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10000分の1の備忘録  作者: あきの梅雨
少女は死神の鎌を受け入れた
5/27

《Smoother Town》


 恋愛対象は誰なのか。

 決まってるんですが、色々と揺れ動いてます。

 どうぞ予想していてください。





 世界は案外ちっぽけで、身構えるほどのことなんか起こらなくて、安っぽい日常が繰り返されるような、そんなモノなんだと思っていた。

 それなのに、死んだと思いきや続いた日常は、今までの常識が覆されるものだった。これほどまで死を間近に感じるような日々、多種多様な人種、魔法。

 全てのものが初めて見ることばかりで、目移りを止めることが出来なかった。けれど、片時も魔王討伐を忘れたことはなかった。


 タイムリミットが迫る旅人たちには、止まっていることなど赦されるはずがなく、激動の毎日を必死に生きるしかなかった。途中で一瞬でも立ち止まっていれば、世界はいつまでも明るく色彩豊かに眸に映っただろう。踏み入れたあの時を悔やんだところで、世界は変わらない。

 星は回っても、過去はいつまでも付いてくる。────1/10000の旅人の手記。

                     


* * * * * *



 アッシュの村を出たシヲンを待ち構えていたのは、轟々と流れる水の境界線だった。


 土手の上からその壮大な様子を眺めることが出来た。川幅がゆうに一〇〇メートルを超えそうな大河が、視界の右端から左端へと急流を作っている。

 遠目からでも水が澄んでいるのは分かる。しかし美しい川ではあるが、人を拒むように速い流れが恐怖心を植えつける。河岸には大小様々の石が河川敷を形成し、延々と河に沿って続いている。


 ちらほらと見える人影は、釣りをしているようだ。

 魚が釣れるのだろうか、そう言えば最後に釣りをしたのは何年前だったか。シヲンは釣りをしている光景を懐かしく思いながら、河を渡るために架けられた橋の方へと足を運んだ。そこで硬直してしまった。


 どうやらここ以外には河を渡る手段はなさそうだが気が進まなかった。橋は幅の広い吊り橋だった。人が並んで五人は歩けそうな橋は、シヲンが足場の板を踏みつける度にミシミシと不気味な音を上げる。踏み抜かないだろうか、その不安が頭から常に離れない。


 橋のすぐ真下では、待ち構えているように河が広がっていて、恐怖を増長させるのに一役買った。水は透き通った色をしているが、川底が深いためか底を見ることが出来ない。

 水面を流れていく木の葉などが目に止まらぬ速さで運ばれていく様子は、水の流れの速さを明示していた。誤って落下すれば溺死する可能性が高そうだ。

 泳ぎに苦手意識のないシヲンもごくりと咽喉を鳴らした。橋を渡るだけで極度の緊張を味わうことになるとは思わなかった。


 何事もなく無事に渡りきったシヲンは、ホッと一息ついた。自分が今まさに渡り終えた橋を振り返って、アッシュの村に戻るのは一苦労だと思った。

 村の商品もここから運ばれていくのだろうか。

 そんな疑問を抱いて、シヲンは道の先に見える街を見据えた。街へと続いている道は石畳が敷かれて舗装されている。一直線に延びる道の先には、周囲を石造りの高い外壁で囲まれた街の姿がある。外壁の向こうに巨木の樹冠が顔を覗かせていた。

 まるでその巨大樹を囲んでいるような街だ。街の周囲には他に木々は生えておらず、南の山脈の森は街との間に草原を置いている。


 道には多くの人々の姿があり、こぞって街へと向かっている。その多くは荷車を牛に似た生物に引かせる商人らしき姿だった。歩いている人々はおらず、皆何かしらの乗り物に乗っている。

 シヲンは人々の流れに混じって、街への道を辿った。追い抜いていく獣人の商人たちが毎度の如くシヲンを顧みていく。途中で周囲からの探るような視線を感じて、自分の髪の色がこの上なく目立つことに気づいた。舌打ちすると、慌ててレザーコートのフードを被った。レザーコートがフード付きだったことに感謝しつつ、全身黒ずくめなのは諦めた。


