マンドラゴラかんさつにっき
マウリ・ヘルレヴィ、5歳。
マウリが今興味を持っていることは列車とマンドラゴラ。
ヘルレヴィ領では春から秋にかけてしかマンドラゴラの栽培はできない。冬は深く雪が積もるヘルレヴィ領は、雪が降ることがあっても積もることはほとんどないラント領と少し違った。
2歳から4歳までの期間、マウリはラント領で生活した。まだ5年しか生きていない人生の内の二年間で、自我が芽生え始めてからのほとんどの時間はラント領で過ごしてきたので、ヘルレヴィ領のお屋敷も最初は慣れなかった。特に大好きなアイラがいないことはマウリにとっては最大のショックだった。
泣いて、食事も睡眠も拒否して、アイラを求めたマウリは無事にアイラと過ごせるようになったが、アイラは日中は高等学校に行ってしまう。
夏休みの間はしっかりと一緒にいられたが、また高等学校が始まって、マウリは少し退屈だった。
それで思い付いたのがマンドラゴラを観察することだった。
「マンドラゴラがなにをしているか、アイラさまもきっとしりたい。まー、つきとめる!」
小さな探偵にでもなったつもりでマウリは動き出した。
マンドラゴラは眠らない。
それはアイラに教えてもらったことだった。マンドラゴラが眠るのは土の中に埋められたときだけ。でも、マウリはそうではないのではないかと思っていた。
夜にベッドで大根マンドラゴラを抱き締めてお布団の中に入っていると、大根マンドラゴラもすうすうと寝息を立てて眠っているような気がする。時々寝相が悪くてマウリの顔を蹴られることもある。お腹を蹴られることもある。
「ダイコンさん、ねる……」
クレヨンで大根マンドラゴラを絵で描いて、「ねる」とぐにゃぐにゃの字で下に書く。白い塊を描いてしまったが、マウリの大根マンドラゴラがお布団に入っている様子だと、きっとアイラは分かってくれるだろう。
子ども部屋のテーブルについてお絵描きをしている間、大根マンドラゴラは優雅に床の上を踊っていた。
「ダイコンさん、おどる」
続いてマウリは新しい紙に踊る大根マンドラゴラと「おどる」という文字を真剣に書く。文字も若干踊ってしまったが、まだ5歳のマウリの書くことなので仕方がない。
マウリがお絵描きをしていると、大根マンドラゴラに動きがあった。
いそいそと廊下の方に出て行く大根マンドラゴラをマウリは追いかける。大根マンドラゴラに気付かれないように、抜き足差し足なのだが、5歳なので足音がしていることには気付いていない。大根マンドラゴラの方も気にせずに歩いているからいいのだろう。
大根マンドラゴラが歩いて行く先は、畑の畝だった。ルームシューズから靴に履き替えるのに手間取ってしまったマウリは、息を切らせながら大根マンドラゴラを追いかける。
追いかけた先で、大根マンドラゴラはマンドラゴラの畝の前に立って両腕を広げていた。
「びぎゃー!」
歌うように大根マンドラゴラが畝に声をかけると返事が戻って来る。
「びょえー!」
「びょわー!」
「ぎょわー!」
歌っている。
音程が若干違うその声は、歌っているように聞こえる。
「びゃびゃびょえびょわ!」
「びゃーびゃー」
「ぴゃー!」
マンドラゴラたちの大合唱に畑は包まれていた。
「マンドラゴラ、うたう……」
マウリはその光景を心に刻み付けた。
畝のマンドラゴラの歌に合わせて大根マンドラゴラが踊っている。その踊りはキレッキレで、踊るたびに大根マンドラゴラのわさわさの緑の葉っぱが揺れて露が煌めく。畝の中のマンドラゴラの葉っぱも青々と茂っていく気がする。
「ダイコンさんがおどると、はたけのマンドラゴラがげんきになる」
これは大事な儀式なのではないだろうか。
マウリにはこのことを伝える語彙力がない。アイラに伝える手紙の内容を必死に考えている間に、マンドラゴラの合唱とダンスは終わり、マウリの大根マンドラゴラは光る汗のような露を拭いながらお屋敷に戻って行った。マウリも追いかけてお屋敷の中に戻る。
お屋敷に戻るためにはマウリには難関があった。
玄関が自分で開けられないのだ。
出るときには使用人が移動するのに合わせて脚の間をすり抜けてきたが、帰るときには誰もいない。そろそろお昼ご飯の時間も近付いていてお腹も空いているし、切なくなってきたマウリの目に涙が滲む。
浮かんだ大粒の涙が零れそうになったとき、大根マンドラゴラが気付いてそっと手を差し伸べて来た。
「ぎょわ」
「ダイコンさん……わたし、おへやにもどれない」
「びゃびゃせて」
任せてと言った大根マンドラゴラは、大きく息を吸い込んで大きな声で叫んだ。
「びょえええええええええええ!」
お屋敷に響き渡る声に慌てて使用人たちが出てくる。涙を堪えて大根マンドラゴラを抱いていたマウリは、すぐに発見されてお屋敷の中に戻された。
「お散歩に行きたかったのでしたら、わたくしに声をかけてくださいませ」
「ごめんなさい」
心配して探していたヨハンナに言われて、マウリは涙ながらに謝った。
子ども部屋のテーブルでどう書けばいいのか分からずに、マウリは紙を前にして唸っている。
「どうすればいいのかな……」
茶色の畑の前で大根マンドラゴラが立っている絵は何となく描けたのだ。問題はその説明だった。
