弐章「継続は力なり」ノ陸
【Side ヘル伯爵】
翌日。
「陛下!」ヘル伯爵は、ミズガル皇帝に噛みつきそうな勢いで詰め寄った。「我が家による『蛇』の編入許可を撤回なさるとは、どういうおつもりですか⁉」
「黙れ」皇帝の声は凍えるほどに冷たい。「今までは、そなたの『働き』――」
曖昧な言葉で濁しているが、つまりはヘル伯爵が皇室に収めてきた多額の上納金のことを意味する。
「――のゆえにそなたの悪行を見逃してきてやったが、此度ばかりは許せぬ。貴様、余に恥をかかせるつもりか? 余を謀りおって。恥を知れ」
「な、何を仰って――っ」
ヘル伯爵の顔に、彼が描かせた地図が投げつけられる。続いて皇帝が、もう一枚の地図を広げてみせた。
「こ、これは――な、なななっ」
それは、従来の地図とは一線を画す代物だった。等高線で示された高低差。水場の位置、土壌、資源の埋蔵量に関する記述。入植に適した土地の選定と、入植した場合に建設すべき壁の位置と高さ、魔物の発生地点と防衛計画。
「こ、これは、そんな……」ヘル伯爵は腰を抜かした。ひるがえって己が提出したお粗末すぎる地図を見て、青ざめる。「この地図は、まさか」
「ミドガルズ伯爵家が提出したものだ。描いたのは、異邦人のタダタカ・イノー」
夜半。
(殺さねば。タダタカ・イノーを、必ずや!)
フードで顔を隠したヘル伯爵は、王都のスラム街を早足で歩く。同じく顔を隠した従者数名が後に続いている。
(ミドガルズの小娘め、この私に恥をかかせおった。タダタカ・イノーを殺して、思い知らせてやる)
イノー殺害のために派遣した一個分隊が未だ帰還していないのも気掛かりだが、今一番最初にするべきはイノーの殺害だ。イノーさえいなくなってしまえば、リリン・フォン・ミドガルズは元の無力な小娘に戻る。
「私だ! 開けろ、早く」
ヘル伯爵が路地裏の戸を無遠慮に叩くと、戸の小窓が開いた。
「……名乗れ。顔を見せろ」
「急いでいるんだ。早くしろ」
「名乗れ。それと、顔を」
「ちっ」ヘル伯爵はフードを脱いで、「ガングラティ・フォン・ヘルだ」
「……ようこそ、暗殺ギルドへ」
中へ通されたヘル伯爵は、案内人に『ここで最も強いヤツを出せ』と喚き散らす。ヘル伯爵が通されたのは、地下に広がる広大な暗殺ギルド構内の、最奥の部屋。
「お、お茶です」
ヘル伯爵が粗末なソファにその身を沈ませ待っていると、いかにも薄幸そうな顔立ちのメイドが茶を出してきた。虐げられているのか、足枷をされており、衣服や体は薄汚れている。二十代半ばごろだろうか。黒髪黒目で、平坦な顔立ち。遙か東方にそのような顔立ちの人種がいる、と聞いたことがあるが。
「あ、あの、わたくしの顔に何か……?」
「何でもない。さっさと失せろ」
「は、はいっ。きゃっ⁉」足枷の鎖につまずいたメイドが茶をこぼしてしまった。
「てめぇ、何してやがる!」ヘル伯爵をここまで案内した男が、メイドを蹴り倒した。
「ぎゃっ」メイドが机の角で強かに鼻を打つ。
「下らねぇミスばっかしやがって!」男がメイドの足枷を引っ張る。「こっちに来い!」
「嫌っ、折檻は嫌っ、折檻は嫌ぁあああッ!」鼻血を流したメイドが、引きずられながら消えていった。
「ひっ……」残虐な真似はするクセに暴力慣れしていないヘル伯爵が、思わず小さな悲鳴を上げる。「な、何だったんだ、今のは……ひぃっ⁉」
ヘル伯爵が、再度悲鳴を上げた。いつの間にか、本当にいつの間にか、背後に見知らぬ四人組が立っていたからだ。
