第九章〈現在〉九九尾村
真壁彰は、捜査一課の端末を開かなかった。公式のログに触れた瞬間、だれかの目に残る。残った痕跡は、善意でも悪意でも拾われる。拾われたものは理由にされる。理由にされた時点で、こちらの言葉が一つ増える。その増えた一つが、九条の呼吸を狭くする。
だから真壁は、個人のノートに地名だけを書いた。たった四文字。九九尾村。記事の中では、説明の途中に混ぜられただけの言葉だ。断定ではない。むしろ「過去に似た例があるらしい」という、責任の薄い置き方だった。薄いからこそ怖い。薄い言葉は、書いた側の手を汚さずに、読んだ側へ染みる。染みた言葉は、拭き取れない。
職場を出て、コンビニでコピー用紙の束を買い、帰宅してから机に広げた。机の上に仕事を持ち込むのは好きじゃない。だが今は、仕事が生活へ入り込んできている。境界のほうが壊れたなら、こちらも守り方を変えるしかない。守り方を変える、という言い訳を自分に与えないと、手が動かなかった。
真壁はスマホの検索窓に「九九尾村 地方紙 縮刷版」と打ち込んだ。出てきたのは、古い県立図書館のデジタルアーカイブだった。ログインが必要。登録には住所が要る。こういう手続きは嫌いではない。嫌いでないのに、今は指が止まる。手続きを踏んだ時点で「自分が調べた」という事実が生まれる。その事実は、いつかだれかに説明を要求されるかもしれない。説明を求められた瞬間、九条の名前の横に、真壁の行動が並ぶ。並んだものはセットで消費される。
それでも進めた。進めないと、火がどこへ向かうか分からない。分からない火は一番危険だ。現場の火は見える。燃えている場所が分かる。だが今の火は、画面の外側で燃える。燃えているのは出来事ではなく、出来事に付けられる意味だ。
画面に出てきたのは、紙面の写真だった。黄ばんだ地の上に昔の活字が並んでいる。活字は感情を持たない顔をしている。だから人は信じる。信じたくて読む。誰かの息づかいより、活字のほうが正しそうに見える。正しそうに見えるものは、簡単に武器になる。
最初の見出しは、いまの炎上の見出しほど派手じゃない。「村内で相次ぐ病死」「転落事故」「自宅で発見」。どれも事件らしくない。事件らしくないのに、読み進めると、同じ温度の言葉が繰り返されていた。
「静かに見送られた」
「地域は支え合いを続ける」
「役目を終えた」
「残された者は前を向く」
慰めるような語彙が、毎回同じ位置に置かれている。慰めの文体は本来、人を救うためのものだ。だが同じ慰めが続くと、そこには別の意図が見える。意図というより枠だ。枠は出来事の形を揃える。形が揃うと、人は安心する。安心すると、原因を追わなくなる。追わなくなる代わりに、説明だけが残る。残った説明は、誰かの都合に合わせて育つ。
真壁はスクロールを止め、紙面の端を拡大した。記事の周辺にある広告欄、編集後記、訃報の定型。どれもその時代の空気を写している。写しているのは空気で、事実ではない。それでも空気は、証拠より強いことがある。空気は反証できない。
本文の末尾に、ほんの一行の注記があった。
「この騒動の中で唯一の生存者は、母子とされる」
名前はない。年齢だけがある。年代もある。乳飲み子。時期が合う。合ってしまう。合ってしまったとき、人は確証がなくても結び付けたくなる。結び付けたい衝動は、事実より速い。速い衝動が、いまの世間を動かしているのを真壁は見てきた。
胸の奥が重くなった。重くなったのに、息は乱れない。乱れないのが怖い。乱れないまま読み進めてしまえる自分が、いつか九条を傷つける気がした。正しさのために動き、正しさのせいで相手を削る――そういう事故が、真壁の中にも起き得る。
真壁はノートに短い線を引いた。原因ではない。言い方だ。そう書いて、書いた自分に苛立った。言い方、と書いた時点で、すでに言い方に巻き込まれている。だが巻き込まれずに止める方法を、彼はまだ知らない。
ページをめくるたび、紙面には奇跡も呪いも大きく書かれていないのに、読ませる力だけは揃っていた。病は「試されている」。事故は「与えられた役目」。死は「受け入れるべき流れ」。語彙の並べ方が、いま九条の周囲で起きていることと似ている。似ている、というだけで人は線を引く。線が引かれれば、あとは勝手に太くなる。
