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第二章 舞踏会は命がけ(六)

 「ヴィバック公、夜会でお会いするのは久しぶりですね」


 軽く頭をさげたヴィバック公に、リューイはまったく息の乱れをみせず声をかけた。必死に呼吸を整えていたカレンは、このひとの体力どうなっているんだ、とひそかに慄く。


 「いやいや申し訳ありません。老いてくると夜歩きが堪えましてね」

 「国を支える重鎮の方がご謙遜を。それに今宵はずいぶんと楽しそうにみえますよ」


 リューイがからかうようにいえば、ヴィバック公がにやりと含みのある笑みをみせる。

 カレンからみても、二人はずいぶん気安い間柄のようだった。


 「いやなに、今宵は面白いものが見られましてね。長生きはするものですな、実に愉快だ」


 今宵の夜会でそんなに面白いものがあっただろうか? とカレンがリューイの傍で首をかしげていると、リューイ越しにヴィバック公と目が合ってしまい、慌てて会釈した。


 「ところで、カレンさんにダンスの申し込みをしたいのですがお許し願えますかな?」

 「ええ、もちろん。――どうぞ」


 リューイがすっと一歩さがり、ヴィバック公がカレンに向けて、にこやかに手を差し出す。


 「カレンさん、こんな爺で申し訳ないが、踊っていただけますかな?」


 そもそも自身よりかなり身分の高い公からの誘いを、カレンが断れるはずもない。

 あるとすればリューイが代わって断るという可能性だが、それもありえない。もしやと思って、ちらりとリューイを見てみたが、促すように肯いている。


 「はい、わたしでよろしければ、よろこんで」


 満面の笑みで受けたものの、リューイ以外と踊ることになるとは完全に予想外だ。

 紹介するとき、カレンの怪しい出自を覆い隠してくれたジュリエッタの手腕に敬意を表するが、思わぬ事態に冷や汗がでる。

 絶対に失敗できない――ホール中央からさっさと去っていくリューイの背中を恨めしげに見送りつつ、カレンはヴィバック公の手をとった。


 「ヴィバック公様、先に白状してしまいますが……あまり得意ではないのです」

 「はは、お気になさることはない。折角の夜会、楽しめばよいのです」


 とりあえず先手必勝、デビュタントだからこそきれるカードを掲げたのだが、踊り始めてみればヴィバック公は実に巧みなリードを披露してくれた。

 ものすごく踊りやすい、おまけに動悸の乱れもおかしな汗が出ることもない。リューイの相手を務めるより、はるかに落ち着いていられる。


 「ヴィバック公様、エレーナ様はどちらに?」

 「エレーナなら、殿下とお話をさせてもらっているようだ、ほらあそこに」


 くっと顎で示された方向を見れば、あきらかに上位貴族と思われる面々に囲まれ、リューイとエレーナが談笑している。

 近くにご令嬢方が集まっていたが、ちらちらとリューイを盗みてはいるものの、輪の中に入っていく勇気はないようだ。


 「心配ですかな?」

 「え?」

 「大丈夫ですよ。エレーナがいれば、若いご令嬢は殿下を迂闊に誘うことはできますまい」

 「え……いえ、そういうわけでは……」


 ないのですが、と言いかけ口をつぐむ。ここはありがとうございます、とでも言っておいたほうがいいのだろうかと考えたが、それもおかしい気がする。

 どうしたものかと困った挙句、カレンは微苦笑で小首をかしげた。


 「いや失礼、これは余計なお世話でしたか。殿下におかれては、貴方以外のご令嬢はまるで目に入っていないご様子ですからな」


 ははっと屈託なく笑われ、カレンはたっぷりのため息を心のうちで吐き出した。リューイの手腕に改めて感服する。王宮の狐狸たちと渡り合っているはずのヴィバック公ですら、リューイの行動を偽りとは思っていない。


 「ところでカレンさんはリューイ殿下とどこでお知り合いに?」

 「兄が殿下と親しくさせていただいておりました。殿下がシーバルグ伯領の視察に来られた折り、私にもお声かけくださったのです」


 カレンは老紳士を見上げ、ヴィバック公が来る前に耳元で「出会いは領地の視察のときだよ」とリューイが囁いた通り、領地から出たことのない伯爵令嬢と王太子であるリューイの出会いをかたる。

 これは、完全な嘘ではないが、真実でもない。リューイが視察に来たことは事実。だが、カレンという存在はその時まだ影も形もなかった。


 「殿下の視察というと……もう十年近く前になりますか……」

 「はい、ずいぶん昔のことになります」


 ふっと瞼を伏せれば、脳裏に冬景色が浮かんでくる。


 リューイが視察に来たその年の冬、カレンは事情によりほぼマナーハウスから出ることが叶わなかった。けれど時間をもてあました覚えはまったくない。

 冬季休暇の間エディンバ家に滞在していたリューイは、昼の視察が終わった後、カレン――カインと共に過ごすことを望んだからだ。話題は他愛のないことから統治に関することまで多岐に渡り、退屈とは無縁だった。いま思えばあれはリューイなりの気遣いだったのだと、懐かしさが滲んだ。


 「では、やはり貴方がリューイ殿下の戦女神というわけですな」


 ダンスの最中でなければ手を打ち合わせていたのではないかという勢いに、思い出から引き戻されたカレンは気圧された。

 ヴィバック公は、整えられた髭の下にある口元に最上の笑みを浮かべ、瞳を輝かせている。


 「……戦女神、ですか?」


 唖然と呟く。自身と戦女神の関連性がまるで見出せない。


 戦女神――またの呼び名をティア=ヴァーロッケン。戦場に秩序をもたらすという伝説上の存在だ。

 銀の剣を携えたたおやかなる乙女の姿で、翼ある金狼を引き連れ、混乱を極める戦いの場にどこからともなくあらわれるという。


 「五年前――リューイ殿下がおっしゃっていたらしいのですよ、大切な戦女神のために休戦は必ず守ってみせる、とね」


 茶目っ気たっぷりにヴィバック公が片目を瞑る。長手袋に包まれたカレンの指先がすっと冷たくなった。

 その戦女神が、カレンであるはずはなかった。五年前、カレンという女性はどこにも存在していなかったのだから。


 リューイには、大切に想う女性がいるのだ。なんらかの理由により、娶ることができないのだろうひとが。


 ――婚姻を避けておられたのはそれが理由か……。


 浮名を流し続け、のらりくらりと独り身を通してきたリューイの真意を垣間見た気がした。

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