伍章「伊能の本懐」ノ漆
(【ばたふらい・えふぇくと】!)
暗殺ギルドの首領がワイバーンを相手に悪戦苦闘しているその隙に、伊能は【暦】から派生した異能【バタフライ・エフェクト】を発動させる。
伊能はすでに、この森のあらゆる有機物・無機物の暦(巻物)を脳内に収納済みだ。屍天王【魔物使い】の呪縛から解かれて森に戻りつつある多数の魔物や野生動物、何百何千本の木々、無数の草花、大地に敷き詰められた土の一粒ひとつぶにいたるまで、あらゆる対象の【暦】が、伊能の脳内でシミュレートされている。
伊能は、足元の小石を蹴り飛ばした場合の未来を想像する。すると伊能の脳内に収納された無数の対象の【暦】が『小石が蹴り飛ばされた場合の未来』の形で『改暦』され、『伊能が小石を蹴った場合の未来』を見せてくれる。
ただ、対象を見て想像しただけで、その先の未来が見える――それが、それこそが【バタフライ・エフェクト】の能力。【空間支配】による未来予測を超えた、仮説に基づく無数の未来をも支配下に置ける絶対的空間支配能力。
異能が小石を蹴り飛ばす。
森に入った石が一本の木にぶつかり、枝に止まっていたリスを脅かす。
飛び降りたリスに蛇が襲いかかる。
蛇に気付いたサンダーバードが上空から急降下して蛇を捕食する。
再び上空へ舞い上がったサンダーバードだが、蛇を加えているため動きが鈍くなり、地上から狙っていたオーガの矢に射抜かれる。
サンダーバードの落下地点が森の外だった。サンダーバードを拾うために森を出てきたオーガが、暗殺ギルドの首領と鉢合わせする――。
そういう未来だ。最初は小石。だが、小さな小石はじょじょに大きな変化を巻き起こしていく。これが、【バタフライ・エフェクト】だ。小石の蹴り方を変えることで、あるいは別の石を選択することで、得られる結果は変わる。森のあらゆるすべての【暦】を掌握した伊能は、求める結果を得るまで無数のシミュレートを試みることができるのだ。
だが、この小石を蹴り飛ばした場合の未来では、伊能が望むほどの未来は得られなかった。
(一体、ニ体の魔物を呼び寄せる程度の攻撃では話にならぬ。ならばこの、こぶし大の石ならば?)
そう考えた瞬間、そうした場合の未来像が次々と伊能の脳内に浮かんでいく。
伊能が大きめの石を蹴り飛ばす。
石は暗殺ギルドの首領が従えるオークの集団の只中へ放り込まれる。
石を踏んだオークの一体が、よろめく。
そのオークが携えていた手斧が、隣にいたオークの腕を傷付ける。
逆上した隣のオークが、シャウト。
シャウトに含まれる高音域の耳障りな音を嫌ったワイバーンが今以上に興奮し、ワイバーンの固有異能である【ワイバーン・トルネード】を行使。
多数のオークが巻き上げられるが、首領は難なく避ける。
が、
(これじゃ。これが良い)
狙いは【ワイバーン・トルネード】自体ではない。【ワイバーン・トルネード】によって崖の上の地盤が刺激され、かねてより緩くなっていた地盤に亀裂が入り、極大の落石が発生する。首領は下敷きに。
そこまで読み切った伊能は、駆け出す。伊能の【バタフライ・エフェクト】が見せたのは、コンマ数秒にも満たない圧縮情報。伊能が石を蹴るべきタイミングはもはや数秒後に迫っている。他にもより良い未来があるかも知れないが、計三十一通りの未来を試みた中でこれが最良の結果だったのだ。
(今じゃ!)
伊能は石を蹴る。【空間支配】に完璧な力量・入射角を計算してもらった伊能は、【空間支配】の指示どおりに蹴る。果たして、
――プギャッ⁉
石につまずくオーク。
――ブプ⁉ ブモォオオオオオオオオオオオオオオオオッ!
