41.想うだけじゃもう足りない
翌日、早速クルトと一緒に綾乃の家に挨拶に伺うと、思った通り、クルトは綾乃の両親に歓迎された。
私と幼馴染である綾乃の両親とは、昔から親しい付き合いをしている。
うちの両親が仕事で帰ってこない日は、綾乃の家でお世話になったこともあるし、私にとっては本当の両親よりも家族のような存在。
綾乃もクルトのことを知っているし、私と綾乃の紹介だからクルトがどこの誰であるのかも必要以上に詮索されることはなかった。
一応私の従兄とは言っておいたけど。
もちろん正社員になるならまた別だろうけど、とりあえずお手伝い程度でも働かせてもらえるならありがたい。
綾乃パパが営んでいるのは小さな鉄加工の工場。
綾乃の両親はいつでも明るくて優しくて、とても気さくでいい人だ。
だからきっとクルトもうまくやっていけるのではないだろうかと期待している。
仕事は年明けからということになり、私たちは無事一緒に新年を迎えることができた。
「おっはよー、結愛!」
「おはよう、綾乃。寒いのに元気だね」
短い冬休みは本当にあっという間に終わり、今日からまた学校が始まる。
高校三年生なのに緊張感がないのは、うちの学校がエスカレーター式で大学に行ける附属高校だから。
「結愛は法学部だっけ?」
「……うん」
「すごいよね~、まぁ結愛の成績ならまず間違いないか」
父は医者。母は弁護士。
そして兄も、医者の道へ進んだ。
となれば私も同じ道を歩かなければいけない。
血筋のおかげか、勉強だけは昔からあまり苦労なくできた。
綾乃にはよく「真面目すぎ」と言われてしまうけれど、授業をしっかり聞いてノートを取れば、テストである程度の点数は取れたのだ。
昔から、教えられたことを覚えてその通りにやることだけは得意だった。
「……でも私、本当は……」
「ん? 何か言った?」
「……ううん、なんでもない! 早く行こ!」
兄だって、父と同じ道に進んだんだ。
母は、私に弁護士になってほしいと思っている。
私だけ、この家が敷いたレールから外れるわけにはいかないよね……。
小さい頃保育園に通っていた私は、お迎えの時間が大嫌いだった。
友達が一人、また一人と帰っていくのに、私だけお迎えが最後まで来なかったから。
小学校では、運動会と授業参観が大嫌いだった。
クラスで誰よりも立派だったお弁当に、母の味はしなくて。
授業参観で友達が「親が来るの恥ずかしい」と言っているのを聞いて、羨ましいと思っていた。
『結愛ちゃんってお父さんとお母さんいないの?』
そう言われて初めて友達と取っ組み合いの喧嘩をしたことは、今でも覚えている。
どんなにテストでいい点を取っても、先生に褒められても、うちではそれが当たり前で、そんなことでいちいち喜んでいてはダメだった。
動物は大好きなのに、ペットショップで檻の中の子犬を見るのは嫌いだった。
『寂しい』
『早くここから出して』
そう叫んでいるような気がして――。
*
「――うん、そうなの。その日は卒業式の練習とかがあって、学校に行かなきゃいけないから……ごめんね、お母さん。でもお見合いじゃなくても、お母さんの都合のつく日にお兄ちゃんと三人でご飯でも――」
スマホ越しで、「はぁー」という深い溜め息が聞こえて、私の言葉は途切れる。
『私だって暇じゃないのよ? あなたの将来のために都合つけてるだけなんだから、そう簡単に帰れないわよ。とにかく、先方にはまた都合聞いてみるから、今度は空けなさいよ』
「……うん、わかった。ごめんなさい。身体に気をつけてね――」
最後まで言うか言わないかのところで、母親との電話は一方的に切れた。
言いようのない虚しさが胸を埋め尽くし、それを吐き出すように息を吐く。
母は忙しい人だ。
仕事で忙しいからお正月もずっと家に帰ってきていない。
そんな中、仕事でお世話になっている会社の社長の息子と私を、お見合いさせたがっている。
私より三つ年上で、次期社長という跡取り息子らしい。
