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第二章 舞踏会は命がけ(五)

 楽団の奏でる円舞曲が始まり、国王が王妃の手をとる。

 まずもっとも位の高い者が最初の担い手になるという慣例に従い、国王夫妻が広間の中心で優雅なステップを踏み始めた。


 「さて、覚悟は?」


 腕を差し出したリューイは明らかにいまの状況を楽しんでいる。

 まったくいい性格をしていらっしゃる、と苦虫を噛み砕いた思いで、見た目よりもずっとたくましい腕にそっと手をのせた。

 ほんの少し前は、隠居生活に半分以上埋もれていたというのに、なんの因果かいきなり王太子の嫁候補とは。


 ――どうあっても平坦な人生から遠のく運命なのだろうか。


 やや諦めの境地が見えかけたが、いや待てまだ早いと、カレンは即座にその境地を追い払った。物心ついたころから夢見ていた楽隠居生活なのだ、この程度でくじけるには焦がれた時間が長すぎた。


 「おみ足にお気をつけくださいね、殿下」

 「君もね。三度のミスで罰をひとつだから気をつけて」


 もしそちらに不手際があれば本気で踏んづけますから、という物騒な考えを遠まわしに告げたというのに、リューイの貴公子ぶりは欠片も崩れない。それどころか思わぬ反撃に、カレンはそんなこと聞いてませんと抗議したが、いま聞いたよね、とあっさり返された。リューイを相手にするとなぜか墓穴を掘ってばかりいる。

 国王が右手を振り、カレンは口をつぐんだ。次位の参加を認めるという合図だ。結局、罰と称してなにをさせられるのかについては曖昧なままとなった。


 「じゃあ、はじめようか」

 「――はい」


 背筋を伸ばし、リューイと共に人垣の中心に進み出る。

 向かい合ったところで、リューイがひとつ肯いた。息を吸ってステップを踏む。国王たちが背後を通過したとき、姿勢を崩しそうになったが、リューイがたくみに支えてくれた。ミスひとつ目、と悪戯めいた笑みで言われやや肝が冷えたが、不思議と身体が軽い。踵の高い靴も、たっぷり襞のとられたローブも気にならない。


 目の前では、煌びやかな灯りをうけ輝く金の髪がふわりと揺れている。絵物語にあらわれる完璧な王子のようで、まるで現実味のない光景だった。


 領地の森でリューイを見つけたときにも、森に棲むという伝説の精霊に化かされたかと思ったものだ。領地に戻ると決めたとき、リューイともう二度と交わることのない人生をカレンは選択した。リューイが望んでいたのは次期シーバルグ伯カイン、けれどカインは弟に家督を譲り、遠からず存在そのものがこの世から消え去ることが既に決まっていたからだ。


 側近として仕える事のできない身になってから、もっとも公的に近しい位置にいるというのだから皮肉なものだ。


 「どうかした?」

 「いえ、なにも」


 心のうちは完全に覆い隠したつもりだったが、リューイの口元をふっと意地の悪い笑みが掠め、カレンは失策を悟った。

 回転の速度が唐突に変化し足元がふらつく。緩急をつけてカレンのミスを誘っておきながら、当然のようにリューイはカレンを抱きとめる。

 既に何組もが踊りの輪に加わっているなかで、二人の周りを取り囲む空気が一瞬ざわめいた。もちろん無作法に騒ぎ立てるような者はいなかったが、親しい間柄であると印象付けるには十分過ぎる。


 「ふたつ目のミスだね」

 「……いまのは卑怯です」

 「残念だけど戦略。君も仕掛けていいよ?」


 悔しいがカレンは自分の腕前を誰よりも把握していた。リューイをどうこうできる技量はない。

 それに親密な間柄であるようにみせるのも、契約の一環と言えなくもない。押し返したい気持ちをカレンはぐっとこらえた。


 「あれ?」


 リューイが突然身をかがめた。更に距離がつめられ、柔らかな金の髪がカレンの頬を霞める。びくっと身がすくんだ。


 「……っ、殿下」


 幾らなんでも戯れが過ぎる、と声の響きで諌めてみたものの、リューイはまったく意に介した様子はない。

 ちょっと軽く足を踏んづけるくらいは許されるんじゃないのかこれ、とカレンの内なる悪魔がささやく。


 「懐かしい匂いだね」

 「は? 匂い?」


 なにを言い出したのかと訝しむ。たしなみ程度に香水をつけてはいるが、敢えて定番の品を選んでいるので、そこまで珍しいものではない。王都の夜会であれば必ず誰かが使っていてもおかしくはなく、リューイが懐かしがるような香りとも思えなかった。


