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52.どうか世界が終わる前に

本編最終話。長めです。

 クルトが、突然目の前からいなくなった。


 クルトと改めて気持ちを確かめ合って、未来を誓って……。

 もう一度キスをしようと目を閉じた一瞬で、クルトは私の前からいなくなった。


 わかんない。どうして? どこに行っちゃったの?


「結愛!」


 クルトがいなくなってから、三日。

 あの日から、時間があれば私は神社に来ている。

 朝も、昼も、夜も……。


 何度も綾乃に止められたけれど、私はここにいなきゃいけない。

 クルトが、いつ戻ってきてもいいように。


 そんな私を見かねた綾乃が、とうとうお兄ちゃんに伝えたらしい。

 今日はお兄ちゃんが神社にやってきた。


「何してるんだよ、クルトが急に帰ってこなくなったって綾乃ちゃんに聞いたけど――結愛?」

「……」


 綾乃には言えなかったけれど、お兄ちゃんになら……。


「お、兄ちゃ……」


 けれどなんの説明もする前に、ポロポロと溢れ出てきた涙がそれを語ってくれたみたいで。

 お兄ちゃんは、何も聞かなくても察してくれた。


 私ですら、口にはしたくなかった言葉を。


「まさかクルト、異世界に帰ったのか……?」

「……っ」


 頷けない。

 頷けるはずはないけれど、きっとそう。


 クルトはこの神社から転移してきたと言っていたし、あのときのいなくなり方は、不自然にも程があったから。


「お兄ちゃん……、どうしよう、わたし……っ」

「結愛、とりあえず今日はうちに帰ろう」

「ひっく、うう……っ」


 この秘密を分かち合える、唯一の兄。

 その存在の大きさに張りつめていた糸が切れたみたいに、私は身体の中の酸素をすべて吐き出してしまいそうなほどしゃくり上げながら泣いた。



 神さまなんて、きっといない。


 いるとしたら、とんでもないサディストだ。


 私の目の前で、一番大事な人を奪っていったんだから――。




     *




 頭が痛くなるまで泣いて、そのまま泣き疲れて眠ってしまった。

 どのくらい寝ていたかはわからないけれど、随分長い時間寝ていたような気がする。


「……」


 ヨーロッパふうの建物に、大きなお城。日本人ではない人たちに、馬車が普通に走っていて、漫画やアニメの中でしか見たことのない、異世界。


 今度は私がクルトに会いに行く。

 夢の中で私は、何度もそれを描いた。


「……クルト」


 けれど、実際目を覚ましたのは少し懐かしい、実家の自室。

 家を出たときと変わらない家具と、配置。

 まるで私は長い夢を見ていたような気分になって、そっとクローゼットを開けてみた。


「……」


 奥の、ずっと、奥のほう。

 そこには間違いなく、あの騎士服がある。クルトが持っていた剣も。


 あれは夢ではなかった。

 クルトは実在して、私の隣にいた。


 クルトが着ていた騎士服を手に取り、ぎゅっと抱きしめてみたけど、たくさん洗剤を入れて洗ったのはこの私。


 もうクルトの匂いなんかちっとも残っているはずもなく、クローゼットの中の私の服と同じ匂いに染まってしまっているその現実が、また涙を誘う。


「……クルト……っ」


 どんなに思っても、彼に会う手段がわからない。


 どんなに遠くにいても、今の時代、会えない距離なんてないと思ってた。


 けれど、異世界は……異なる世界にだけは、どうしても行き方がわからない。


「バカ……、クルトのバカ……! 私の涙を拭ってくれるって言ったのに……!」


 本当は、こんな日がくるのはわかっていた。怖くて言葉にすることはできなかったけど、いつも心のどこかにあった。


 きっと、クルトにも――。


「結愛、入るぞ」


 コンコンコン――、とドアをノックする音が聞こえ、ハッとして涙を拭いそっちを見ると、お兄ちゃんが立っていた。


「ちゃんと食えよ」

「……うん」

「きっとクルトは今頃、腹いっぱい飯を食ってるんだろうな」


 溜め息交じりに言った兄の言葉に、ムッとして言葉を返す。


「……何それ、クルトは私と会えなくなってもなんともないって言いたいの?」

「違う。クルトは簡単に諦めたりするような男じゃないって言ってるんだ」

「…………」


 お兄ちゃんのそんな言葉に、クルトが笑いながら「美味い!」と言ってご飯を頰張っている姿が頭に浮かんだ。


「クルトが戻ってきたときに、お前がそんなんじゃ怒られるぞ?」


 戻ってきたとき……?

