1.スティーナ様の心境の変化
ずっと結婚を拒んできた末の息子が初めて結婚する気になった。相手はこの国に二つしかない公爵家のヘルレヴィ家の当主。それを逃すようなマイヤラ家ではなかった。大公になっている王弟殿下とその奥方の家であるマイヤラ家の子息としてカールロ様は相応しい相手との結婚を望まれていたが、政略結婚を拒み、自分の愛した相手としか結婚しないと宣言してマイヤラ家を逃げ出していた。
国を放浪して平民に混じって漁師や荷運びをして暮らしていたカールロ様がラント領で出会ったのが美しいヘルレヴィ家の当主、スティーナ様だ。そのときはスティーナ様はまだオスモ殿と離婚していなかったが、カールロ様との出会いをきっかけに離婚を決意したのだから、二人の出会いは運命だったともいえる。
秋になってわたくしが高等学校の二年生に進級したヘルレヴィ家には、新しくカールロ様という家族が増えていた。
「おとうさまー! わたしをだっこしてー!」
「マウリ、おいで!」
結婚前からカールロ様がマウリ様とミルヴァ様の父親になりたいと宣言していたので、マウリ様はすっかりとカールロ様を父親と思い込んでいる。
「おとうさまはね、あえなかっただけで、いてくれたの。やっとおやしきにすんで、あえるようになったんだ」
本当のお父様ではないなどということを突っ込める相手がいるわけがない。マウリ様を抱っこしているカールロ様もすっかりとマウリ様に夢中である。
「来年にはマウリは幼年学校に行くのか。ちょっと寂しいな」
「まー、ようねんがっこうにいかなくていい?」
「それはスティーナ様と相談しないとな」
どこまでもスティーナ様の意思を尊重するカールロ様は、マウリ様を抱っこしたままでスティーナ様を見た。スティーナ様は困った表情になっている。
「マウリには同年代の友人が必要かと思ったのですが」
「同年代だったら、ミルヴァもクリスティアン様もいるだろう? マウリはドラゴンで本性を制御できていないところがある」
「家庭教師ですか……今はマルコ様に頼んでいますが、来年度からは新しい家庭教師を探しますか」
幼年学校にマウリ様を行かせるつもりだったスティーナ様も、ドラゴンの本性を制御することの難しさを幼年学校の先生がクラスの中の一人としてマウリ様を指導するのでは無理かもしれないと思い始めたようだった。カールロ様の言葉にスティーナ様は新しい家庭教師を探すことを考え始めた。
カールロ様が来てからスティーナ様も一人で領主の仕事をしなくてよくなって、かなり楽にはなっているようだった。
「マウリ、俺と飛ぶ練習をするか?」
「おとうさま、とびかたをおしえてくれるの?」
外にマウリ様を連れて行くカールロ様は庭で鷲の姿になる。マウリ様はドラゴンの姿になって、お互いに翼を広げて飛び上がる。
「飛んでいるときには常に警戒を怠らないように。他の鳥に攫われたりしないようにな」
「はい! おとうさま!」
ドラゴンの姿での動きを覚えることでマウリ様に本性の制御を教えようと、自分も本性を晒すカールロ様は本当の父親のように心強かった。
スティーナ様が庭を飛ぶ二人を見て目を細めている。
「マウリが楽しそうではありませんか?」
「ドラゴンの姿を存分に使うのも勉強になるのですね」
「本性が制御できなければ、人間の姿を制御することはできませんからね。高く飛行するのもカールロ様が傍にいて下さったら安心です」
あまり高く飛ぶことは許可していなかったし、庭から出てしまいそうで危なかったのでマウリ様は低空飛行しかしたことがない。伸び伸びと高い空を飛ぶマウリ様は自由で解き放たれていた。
降りて来たマウリ様が人間の姿になってわたくしのスカートに飛び付いてくる。
「アイラさま、いっぱいとべたよ!」
「本性を晒して失礼をした」
「いえいえ、カールロ様、マウリ様も喜んでます」
鷲の姿から人間の姿に戻ったカールロ様がちょっと恥ずかしそうに言うのに、わたくしは微笑んで首を振った。マウリ様はすっかりとカールロ様に懐いているし、スティーナ様にも「おかあさま、みてた?」と報告に行っていて微笑ましかった。
