46.ユアの譲れないこと(※クルト視点)
「――それで、結愛。この人は誰なの」
「えっと……、親しい友人で、今日は私の誕生日を祝いにきてくれました。さっきまで綾乃たちもいて……あ、お兄ちゃんも一緒だったのよ、今は部屋で寝てるけど……」
速やかに着替えを済ませてリビングに戻ると、ユアの隣に座るよう促された。
母上殿の質問に、ユアは重たそうな口をなんとか開いて状況を説明した。
「ご友人がどうしてあんな格好でいたのかしら?」
「あっ、それは私が彼に飲み物をこぼしてしまって……シャワーを貸したんです。着替えがなかったから、あの格好で出てくるしかなかったのよね?」
「ああ……」
そこまで話してから、俺に同意を求めてくるユアに頷く。
「それで、うちに着替えがあったから着替えてきたのね」
「あ……それは……」
「随分準備がよろしいこと」
「……」
口調は丁寧だが、怒りが伝わってくる。
顔を赤くして言い逃れできずに俯いてしまったユアの代わりに俺が口を開こうとしたが、一瞬の差で母上殿の声が降ってきた。
「あなた、見たところ結愛より年上よね? お仕事は何をされているのかしら? それとも大学生?」
「彼は、今綾乃のところの工場で働いています……!」
自分が答えられることは全部自分が答えるつもりなのか、すかさずユアが口を開く。
こういうときは、余計なことをしゃべるなということだ。
「あぁ、あの小さな工場ね」
はぁ、とわざとらしく息を吐いて、母上殿は続けた。
「本当に……あなたは昔から何かと我儘ばかりだったわよね」
「……」
「琉生ができることをあなたはできない。学校行事にもいちいち参加してくれと言うし、犬や猫だってみんなあなたの我儘を聞いて飼うことを許してあげたんじゃない」
「……」
何も言い返さずに俯き、ただそれを聞いているユアの顔は、今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
堪らず口を開きそうになるが、それが余計ユアを苦しめてしまうことになるかもしれない。
だから俺は、グッと堪えてそのままユアに合わせることにした。
「高校生になったら少しはおとなしくしているから、あなた一人をこの家に置いてあげたけど……、やっぱり間違いだったようね」
「……」
それでも黙って話を聞いているだけのユアは、時折うっすらと唇を開いて何か言いそうになりながら、それを堪えるようにまた唇を噛んでいた。
「まぁいいわ。結愛、この人と付き合っているなら今すぐ別れなさい」
「どうしてお母さんにそんなこと決められないといけないの……?」
「ずっと言っているけれど、あなたに紹介したい人がいるの。正式に結婚相手として紹介するから、来週は空けておきなさいよ」
「え……?」
そこでやっとユアの口から出てきた声はとても細くて、弱々しいものだった。
「そういうわけだから、娘とはすぐに別れてください。この子には私が決めた相手と結婚してもらうから」
「何よ、それ……」
顔を上げて母上殿を見つめるユアには余裕なんて言葉が、微塵も感じられなかった。
「何か文句でもあるの? あなたのために言ってるのよ。あの人には絶対渡さないから。結愛の結婚相手は私が決める」
〝あの人〟というのが誰のことなのか、俺にはわからなかった。
ただ、今の今まで何を言われてもおとなしくしていたユアが、突然震える唇で吐き出すように叫んだ。
「私は、あなたたちの人形じゃない……!!」
「……人形って」
「お母さんは私のことを我儘だって言うけど、私はこれでも……、これでもいろんなこと我慢してきたんだよ……?」
スッと立ち上がり母親に面と向かって口を開くユアは、今まで見たことがないほど悲しい目をしていた。
「私、本当は法学部なんか行きたくない。本当は、医者にも弁護士にもなりたくないし、お店の冷たいお弁当なんていらなかった。お母さんの手料理が食べたかった……! 婚約者なんていらないから、お母さんの温もりが欲しかった……! 優しく褒めてほしかった! 誕生日におめでとうって言われて……、生んでくれてありがとうって……、言いたかった!」
「……」
止まらない感情を勢いのまま吐き出したユアは、今まで我慢していたものを一気に溢れさせているようだった。
「それを望むことが、我儘なの……?」
ユア自身、子供の頃でもここまで自分の想いを吐き出したことはなかったのだろうというのが、痛いくらい感じ取れる。
「……あのねぇ、結愛。あなたがここまで何不自由なく育ってこれたのは、私たちが働いてきたからなのよ。あなたもそれがわからないほど子供じゃないでしょう? いい加減にしてちょうだい。せっかくあなたの誕生日だからこうして帰ってきてあげたのに、男を連れ込むくらい偉くなっちゃって」
ユアがここまで必死になって泣き叫んでも、この母親は溜め息をついてユアを邪険に扱った。
「……そうだよ、もう子供じゃない」
だが少しの間を置いて、今度は大きく息を吐き、冷静に言葉をこぼすユア。
「もう、親の助けがなくたって生きていける」
「ちょっと、今度は何を言い出すの」
「私、この家を出ます」
グズッと鼻をすすって母親をまっすぐ見据えたユアに、誰よりも早く声をかけたのはさっきまで上で寝ていたはずのルイだった。
「結愛――! お前、何言ってるんだ!」
「……お兄ちゃん。絶対に譲れないことって、誰にでもあるでしょ?」
騒ぎに気がついて起きてきたのか、ルイはすぐさまユアに近づくとその肩を掴んで揺さぶるように訴えかけた。
「勢いで言ってしまったんだろ? 謝れば母さんも許してくれる。結愛、冷静になれ!」
「……嫌」
「結愛――」
だが、兄貴にまで反抗的な態度を見せたユアに、ルイが悲しみの感情を乗せて妹の名を呼んだ。
「……」
それでもユアの瞳は寂しげに潤みながらも力強く前を向いていて、俺でさえ一瞬、ぞくりと身が震えた。
「住む家と、生活するお金をくれて……ここまで育ってこられたことには感謝しています。でも……、結婚する人は自分で決めます。これからの人生は、私が決めます」
「……」
ルイの顔が、母親と妹の間で苦痛に歪んでいった。




