ディスムーンの魔王 Ⅲ
出入り口の門に近く、屋敷からは遠い場所を陣取ってテーブルを置いていたギルベールに「手伝いくらいしなさい、居候」と辛らつな言葉を投げつけられた。
ヴァンはいまだ彼らを信用してはいなかったが、衣食住の面倒をかけている自覚はあったので不承不承うなずく。
セッティングが終わり、最後に家宰の青年がティーセットをテーブルクロスの上に置いた。
家主の少年と、自称母親はすでに席についている。
「ありがとう、ヴァン。席についてくれ」
「ああ」
魔王と名乗った女の正面に座る少年の横に、ヴァンは腰を下ろした。
あらためて彼女の容貌を見ても、とうてい自分のような年齢の子どもがいるようには見えない。人間ではないというのが事実なのか、それとも親だということを偽っているのか。
ヴァンは観察する視線を隠すことなく、女の金色の目を注視した。
ギルベールが焼き菓子をテーブルに置いて、さっと後方に控える。
そこでようやく女が口を開いた。
「人の子の話し合いというのは、かように手間のかかるものなのか」
「これは話し合いの前のもてなしだ。まあ、どうせなら気持ちよく話してもらいたいからな」
家主の少年は緑の双眸をすがめてテーブルに肘をついて手を組んだ。
「さて、なにから訊こうか。まずは偽りを述べないことを互いに約束したほうがいいだろう。人は嘘をつく生き物だからね」
「なるほど、一理ある。我はその理に則る存在ではないが、必要ならば言葉にしよう。嘘偽り、騙りはせぬ」
「証拠は?」
「我が魂の名、ブリュングリィーデにおいて。人の子には発音しづらい音階ゆえ、リーデと呼ぶがいい。それでお前は何を証左とする?」
「そうだな・・・私は名も魂もすでに別の存在に捧げている。だからその捧げた存在において誓おう。妻の名において証とする」
ギルベールは主がどれほどエレオノーラに執着しているか知っているために、眉をしかめた。互いが信用する上で大事なものを賭けるのは理にかなっているが、それに夫人を引き合いに出すとは思わなかったのだ。
しかしすぐに問題ないかと息をつく。
この女がどれほど力を持っていようと、蒼の森の魔女がそうそう後れを取ることはない。
それなら言質を取られたからと言って騒ぐ必要はないだろう。
再び無表情に戻ったギルベールは、静かに主の後ろにたたずんだ。
ヴァンはいらついた様子で足を組んだ。
「もう話し合いってやつを始めていいよね?いい加減訊きたいことが山ほどあるんだけど」
「我は構わぬ」
「私も構わない。親子だと主張しているから、君から最初に質問するといい」
家主と自称母親から了承を得たヴァンは、質問する内容を脳裏に浮かべながら口を開いた。
混乱しないように1つ1つ尋ねる。
「まず、あんたは何者?」
「精霊が自然の化身であるように、我は瘴気の化身。瘴気は世界の負の感情。世界もある種の生物であるゆえな。しかし負の感情だけでは世界は成り立たぬ。正の感情を生み出すものはいまだ現れぬ。あるいはあと1万年もたてば世界が進化して、正の感情を生み出すものができるやもしれぬが、それを待てるほど、この世界は頑丈ではない。そこで負の感情を調停し、世界中にとどこおりなく循環させる存在が必要とされた。それが我、魔王。負の感情から生まれた瘴気の化身にして、世界の調停者。瘴気はこごるとろくなことにならぬ。それは魔物を知るものなら自明の理」
流れるように女―――リーデは言葉をつむいだ。
信じる信じないはひとまず脇に置いて、ヴァンは次の質問をする。次々と問いかけて矛盾があれば、リーデの話は破綻したと見なして信用しないことにした。
「じゃ、次。俺があんたの息子だってのはホント?」
「事実だ。19年前に我が生んだ唯一の子。・・・我の力は衰退してきている。悠久を生きる存在として生み出されてはいなかったようだ。永遠の命をもたぬものは、やがて滅ぶ運命。力なき魔王など必要ない。解決策を探しているときに、ちょうどよく人の男の種をもらったので次代になるかと子を成したが。お前よりももうひとりのほうが瘴気をうまく扱っているようだ。利用方法は気に入らぬがな」
リーデは一息に言って、口をしめらせるためにティーカップから発酵茶を飲み干す。
ヴァンは種という言い草に顔をひきつらせた。