右側の負傷。右耳の後遺症。本人が不在でも成立する線引き。そこへ「村」という単語を足すだけで、説明が完成する。完成した説明は否定しても残る。否定は説明の一部になるからだ。「否定された」という事実が、逆に補強材になる。
スマホが震えた。二階堂からだった。短いリンクと短い言葉。
「見出し、もう一段行きそう」
真壁は返事をしなかった。返事をすると言葉が増える。増えた言葉は、どこかの画面に残る。残ったものは、いつか切り取られる。切り取られた断片は、真壁と九条の関係まで“関係者”にされる。
かわりに真壁は、画面の紙面を印刷するためにコンビニへ行った。プリンターの吐き出す紙は白い。白い紙に古い文字が乗ると、古さが消える。古さが消えると今の話になる。今の話になった瞬間、九条の名前の横へ置かれる。紙は、画面より強い。手で持てるものは、簡単に共有される。共有は、制御できない。
同じ時刻、九条雅紀のもとに丁寧な文面のメールが届いていた。
「突然のご連絡失礼いたします」
「過去の地域社会との関係について、医学的な観点からコメントをいただけませんでしょうか」
医学的な観点。責任を薄くする便利な言葉だ。医学は事実を語る。しかし事実は、文脈の中で別の顔になる。呼吸の音が動画にされるように、体質の説明も切り取られる。切り取られた説明は、本人を救わない。救わないどころか、「説明した」という形で次の要求を呼ぶ。
九条は返信しなかった。返信しないことが、すでに消費されるのを知っているからだ。沈黙は防具になることもある。だが今は、沈黙が「意味深」に加工される。加工された沈黙は、本人の沈黙ではない。本人の意志が外へ出る前に、外の言葉で翻訳される。
広報フロアで二階堂は数字を見ていた。検索ワードの推移。
「九九尾村」
「宗教」
「呪い」
そして、まだ小さな芽のように「二世」。
芽は小さい。小さい芽は踏めば消えることもある。だが踏んだ瞬間、「踏んだ理由」が物語になる。物語になった踏み方は、芽に肥料を与える。黙って見送れば育つ。止めれば加速する。二階堂は、そのどちらにも慣れているはずだった。慣れているはずなのに、今日は胃が痛い。痛いのは、九条の名前が数字の中心へ置かれつつあるからだ。中心に置かれた人間は、周囲の出来事の説明役にされる。
二階堂はメモに書いた。
「芽を踏むと、隠蔽が育つ。踏まないと、芽が勝手に育つ」
広報の仕事は、最悪の二択の中で、より小さく負けることだ。分かっている。分かっているから、迷う。迷いの痕跡が出ると、それもまた“何かを隠している”になる。
夜、真壁は九条のマンションへ向かった。廊下の照明が白く、足音が吸われる。吸われる音は背後の気配を強くする。真壁は視線を壁際の影へ走らせた。見張りの車。カメラ。レンズ。生活の側にまで入り込んだ視線は、現場の視線より質が悪い。現場の視線は目的があるが、生活の視線は娯楽になる。娯楽にされた人間は、守りづらい。守ろうとした行為まで娯楽化される。
九条は扉を開け、真壁を中へ入れた。部屋の中は明るすぎない。薬の匂いもない。コップも空だ。落ち着いている。落ち着きが、逆に胸を締める。落ち着いているように見せる技術は、九条が昔から持っていた。持っているからこそ、周囲は「余裕」に見間違える。
真壁は言葉を選ばず、紙束をテーブルに置いた。
「これだ。九九尾村」
九条は紙面を手に取った。指先の動きが丁寧だ。丁寧さは感情の波を外へ出さないための癖にも見える。九条は紙面を追い、短く言った。
「言い回しが、同じだな」
感想はそれだけだった。怒りも恐怖も、外へ出さない。外へ出した瞬間、相手の燃料になるからだ。
真壁は息を吐き、問いかけた。
「……これ、母子って書いてある。年代が」
九条は紙面の端を見た。注記。名前がない。名前がないのに、矢印だけが太い。矢印は、読む側の頭の中で完成する。完成した矢印は、紙面から離れて人を刺す。
九条はしばらく黙り、視線を紙面から外して答えた。
「確証がないものは、いちばん使われる」