 そうか。一度来られたんだもん。もしかしたらまたすぐ戻ってきてくれるかもしれない。だって約束したんだから。


「……ご飯、食べる!」

「よし。俺が腕によりをかけて作ったんだぞ!」

「お兄ちゃんの料理久しぶりだね」

「そうだろう? パワーアップした兄ちゃんのハンバーグ、楽しみにしとけよ!」

「うん」



 ――クルトがまたこの世界に来てくれるかは、正直わからない。

 そんな奇跡、何度も起きるものだろうか?


 それが、いつになるかも……わからない。


 けれどいつになっても私が元気で待っていてあげないと、彼が飢え死にしそうになっているのを助けてあげられないかもしれない。


 だから私は、顔を上げて立ち上がった。




     *




 いつかクルトが戻ってきたとき、恥ずかしくないように。怒られないように。


 そう思いながら、私は日々を過ごしてきた。


 みんなから一年遅れで保育科のある学校に通い、保育士免許を取って、就職した。



 ――あれからもう、三年が経った。



 あのまま私は、今でも実家で暮らしている。

 病気をして倒れた母も仕事をセーブするようになり、頻繁に家に帰ってくるようになった。兄は今でもこの家から大学病院に勤めている。


 父と母は二年前に正式に離婚してしまったけれど、母は今のほうが元気そうだし、心に余裕があるように見える。


 母とはたまに喧嘩もするけれど、私の話を聞いてくれるようになったし、昔に比べると随分理解を示してくれるようにもなった。


 保育士の仕事も、応援してくれている。



 そんなある日。


 前から何度も言われていた、母が仕事で関わっている会社の跡取り息子と、とうとう食事をすることになった。


 ずっと断り続けていたけれど、「お願いだから一度だけ会って」と、なかなか諦めてくれない母に、結婚を前提としないことを約束してもらい、一度だけ食事をすることにした。

 私の仕事に理解を示してくれた母の頼みを断り続けるのもどうかと思ったし、一度会えば満足してくれるだろうと思ったのだ。


 和食懐石料理店の個室で、私と母、そして会社の社長さん、つまり相手の父親の三人が集まっていた。



「すみません。息子は少し遅れるみたいで」

「構いませんわ。お仕事忙しいのでしょう?」

「ようやく結愛さんの都合がついたというのに、本当に申し訳ない……」

「いいえ」


 この社長さんは、思っていた人と随分違った。

 社長というのはもっとカチッとしたお堅いイメージがあったのに、この人は今でも現場に出ているらしい。


 会社は鉄加工業。

 随分歴史の長い小さな会社から始まって、今では大企業と呼べるまで大きくなった会社。


 そんな会社の社長がこんなに気さくで、今でも現場に出ているなんて……、少し見方が変わった。


 でも肝心な息子が遅刻してくるなんて、やっぱり会うのは今日で最後にしてほしい。まぁ、仕事らしいから仕方がないけど。


「ところで結愛さん」

「はい」

「あなたにずっとお会いしたかったんです」

「すみません……」


 確かに、この話はもう三年以上も前からされている。

 それをずっと断り続けてきただけに、そう言われると少し罪悪感を覚える。


「時岡結愛さん。二月二十一日生まれで、犬を一匹と猫を二匹飼っていて、くま犬のさつきくんが好き?」

「……はい?」


 なぜそんなに詳しいことを知っているのだろう。誕生日やペットは母から聞いたとして、さつきくんが好きなのをこの母親が知っているのは意外だし、そもそも今そんなことが関係あるのだろうか?

 確認するように尋ねてくる社長さんに首を傾げつつ頷くと、胸の内ポケットから取り出した随分古そうな手紙を差し出された。


「これを、あなたに渡したかったんです」

「……なんでしょう?」


 端のほうはもうボロボロになったそれを私の前に置いて、社長さんは言った。


「不思議な話なんですけどね、実はこれ、息子が子供の頃に書いたんですよ」

「子供の頃に?」

「はい。ある日突然この手紙を持ってきて、『将来自分が結婚する時岡結愛さんに渡してほしい』って。誕生日や見た目も詳しく言われましてね……。でも次の日にはもう息子にその記憶はなくなっていたんですけど、あのときの口調がやけに大人びていて、よく覚えています。今思い出しても不思議な感じだったなぁ……」

「将来、結婚する……?」

「そうなんですよ。一緒に遊んだ子のことでも好きになったのかと思って気にしてなかったのですが、仕事で時岡さんに会って娘さんの話を聞いたとき、急にそのときのとこを思い出して驚きました。もしかして、子供の頃に会ったことがあるのかもしれないですね」


 子供の頃って、いつだろう?


