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伍章「伊能の本懐」ノ肆

「【スキル・イーター】」女が、嗤った。「屍肉を喰らうことで、相手の異能を得ることができる異能。それが、私の異能。たぶん、世界でただ一人、私にのみ許された最強の異能よ。

 屍天王はね、私が見つけて、拾い、育て上げてきた子たちなの。まぁ、幼少の頃の記憶は【記憶改ざん】の異能でいじっているから、私があの子たちを育てていたころのことを、あの子たちが覚えているはずがないのだけれど。

 あの子たちはみんな、私の食事として、最も異能が成熟した時に食するためだけに育ててきたの。だけど、ダメね。十年以上も接していると、どうしても情が湧いてきちゃって、自分の手で殺すのが可哀想になっちゃう。だから」

 女が、悠々と近付いてくる。

「感謝しているのよ、本当に。あの子たちを殺してくれて、ありがとう。

 無口なグロース・テンペストを、

 泣き虫のクライ・テンペストを、

 魔物好きで私意外との人付き合いが苦手だったモンストルを、

 自信家なクセに小心者なところが可愛いかったハシシを――、

 殺してくれて、ありがとう。私の食卓に上らせてくれて、ありがとう。本当に本当に、涙が出るほど美味しかった。おかげでこうして」女が、細切れになった家屋の一切れ、こぶし大のレンガを握りつぶす。【怪力】の異能だ。「今やあの子たちは、私の血肉として――異能として、私の中で生き続けている」

 伊能は、動けない。金縛りのようになって、指一本動かせない。

(これも、異能⁉ だとしたらトリプル・ホルダーどころの話ではない。こやつの言うとおり、本当に他人の異能を喰らうことができるのか⁉ 部下を、仲間を、喰ろうてきたというのか⁉)

「タダタカ・イノー――いえ、伊能三郎右衛門忠敬」女が伊能の頬に触れる。女の腹の虫が鳴いた。「アナタも美味しそうね。アナタのエレクトラユニーク異能【測量】は、本当に美味しそう。初めて間近で顔を見た時から、お腹が空いてお腹が空いて、仕方なかったの。殺して、バラして、調理して、食ってあげる!」

 全方位から、見えない刃が迫りくる! と同時、伊能の指がわずかに動いた。

(まだ、死ねぬ! 【空間支配】!)【インビジブル・ブレード】を視界上に可視化。刃を無傷で避けられる経路を演算・算出。【空間支配】が指示するとおりに、自らの体を動かす。(良かった、体が動く! さしもの首領でも、二つの異能を同時に動かすことはできぬらしい)

 間一髪で【インビジブル・ブレード】を避けきった伊能は、首領の真隣をすり抜けて、直ぐそばにある路地裏へと飛び込んだ。飛び込んだ先は――――……袋小路だった。

「無駄よ。アナタが逃げ込む先が袋小路だと、私には分かっていた。アナタの【測量】ほどではなくても、私も上位シングル異能【マッピング】を持っている」

(そんな、いったいいくつの異能を⁉)

 また、体にしびれが生じはじめる。【金縛り】の前兆だ。

(今じゃ!)

 伊能は、袋小路の壁を力いっぱい蹴りつけた。太ももの傷が開くが、気にせず全力で。すると、伊能が【空間支配】によって見抜いた、壁が最ももろくなっている一点が刺激され、瞬く間に壁全体にヒビが入り、がらがらと崩れはじめた!

 壁は伊能もろとも、首領の上に降り掛かってくる。一秒と経たずして、膨大な量のレンガが首領を下敷きにした。一方の伊能は、痛む脚を引きずりながらも難を逃れている。そうなるように、そのように崩れるように、壁を蹴りつけたからだ。

 伊能の【空間支配】による未来予知は、もはや無生物にすらおよびつつあった。度重なる戦闘の中で、伊能の異能は確実に成長しつつあった。

「か、勝てた……」今になって、滝のような汗が吹き出してきた。(こやつがワシを舐めてくれていなかったら、手も足も出なかったじゃろう。こやつが油断していたからこそ、ワシは勝てた)

 伊能は何も、無為無策に逃げ回っているのではなかった。夜の街に飛び出したその時から、攻撃に使えそうな傷んだ壁を探しながら走っていたのだ。果たして伊能はこの袋小路を見つけ、無事到達することができ、こうして見事、敵を罠にはめることができた。

(それにしても)伊能はぞっとする。(もしこやつが複数の異能を同時に扱えたなら……そういう異能を持っていたとしたら、ワシは間違いなく死んでおった。【ニンジャ・アサシン】の【インビジブル・ブレード】、【俊足】、【怪力】、【金縛り】、【マッピング】、さらに言えば、先程来までワシに幻影を見せておった異能)