 やっと到着した街の入口は門番という存在はいないらしく、巨大な両開きの扉が開け放たれたままにされ、人々はその下を当たり前のようにくぐり抜けていく。


 シヲンもそれに従って足を外壁の内側へと踏み入れた。そして、その景観に息を飲んでいた。

 街の中まで続いた石畳の道の両脇には、中世の西欧のようなレンガ造りの建築が建ち並び、お洒落な街並みを成している。色調の整った街並みは全体として調和がとれていた。

 街にいる人々はアッシュの村以上に多様な種族がいた。馬似の動物が引く車両もあり、ここは近代的な街なのだろうと納得した。


 街の人々の服装は、一目で相手が裕福かそうでないかが分かるようだった。

 礼服姿の獣人の紳士がいれば、質素で色彩の少ない平服姿の者もいる。けれども見るからに痩せ細っているような、生活に困窮している人はいないらしい。どちらかといえば、平服姿の人々のほうが表情が明るく見えた。


 シヲンは人々の談笑の中を歩いた。フードをしたところで、結局のところ全身黒ずくめのために人目を引くようだ。気付けば、逃げるように早歩きになっていた。


 街灯が等間隔に置かれているのを見て、この世界に電気があるのかと思った。が、街にあった屋台で獣人が指を鳴らして照明をつけたあたり、魔法を利用しているようだった。さすがは魔法が常識な世界だ。魔法はもはや生活に根付いているらしい。


 とりあえずは街を散策してみたい、と思った。生まれて一度も海外旅行など経験したことはなく、そのためどこかヨーロッパに似た街並みはシヲンにとって新鮮で、胸が期待に高鳴った。異世界に来た時点で、海外旅行どころか異世界旅行状態なのだったが、やはり目で見て肌で感じたかった。


 レザーコートの下の腰に吊るした革袋に触れる。チャリチャリと金属音が鳴り、硬貨の感触を伝えた。アナザーワールドの通貨は、ヴォイド通貨と呼ばれる円銭で金貨、銀貨、銅貨、鉛貨といった風に価値が下がっていく。

 この世界では未だに紙幣は出来ていないようだ。金属として価値のあるものがお金としての価値をもっている。


 シヲンは何か美味しいものを食べようと心に決めた。ユキナには悪いが、少しばかり寄り道をさせてもらおう。十分すぎるほど寄り道をしたことは棚に上げて、シヲンは街の奥へと宛てもなく進んだ。

 昼過ぎだけあってか、街中に料理の匂いが漂っている。その匂いを辿るようにして到達した場所は、円形の広場だった。中央には噴水が置かれて住民にとっての憩いの場のようだった。その場所には店を構えた屋台が複数あり、人の列をつくっている。


 シヲンはモノは試しとして、その中で唐揚げのような食べ物を売る店の列に加わった。


「にーちゃんは、陽射しが嫌いなの?」


 声変わりのしていない高めの声が聞こえた。前に並んでいた獣人の少年が振り返って首を傾げていた。身長はシヲンの腰の高さまでしかない猫族の子供だ。三色の毛並みで三毛猫に似ている。向こうの世界では、三毛猫の雄は珍しいのだが、ここではそんなことはないのだろうか。

 猫族の少年はつぶらな瞳でシヲンを見上げる。シヲンがフードを被っている理由が知りたいらしい。


「陽射しは好きだよ。だけど、髪の色が悪目立ちするから、隠してるんだ」


 シヲンは頬を掻いて、苦笑した。少年はそれでも納得がいかないようで、しきりに振り返って見てくる。出来れば人目に晒したくはない、というシヲンの願いは少年に伝わらない。

 少年の隣では姉らしい猫族の少女が終始申し訳ない顔をしていて、何故かシヲンも申し訳なくなった。


 少年に言われたことで初めて思い至ることがあった。吸血鬼なのに日光を浴びて大丈夫なのか、と。

 いや、大丈夫だろう。シャツ一枚で過ごしたこともあったが、身体に異常は出ていない。一瞬鳥肌が立って頭が白紙になりかけたが、平静を取り戻した。


「ねぇ、ねぇ。髪の色を見してよぉ~」

「……………………………」


 少年がせがんでくる。猫族にも様々な人種があるが、目の前の少年はそのまま猫が二足歩行しているような容姿だ。その顔立ちも当然猫なわけで、猫が好きだったりするシヲンは無碍に出来ない。このままじゃ可哀想だ、とさえ思ってしまう。

 自分自身のどうしようもない性格に、短く嘆息すると、シヲンはフードに手を伸ばした。


「ちょっとだけだぞ?」


 そう断って、頭を覆っていたフードを外す。

 途端に少年が目を丸くして、感嘆の溜息を漏らした。姉らしき少女も驚いた素振りで、シヲンの髪をジロジロと見る。

 ちょっとでも駄目だったようだ。気づけば少年と少女だけでなく、周囲からの視線も集めていた。非常に居づらさを覚えて、シヲンは再びフードを被ると身を小さくした。


「何かすごく綺麗だね。イムカ様みたいな銀色だ」


 少年の言うイムカ様という人物は知らなかったが、どうやら有名人らしい。少年の言葉に相槌を打つ少女や屋台の亭主たち。遠巻きに見ていた人々の間でも、イムカ様という言葉が聞こえた。