 茶太郎たちを拾ったのは中学生のときだった。

 さつきくんを好きになったのも、それくらいの頃だったと思うけど――。


「……開けて、いいですか?」

「もちろん。あなた宛ての手紙ですから」


 社長さんの話を聞いて、私はまさか……という一つの仮説が思い浮かんで鳥肌が立った。


 小さく震える手で手紙を開くと、そこには子供が書いたとは思えないような文字が綴られていた――。



「あの……息子さんのお名前って……」

「ああ、クルトっていいます。来るに人と書いて、来人(くると)です」

「――……」

「すみません、遅くなりました」


 その名前を耳にしたちょうどそのとき。空気を切り裂くように、懐かしい声が私の耳に届いた。


「ああ、やっと来たか、遅いぞ、来人」

「お待たせしてすみません、仕事が押してしまって――」


 ずっとずっと聞きたかった声に息を呑み、到着した男性に目を向ける。


 そこにはスーツを着こなした、黒髪で背の高い、スラリとした男性が立っていた。


「クルト……」


 顔も、声も、背格好も、すべてがクルトと瓜二つだった。


 それに名前まで、同じだなんて――。


「……」

「どうだ来人、綺麗な娘さんだろう」


 私の視線を受けた彼と、目が合った。


 一度かち合った視線はどちらも逸らすことはなく、胸にじんわりと色んな感情が染み渡っていく。


「……なぜ、泣いているのですか?」


 彼に言われて、久しぶりに涙が頰を伝い落ちていたことに気がついた。


「俺たち、どこかでお会いしたことがありましたか?」


 やはり彼には、もう(・・)記憶がないようだ。


「ごめんなさい、知り合いに似ていて……」

「ほら、やっぱり小さい頃に会っているんじゃないのか? お前が手紙まで書いたお嬢さんだからな」

「ああ……それは覚えてないんですよね。でも俺たち、過去に会ってますか?」


 苦笑いを浮かべながら聞いてくるクルト(・・・)に、涙を拭う。

 厳密に言うと、彼は彼であって、彼ではない――だけど。


「さぁ、どうでしょう……子供の頃のことは、私も覚えていません」

「そうですか」


 けれど、彼は彼だ(・・)。


「……なんだか私たちはお邪魔のようですね」

「そうですね。まぁ、あとは若い二人に任せますか」


 見つめ合っている私たちの空気を悟って、母と社長さんは席を外した。

 そんな二人を引き止めることもせず、私は彼を見つめて微笑んだ。


「……とりあえず、食事をしながらお話しましょうか」

「はい」



 その手紙には、こんなことが書かれていた。


〝ユアへ

 俺がいなくなってから、そっちでは何年経っているのだろうか。

 なんとかもう一度君のいる世界に行こうとしたが、結局無理だった。


 ユアは泣き虫だから、きっと俺がいなくなって泣いているのだろうと思うと、早く会いにいって抱きしめてやりたいと、ずっと思っていた。


 もし神が本当にいるのなら、決闘を申し込んででも必ずユアと同じ世界に生まれ変わってやると誓った。


 毎日祈ったおかげだろう。俺はどうやら日本に……それもまだ君と出会う前の時代に生まれ変われたらしい。


 今、突然前世の記憶が戻ってこの手紙を書いている。この記憶がいつまで続くかはわからない。今も頭が痛い。

 だが、絶対に見つけてやる。


 約束は必ず守る。だから、泣かずに待っていろ〟



 ――彼がこれを子供の頃に書いたというのが本当なら、クルトは生まれ変わっているということ。


 彼は向こうに戻っても、最期のその瞬間まで、私を想っていてくれたんだ……。


 一瞬前世の記憶が戻って、彼は慌ててこれを書いたのだろうか。

 そして自分が記憶を忘れてもいいように、父にこの手紙を託したのか。



「結愛さんには、確かお兄さんが」

「はい。兄にも早く会わせてあげたい」

「えっ? はは、それは光栄です」

「すみません……会ったばかりなのに、こんなこと言って」

「いいえ。少なくとも嫌われてはいないようで安心しました」

「もちろん。……待たせて……本当に長い間待たせてしまって、ごめんなさい」

「いや……あなたのタイミングを待った甲斐があった気がします」




 ――あなたが私の前に転移してきた意味を、私は今やっとわかったような気がする。



 どうか世界が終わる前に、あなたともう一度恋をしたい――。




ここまでお読みくださり、ありがとうございます!

面白かった、おめでとう!などと思っていたけましたら、ぜひぜひブックマークや評価★★★★★をぽちっと押して祝福してくださいますと嬉しいです!!


本編はこちらで終わりですが、後日談を5話ほど更新しています!

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