高等学校が始まる日の朝も畑仕事は続いている。マンドラゴラは収穫の時期を迎えているので、ニーナ様の家に一匹、マルコ様の家に一匹、エリーサ様のところに数匹、エロラ先生のところに一匹と収穫して、残りは種を取るために存分に葉を茂らせて株を育てるようにしなければいけない。
収穫にはマウリ様の大根マンドラゴラが大活躍をした。
耳栓をして吐き気と頭痛に耐えながら引き抜かなければいけないかと覚悟していたのだが、マウリ様の大根マンドラゴラがスッと前に出る。
「びぎゃー! びぎょえー!」
号令をかけると、畝からマンドラゴラがごそごそと自ら出てきた。一匹ずつ洗っていると、ハンネス様もマウリ様もカールロ様もスティーナ様も手伝ってくれる。
マウリ様はお腹までびっしょり濡れて手伝ってくれていた。
「ダイコンさんはイーリスちゃんに、ニンジンさんはエーリクくんに、カブさんはにいさまに」
「私にもいいのですか?」
「にいさま、カブさん、かわいいよ!」
笑顔で言うマウリ様はハンネス様がマンドラゴラに興味を持っていたことに気付いていたのかもしれない。綺麗に泥を落とした蕪マンドラゴラを受け取って、ハンネス様は嬉しそうに抱き締めていた。
洗ったマンドラゴラは拭いて肩掛けのバッグに入れる。暴れるかと思ったが大人しく入っていった。
「朝にひと働きするのもいいな。爽やかに朝食が食べられそうだ」
「わたくし、畑仕事をするようになってから、食事が美味しくなったのですよ」
「スティーナ様が健康になるのはいいことだ」
寄り添い合って話しているカールロ様とスティーナ様は仲睦まじい。カールロ様が25歳でスティーナ様が29歳ということだったが、年の差を感じさせない包容力がカールロ様にはあった。
「わたくし、怖がっていましたの」
ぽつりと呟くスティーナ様にカールロ様がその肩を抱く。興味津々で見ているマウリ様をそっとわたくしは抱き寄せて視線を逸らす。
「再婚すれば、次の子どもを求められます。初産で死にかけて、わたくしは臆病になっていたのです」
「スティーナ様、あなたのお身体を苦しめてまで、俺は子どもを望んだりしない。俺たちにはもうマウリとミルヴァとハンネスがいるだろう」
「そうですが……わたくし、カールロ様との赤ちゃんが欲しいのです」
赤ちゃんの響きに耐えられなくなったマウリ様がカールロ様とスティーナ様の元に駆けて行ってしまう。
「おかあさま、おとうさま、まーにおとうとかいもうとができるんですか?」
「そうなったらいいと思っています」
頬を染めて答えるスティーナ様にカールロ様は嬉しいような、心配なような複雑な表情だった。
「産後長く患っていたのも、毒のせいです。カールロ様はわたくしに毒を盛るどころか、毎日マンドラゴラを食べさせてくれそうですわ。だから、きっと大丈夫」
お産に対して恐怖が勝っていたスティーナ様の気持ちを変えさせたのはカールロ様の存在だった。信用できないオスモ殿と違って、カールロ様はスティーナ様の妊娠中もしっかりと領地を守ってくれそうだし、出産後もスティーナ様をしっかりと支えてくれそうだった。
「赤ん坊は授かりものだ。どうなるか分からないけれど、俺の元に来てくれたら嬉しいな。そのためならなんでもする。まずは、スティーナ様の体調を整えるところからだな」
「わたくしは健康ですよ?」
「仕事を頑張りすぎて睡眠時間が短くなっているのを知っているよ。仕事は俺にも任せて、ゆっくり休めるようにしよう」
一番にスティーナ様の健康を考えてくれるカールロ様にわたくしも安心する。マウリ様はわたくしのズボンを引っ張っていた。
「みーとクリスさまにおてがみをかいてくれる?」
「高等学校から帰ってでいいですか?」
「うん! おかあさまがおとうとかいもうとをうんでくれるかもしれないって、みーにもおしえなきゃ!」
赤ん坊は作ろうと思ってできるものではないことは知っているので、どうなるかは分からないがスティーナ様がお産に前向きになってくれたことは嬉しいことに違いなかった。
小指を絡めて帰ったら手紙を書くことを約束して、わたくしはシャワーを浴びて朝ご飯を食べて、高等学校に向かった。
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