つまずいたオークの剣で腕を傷付けられた隣のオークが、逆上してシャウト。そして、
――ギャギャギャギャギャッ!
その音を嫌ったワイバーンが空高く舞い上がり、【ワイバーン・トルネード】を放った!
すべて、予定どおり。【バタフライ・エフェクト】が見せたものと全く同じ光景が再現され、数秒後には、
――ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴオオオオオッ!!
極大の落石が首領目がけて降り注ぐ!
首領が瞠目する中、伊能はさっさと距離を取る。果たして、首領が何百個もの極大落石の下敷きになった。
伊能の【暦】と【バタフライ・エフェクト】は、未来を読み切る。未来を読むということは、呼んだ対象の行動を完璧に予知し、コントロール可能ということだ。非戦闘異能だとか戦闘向き異能だとか、そういう低い次元の話ではない。未来を完全に支配する究極の異能である。
(倒せたかのぅ⁉ 【測量】!)
伊能は山のように積み上げられた落石の中を異能で調べ、首領の位置を特定。さらに、
「【暦】!」
唱えると、首領の暦が記された巻物が出てきた。脳内で巻物を紐解くと、首領が数秒後に動き出し、【怪力】で岩をどかそうとしはじめる未来が視えた。未来が視えたということは、つまり生きているということだ。
そう。伊能はついに覚悟を決め、明確に、殺すつもりで岩を落としたのだ。だというのに。あれほどの落石でも死なないとは、これも六六六この異能の力なのだろうか。
「む、いかん!」
強烈な未来を視た伊能は、今や生物・無生物のすべての情報を掌握し、完全無欠のホームグラウンドとなった森の中へと駆け込む。
その直後――
◆ ◇ ◆ ◇
【Side 暗殺ギルドの首領】
「【第二地獄暴風】!」
詠唱とともに発動した極大の風が、無数の岩を四方八方へと吹き飛ばした。
「ふーっ、ふーっ」怒りで青筋を立てながら、首領は岩の中から這い出す。「どこ⁉ どこへ行きやがったの⁉ 【探査】!」
異能で周囲の反応を洗うと、伊能が森の中に潜んでいることが分かった。
「どんな手品を使ったのか知らないけど、全部吹き飛ばしてしまえばいいのよ!」【地獄級魔術】の詠唱を口早に唱えた首領は、「【第七地獄火炎】!」
目の前のすべてに向けて、地獄の業火を解き放った。
炎。あまりにも巨大な、火炎。それも、赤い炎ではない。青。あまりにも美しい、一万度を超えた青の炎だ。岩山も、一緒に下敷きになっていたオークたちも、中空を旋回していたワイバーンも、伊能が潜んでいる森の木々も、森の中に潜む多数の魔物や動物たちも、すべてがすべて、蒸発した。
(あーあ、やっちゃった。あの子の【測量】、欲しかったのに。……おや?)
更地と化した元・森の中から、何人かの人型の姿が現れた。みな一様に、光の壁――【結界】の異能を発動させている。ゴブリン・メイジやオーク・メイジ、オーガ・メイジなど、知能を持つ魔物の中には【結界】持ちの個体も多いのだ。
【プレゲトン】の爆炎を生き延びた魔物たちだったが、【結界】を解いた途端、胸を掻きむしって死んでいく。極大の爆炎が大量の空気を消費し尽くして、一時的に真空状態にあるからだ。肺を破裂させた魔物たちが、倒れ伏していく。
運良く【結界】を維持していた者たちがいた。三人組のオーク・メイジ。だが、【結界】 の維持に限界が訪れた途端、溺れるような仕草とともに倒れた。あれは事実、溺れている。あまりにも巨大な燃焼によって、周囲一体の酸素が消費され尽くしたからだ。
オーク・メイジたちの陰から、伊能が現れた。辛うじて立っている。が、呼吸ができずに苦しんでいるようだ。
(ツイてるわね。これで、伊能の肉にありつける)首領は腕を振り上げる。【インビジブル・ブレード】の予備動作だ。「死ね!」




