10.国立植物園からの返事
王都の国立植物園とそれを管理する王室の部署には、正直な手紙を書いた。
ヘルレヴィ家のマウリ様とミルヴァ様をわたくしとクリスティアンの婚約者としてラント家で保護して養育していること、スティーナ様の体調がずっとお悪いこと、スティーナ様の体調を回復させるために薬草を栽培したいこと。
返事は夏の盛りに来た。暑くて子ども部屋で狼の姿になってクリスティアンがお腹を見せて床に倒れている。マウリ様も暑さに耐えかねて、わたくしの膝の上でトカゲになってひっくり返っていた。ミルヴァ様はトカゲの姿になって、洗面器に水を張った中でぱちゃぱちゃと泳いで遊んでいる。
わたくしも暑くて薄手のワンピースの下はじわりと汗をかいていた。食欲もあまりなく冷たい飲み物ばかり飲んでいるので、お腹が水分でたぷたぷになっている。
そんなだらけた姿でも、国立植物園からの返事をもらうと背筋が伸びる気持ちだった。封筒を開けて便箋を広げると、指の汗で便箋がふやけてしまうのが分かる。もう簡単な字が読めるようになっていたクリスティアンも、急いで人間の姿に戻ってわたくしの隣りの椅子に座って便箋を覗き込んだ。
『アイラ・ラント様
国立植物園にお問い合わせをいただきました回答をさせていただきます。
会議にかけましたが、結論として、ラント領でご希望の薬草の栽培は可能との資料を元に、種をお分けすることが決まりました。
ただし、とても貴重な種ですので、そちらで栽培ができる環境が整っていることを、まず国立植物園に証明してください。
この手紙に請求された種と同じ条件で育つ品種改良された薬草の種を入れています。こちらも請求された種類よりも効能は落ちますが、同じ薬効があります。こちらの種を栽培して、種を増やして返すことができましたら、請求された種をお送りします。
国立博物館管理人』
条件付きとはいえラント領の11歳のわたくしの願いがこんなに簡単に通るとは思っていなかった。同封された薬草の種の入った袋を手にわたくしはやる気に満ちていた。
「ねえさま、やったね!」
「まだやらなければならない試練は残っていますが、第一段階としてはいい返事ですね」
クリスティアンが飛び跳ねて喜んでいるので、びしょびしょの服のまま人間の姿に戻ったミルヴァ様も飛び跳ねて喜んで、水をまき散らしてサイラさんが慌てて着替えさせてお掃除をしていた。マウリ様はよく分かっていないがわたくしが嬉しそうなので、ちょろちょろと腕を這いあがって、肩に乗ってトカゲの姿のまま頬ずりをしてくる。
トカゲに特に愛着はなかったけれど、マウリ様とミルヴァ様を引き取ってからは、わたくしにとってはトカゲは可愛い生き物になっていた。
国立植物園からの手紙を両親に見せると、両親も喜んでくれた。
「庭の一部を畑にして準備してある。薬草の育て方をリーッタ先生からよく学んで頑張るんだよ」
「わたくしが全部していいんですか?」
「子どもがしたことならば、公爵家同士は不干渉という慣習を破ったことにはならないでしょう」
父上と母上もどうにか公爵家同士が不干渉という慣習の抜け道を探っていたようだった。できる限りのサポートはしてくれるが、薬草栽培の責任者は私となる。
「春に植えるはずの種ですが、夏場でも遅くはないと書いてありますね」
「夏場に植えるときの注意点がありますか?」
「薬草によく栄養を与えることですね」
リーッタ先生と薬草学の本や文献をあさって、わたくしが託された品種改良された薬草のことを調べる。この薬草にはどうやら栄養剤が必須のようだった。
「栄養剤を作るための薬草を別に育てなければいけないということですか?」
「そうなりますね……今年は栄養剤を作るための薬草を、来年の春から本格的に預かった種を育てた方が良いかもしれません」
年単位で時間がかかるとなると、気合の入っていたわたくしの気持ちもしぼんでいってしまいそうになる。こうやってわたくしが時間をかけている間に、オスモ殿がスティーナ様のお命を奪うかもしれない。