 「うん、ポートティーの香りだ」

 「ああ、先ほど飲みました。よくわかりましたね」


 香りの強いお茶ではあるが、まさか気付かれるとは思わなかった。カンディアにいた頃、何度かふるまってはいたが、ポートティーの匂いをリューイが覚えていたことにも驚いていた。


 「いいね、僕もご相伴にあずからせてほしかったな」

 「後で茶葉をお分けいたします……あの、それよりも少し近すぎませんか? ちょっと離れていただけ」

 「君が淹れてくれないの?」


 カレンが言い終える前に、ぐっとリューイの手に力が込められた。周りの視線、特に年若い未婚女性の視線が凄まじいことになっている。

 ――ああいやそうかそれが狙いか。

 なるほど意図はわかった。わかったが承知できるかといえばそれはまた別だ。


 「ですから近いと」

 「お茶、淹れてほしいな」


 笑顔が怖い。肯かないともっと近づいちゃうかもね? と脅されている気がする。いや、寧ろそれで間違いない気がする。

 ふたりはしばらく無言でステップを踏んだ。相変わらずお互いの距離は近い。くるりと回転、少し離れても引き戻される。


 「……わかりました、淹れます、お茶ぐらい。注がせて頂きます、幾らでも」


 このままでは遠からず失態をやらかすと切羽詰った結果、先に折れたのはカレンだった。

 どうしてお茶ひとつにここまでこだわるのか、おかしなところで強情なところは変わっていない。呆れてはいたが、ふと垣間見えた昔の面影に、つい偽りでない笑みがこぼれた。


 「殿下?」


 リードするリューイの動きがほんのわずかに乱れ、どうしたのかと見上げる。どことなく困ったようなリューイの青い双眸がカレンを見下ろしていた。


 「――君の部屋にいってもいいかな?」


 リューイはいつも突然あらわれる。事前に訪問の連絡をしてきたことなどほぼ皆無だ。それがなにをいまさらと首を傾げたが、打ち合わせでもあるのだろうと、カレンは軽くうなずいた。


 「はあ、どうぞご自由に。明日、お待ちしております」

 「明日ではなく、今夜」

 「今夜?」


 唖然と呟く。何故今夜? そんなに急ぎの用件が? いや、まさか深夜にこの夜会の反省会でもする気か? もしくはミスに付随する罰を執行するつもりだろうか? だがそちらについてはまだふたつ目だ。猶予はあとひとつある。気が早すぎるだろうと突っ込みたかったが、どちらであっても勘弁してほしかった。

 絶対間違いなく、夜会が終わる頃には疲労困憊している自信がカレンにはある。だからこそ夜会が終わった直後には、慣れぬ化粧、締め上げられたコルセット、踵の高い靴をすべて取り去って、さっさと寝台に潜り込みたい。


 「急を要することでしょうか? もし反省会なら失敗しないよう努力するので明日にしていただけません?」


 こそりと呟くと、リューイは一瞬怪訝な表情をみせた後、苦笑気味に薄く笑った。


 「反省会か。うん、まあそれでもいいんだけど……」


 ――それでもいい? 寧ろそれ以外になにがあるというのか。


 仲睦まじく踊っているように装いながら、カレンは根本的なところでリューイと噛み合っていない気がしていた。


 「お茶を飲ませてほしいだけだよ。駄目? いい子でいるから」

 「お茶……」


 気の抜けた声が出た。なるほど就寝前のお茶が飲みたかったのか、と納得する。


 「もう好きになさってください」


 先ほどお茶を振る舞うと約束している手前、断ることはできなかった。


 「そう? じゃあお言葉に甘えて。ふふ、楽しみだな」


 上機嫌のリューイに、カレンはあきらめの境地で頷き、そういえば、いい子とはどういう意味だろうとふと疑問に思った。なにやら腑に落ちなかったが、気が付けば華やいだ空気を生み出して一曲目が終了していた。


