47.今日はここに泊まりましょう
「ユアはもう大人ですよ」
重たい重たい空気を、まるで真っ二つに割るように、大きな溜め息を吐き出して口を開いたのは、クルトだった。
お兄ちゃんが帰ってきたときも、今も。私はいつもクルトに言葉を紡がせなかった。
そのためか彼も学習して、こういう場では私に説明を任せてくれるようになっていた。
「ご両親のことは知らないが、ルイはわかっていると思っていた」
「……家族の話なんだ、お前は黙っていてくれ」
「たかが数ヶ月しか一緒にいなかった俺でも、ユアがどうしたいのか、どうしてほしかったのかだけはわかる」
そんなクルトを傍観者だとは思わない。
いつも私に判断を委ねてくれていたのは、この時代で私のことを信頼してくれているからなんだって、わかっていたから。
その彼が、ついに口を挟んだ。
クルトという存在を忘れていたわけでは、もちろんない。
けれど彼が話し出した途端、胸の奥から何かが広がっていくようにあたたかくなっていって、何の理由もなく、安心してしまう私がいた。
「よし! 行くんだろう? では仕度してくるといい。もちろん俺はどこまでもユアと一緒にいよう」
「……うん!」
この場で笑っていたのは、クルトだけだった。
だけど私にはそんなクルトがとても頼もしく見えた。
だから彼の言葉に大きく頷くと、自分の荷物を取りに行こうと部屋に向けて足を動かした。
けれど、
「何が親の助けがなくても生きていけるよ。あなたの服も鞄も、買ったのは誰のお金だと思っているの?」
「……」
私の足が階段にたどり着く前に聞こえた母の冷たい声に動きを止めて、くるりとそのまま彼女に向き合う。
「あなたのような世間知らず、家を出てやっていけるわけがないのよ」
「……今まで、お世話になりました」
確かに服も靴も鞄も全部、親の稼いだお金で買ったものだ。
だからそれだけは口にするとスマホもテーブルに置いて、おはぎとおもちを呼んで猫用のキャリーバッグに入れ、茶太郎にリードをつけて玄関へ足を進めた。
この子たちの面倒は私が見てきたし、これらの道具もバイト代で買ったもの。
「結愛……!」
「ばいばい、お兄ちゃん」
最後にお兄ちゃんが私の名前を呼んだけど、笑顔でお別れを告げる。
お兄ちゃんには、本当に感謝してる。
ごめんね、お兄ちゃん。出来の悪い妹で。今まで私のために父や母の言うことを聞いてくれて、ありがとう。
親の敷いたレールをきちんと歩いてくれたお兄ちゃんのおかげで、私は少しだけ自由にさせてもらえたんだ。
いつもお兄ちゃんが味方してくれたおかげで、今の私がある。
だけど私は、もうこの家にはいられない。
*
「――ごめんね。おはぎ、おもち。ちょっと狭いけど、もう少し我慢しててね」
猫たちのキャリーバッグはクルトが持って歩いてくれて、私は茶太郎のリードを持ちながら今夜の宿を考えた。
「だが、本当によかったのか? 家を出てしまって」
「いいよ。遅かれ早かれそうするつもりだったし、なーんかすっきりしちゃった!」
外に出て冷たい空気を肺一杯に吸い込むと、私を縛りつけていた鎖が解けたみたいな解放感が押し寄せてきた。
「本当はね、ずーっと窮屈で堪らなかったんだ」
「窮屈? 大きな家に一人だったのにか?」
「そう」
笑みを浮かべながら聞いてくるクルトの腕に、寒いからぴったりくっついて、白くなる息を見ながら続ける。
「あんな広い家、私には見合ってなかったのよ。いつも見えない重圧に押しつぶされそうだったもん」
「……へぇ」
空を見上げれば、暗闇の中ところどころに小さく浮かぶ星が見える。
すっきりした気持ちで明るく話す私に、クルトは少し切なげに応えた。
「とにかくこれからは自由なんだから! 堂々としていいよ、クルトも!」
「ああ」
ポンッと背中を叩いたら、もう一度口元を上げて笑ってくれたクルトに、それだけで私はすべてのことはなんとかなるのではないかと思えてしまったのだった。
*
「……とりあえず、今日はここに泊まろう」
「わかった」
ドキドキと高鳴る鼓動を抑えてやってきたのは、とあるホテルの前。
クルトはここがどういうホテルかわかっていないようで、平気な顔をしている。
二月の末だけど、まだまだ寒い。
上着を着てこなかったから、一刻も早くあたたかい室内に入りたいし、どうやらここはペットの同伴がOKらしい。なんてありがたいのだろう。
というわけで、面倒なやり取りのないこのホテルに来たわけだ。
もちろん、私だって初めて来る。
「へぇ、無人なんだな」
「……そうだね」
ドキドキしながら薄暗いロビーに足を踏み入れると、タッチパネルで部屋を選ぶことができた。システムはよくわからなかったけど、やってみたら案外簡単だったから、表示された中で一番安い部屋を選んだ。
誰にも会わなくてよかった……。
速やかに選んだ部屋まで行くと、意外とそういうことをするだけの部屋という感じではないことにほっとして、茶太郎のリードを外し猫たちのバッグを開ける。
「クルトはもうお風呂済ませてるもんね。私入ってくるから、ゆっくり休んでて」
「ああ……というか、部屋は一つしか取らなかったのか?」
「……うん、私のバイト代はあるけど、節約しないとだし……嫌だった?」
「いや、俺は構わないのだが……」
「…………」
言いながら、クルトはほんのりと頰を赤く染めて一つしかないベッドに目を向けた。




