15.危険信号、その3
一晩寝たら、気持ちが落ち着いてきた。
昨日の手紙の主はブラウスを盗った人と同じだろうか。
だとしたら、犯人は学校にいるの?
一体なんのためにあんなことをしたのかわからないけれど、絶対犯人を突き止めてやる。
そう意気込んで、私は今日も気を強く持って登校した。
「――結愛、おはよう!」
「おはよう」
いつも通りに綾乃たちと挨拶をして、昨日のことを彼女たちに相談するべきか考えていると、教室の入り口から「あ、いたいた、あの子だよ」という男子の声が聞こえた。
「へー、君が結愛ちゃん? 結構可愛いね」
「な、言っただろ?」
「……」
今度はなに?
違うクラスの、知らない男子。
ニヤニヤしながら制服のポケットに手を突っ込んで近づいてくる二人の男子生徒は、髪を明るく染めていて、ピアスやアクセサリーを身に着け、きついほどの香水をまとっていた。
格好も口調も頭の中身も、見るからに軽そう……。
「何か用……?」
「君ん家親いなくて寂しいんでしょ? 今夜は俺が慰めてあげるよ」
「はぁ?」
意味のわからないそんな言葉に、私より先に不愉快に声を発したのは、綾乃だった。
「ちょっと、誰から聞いたのか知らないけど、勝手なこと言わないでくれる?」
「いや、だってこの子が寂しいってみんなに声かけてんだろ?」
「それどういう意味?」
とうとう立ち上がってしまった綾乃は、ヤンキー系のその男子にも怯まずに事情を聞き始める。
「ネットで見たんだって! ほらこれ、嘘なわけ?」
顔をしかめてスマホをいじり始めた彼は、私たちに画面が見えるようにそれを突き出してきた。
すかさず奪い取った綾乃の隣に私も立って、画面を覗き込む。
画面に映し出されていたのは掲示板のようなスレッド。いわゆる学校裏サイト。
私は見たことなかったけど、こういうのって未だにあるんだ。
「やだっ、何よこれ!!」
綾乃が声を上げたのも無理はない。
そこにはクラスと明らかに私だとわかるような伏せ字の名前で、「毎晩ひとりで寂しいから、誰か慰めて」などという言葉が書かれていた。
「やっぱ嘘かよ」
「なんだよ、つまんねー」
「ま、俺はそうだろうと思ってたけどな」
はぁー、と嫌味な溜め息をつきながら後ろの机に手をつくスマホの持ち主。
綾乃が画面をスライドさせると、そこには誰が書いたのかもわからない匿名で、
〝これマジだったwww〟
〝ゆあちゃん家行ったらマジでヤれたwww〟
などというなんの根拠もない下品な作り話が、卑猥な感想とともに書き綴られていた。
もちろん、事実ではない。
「ひど……誰がこんな」
「知らねーよ、ネットなんてこんなもんだろ。でも結愛ちゃんが一人で暮らしてるのは本当っぽいね」
「じゃあほんとに俺が慰めてあげようかー?」
ハハハハハハ――!
「……」
もうやだ……この人たちには私の気持ちなんてわからないし、他人事なんだ。
だから冗談みたいにこんなこと言って笑ってるんだろうけど、今の私には結構きつい。
「なぁお前ら、何やってんの?」
目眩がして頭を抱えたとき、救世主みたいにかっこよく一人の男子が現れた。
「……っ悠真!」
「結愛ちゃんに何してんだよ。俺が結愛ちゃん気に入ってんの知ってるよな?」
「いや、この噂が本当なのか確かめに来ただけだって!」
「そうそう、マジになるなよ!」
悠真は顔がよくて喧嘩も強いとかで(よく知らないけど)男子生徒からも一目置かれている。
「本当なわけねぇだろ? ふざけてんのか?」
「はは、だよね……俺らもう行くわー」
「じゃあな、悠真~……」
だからその登場に、ヤンキー二人は引き攣った笑みを残して逃げるように教室を出ていった。
「結愛ちゃん大丈夫?」
「大丈夫……」
少女漫画とかだったら、私はこのイケメンに惚れてしまうのだろう。
……だけど、やっぱりそれはない。
クルトが雑誌の記事を見てやったあの言動にはドキドキしてしまったのに、今の私は悠真どころではない。
助けてくれたのはありがたいけど。
「ネットなんてほとんど適当なこと言ってる奴ばっかだし、すぐ違う話題に変わると思うけど……怖いよな?」
「うん……まぁ」
「じゃあ俺が結愛ちゃんのこと守ってあげるよ。俺と付き合ってくれたら、結愛ちゃんに近づく奴全員なんとかしてあげるから。だからさ――」
ほら、ね?
