53.そして最後の恋をする1
あの日三年ぶりに彼に会った。
けれど彼に前世の記憶はなかった。
手紙ではあんなに偉そうなことを言ってたくせに、私のことを忘れてしまうなんて。
それでも本当に私の前に現れてくれた彼の生まれ変わりに、私は感謝せずにはいられなかった。
……恋を、せずにはいられなかった。
「――結愛、本当にいいのか?」
「いいよ、お母さんも楽しみにしてたし」
クルト――来人との交際は、あまりにも自然に始まっていた。
あの後数度のデートを重ねた私たちは、デスティニーワールドを訪れることになった。日が暮れる頃彼に観覧車に誘われて、一番上で告白された。
とても嬉しかった。
やっぱり来人は前世のことを覚えていなかったけど、ジェットコースターが好きなくせに高いところが少し苦手で、ヘタレなのにたまにちょっと意地悪で、相変わらずすれ違う女の子たちの視線を集めちゃうくらいかっこよくて。
当然のように告白の返事に頷くと、彼もとても嬉しそうに笑ってくれた。
私のお母さんも来人のお父さんも、私たちの関係がうまくいったことを喜んでいて、今日は彼をうちに招待することになっている。
うちに来るということは、兄とも顔を合わせるわけで、事情をすべて知っている兄は、早くクルトの生まれ変わりに会いたいと楽しみにしていた。
「しかし緊張するな。いきなり家に呼ばれるなんて」
「そう? お母さんとはもう会ってるし、お兄ちゃんだって来人に会うのすっごく楽しみにしてたよ」
「……結愛のお兄さんが、俺と会うのを楽しみにしているのか」
「え……っあ、うん。うちのお兄ちゃんシスコン入ってるから、妹の恋人に会うのが楽しみなのよ」
「シスコン? ……それは本当に楽しみにしているのだろうか……」
「大丈夫! 来人は来人通りにしていればいいよ」
「なんだ、それ」
〝兄が楽しみにしている〟
その言葉は純粋に、そのままの意味なのに。
前世の記憶のない来人には、余計なプレッシャーを与えてしまったかもしれない。
けれど私の言葉に笑顔を見せて「よし!」と気合いを入れている来人が、やっぱり私は愛おしい。
*
「――ただいま」
「お邪魔します」
「来人君いらっしゃい。早かったのね、ご飯もうすぐできるから、ゆっくりしてちょうだい」
「はい」
そう言ってキッチンに立つ母は、なんだか母親らしく料理をしている。
こんな姿、三年前じゃ考えられなかったなぁ……。
「クルト……!」
リビングのソファに来人を座らせて、お茶でも淹れようかと考えていたら、階段からドタドタと誰かが転げ落ちるようにかけ降りてくる足音が聞こえた。
そしてその直後、息を切らせて来人を凝視する兄がそこに現れて、私は一旦手を止めた。
「あ……初めまして、結愛さんとお付き合いさせていただいております――」
「本当に、そっくりだな……」
「え?」
シャキッと立ち上がって緊張しながら丁寧な言葉遣いで挨拶をしている来人だけど、兄の耳にはたぶん届いていない。
「お兄ちゃん……!」
「あ、あぁ、そうか。結愛の兄の、琉生です。よろしくね、来人君」
「よろしくお願いします」
彼には前世の記憶がないからとあれだけ言っておいたのに……お兄ちゃんったら。
まぁ驚くのも無理ないけど。
だって本当にそっくりなんだもん。
髪と目の色はさすがに違うけど、それ以外は顔も、背格好も、声も、髪質も、全部。
本当に、あのクルトが帰ってきてくれたみたいに。
「いやぁだけど本当によかった。君が結愛と出会ってくれて」
「……そうですか?」
「ははっ! 敬語か、なんか違和感があるなぁ」
「はい?」
「いや、いいんだ、気にしないでくれ!」
……兄は頭のいい人だから。二人きりにしても大丈夫だよね?