 とりあえずこの場において、シヲンは有名人になってしまった。対応に困ったシヲンの窮地を救ってくれたのは、屋台の亭主だった。

 全身が真っ赤で額には太い角が一本生え、口の端には黄色い乱杭歯を覗かせた男。食べ物を売るよりも、力仕事が似合っている。昔話の絵本の中に出てくる赤鬼そのものだ。彼の種族が何なのかが非常に気になった。


 鬼のような男は、太い腕を振って野次馬たちを追い払った。その姿にガイアスが重なって見えた。両者ともいい勝負をしている。

 やっと静かになった屋台周辺には、猫族の姉弟とシヲンだけが残された。男の剣幕に他の客も遠ざかったようで、非常にいたたまれない。すみません、と頭を下げた。

 男はそのことを大して気に止めないで、シヲンたちに向けて笑顔を見せた。厳しい顔とは裏腹に、人情味溢れた人だった。


「災難だったなぁ、お客さん。ここらの連中は何か面白い出来事を待ち望んでんのさ。なぁ、小僧」


 そう言って男は猫族の少年の頭を乱暴に撫でた。シヲンは少年の頭を撫でてみたい衝動に駆られたが、何とか自制した。


「痛い、痛いよオッサンッ。ねぇーちゃん、助けて」

「あなたがこの人の迷惑になるようなことを頼むのがいけません」


 やはり姉だった少女がシヲンに頭を下げる。すみませんでした、と言われたシヲンは恐縮した。何故か、こちらこそすみません、と頭を下げてしまった。


「ほらほら、二人して頭下げてねぇで、買ってくれんだろ?」

「「あ、はいッ!!」」


 少女とシヲンの声がハモって、それに四人分の笑い声が続いた。


「ほいよ、サービスしてやるよ。あんちゃん、その恰好は見慣れないもんだけど、どこの出身だい?」


 屋台の亭主の問いかけにシヲンはなんと答えればいいのか悩んだ。日本です、とは言えないだろう。異世界です、というのも何か違う気がする。


「あぁッ、そうだった。にーちゃんも旅行者なんでしょ。最近よく白族の人たちが街に集まってるんだ。みんなサッドネスの樹の周辺に集まってるんだけど、にーちゃんも仲間なんでしょ。もしかしてギルドのメンバーだったりするの!?」


 少年が急に眸を輝かせて詰め寄ってきた。どうしてそこまで嬉々とするのか分からない。羨望の眼差しを向けられたシヲンは、気圧されるように半歩後退った。


「ほらそうやって、またあなたは人に迷惑をかける」


 少女が少年をシヲンから引き剥がした。少年は両手をシヲンに伸ばして、何とかコートの裾を掴もうとしたが、少女の力の方が一枚上手だった。


「すみません。この子、世界中を旅したいみたいで」

「だって、おれ、アッシュの村にさえ行ったことないんだよ。街の外に出たいんだよ」


 少年が駄々をこねて、少女は困り果てた表情で眉を濃くした。髭が下を向いて、萎れるようになる。


「おい坊主。ねぇーちゃんを困らせてんじゃねぇぞ。でっかくなったら、嫌でも外に出るようになるぞ。今のうちに街を堪能しとけ」


 亭主の言葉に少年は渋々納得すると、姉に連れられて去っていく。途中で力いっぱい手を振ってきたことに、シヲンは苦笑いしつつ手を振り返した。

 この街に滞在していればそのうち彼らに逢う事もあるだろう。


「それじゃあ、いただきますね」

「おうッ、街を堪能してくれよ。街の中央にある樹はサッドネスの樹っつうんだ。この街の御神木なんだ。まぁ、よく目に焼き付けておけよ」


 シヲンは手渡された唐揚げのような、揚げられた肉を咀嚼しながら、街の散策を再開した。広場には散歩に来た人の姿もあり、彼らの中には動物を連れている者もいた。この世界にはペットの概念もあるようだった。