この人は私の弱みにつけ込みたいだけなんだ。
悠真はそう言いながら距離を縮めると、無遠慮に手に触れてきた。
「やめて……っ!」
そういうとこ。そういうところが、好きになれない理由なの。
反射的に手を振り払って、悠真を睨みつけてしまった。
一応私を助けてくれたのに、つい。
「……結愛ちゃん」
「悠真君ありがとう、でもとりあえず私たちがいるから大丈夫だよ!」
それ以上何も言えない私に代わって、綾乃が間に入って悠真に笑いかける。
「そうだ、これだけ受け取ってよ」
「……?」
一瞬悲しげに眉を寄せた悠真だけど、すぐに気を取り直したようにポケットに手を入れると、何かを取り出した。
「結愛ちゃんにあげる」
「これって……」
悠真のポケットから出てきたのは、グレーの犬が茶色いくまの着ぐるみを着た、私の大好きなキャラクター、くま犬の〝さつきくん〟のマスコットフィギュア。
「結愛ちゃん、これ欲しいって言ってたから」
「……だからって、一体何回まわしたの……?」
しかも、これはレアなやつ。
私はこのシリーズのガチャガチャを何度か回していて、全種類コンプリートしたいと思っていたけど、このレアな〝おやすみさつきくん〟だけはどうしても出ないって、SNSで呟いた。
確率がすごく低いみたいだから、きっと手に入らないだろうなと、諦めていたのに。
「あー、何回だったかな? 数えてないけど、たくさん。だって結愛ちゃんが欲しがってたから!」
「そうだけど……」
もう一度「はい」と言って渡そうとしてくる悠真だけど、きっと大金を使って手に入れたのであろうそれをもらうわけにはいかない。
「いいよ……もらえない……。っていうか、どうして何回も回したの?」
「えー、もらってよ。結愛ちゃんにあげたくて回したんだから。嬉しくないの? もっと喜んでくれると思ったのになぁ。あ、もしかしてもう持ってる?」
「……持ってないけど」
私、そんなこと頼んでない……。
それに、この人にこんなことをしてもらうような仲じゃないし、そういう恩着せがましいところが、やっぱり嫌。
何気なく呟いただけだったのに、彼氏でもないのにこんなことされたら困る……!
「あ! もうこんな時間! 悠真君、もうすぐホームルーム始まっちゃうから教室戻らないと!」
「え? あー……ああ」
綾乃に声をかけられても不満そうに返事をして私を見下ろしている悠真の視線が、なんとなく怖い。
悠真は喧嘩が強いらしい――怒らせたら、まずい?
「……ありがとう、悠真君。でも、こんなことしてくれなくていいから」
明るい髪色と耳に開いた穴にぶら下がるピアス。私より大きな身体と、刺さるように注がれる視線に少し怖くなった私は、なんとか笑顔を浮かべつつ手のひらを前に出して彼を拒んだ。
「……ふぅん。またね、結愛ちゃん」
「……」
まだ何か言いたそうな間を置いて、悠真は渋々といった様子で教室を出ていった。
「結愛、大丈夫?」
「……うん」
ほっと息を吐いて綾乃からの問いかけになんとか声は出せたけど、もう笑う元気はなかった。
「悠真も悠真だけど、あの書き込みはないよね」
「結愛に僻んでる女子もいるんだよきっと。理沙とかも怪しいし」
「でもあんな書き方されたら信じる奴もいるよね。ほんと誰なんだろ、ブラウス盗った奴と犯人一緒かな?」
「ねー、絶対許せない!」
綾乃や友香の声が遠くで聞こえる気がする。二人の声が、頭に入ってこない。
「ごめん、私今日はもう帰る」
「結愛……」
来たばかりだけど、気分が悪い。
おそらくだけど、犯人は学校にいると思う。授業中の写真が多かったから。
それに、もしかしたらこのクラスか、体育が合同の隣のクラスに……。
「先生には私たちから言っといてあげるからね」
「うん。ごめん、ありがとう」
「気をつけてね」という言葉になんとか頷いて、鞄を手にして教室を出た。
もうすぐ始業の時間だから、廊下に生徒はほとんどいない。
「……」
頭が痛い。
なんで私がこんな目に遭っているのだろう?
私、何かしたのかな……。
「…………」
一人になった途端に涙が溢れ出て、前もよく見れずにゆっくり階段を降りていく。
こんな顔じゃ、電車に乗るのも嫌だなぁ……。
「おおっ、時岡か?」
「……っ、すみません」
そんな感じで歩いていたら、踊り場を曲がったところで誰かにぶつかってしまった。
慌てて涙を拭い、顔を上げた。