16.危険信号発令中
「藤堂先生……」
「……泣いているのか? どうした?」
ぶつかってしまったのは副担任の藤堂先生。すぐに泣いていたことがバレて、先生は驚いたように目を見開いた。
「ちょっと体調が悪くて……今日は帰ります」
「そうか……大丈夫か?」
「……はい」
優しい口調で話されて、私たちより大人の、その包容力みたいなものにまた涙腺が緩みそうになる。
「……大丈夫じゃなさそうだな。送っていくよ」
「いえ……、そんな! 大丈夫です!」
「そんな様子じゃ一人で帰るのなんて無理だろう? それに君は親御さんが家にいないんだから、困っているときは先生を頼ってくれ」
「……ありがとうございます」
優しくて穏やかな口調に、思わず頷いてしまう。授業がなくても、先生には他の仕事があるはずなのに。
「じゃあ、担任の先生に言ってくるから、玄関で待っていてくれ」
「はい」
藤堂先生は授業中も熱心な人。大学を卒業したばかりの新任教師だけど、いい教師になると思う。
「――すみません、よろしくお願いします」
車で来ているらしい藤堂先生のRV車の助手席に乗り込んで、シートベルトを締める。
車の中は、微かにたばこの匂いがした。
藤堂先生って、たばこ吸うんだ。
大人だから別に構わないのに、なんとなくそれが意外だった。
「何か悩んでいることがあるなら、俺に相談してくれていいぞ?」
「え……?」
「俺はまだ君たちと歳も近いし、少しは気持ちがわかるかもしれない。頼りないかもしれないが、力になりたいと思っているんだ」
「……ありがとうございます」
やっぱり藤堂先生は、いい教師だ。
ぼんやりとそんなことを考えたとき、信号で止まっていた車が動き出し左折して、ふと疑問が頭に浮かんだ。
……私、家の住所言ったっけ?
私の家はここを曲がるって、どうして藤堂先生が知っているんだろう。
いくら熱心な先生でも、生徒の住所なんていちいち把握してないよね?
「時岡は、高校生なのに他の子たちより少し大人びているよな」
「……そうですか? 子供っぽいって言われますけど」
「いや、やはり一人で苦労しているからなのだろうか。ちゃらちゃら遊んでなくて、偉いよなぁ。成績もいいし、バイトも頑張っているようだし」
「……先生、私がバイトしてること知ってるんですね」
「ああ、担任の先生に聞いているよ」
「……」
そっか。まぁ、副担任だしね。
……生徒全員のそういうことを把握しているのだろうか?
「だから大人に頼るということを忘れてしまっているのかもしれないが、俺を頼ってくれ。ブラウスの件も、犯人はまだわからないんだろう?」
「はい……」
そういえば、先生はブラウスがなくなったときもすぐに心配してくれたな……あれ? でも、誰に聞いたんだろ。
私が親に知られたくないのを知っているから、友香は言わないはずだけど……体育教師だし、近くにいたから話し声が聞こえたのかな。
なんとなく違和感を覚えながら窓の外を見ていると、狭い小道に車が曲がった。
「……」
この道は確かにうちに行く近道だけど、何度も来たことがない限り普通は通らないような道だ。
ナビだって見ている様子はないし、どうしてそんなに慣れたように進んでいくのだろう……。
なんだか、嫌な予感がする。
「あの……私、先生にうちの住所言いましたっけ?」
「担任の先生に聞いてるから」
「……っ」
そのあまりにも早い返しと声のトーンに、なぜだかゾクリと悪寒が走った。
直感で、それが嘘だと感じた。
何かおかしい。
これ、ヤバいかも……。
「あの、先生……、私コンビニに寄って行きたいんですけど、停めてもらえますか?」
「もうすぐ着くから。そしたら俺が買ってきてあげるよ」
「いいえ、そんなの悪いんで、自分で行きます――」
もう一度車が信号で止まったタイミングで、私はそう言ってシートベルトを外し、外へ出ようとドアノブに触れた。
「ダメだ!!!」
「……っ!」
だけど、突然大きな声を出されて身体がびくりと揺れる。
「危ないから。こんなところで降りたらダメだよ」
「……」
藤堂先生がそんなに大きな声を出したのは初めて聞いた。
今までのイメージからは想像できない、イライラしているのを必死で抑えているように見える。
手首を掴まれて、私の身体は恐怖で硬直してしまう。
そのうちに信号は青に変わり、再び車は動き出す。
この人、なんかおかしい。
先生だと思って油断してしまったけど、よく考えれば大学を出て間もないただの男の人――。
そう感じながらも、向かっている先は私の家のほうであることだけが救いでもあった。
本当に、家に送り届けてくれるという気はありそうだ。
そうだよね、このままどこか知らないところに連れて行かれるとか、そんな犯罪、自分の身に起こるわけないよね。
一年目だとしても教師だし。そんなのあり得ない。小説の読み過ぎよ、結愛……。
だったら反抗せずに、このまま大人しく送ってもらったほうがいいのかもしれない……。
「あれ……」
と、思ったのに。
私の家の前を通り過ぎてしまう車。
「先生、あの、私の家過ぎましたけど……」
「うん、知ってる。あの家には男がいるから、俺の家に行こう」
「……は?」
この人、今なんて言ったの?
「何言ってるんですか、私を家に送ってくれるんじゃなかったんですか?」
「俺の家のほうが二人でゆっくりできるよ。話を聞いてあげるからね」
「いいです、大丈夫です……!!」
「俺の家、もうそこだから」
「え?」
言うや否や、車はマンションの地下駐車場へと入っていった。
「……先生の家、ここなんですか?」
「そうだよ。知らなかった?」
「……」
うそ、なんで……なんでうちからこんなに近いの? 偶然……? じゃ、ないよね、この感じ。
「さぁ、じゃあ降りていいよ。でも逃げようとしないでね? 俺は陸上の選手で足も早いから、君なんてすぐに捕まえられるよ」
「……」
駐車場で車は止まっているし、降りていいと言われているのに、身体が動かない。
「降りないの? ああ、具合が悪いんだったね。じゃあ俺が今降ろしてあげるから、待ってて」
「……」
「大丈夫、俺こう見えて結構力もあるから、君くらいなら抱えて部屋まで行けるよ」
「……っ」
ヤバい、逃げなきゃ……!!
藤堂先生がシートベルトを外す、カチャリという音を聞いて、私は瞬時にドアを開けて走り出した。
「あ……っ、逃げるなって言ったのに」
後ろから舌打ちが聞こえる。
ヤバいヤバいヤバい……!!
なんであの人私の家のすぐ近くに住んでるの!?
これまでのことの犯人って……、藤堂先生なの!?
恐怖と混乱で震える足をなんとか前に出して、全力疾走する。
誰か人に会えれば、きっと大丈夫……!!
「だから、逃げても無駄だって言ったじゃん?」
「……!!」
けれど、駐車場から出ることもできずに、私の腕はあっさりと掴まれてしまった。
「この時間は人も少ないから。でも早く俺の部屋に行こ?」
「い、嫌です……!! 帰ります!!」
「どうして? 俺が相談に乗ってあげるって言ってるじゃん。ネットに色々書かれて悲しんでるんでしょ? 大丈夫。俺が全部聞いてあげるから、落ち着いてよ結愛ちゃん」
いや……っ! 絶対この人が犯人じゃん……!
もう……、ほんとやだ……っ!!
じわっと涙が滲んできて、叫びたいのに声もうまく出せなくて、ただただ必死に腕を振りほどこうとしていたら、遠くのほうからツカツカツカ――と、誰かの足音が近づいてきていることに気がついた。




