレス一人であった。
この状況でいろいろとひそひそ話が起こった。
「あら、あの人は誰のお父さんかしら?」
「仕事を休んでいるのかしらね?」
「私の夫もこれくらいしてもらいたいわ」
などなど。
妙子はこの状況で熱心に授業を受けていた。
鈴木先生は21歳。
セレスの1歳年下に当たる。
鈴木先生は月州語の授業を行っていた。
生徒たちはまだ一年生。
テキストはシベリウスの著作から学ぶことになっていた。
シベリウスの著作でも好みは男女で異なる。
男子は主にバトルに関心を示し、女子は恋愛に関心を示す。
シベリウスの著作は「アヴェシュタ」――月州語のアエネイス、イリアス、オデュッセイアと呼ばれてもいた。
授業が終わると親たちはそれぞれ子供を連れて教室を後にする。
妙子はクララとリーザと別れてセレスのもとにやって来た。
「お父さん、ミリアお姉ちゃん、帰ろ!」
三人はいっしょに手をつないで帰った。