使われる。その言葉が、真壁の背中を冷やした。確証のない話ほど、説明の中心にされる。中心にされた瞬間、外側の出来事がそこへ吸い寄せられる。吸い寄せられたものは、本人の力ではほどけない。ほどこうとすればするほど、手が動いた事実が残る。
九条のスマホが鳴った。通知。取材依頼の追伸だ。
「ご多忙のところ恐縮ですが、短いコメントでも」
九条は画面を伏せた。伏せた行為が、すでに疲労を示す。疲労は身体ではなく意味から来る。意味が重いほど、人は静かになる。静かさはまた別の形で疑われる。
真壁は言い切るように言った。
「ここから先は、否定しても材料になる」
九条は頷かなかった。頷くと決まる。決まったものは記事にしやすい。九条はただ、コップに水を注ぎ、ひと口飲んだ。飲む音が小さい。小さい音が夜の部屋に残る。残った音まで切り取られそうな気がして、真壁は拳を握りそうになり、やめた。
二階堂のスマホにも通知が並んでいた。速報。見出し。
「新興宗教の村・九九尾」
「関係者の沈黙」
「医学的には説明できない一致」
断定していない。だがもう、説明の骨格が公的な形を得た。公的な形を得たものは、後から剥がれない。剥がれないまま、人の生活に貼り付く。
二階堂は歯を食いしばり、画面をスワイプした。削除できない現実に苛立った。削除できないものを、どうやって弱めるか。弱めるには、面白さを奪うしかない。しかし面白さを奪う方法は倫理に触れる。倫理に触れる仕事を、彼はこれから選ばなければならない。
九条の部屋でテレビはついていない。つければ音が入る。音は部屋を汚す。汚れた部屋は戻らない。真壁は窓の外を見た。遠くに車のライトが動く。レンズがこちらを向いている気がした。気がするだけで生活は緊張する。緊張は呼吸を浅くする。浅くなった呼吸が、また切り取られる。
九条は胸に手を当てなかった。当てれば右側だと示してしまう。示したものは、また意味にされる。
それでも、右にある心臓は確かに打っている。確かに打っている、それだけが今夜の事実だ。
真壁はその事実を守りたいと思った。守りたいと思うほど、言葉が危険になるのも知っている。九条は低い声で言った。
「俺は返信しない。返信した瞬間、文脈に入るから」
「……それでも、入れられる」
「入れられる。だから、余計な材料を渡さない」
材料。人間が材料として扱われている、その現実が真壁の腹の底を冷やした。刑事の世界では証拠が材料になる。だが今、材料にされているのは証拠ではなく身体だ。身体が材料にされると、誰も責任を取らない。責任を取らない物語は、いちばん長生きする。
真壁は紙面を指で押さえ、九条のほうへ少しだけ寄せた。寄せる動作すら慎重になる。慎重になるほど不自然になり、不自然さがまた材料になる。
それでも、共有しなければならなかった。共有しないと、九条が一人で背負うことになる。背負わせたままにしたくない。
真壁は言った。
「母子って書いてある。名前がない。だからこそ、名前が乗る」
九条は一度だけ目を閉じた。閉じた瞼の奥で、息を整える。呼吸は数えれば落ち着く。数えた呼吸が、誰にも聞かれないことだけを願う。九条は目を開け、短く言った。
「母の沈黙が、利用されますね」
沈黙。沈黙は本人が選ぶと防具になる。だが他人に説明されると鎖になる。鎖は逃げ場を奪う。奪われた逃げ場の先に、次の見出しが待つ。真壁のスマホが震えた。二階堂からのメッセージ。
「出た。“新興宗教の村”。次は母親の話に向かってる」
真壁は九条を見た。九条も、メッセージの内容を読まなくても理解したように視線を落とした。理解した者同士の沈黙はやさしいはずなのに、今日は残酷だ。残酷なのは、沈黙の外側で言葉が増殖しているからだ。
窓の外の闇が、少しだけ濃くなる。濃くなる闇の中で、レンズの気配が消えない。そして消えない気配の向こうで、過去の家の玄関灯の色が真壁の頭に浮かんだ。斜向かいの距離。洗濯機の音。語りすぎない母の声。語りすぎないことが、これから「補強」にされる。
真壁は、それを止める方法をまだ持っていない。持っていないまま、次の章へ進むしかない。
テレビのテロップが、存在しない音として部屋に入り込む。
「新興宗教の村・九九尾」
その文字列が、過去へ橋を架ける。橋の向こうにいるのは、九条の母だ。語らない人間が、証拠として扱われる準備が始まる。