「スティーナ様は信頼できる厨房のものが用意した食事しか口にしていないし、メイドたちも気を付けてくれている。体調も以前よりは少し良くなったと聞いているよ」
「まだ完全に良くなってオスモ殿に対抗できるほどまでは回復していないようですが」
スティーナ様の容体は悪化はしていない。そのことだけを頼りにわたくしは庭の隅の畑に向かった。リーッタ先生が薬草市で栄養剤となる薬草の種を買って来てくれている。
畝を作って一粒一粒植えていくと、マウリ様が土をかけて種を埋めて、クリスティアンとミルヴァ様が如雨露で水をかけてくれる。
「毎日水をあげなければいけませんね。害虫駆除や雑草取りもしなければいけません」
「害虫駆除や雑草取り……わたくしにできますか?」
「アイラ様ならできますとも」
できるがわたくしの今の格好のままではいけないとリーッタ先生は教えてくれた。わたくしは薄手の半袖のワンピースを着ているが、畑仕事をするときには違うものを着なければいけない。
「ぼくも? ミルヴァさまも?」
「はい、マウリ様もです。皆さま、衣装を揃えましょうね」
農業が盛んなラント領を治めることになるクリスティアンと、その補佐になる予定のわたくしにとって、畑仕事を経験しておくことはどんな勉強よりも役に立つとリーッタ先生は薬草栽培に乗り気だった。
長袖の薄手のシャツと長ズボン、それに帽子も準備して、手袋も用意してくれた。
「真夏ですから、熱射病には気を付けてくださいね」
「熱射病……あまり日に当たらないで、水分をこまめに摂るといいと聞きました」
「そうですが、畑仕事をするのに日に当たらないことは難しいです。どうすればいいと思いますか?」
リーッタ先生の質問はわたくしの知識を深めるためにしているのだと分かっている。日に当たらないようにするのならば、日の出ていない時間に行動すればいいのではないかとわたくしは思い付いた。
「早朝や夕方に作業をするのはどうでしょう?」
「夕方は夏場で日が長くなっていますから、難しいですが、早朝に作業をするのはいい考えですね」
早朝はまだ気温も上がり切っていないし、汗もそれほどかかずに済むのではないだろうか。
「作業が終わったら、シャワーを浴びるのも大事ですね。汗を流すのと、身体を冷やすのです」
「はい。クリスティアンとマウリ様とミルヴァ様も早起きできるでしょうか……?」
不安に思ってクリスティアンを見ると、「やる!」と力強く頷いている。ミルヴァ様も分からないながらに「わたくち、やる!」と言っている。
「マウリ様……薬草を育てるのですが、早起きができますか?」
「まー、くた、とだてう?」
「そうです、スティーナ様を元気にさせるために」
まだスティーナ様にお届けする薬草を育てる段階にも来ていない、わたくしたちを試すために国立植物園が送った種を育てる段階にも来ていない、その薬草を育てるための栄養剤になる薬草を育てるというスタート地点にも立っていない状況だったが、やり遂げなければ前進はしない。
「あーたま、まー、てちゅだう」
「手伝ってくれますか?」
「あい!」
小さなお手手を上げていい子のお返事をしたマウリ様をわたくしはぎゅっと抱き締める。
抱き締められてマウリ様は一生懸命わたくしの頭を撫でてくれた。
「まー、いゆ。だいじょぶ。あーたま、まー、がんばう」
「心強いです」
「わたくちも、がんばう!」
「ミルヴァ様もありがとうございます」
「ぼくもいるよ!」
たった11歳のわたくしにできることは限られている。それでもマウリ様とクリスティアンとミルヴァ様が一緒にいてくれると思うと頑張れる気がする。
全くやったことのない畑仕事。これから毎日早朝に起きて、一日も欠かさずに畑の世話ができるか不安もあったが、わたくしは挑戦することに決めたのだった。
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