 犬族の獣人が犬似の小動物を連れていた光景などは、どことなくシュールだった。興味の尽きない街中探検の次なる目的地は、街の中央で圧倒的な存在感を放つ巨樹だった。


 辺りを飲み込む巨大な影がつくられ、その中に踏み入れば周囲が夕暮れのように暗くなった。シヲンは影の中から上を見上げた。驚くほどに巨大な広葉樹だった。


 街の内部や周辺に木々がないことの理由は、この巨樹が周囲の土壌の養分を吸い上げてしまっているから、と言われれば納得がいくほどだ。

 幹はゴツゴツとして歪で力強く、根は複雑に絡み合っている。その存在自体が威圧感を放出し、見る者をひれ伏すような荘厳な樹だった。これがサッドネスの樹。

 木陰からは空が全く見えず、幹の太さが計り知れないことは圧巻だったが、それ以上に目を引いたのは、幹の途中に顔を覗かせる鉱石だった。


 美しい赤紫色の巨大なマナクリスタルだ。まるでこの巨樹の成長過程に飲み込まれてしまったようだ。大きさの全容が分からないが、人目に晒されてる部分だけでも人の背丈を超えている。傍に参拝しているらしい人々の姿が見えた。あの場所は神聖な場所とされているらしい。

 そんな人々の傍らでは、人の流れが別にあった。そこでの光景は異様だった。矢継ぎ早に人々が水晶に触れて刹那に消えていく。後には一筋の光が残されていた。

 かと思えば、その近くの何もない場所から人々が現れた。


 あれは転移しているのだろう。どこか別の街へと飛んだり、やって来たりしているのだ。エスペル導師が言っていたことは、紛れもない事実だったらしい。

 シヲンはここに来たついでに、巨木のマナクリスタルに自分の水晶を接触させようと思った。マナクリスタルに記憶させておけば、あとで移動する機会があった時に便利だ。


 マナクリスタルに触れていく人々の流れの最後尾に並んで、首を長くして順番を待つことにする。

 並びながら暇を持て余したシヲンは、人々の会話に耳を傾けた。すると、イムカ様、という単語がよく耳に飛び込んできた。

 あんなに若いのに守り人を務めてるなんてすごいわ、先代の守り人であるお父様の跡を継いだのよね、そんな風に褒め称える言葉ばかりだ。


 どんな人物なのか興味が湧いたシヲンは、いつかその人を見てみたいと思った。ここまで人々に慕われるような人物だ。一度でもいいから見ておきたい。

 どこか観光気分でシヲンはそんなことを考えた。

 だから、まさかそこまで早く目にすることになるとは思いも寄らなかった。


「ほら、イムカ様よ。今日もお元気そうで何よりだわ」


 後ろに並んでいた獣人の女性の言葉にシヲンは、顔を上げて視線を前に向けた。赤紫色のマナクリスタルの傍、そこには美しい白族の少女の姿があった。

 シスターのような黒色のローブを纏い、絶えず人々に笑顔を振りまく少女は人形のように精巧な顔造りをしている。この世の人なのかと思わせるほどに幻想的な容姿。

 雪のように透き通った白い肌と翡翠色の眸、彫りの浅い顔貌と白銀の長い髪。

 人々が林立てるのも納得の美貌だった。歳は十代の半ば辺りだろう。少女は天使のような笑顔を人々に振舞う。


「皆さんこんにちわ。今日もお仕事お疲れ様です」


 守り人とはどうもマナクリスタルを見守る人間らしい。

 人々は少女にお疲れ、と労いの言葉をかけて会釈すると、マナクリスタルに触れていく。その度に次々と消えていく人の姿。


 とうとうシヲンの出番になったのだが、何をすればいいのか分からない。とりあえず自分の水晶を接触させればいいのだろうか。

 事前に必要な作業はないのか、そんな不安が募る。シヲンの困った様子にイムカ様と呼ばれる少女が近づいた。


「登録でしたら、そのままご自分のマナクリスタルを接触してもらえばいいですよ」


 透き通った声が耳に心地良かった。耳の奥に余韻が残り、それだけで酔いそうだった。

 シヲンは感謝を口にして、首から外した水晶を巨樹に埋まったマナクリスタルに伸ばした。水晶同士が触れ合った瞬間、チカッと火花が散った。

 シヲンはびっくりして、肩が跳ね上がった。

 そんなシヲンに少女は堪え切れずに失笑した。


「す、すみません。あまりにあなたが驚かれるもので。それにしても珍しいマナクリスタルの形ですね。マナクリスタルは人が手を加えるのが難しいんですけど、まるで加工されたみたいな十字架ですね」