「マンドラゴラ、うたう、ダイコンさん、おどる、みんなげんき……ながすぎてかみにはいらない」
マウリの書く文字は一文字一文字がとても大きい。これまでのお手紙に書いた「ねる」や「おどる」が一枚の紙に書ける精一杯で、それ以上となって来ると紙を増やさなければいけない。
「うたう」と絵の下に書いて、二枚目の紙を繋げて、「おどる」と書いて、その下に「げんき」と書いてマウリはホッと息をついた。マウリが書いている間、マンドラゴラは窓辺で日光浴をしている。
「マウリ様、お昼ご飯ですよ」
ヨハンナに言われて、マウリは椅子から飛び降りて廊下を歩きだした。マウリが歩くと大根マンドラゴラも歩く。食事のときには大根マンドラゴラを抱いているわけにはいかないので、マウリは隣りの席に大根マンドラゴラを座らせていた。
朝食と夕食とおやつは隣りの席にアイラがいてくれるのだが、高等学校がある間はアイラは昼食を一緒に食べない。アイラの代わりではないが、寂しいのでマウリは隣りに大根マンドラゴラを座らせるのだ。
「マウリ、今日は何をしていたのかな?」
スティーナと結婚して父親になったカールロの問いかけに、マウリはちょっとだけ笑って答える。
「おとうさまには、ひみつなの」
「教えてもらえないのか?」
「アイラさまにいちばんにおしえたいから、ごめんね、おとうさま」
素直な気持ちを口にすると、カールロも怒ることなく微笑んでくれる。
「マウリは本当にアイラ様が大好きだな」
「アイラ様に育てられたようなものですからね。政略結婚なのに相思相愛なんてロマンチックじゃないですか」
カールロもスティーナもマウリに優しい。オスモという最低の父親のことは、マウリはもう忘れかけていた。オスモが父親だったのかどうか、マウリにはよく分からない。
マウリにとっては自分に優しくしてくれてスティーナのことも大事にしてくれるカールロが父親としか思えなかったし、それ以外に父親がいることをもう考えることもない。
食べ終わってご馳走様をするとマウリは欠伸が出てくる。
お腹がいっぱいになって眠くなったマウリの歯を磨いて、お手洗いに連れて行って、ヨハンナが子ども部屋のベッドに寝かせてくれる。
大根マンドラゴラをぎゅっと抱き締めて、もさもさの葉っぱに顔を埋めて青臭い香りを吸い込んでマウリは目を閉じる。
目が覚めればアイラが帰って来て、おやつの時間になるはずだ。
「おやすみなさい、マウリ様」
そっとヨハンナが離れていく気配がするがマウリはもう眠気に逆らえず意識を手放していた。
ぼこっという衝撃でマウリは目を覚ました。大根マンドラゴラの脚がマウリのお腹に乗っている。
「ダイコンさん、ねぼけちゃったの?」
声をかけると起きた気配の大根マンドラゴラが「びょめん」と謝って来る。怒ってはいなかったのでマウリは大根マンドラゴラを許すことにした。
大根マンドラゴラに起こされてよかったと思うのは、お手洗いに行きたくなっていたからだった。ベッドから飛び降りてお手洗いに走って行くマウリを気付いたヨハンナが追いかけてくれる。
無事に漏らさずにお手洗いに行けて、手を洗っているところでアイラが帰って来た気配がした。
「アイラさまー!」
「マウリ様、手を拭いてからにしてください」
「あ、ごめんなさい」
すぐにでもアイラに伝えたいことがある。
走りだそうとしたマウリをヨハンナが止めた。手を拭いてからマウリはアイラに飛び付く。抱きしめると、アイラもマウリを抱き返してくれる。
「おかえりなさい、アイラさま」
「ただいま帰りました、マウリ様」
「アイラさまに、いっぱいおしえたいことがあるの」
子ども部屋のテーブルの上に積み重なったお手紙を持って来て、マウリはアイラに渡す。拙い文字、よく分からない絵で構成されたお手紙を、一枚一枚、アイラは真剣に読んでくれていた。
「マンドラゴラは、ねむるの。わたし、いっしょにねてると、ねぞうでけられたり、たたかれたりするよ」
「マンドラゴラは眠るのですね。ヘルレヴィ家で育ったマンドラゴラが特別なのかもしれません」
「マンドラゴラはおどるんだよ」
「よく楽しそうに子ども部屋で踊っていますね」
眠ることは知らなかったようだが、アイラは大根マンドラゴラが子ども部屋で踊っているのは何度も見ていた。これからが本番なのだとマウリは熱を込めて語り出す。
「ダイコンさん、はたけのまえで『びょわー!』っていったの。そしたら、はたけのなかでマンドラゴラがうたいだして、ダイコンさん、それにあわせておどってたんだ」
そのダンスでマンドラゴラが育っているのではないかという仮説については、マウリはよく説明できなかったが、全てを語らずとも読み取ってくれるアイラが真剣に頷いて聞いてくれているだけで心は満足していた。
「大根マンドラゴラの踊りとマンドラゴラの成長には何か関わりがありそうですね」
「そうなの!」
「マウリ様はよく研究しましたね。とても興味深かったです」
褒められてマウリは胸を張る。
その日からマウリが大根マンドラゴラを追いかけて、また観察日記をつけ始めるのは、言うまでもないことだった。
感想、評価、ブクマ、レビュー等、歓迎しております。
応援よろしくお願いします。作者のやる気と励みになります。