 今の短い攻防の中だけでも、実に六つもの異能が出てきた。本当に本当に、恐ろしい相手だった。

(さて、これからどうする? こやつを掘り起こしてトドメを刺すべきか。刺せるのか、ワシに? やはり、ここはバルムンク殿たちと合流すべきじゃろう。いや、その前に、わんか羅鍼を探しに行かねば)

 何しろ、杖がなくては測量の距離が出せない。距離が出なければ、バルムンクたちを見つけることもままならないのだ。

 伊能が膨大な瓦礫の山を声、袋小路から出ようとした、その時。

「【三つの暴力・ハーピーに啄ばまれし葉冠・呵責の濠】――」

 瓦礫の下から、声が聴こえてきた。

「【苦患の森に満ちる涙よ雨となり・煮えたぎる血の河と成せ】――」

 女の声。明朗な声。

「……え? そ、そんなまさか」

「【パペサタン・パペサタン・アレッペ・プルートー――第七地獄火炎プレゲトン】ッ!」

 次の瞬間、伊能の視界が真紅に包まれた。

「ぎゃぁっ」

 熱風にあぶられた伊能の、小柄な体がふわりと浮き上がる。上も下も分からなくなるような衝撃のあと、気が付けば伊能は袋小路の外、大通りに面した家屋の壁へと背中を叩きつけられていた。

 轟々、という音に目を開いてみれば、大通りの対岸、自分がついさっきまでいた袋小路とその周囲が火の海になっている。

「な、な、な……」

 まじない一つで、街の一区画を火の海にしてしまう。そんな、まさしく『異能』としか言いようのないすさまじい光景を目の当たりにし、伊能の戦意にヒビが入る。

「――、――、――」業火の中から、再び詠唱が聴こえてきた。轟々という音にかき消され、その全容は聞き取れなかったが、結びの句はぞっとするほど明瞭に、伊能の耳に届いた。「【第九氷地獄第壱楽章コキュートス・カイーナ】ッ!」

 途端、今度は火の海が一面の氷に覆われた。伊能が【空間支配】による予知能力に助けられて跳躍していなければ、伊能の脚も氷漬けにされていたことだろう。

「【地獄級魔術】」氷の絨毯の上を歩きながら、首領が悠然と現れた。「異なる世界で生まれた魔導書【神曲・地獄篇】になぞらえた、七つの究極魔術が使える異能よ」

「っ――」伊能は踵を返して逃げはじめる。(ワシはとんでもない勘違いをしておった)

 これが、これこそが戦闘系の異能の威力なのだ。【測量】などで太刀打ちできるはずがないのだ。索敵能力や予知能力のおかげで、伊能は『自分は意外と戦える』と思い込み、いい気になっていた。が、そんなものはまやかしだったのだ。

(ダメじゃ、絶対に勝てない。勝てるわけがない! ……まだ、勝てない)

 だから伊能は、必死に走る。走る。走る。ひたすら走る。

「【インビジブル・ブレード】! 【プレゲトン】! 【コキュートス・カイーナ】!」

 背後から、伊能をいたぶるようにして数々の確殺級の攻撃が飛んでくる。伊能は必死に走りながら、【空間支配】でそれらを間一髪避け続け、【測量】でもって最短最適な逃げ道を探し出しながら、逃げる。

 ひたすら、ただひたすら。右太ももの傷から血が吹き出し、股引を濡らしても、構うことなく。

 走る。伊能にはたった一つだけ、勝つ見込みがあった。『一縷の望み』が、『起死回生の策』があった。だから、走る。視界の端にウィンドウを表示させ、ある数字を睨みつけながら、走る。

 また、背後で詠唱。「【第二地獄暴風ミーノース】!」

 突如として、街のど真ん中で嵐が発生した。蝦夷へ渡る道中ですら、これほどの嵐には出遭ったことがなかった。伊能の体がふわりと浮かび上がる。あっ、と思った時にはもう、伊能の体は空高く放り上げられていた。

 足場がない。自分で自分の体を制御することができない。そのことに、伊能は恐怖する。このままでは、自分は地面に叩きつけられて死ぬ。上下左右も分からなくなりながら、伊能は絶望する。

 ふと、風が凪いだ。魔術の効果が切れたのだろう。

「はっ……」


 目を開くと、伊能は満天の星空の中にいた。


 束の間、伊能は時間を忘れた。星。視界を覆い尽くす星、星、星。未だかつて、ここまで星に近付いた経験はなかった。

 伊能は昔から星が好きで、暇さえあれば屋根に上がって望遠鏡を覗いたものだった。星が好き。その気持ちは、今も昔も変わらない。だが、感傷は長くは続かなかった。すぐに、自身が重力に引かれはじめたからである。

「ひっ――」落下。墜落死。伊能の脳を恐怖が満たす。(呆けておる場合ではない! 【空間支配】!)