 少女はまじまじとシヲンの手元をのぞき込む。シヲンとの距離は随分と近い。甘ったるい香りが少女から匂ってくる。意識がくらくらとしかけた。

 シヲンは早鐘を打つ胸を抑え込むのに必死だった。周囲から殺気立った視線が向けられたのは、気のせいではないだろう。スミマセン不可抗力です、と胸の内で謝罪する。どちらかと言えば自分も被害者だ。


「あ、すみません。えっと、それで登録は終わりなので、あとは別の街のマナクリスタルとの接触を済ませてもらえば、瞬時に移動が出来るようになりますよ」


 シヲンとの距離の近さに気付いたイムカが、慌ててシヲンから離れて早口にまくし立てる。頬が僅かに赤みを帯びたように見えた。

 イムカが離れたと同時に周囲からの殺気のこもった視線が露骨になった気がする。


「ありがとう。えっと、イムカ様だっけ?」

「様はつけなくて結構ですよ。私の名前はイムカ・ピースアウトなので、そのままイムカでいいですよ?」


 少女の笑みは眩しすぎて、直視出来そうになかった。狙ったつもりはないが、少女の名前を知ることが出来たシヲンは心の中でバンザイをしていた。


「俺はシヲン。榛原紫苑だよ。いや、ここの流儀だとシオン・ハイバラかな?」

「それじゃあ、シヲンさんですね。失礼ですが、男性の方であってますよね?」

「…………うん」


 シヲンは自分の笑みが引き攣っていないか心配になった。やはりまだ少女に見えてしまうのだろうか。思い返せばヒューカも初対面の時に確認してきた。

 アルトの声色と端正な顔立ちのせいで、異性と認識される機会が少なかったが、この世界でもそれは変わらないらしい。


「すみません、触れちゃ駄目でした?」

「平気……だよ。少し……古傷が痛んだだけだから。それじゃ、説明ありがと、イムカ」


 そう言い残すと、シヲンはその場から逃げ出すようにイムカの元から去った。

 サッドネスの樹を後にして、敵意を剥き出した崇拝者たちの視線から逃れるように、シヲンは街中へと潜り込んだ。

 いかに全身黒ずくめであっても、雑踏に紛れこめば簡単には見つからないだろう。

 油断したところを闇討ち、という物騒なことも起こらないはずだ。実際あの殺気立った群衆であればやりかねなくて恐ろしい。


 シヲンは建物の間の細い路地に逸れて、どこへと繋がっているのか分からない道を進む。胸がワクワクとして、探検者気分だった。右も左も分からない見知らぬ街を縦横無尽に歩き回る。

 人気のない通路は落ち着くのに適した場所だ。人混みの中は精神的に疲れさせる。活気ある大通りから外れた道は、紆余曲折して迷路のようだった。

 意気揚々と歩いて行けば、急に視界に光が見えた。どこかの通りにぶつかったらしい。

 恐る恐る顔を路地から覗かせて、周囲の様子を探る。

 住宅街のような街並みが広がっていた。二階建ての赤レンガ造りの家が軒を連ねて、年代を感じさせる西欧の姿をしている。


 シヲンは嘆息して、そんな街の間を縫うように歩く。周囲からの視線はあまり苦にならなかった。

 美しい街並みに目を奪われて、それどころではなかった。

 こういう街に住むのもいいな、と思いながら軽い足取りを運ぶ。


「だから、あたしに言われても無理なんですってば。カジュマさんに聞いてください。周辺住民の方達の邪魔になってます。お願いですから、お引取りください。今日はカジュマさんなら、商店街の方に行ってると思いますから」

「だからさ、君たちのマスターさんが聞き分けがないんだって。こっちがどれだけ譲歩しても、無理の一点張りで、埒があかないんだって」

「カジュマさんが駄目だと言うなら駄目ですッ。すみません、お引取りください」

「そこをなんとかしてくれって」


 何やら剣呑な雰囲気の会話が聞こえてきた。そちらの方に顔を向ければ、住宅街の一角に建築された五階建ての建物の前で、言い争う四人の人影が見えた。

 緊迫した様子に見え、シヲンの身体に緊張が走る。

 周囲では遠巻きに見守る獣人たちの姿があり、事態の収集に困り果てている。助けたいのだが、それを躊躇っている様子だ。相手を恐れているような、そんな気がした。


 シヲンはあまり進んで人助けをしたいとは思わなかったが、男三人を相手に気丈に対応する少女が誰かに似ているようで、放っておけなかった。

 よしたほうがいいキミ、本当に危ないって、そんな静止の声を振り切って、シヲンは三人の男たちの背後に立つと、取り込み中のところに声をかけた。


 相手は度肝を抜かれて一斉に振り返ってきた。残念ながら、三人とも見た目に好印象を抱けなかった。まげを後ろ頭に作った頬に斬り傷をもつ男、額当てを付けた眼腔が落ち窪んだ無精髭の男、禿頭とくとうのオカマ。個性豊かな売れない芸人たちに見える。何故か同情してしまった。