ヘル伯爵の従者たちも、みな一様に驚いている。従者たちはみな、ヘル伯爵領軍の中でも指折りの精鋭たち。そんな戦士たちにすらまったく気付かれずに、ヘル伯爵の背後に立った四人組。いったいぜんたい、どんな異能を使ったというのか。
「ウチの使用人が大変失礼しました」四人組の一人、最も小柄な、黒装束と狐の面で全身を覆い隠した男が言った。
「だ、誰だ貴様らは⁉」
「アナタがご所望なさった、『ここで最も強いヤツ』ですよ。我が暗殺ギルドが誇る最高戦力『屍天王』。ミズガル帝国最強――いえ、人類最強の四人です」
実に奇妙な四人だった。
東方の『ニンジャ』を思わせる黒装束と面の男。
鞭を携えた、ピエロのような恰好をした男。
身の丈三メートルはありそうな、クマのごとき大男。
その大男の肩に乗る貧相な小男。
「し、屍天王だと?」ヘル伯爵は体の震えが止まらない。四人が放つ毒々しいオーラに当てられて、呼吸もままならない状態なのだ。
伯爵の従者たちもまた、一様に震えている。だが、ヘル伯爵と異なり、彼らは戦士だった。ただ一方的に気圧されていては、彼らの矜持が許さなかった。
「は、ははははっ」従者の一人が震える手を剣の束に添えて、威勢を張った。「何が人類最強だ。単なる見かけ脅し――」
従者の言葉は続かなかった。次の瞬間、サイコロステーキのようになって床に広がってしまったからだ。ぴったり五センチ角に切り揃えられた従者が、床の上を転がっていく。衣服の下に着ていた鎖帷子ごと、瞬時のうちに、見えない刃によって彼は無数の肉塊に変えられてしまった。
「屍天王第一位、ハシシ」面の男が一礼した。指先から、見えない刃の光が揺らめく。「私の異能は斥候職系の最高峰である【ニンジャ】と【アサシン】――その両方を併せ持った、世界で唯一無二の最強異能【ニンジャ・アサシン】です。以後お見知りおきを」
「ひぃぃいいっ!」ヘル伯爵が尻もちをつく。
数秒遅れて、他の従者たちが抜剣した。が、抜いたと思ったその時には、すべての剣は大男の手の中にあった。
「……し、屍天王第四位、テンペスト弟」大男が剣を二つに折り、四つに折り、泥だんごでもこねるような気軽さで圧縮していく。三本の剣は、三個の鉄塊になった。
「くひひっ」大男の肩に座る小男が嗤った。「天王第三位、テンペスト兄だ」
「屍天王第二位、モンストルです」ピエロが優雅に礼をする。
「人類最強を侮辱した対価としては、安いものでしょう」ハシシがサイコロ肉を拾い上げ、指でつぶす。「我々の実力もお判りいただけたようですしね。暗殺ギルド長が長らく不在の今、我々こそが間違いなく人類最強です」
「ゆ、許してくれ!」ヘル伯爵が土下座する。従者だったサイコロ肉が顔にへばりつくが、気にしている余裕はない。「金ならいくらでも支払うから!」
「いくらでも?」
「そ、そうだ! いくらでも!」
「承りました」
「……へ?」
「暗殺の依頼、確かに承りました」とハシシ。「暗殺ギルドの名誉に懸けて、必ずやアナタの敵を殺して差し上げましょう。それで、暗殺対象は誰ですか? 皇帝? アナタ以外のすべての貴族?」
……じゅる。じゅるじゅる。うぞぞぞ、ぼりぼり。
奇妙な音に、ヘル伯爵が部屋の隅を見てみれば、先ほどのメイドが床に広がる血をすすり、サイコロ状の肉を貪り食っていた。
「は、はははっ、ひははっ」恐怖のあまり失禁しながら、ヘル伯爵は勝利を確信する。(これで、タダタカ・イノーは死んだ。ミドガルズの小娘はお仕舞いだ!)