 異能で周囲を確認する。自分は今、天に向かって寝そべっているかのような姿勢だ。すでに自由落下は始まっている。

(【測量】!)地面方向に向けて異能を放ったが、伊能と一緒に舞い上げられた家の残骸――壁や柱、レンガや瓦といった構造物以外には結果は得られなかった。

 わんか羅鍼を持たない今、伊能の【測量】で測量可能な距離は数百メートル以内に留まる。つまり、伊能は、数百メートル以上も放り上げられたということになる。

 このまま落ちれば、確実に死ぬ。伊能は空中で身をひねり、地面方向に対してうつ伏せの姿勢をとることに成功した。眼下の街並みが、月明かりに照らされている。目を凝らした伊能は、次の瞬間、恐怖した。

 尖塔。伊能が女と会話をしていた時に、星に見立てた尖塔の先端――避雷針が、伊能の真下にあったからだ。落下速度はますます上がる。十秒後には、伊能は腹を避雷針で串刺しにされ、五臓六腑がバラバラになってしまう!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」伊能はしゃにむに身をよじる。が、体の向きを変えることはできても、体の位置までもを動かすことはできない。(どうすれば――そうじゃ! 【空間支配】)

 異能の目で周囲を探ると、すぐそばで、伊能と一緒に吹き飛ばされてきた家屋の柱が落下していることに気付いた。伊能は必死に手を伸ばし、壁を手繰り寄せる。爪が剥がれそうになるほどの必死さで柱を引き寄せ、抱え込んだ。

(頼む、頼む!)

 数秒後、

 ――ガィィイイイイイインッ!

 避雷針の先端に、柱が突き刺さった。やや斜めに入ったのが幸いしたのか、避雷針の先が伊能の腹にまで潜り込むことはなかった。が、

「は。ははは……」よく見れば、針の先端が柱を貫通し、伊能の腹の数センチ先まで迫っていた。九死に一生を得る、とはまさにこのことだった。「うおっ⁉」

 柱が真っ二つに割れた。伊能は咄嗟に避雷針を躱しながら、落下していく。瓦屋根にしがみつこうとするが、爪が割れ、血で滑り、つかみ損ねる。

「あっ、がっ、ぎゃっ」

 尖塔の頂から、下へ下へ。何度も屋根に叩きつけられ、その都度しがみつこうとして失敗し、ついに伊能は地面に落下した。

「あっ、はっ……!」上手く呼吸ができない。

 ほとんどの爪が割れ、または剥がれ、もはや物を掴むこともままならない。だが、手足はちゃんと付いている。動く。変な方向に曲がっているようなこともない。天から落下してきたにしては、奇跡のような幸運の連続だった。

「……逃げ……ねば」

 冗談のように笑っている脚を必死に奮い立たせ、伊能は立ち上がった。

 その時。

「へぇ、そんな使い方までできるのね」暗殺ギルドの首領が、空からふわりと舞い降りてきた。「戦闘に使える非戦闘異能だなんて。エレクトラユニーク異能【測量】か。ますます欲しいわ」

「嗚呼……」あまりの痛みと恐怖で涙を浮かべながら、それでも伊能は走りはじめる。

「私が喰ってきた可愛い子供たち――六六六個の異能から逃れられると思わないことね」

 尖塔は、小高い丘の上に建てられていた。丘の上には強い風が吹いている。風に煽られながら、伊能はふらふらと走りはじめる。全身ががくがくと震え、目の前は霞んでいる。それでも、伊能は走る。歩みを進める。進む。進む。

(あと少し……あと少しのはずなのじゃ。あと少し)

 再び、女が見えない刃で攻撃してきた。

(【空間支配】――)だが、今や体は限界で、ろくに避けることもできず、全身から血を吹き、特に右ふくらはぎに大きな傷を負ってしまった。

 伊能は塔の麓の欄干にもたれ掛かる。意識は朦朧としていて、もはや夢とうつつの区別さえ定かではない。欄干から下を除くと、深い深い崖と、その果てに川があった。

(行き……止まり。どうする、どこへ逃げる、どこへ)

 また、見えない刃。避けようとするが、よろめくだけだった。

 欄干が切り落とされ、崖下へと落ちていく。

 不意に、突風。

 ふわりと、伊能の体が浮いた。

 欄干の切れ端にしがみつこうとしたが、ボロボロの爪では満足に掴むこともままならない。

 伊能の体が、宙へと放り出された。

 そのまま、崖下へと落下していく。

 そこから先の記憶はない。

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