一応二人をチラチラ気にしながらも、私は母の料理を手伝いにいった。
*
四人で楽しく食事をして、今日は泊まっていくことになっている来人に先にお風呂に入ってもらってから、入れ替わるように私も入ることにした。
私が一人でこうしている間に、来人はお母さんとお兄ちゃんといるわけで……。
二人と何を話しているのかと思うといてもたってもいられなくて、いつもより短い時間で私はお風呂から上がった。
『ふふ、そうなのよ。あの子、ああ見えて寂しがり屋だから……結愛のことよろしくね、来人君』
着替えている最中にリビングから聞こえてきたのは母親のご機嫌な声。
やっぱり私の話をしている……。
自分のいないところで何を言われているかと、私は肩にバスタオルをかけたまま、濡れた髪を下ろしてリビングへ急いだ。
お母さんが来人との仲を賛成してくれるなんて、前の彼ではあり得なかった。
お母さんはもう、三年前に一度しか会っていないクルトの顔は忘れてしまっているようで〝彼〟と、今ここにいる〝彼〟を、重ねようとはしない。
どうして私があんなに拒んでいた彼と付き合うことにしたのだとか、そんなこと母には関係ないのだ。
もしかしたら、来人があまりにもイケメンなハイスペ男子だから、好きになるのは当然だ、くらいに思っているかもしれない。
とにかく自分が決めた相手と娘が上手くいっているのが嬉しいらしい。
「あら結愛、随分早かったわね。ちゃんと洗ってきたの?」
「洗ったよ、それよりお母さんこそ来人に何話してたの?」
「別になんでもないわよ。それよりお母さん、今から事務所に行かなきゃならなくなったから、あとのことよろしくね」
「え? 今から?」
「そう。たぶん今夜は戻れないから。それじゃあ、ごめんなさいね、来人君。ゆっくりしていってね」
淡々とそう言って、お母さんはスーツ姿で家を出ていった。
最近はあまりこういうことはなかったのに。何か大変な仕事を抱えているのだろうか。
「……あれ? お兄ちゃんは?」
リビングには私と来人だけが残っていて、不思議に思い問いかけた。
「ああ、琉生さんも緊急のオペが入ったとか言って、出ていった」
「え?」
緊急のオペ?
「何それ、お兄ちゃんが行かなきゃダメだったの?」
「さぁ……知らないが」
「……」
ソファに座っている来人の前のローテーブルには、ビールの缶が二本置いてある。
そして三本目の中身をぐっと喉へ流し込むと、少し頰を赤く染めながらそっと口を開いた。
「結愛のお母さんが――」
「ん?」
「その……結愛の部屋に俺の布団を敷いていったようだ」
「……え?」
「…………」
少しの間、沈黙が流れた。
それってつまり、同じ部屋で寝るってこと?
……私たちの他には、誰もいないのに?
「ご、ごめん……! すぐ敷き直すから……!!」
その意味を理解して、慌てて自分の部屋へ行こうと回れ右をする私。
「待て」
「っ!」
けれど、リビングを出る前に腕を掴まれてしまい、反動で身体がガクンと後ろに倒れた。
「……ご、ごめん!」
よって、私の身体は来人に抱きとめられる形になった。
ドクンと鼓動が大きく跳ねて、そのまま一気に脈拍が速まる。
すぐに離れようとしたけれど、瞬間的に彼の腕が前に回され、ぎゅっと強く抱きしめられてしまった。
「……来人?」
「……」
鼓動は速くなる一方なのに、来人が何も言わないから辺りは変に静まり返っている。
「……」
彼の様子を窺おうと顔を上に向けると、彼の腕の力が少しだけ緩んだ。
でもそれは私を離すためではなく、身体を向かい合わせるためで。
そのままゆっくりと、彼の……来人の顔が、近づいてきた。
――このままキスするんだ。
誰にだってわかる展開に、私の胸は小さく揺れた。
まだ一度も、この来人……生まれ変わってからの来人とはキスしてない。
「……っ、待って!」
「どうした?」
そして、唇が触れ合うすんでのところで私は彼の胸に手を置いて、停止の言葉を口にした。
「あの……」
とは言え、どうしたのかという理由も特にない。
きっと私の中のほんの小さな気持ちが、本当にこの来人を受け入れていいのかと、躊躇ったんだ。
「なんだ? 何か言いたいのなら言ってほしい」
「……なんでもない、ごめん。ちょっと緊張しちゃって」
そう言って、俯いてみる。
緊張……していないわけじゃない。けれど、本当の理由も少し違う……。
「結愛、俺は――」
「わうわう!」
「おお、びっくりした……」
「茶太郎……」
来人が何か言おうとした。
けれど、まるでそれを邪魔するかのように、さっきまでそこでおとなしく伏せていた茶太郎が、突然来人に飛びついた。
「おー、よしよし、わかった、わかったって! 本当に人なつっこい犬だな、茶太郎君は!」
「……」
ぺろぺろと来人の頰を舐める茶太郎に、彼は笑って応えている。
来人がこの家に来てすぐ、茶太郎は来人に飛びついた。
茶太郎が家族以外の男性に懐くところを、今日久しぶりに見た。
茶太郎もきっと、来人のこと覚えているんだ。
茶太郎でさえ、彼のことを〝クルト〟と認識しているのだ。
「ねぇ、来人――」
「悪かった。いきなり」
「え?」
「布団、敷き直してくれる? どこの部屋でもいいから」
「……うん」
来人は怒ってしまったのだろうか。
茶太郎の頭を撫でながら、私を見ずにそう言った彼の声は、心なしかいつもより低く感じた。
きっとあのクルトにはもう二度と会えない。
これ以上彼に近い存在なんて、いるはずないのに。
私の胸には小さな突っかかりがある。
足りないのは記憶だけ。
私にはあるのに、あなたからは欠け落ちてしまっている――。
番外編、本日連続投稿します。