「んだ、ガキ。俺らになんか用でもあんのかぁッ!?」


 用がなければアンタらみたいな得体の知れない人間に近づかない、とは言えない。その代わりと言ってはなんだが、一言言いたいことがあった。

 シヲンは明後日の方角を示すと、微笑した。


「女の子が困ってるみたいだからさ、どっかに行ってくれないかな? てかキモいよ、アンタら」


 その瞬間、振るわれた拳を身を引いて躱した。


 魔物との戦闘で鍛えた甲斐があった。男の動きが酷く緩慢に見えて、避けるのも容易だった。

 男三人はシヲンの身のこなしに驚愕しつつ、明らかな戦意を宿した視線を向けた。シヲンに殴りかかった髷の男が手で銃の形を作る。男の指先に魔力が集まるのを感じて、シヲンは舌打ちして右手を払った。


 男は手の形を媒介にして、イメージした魔法を無詠唱で使えるらしい。この場合は圧縮魔力の弾を放つ銃だろう。だが、こんな街中で攻撃魔法を使わせるわけにいかない。

 シヲンの払った右手から迸った青い電流が、髷の男を貫いた。同時に男は白目を剥き出すと泡を吹いて前のめりに倒れこんだ。


 あまりの出来事に残った二人が顔を見合わせて、状況の理解に急いだ。

 シヲンが使ったのは、雷系統の状態異常魔法、パラライズだ。相手によって程度は変わるが、一時的に動きを封じる事が出来る。

 目の前で倒れた男は暫くの間は目を覚まさないだろう。


「このやろ、何しやがったッ」


 落ち窪んだ目の男が吠えると、その身体に明確な変化が生じていく。皮膚を茶色い剛毛が瞬時に覆い尽くし、爪や牙が鋭く伸びる。男は人狼だった。

 男が跳躍すると、シヲンは咄嗟に後ろに跳んだ。瞬きする間もなく、つい先ほどまでシヲンがいた地面が深々と抉られた。狼男の爪が石畳さえも削っていた。速すぎる、避けることで精一杯だった。

 俊敏な動きに翻弄されて、シヲンはバックステップをとりながら逡巡する。

 男たちの姿で隠れているが、彼らの後ろには少女がいる。力任せに魔法を使用して戦えば巻き込まれるかもしれない。だが、人相手に武器をとるのも気が引けた。

 それにこの男たちが旅人である可能性もある。


「怖気づいたかぁ、小僧」

「悪いなッ、あんたも気絶してろよ!!」


 再度パラライズを放ったが、狼男は愉悦に歪めた顔で笑うだけだった。麻痺属性の攻撃に耐性があるらしく、効果が見られない。

 狼男は勝利を確信した様子で、剛拳を突き出した。流石に爪で生身の人間を傷つけはしないらしい。それがシヲンにとって幸いした。


「んな、なんで素手で止められんだ」


 滑り止めのグローブを嵌めた掌で男の拳を受け止めたシヲンは、男に言葉の代わりに蹴りを見舞った。唾液が男の口元に糸を引き、眸を白黒させて、人狼の男は仰向けに転がった。


──死神と吸血鬼を舐めんな。


 残るはオカマだけだったが、そちらは既に戦意を喪失していて、平伏していた。見事なまでの土下座だった。呆気にとられたシヲンにすみませんでした、と一言告げると、オカマは倒れている二人を担いで逃げ去った。男二人を担いで疾走するなど驚くべき筋力だ。


 戦うことがなくて良かった、と安堵していたシヲンのレザーコートの袖を引っ張る気配。相手を確認したシヲンは言葉を失くした。

 まさかこんな広い街で、こんなすぐに再開を果たすなど思わないだろう。


「良かった、やっぱりシヲン君だぁ」


 いきなりシヲンに抱きついたユキナは、当たり前のように泣いた。

 あんな男三人に囲まれていたのだ、恐くて当然だろう。

 ユキナが落ち着くまでシヲンは、周辺住民からの温かい視線に晒されていた。


 拍手までされて気恥ずかしかった。

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