 特別な相手でない限り、舞踏会ではだいたい一曲毎に相手を変える。よしミスはふたつまでだったと上機嫌でリューイの傍を離れようとしたのだが、腰に回された手は緩まなかった。


 「このまま次の曲も僕と」

 「……はい」


 義理でデビュタントの相手をしたわけではないと、駄目押しのつもりだろう。ため息をこらえ、二曲目のはじまりを待つ。

 相手をかえる気配のないふたりに視線が集まる中、カレンは扇越しに送られる令嬢方の殺意の篭った視線に晒されていた。


 「なかなか情熱的な眼差しだよね。――注目されるのは慣れない?」

 「……森で私に注目するのは熊やら狼やらだけでしたからね」


 それも主に食料的な意味合いでだ。いや、食い殺したい、と思われている点ではいまもそう変わりはないかもしれないが。

 楽団が次の曲を奏ではじめた。最初の曲よりテンポ良く、リューイの滑らかなリードにあわせ足を運ぶ。


 ふと見回すと国王夫妻は既に玉座についていた。何人かの側近が国王の傍でなにごとかを耳打ちしている。面白い事態とやらに関係しているのかもしれないが、肝心の事態がわからないのではなんともいえない。


 「それはどうだろう」

 「え?」


 玉座から視線を戻せば、いつの間にかまたリューイとの距離が近づいている。面白い事態とやらを気にしているうちに、カレン自身がのっぴきならない事態に陥っていた。


 「注目していたのは獣だけじゃないってこと。カレン、君、森の中で人を助けていたよね」


 カレンとリューイはお互い小声でささやきあう。ともすれば聞き逃してしまいそうで、カレンはリューイから離れることができない。いや、実際にはしっかりつかまれているため、どうがんばっても離れられなかったのだが。

 腰を支えられたまま、くるりと半回転。翻った裾が空気をはらんでやわらかく広がる。瞬間、足裁きに意識を集中していたカレンが答えるよりも早く、さらにもう一回転。明らかにペースがあがっている。


 「ええ? ああ、はい。迷い人がいれば、案内くらいはしていました、が……」


 それがなにか? といい終わる前に方向転換され、本当についていくのが精一杯になってきた。どうにか笑みは崩していないが、実情は必死というありさまだ。


 「森に銀の精霊があらわれるっていう領民の噂、知らなかった?」

 「精霊?」


 ――いったいなんの話しだ、それよりもう少し手加減してくれないものか。こっちは初心者同然だぞ。


 「やっぱり無自覚か。あのね、その精霊の正体は君だよ」

 「え、は? ――わたし?」


 予想外の答えにステップを踏み間違えてしまった。無様に転倒せずすんだのは、やはりリューイのリードが優れていたおかげだ。


 ――しまった、みっつ目……っ。


 恐る恐るリューイをみる。絵物語のような王子様が、とても楽しそうに、絵物語では決してありえないだろう大変素敵な笑みを浮かべていた。


 「みっつ目だね」

 「……精霊ってなんの冗談ですか」


 しくじった回数は敢えて無視する。確かに迷っていた旅人を案内したことがある。それに森に迷い込んだ領民やその子供を森の外まで連れて行ったことも。

 だがその程度だ。いつのまに精霊などというとんでもない話になったのかと頭が痛くなった。


 曲調の変化に合わせ、踊る速度が更に増してくる。リューイはそれきり口を開かず、カレンが詳しい話を聞き出す前に二曲目が終わってしまった。リューイの手が、するりとカレンから離れる。


 「残念ながら僕が君を独占できるのはここまで。さし当ってはヴィバック公かな」

 「ヴィバック公様?」


 呟いたカレンに、先ほど挨拶を交わした老紳士がゆっくりと歩み寄ってきていた。

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