母もそのお相手も忙しい人だけど、一度私を会わせたがっていて、母はたまにこうしてお見合いさせようと私の都合を聞いてくる。
普通に母に会うだけならいいのに、その目的は娘の顔を見るためではなく、お見合いをさせること。
一度会ったら終わりだと思っている。だから何かと理由をつけて断ってきたのだ。
「誰と話してたんだ?」
「ん、お母さん」
ちょうどお風呂から出てきたクルトが、頭をタオルでガシガシと拭きながら私の隣のソファに腰を下ろした。
「法学部、無事進学が決まった報告をね」
「ああ、そうか」
卒業まで、もうひと月を切ったその日、久しぶりに母から電話がかかってきた。
私は進学の連絡をしようと何回もかけていたけど、繋がらなかった。
母のほうからかけ直してきてくれて嬉しかったのに、用件はお見合いのことだったのだ。
それに、せっかく久しぶりに会話できた今回も、電話越しでは忙しそうにしていて、三分も持たずに電話は切られてしまった。
とても、「卒業式は来てくれる?」なんてこと、聞ける雰囲気ではなかった。
「……ところでユア、次の休みは何か予定はあるか?」
「次の休みって、土曜日?」
タオルを首にかけたまま、クルトが私に早くも違う話題を振った。
「ああ、そうだ」
「……土曜は何もないけど」
「じゃあ付き合ってほしいんだが」
「何に?」
「……買い物に」
なんとなく、言いにくそうに視線を逸らしているクルト。
「ああ、初めての給料が入ったんだっけ。何買うの?」
給料と言っても、今月は本当に少しだったと思うけど。
やっぱりクルトも欲しいものがあったのね。今までは遠慮していたんだわ。
「それは行ってみてのお楽しみだ。付き合ってくれるか?」
「うん、いいよ。バイトもないし」
「ありがとう」
次の土曜日か……。
実は私もクルトのこと誘おうと思って、バイトは休みをもらっていた。
「……それより髪乾かしてきたら? 風邪引いちゃうよ」
クルトの髪の毛は本当に綺麗な色をしている。
今は濡れていていつもより少し暗く感じるけど、蛍光灯の下で輝いて見える。
つい無意識で彼の髪に手が伸びていた。
湿っている毛先に触れて、クルトの視線がとても近くから注がれたことに今更鼓動が高鳴る。
「……あ」
しまったと思ったときにはもう手遅れだった。
クルトにその手を掴まれて、じっと見つめられる。
互いの視線が絡まり合って、キスしそうな雰囲気を悟った私の鼓動は更に脈を速めていく。
「クルト……」
お風呂から出たばかりのクルトはいい匂いがして、熱くて、男のくせにとても色っぽい。
彼の喉仏がゴクリと上下したのを見て、自分の顔が赤くなっているのを自覚した。
「おほんっ」
「「……!」」
だけど、クルトの唇が私に触れる前に、嘘くさいほど大きな咳払いが聞こえて私たちは二人同時にそちらに顔を向けた。
「お兄ちゃん……!」
「……」
そこには、リビングの入口のところで腕組みをして立っている兄の姿。
「俺がいること、忘れてないか?」
「忘れてた」
「ち、違うよ! 別にいつもこんなことしてるわけじゃないし……その、たまたまっていうか……じゃなくて、クルトの髪の毛に触ってただけで――」
クルトがお風呂に入っているときには自分の部屋にいた兄の存在を、確かに少し忘れていた。
けれどそれをあっさり認めてしまうクルトもどうかと思う!
だから結果、私一人であたふたと取り乱して下手な言い訳が口をついて出てきたのだ。
「ふぅん……。まぁいい。さっさと寝ろよ」
「ああ、おやすみ」
「……えっ」
「結愛の部屋は二階だ!!」
本気なのか冗談なのか、私の手を掴んで自分が使っている部屋に行こうとしたクルトにお兄ちゃんが素早くツッコミを入れて、今夜も私たちは一階と二階で就寝することになったのだった。
だから一人で自分の部屋に来てベッドに潜ったけど、胸の鼓動が鳴り止まない。
クルト……さっきのは本気……じゃ、ないよね……?