妙齢の女から聞きたい単語ではない。
しかしリーデは特に気にしていないのか、淡々として冷静な瞳をこちらに向けている。
「まだ尋ねたいことはあるか?」
「・・・あるよ。あんたはあの瘴気を操る男を知ってる風だけど、どういう関係?まさかあんたの息子とか言わないよね?」
「否。唯一の子と言ったろう、ヴァーヴァティ。数年前・・・詳しい時期は知らぬが、世界が生み出した次代の魔王の器。我がいる限り次代で在り続ける哀れな子。それゆえ力をたくわえておるのだろうな、瘴気を集めて。瘴気の化身が瘴気を求めるとは、よほど飢えていると見える。飢えが魔王への渇望か、それとも別のものへの執着からくるものなのか・・・それは我にもわからぬがな」
「数年前?俺が会ったやつは、だいたい・・・そうだな。俺より少し年上くらいに見えたよ。子どもには見えなかった」
「人の子の法則には当てはまらぬ。あれは生まれたときから、ああなのだろうよ。数年たとうが、数百年たとうが姿かたちは変わらぬ」
リーデの話を脳内でまとめながら、ヴァンは最後の質問をするべきか迷っていた。
彼女の説明は人知の及ばないものが大半で、ヴァンの理解を超える部分も多々ある。
一応矛盾はないようだが、判断しにくかった。
ただひとつだけはっきりしているのは彼女が人間ではなく、しかも己の母親だと言い張っている点だ。
ふとクリスならどうするかと考えた。
自分が関わらなければ、今も平和に暮らしていただろう少女。
それなのに、こんな男のことを友達だと言って、家を飛び出した無鉄砲なところのある・・・けれど意志の強い子だ。
―――うん。クリスなら決めたことはためらわない。訊きだすことがあるうちは迷ってられないよね。
ヴァンはひとつ深呼吸すると、一瞬脳裏によぎった幼い自分が樹海をさまよう記憶を振り払った。
「あんたが俺の母親だっていうなら。どうして・・・俺を捨てたんだ?」
低い声音で問いかけられたリーデは、きょとりと金の瞳をまたたかせて、小首をかしげる。
「捨てた?それは違う。獣の子は歩けるようになれば独り立ちするものだ。お前はあのときすでに言葉を話し、歩き、行動を決定する意志を持っていた。いつまでも親が面倒を見るべきではない」
さも当然のように言われた台詞に一瞬ヴァンの思考が凍結する。
すぐに我に返ってテーブルに両手をついて立ちあがった。
「は!?いやいや、なに言ってんの。普通は少なくとも職につける14、15歳くらいまで親が面倒見てやるもんでしょ。ギルドだって10歳から登録可能だけど、そんな年齢から冒険者やってたのは俺くらいだし!樹海にポイ捨てされたときはまだ8歳?いや7歳くらいだったし!」
「人の子はもっと長く成長を見守るべきだと?・・・そうか。だが、お前は我と人間の男の間に生まれた子。純粋な人の子とは呼べまいぞ」
「・・・そんなことは・・・あんたは・・・っ」
激昂しかけたヴァンの肩をキールが叩いた。
「少し落ち着け。とにかく座って、頭を冷やせ。冷静な判断ができないようなら、質問者は私が代わるぞ」
「・・・・・・」
ヴァンは荒い息をつきながら、渋々腰を下ろした。
八つ当たり気味に焼き菓子を乱暴に口に放り込んで咀嚼する。
黙り込んだヴァンを不思議なものを見るような目つきで、リーデは口を開いた。
「なぜ憤る?なぜ悲しむ?わからぬ。・・・そういえば、お前の父もそうだった。勝手に我の行動を都合よく解釈する傍若無人な人の子であったよ。嫌ってはおらなんだが、好いてもおらなんだ。今ごろどうしているのやら。まあ、生きていても死んでいても、どちらでもかまわぬ。人の寿命は短い。どのみちあと100年もすれば名前さえ残らず風化するだろうよ」
ヴァンは沈黙したままテーブルに突っ伏した。そのままぴくりとも動かない。
それを見やった金の髪の家主は、鋭い視線でリーデを射抜いた。
「あなたは少し口を閉じたほうがいい。人間はそれほど過去に対して強靭な精神をしてるわけじゃないんだ。それが苦痛を伴う記憶なら、なおさらに」
「経験則か」
「そうだ。私にも思い出したくない過去というものはある。それに触れられれば、たとえ客人として招いているあなたでも切り伏せたくなるだろう」
「難儀なものよな。だが、それが人の子というなら必要なことのみ話そう。それ以外の我の話は人の子にとって苦痛のようだ」
「それが賢明だな。・・・それで、ヴァン?まだ君が質問を続けるか?」
ヴァンは突っ伏した姿勢のまま、首を振った。
訊くべきことは聞いた。
それが衝撃的な内容すぎて理解が追いついてない今、口を開けば何を言うか自分でもわからなかったのだ。
キールはうなずいて、リーデに相対した。
「それなら私から訊くべきことは1つだけだ。先ほど瘴気を操り、モナドを傷つけた男は次代の魔王だと言ったな?そして魔王は瘴気の化身だと」
「そうだ、人の子。我は瘴気の化身、調停者。もっとも力は衰え、すでに調停できる瘴気の量も限られた身だがな」
「それでも瘴気の専門家と言える。今、次代の魔王が使っている瘴気を集める石を中和もしくは浄化する方法を知らないか?現存する術式では解明できなかったらしい。皇帝が言っていたのだから、事実わからなかったのだろう」
リーデは考え込むように腕を組んで空を見上げた。
そのあいだにヴァンはなんとか自律して顔を上げる。いつまでも机と仲良くしているわけにはいかない。
解決策があるなら、モナド皇国とギルド双方から依頼を受けたひとりの冒険者として聞かなくてはならないのだ。それでも顔は微妙にこわばって、瞳の色は沈んだままだった。
しばらくしてリーデはようやく視線をこちらに向けた。
「人の子が扱う魔法の術式を思い出していた。基本の水による浄化は試したのだろうな。では上位の光の属性で浄化は試したか?」
「愚問だな。使い手自体が貴重とはいえ、皇国には光の魔法を扱う者は2人ほど在籍していた。皇都が崩壊したときに亡くなったそうだが」
「そうか。ならば出力が足りなかったのだろうよ。2人程度では、あれは抑えられぬ」
「つまり複数人の光の魔法の使い手が必要だということか」
「否。人数が増えすぎても魔力の統率がとれまい。力ある少人数、あるいは1人の突出した才能ある者が浄化の術式を展開すればよい」
ヴァンは提示された解決策の無謀さに頭痛がする思いだった。
自分自身に魔法の才がないために、それがどれほど困難な作業かはわからない。
しかし、才能のある光魔法の使い手を探すことが難しいことは予想できた。
ただでさえ貴重な使い手。
ほとんどはどこかの国に士官するか、専属魔法使いとして抱え込まれている。
世界中を巡って、どこにも所属していない奇特な使い手を探し出すか。
それとも素質のある者を見つけ出して、しかるべき場所で教育してもらうか。
どちらにしても時間のかかりすぎる問題だった。
ヴァンが難しい顔でうなっているうちに、家主の少年とリーデの会話は続いていた。
「質疑は以上か」
「ああ、尋ねたいことはもうない。できるなら君を捕縛して国に事情聴取させたいが、それは無理だろうな」
「衰えたりと言えど、我が唯人に後れを取るなどあり得ぬ。仮にここで捕まろうと、行く先でも同様にとらえ続けられるとは思うな」
「やはりか。なら、これで茶会は仕舞いだ」
「承知した。・・・ヴァーヴァティ」
略さずに名前を呼ばれたヴァンは反射的にリーデと視線をあわせて、すぐにそらした。
その様子にリーデは苦笑した。
「すまなかった」
それは何に対しての謝罪なのか。
ヴァンは考えのまとまらない自分に舌打ちしながら、今度はまっすぐにリーデの金色の瞳を見つめ返した。
「正直、あんたが母親だとか。俺が半分人間じゃないとか。信じられないことばかりだけどさ。俺はもうヴァンなんだ。あんたのヴァーヴァティじゃないよ」
遠い記憶にうっすらと残る声音は聞こえないふりをした。
優しい口調で名前を呼ばれ、幼い自分が顔をほころばせる場面が再生されたが、それも黙殺する。
絶対の信頼が、樹海に捨てられたことで容易く絶望に変わる瞬間。それを覚えている限り、彼女を許容することはできないだろう。
リーデは目を伏せて「そうか」と呟いた。
そして席を立って背を向ける。
「邪魔をしたな、人の子ら。我も次代の魔王に会う必要が出てきたゆえ、いずれどこかで会うこともあるだろう。ではな」
あっさり告げた次の瞬間には、リーデの姿は風の中に溶けて消えた。
瘴気の化身を名乗るだけあって、移動に転移の魔法陣すら必要ないらしい。
ヴァンはリーデの消えたあとをじっと見つめた。