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第14話 騒動


 柄の悪い男達は、喋っているだけで何も頼まずにいた。女性の店員は顔を伏せながら、何処か怯えているように見えた。


 (こんな奴らが来たら、そりゃ怯えるよね)


 ノアとレオは気にしていないのか、表情を変える事もなく、お酒を呑んでいた。騎士だから、こんなに落ち着いているのだろうか。それとも、ただ無関心なだけなのか。

 男達の笑い声が更に大きくなった。手を叩いて笑っている奴もいれば、テーブルをバンバン叩きながら笑っていたり。

 あまりの騒々しさにレオは男達に顔を向けた。ハッキリと見えなかったが、彼の目には、隠しきれない嫌悪の色が浮かんでいた。


 「レオ」


 ノアは落ち着いた声色で呼びかけると、レオはため息をつきながら男達から顔を背けた。ノアが呼びかけなかったら、レオはどうする気だったのだろう。呼びかけてくれた事に、ホッと胸を撫で下ろす。

 けれど、その安心も長くは続かなかった。


 「ミラちゃーん! 俺達に、いつものちょーだーい!」


 男の一人が、店内に響くような大声で女性店員を呼びつけていた。

 名前を呼ばれた女性店員、ミラはビクッと肩を揺らした。怯えたように表情を強張らせながらも、「ただいまお持ちします……」と笑顔を浮かべながら言ったのだ。

 その笑顔が無理をしている、作り笑いだと分かる。彼女は酒瓶やジョッキを慌ただしく準備し始める。マスターは何も言わず、彼女の事を憂いを含んだ眼差しで見つめていた。


 (余計な事はしない。自ら面倒事に巻き込まれに行く必要なんてない)


 そう自分に言い聞かせた。けれど、聞こえてきたミラの怯えた声が耳から離れない。離れてくれない。

 膝の上で、ギュッと拳を握りしめる。


 (私には関係ない)


 そう何度も心の中で繰り返す。

 けれど、視界の端に映るミラの様子が見える度に心が傷んでいく。まるで、誰かに強く握り締められているみたいに。


 「ヨミちゃん……?」


 ノアに名前を呼ばれたが、その声が遠く感じるほど、私の意識はミラの方に向いていた。男達に酒を運ぶミラの手は小さく震えている。

 それでも、笑顔を崩さない姿が余計に私の心を痛めつける。彼女が怯えているのが分からない程の馬鹿か、クズなのか分からないが、相変わらず笑いながら酒を受け取っている。その無神経さに腹が立つ。怒りが込み上げてくる。


 (自分にもイライラする)


 見て見ぬふりをしようとしているくせに、何もしないくせに、しようともしないくせに、彼女の事ばかりが気になっている。助けてあげる勇気もないのに、心だけが酷く痛む。見るな見るなと、顔を伏せると右手に嵌めている指輪が目に入った。


 『君の物語が始まる』


 もし、これがその" 始まり "なら、私はもう、ただの傍観者ではいられない。


 (私には関係ない…? 本当に?)


 自分自身に問いかける。答えなんて最初から分かっていた。


 (関係、あるに決まってる。ここに来た事に意味が、本当にあるなら私が行動しなきゃ。怖がるな。自分から飛び込め)


 私は伏せていた顔を上げ、男達の方に視線を向ける。ミラは腕を掴まれ、無理やり空いてる椅子に座らされようとされていた。ミラの作り笑いが崩れていくのが、見て分かった。

 その瞬間、私の中で募っていた感情が一気に溢れ出した。恐怖も迷いも、その熱に押し流されるように消えていった。


 「……我慢の限界だ」

 「俺も。ヨミちゃんは、ここで待っててね」

 「いえ、待ちません」

 

 即答だった。自分で思っていたよりも落ち着いた声が出ていた。二人よりも先に立ち上がり、男達のテーブルへと足を向けた。


 (ムカつくわ。怖がってた、自分に呆れる。こんなクソ野郎共に何を怖がってたんだよ! )


 怒りの感情が私の足を動かしていた。近付くにつれ、ミラの表情がハッキリと見えてくる。作り笑いは完全に崩れて、今にも泣き出しそうにしていた。私の怒りがさらに膨れ上がっていく。

 男達はミラの事ばかり見ていて、私が傍まで来ているのには気付いていない。


 (このまま、後ろからぶん殴ってやろうか)


 そんな乱暴な考えが浮かぶくらい、頭に血が上っている。感情のまま行動を起こせば余計に状況を悪化させてしまうかもしれない。立ち止まり、息を深く吸い込み、吐き出した。少しでも冷静になれと、自分に言い聞かせるように。


 「……よしっ」


 小さく気合いを入れ、再び足を動かそうとした時。

 肩を後ろから掴まれた。勢いよく振り返ると、そこにはレオとノアが立っていた。


 「離れるなと言ったろ」

 「そんな離れてないと思いますけど……」


 そう返すと、レオは僅かにひそめて私の肩から手を離した。


 「俺達が行くから、待っていろ」

 「無理です。さっきも言いました! 待ちません!」


 レオの言う事を聞かずに、行こうとすると、レオが私の手首を掴んだ。


 「なっ!」

 「駄目だ。待っていろと言ったんだ」

 「嫌です!」


 普段通りの私だったら、言う事を聞いているし、レオに手首を掴まれているシチュエーションが訪れたら、発狂しているだろう。


 「言う事を聞くんだ」

 「嫌です! 嫌ったら嫌です!」


 そう言いながら、手を離してほしく振りほどこうと、腕を上下に振るが、一向に離してくれない。なんなら、掴んでいる力が強くなっている。


 「暴れるな」

 「なら、手を離してください!」

 「駄目だ。離したら行くだろ」

 「勿論、行きます!」

 「駄目だ」


 お互いに譲らない。そのやり取りの間も、レオの手は少しも緩む気配はない。お互い視線を逸らさずに見つめ合う。私は譲るつもりなんて毛頭ない。


 「二人とも。お取り込み中、悪いんだけど」


 レオの隣に立っていた、ノアが急に割って入ってきた。レオと同時にノアを見ると、私の後ろを指さしていた。後ろを確認しなくても分かる。ノアが何を指さしているのかを。


 「見られちゃってるんだよね」


 いつも通りの穏やかな声で言われて、忘れかけていた状況を思い出した。男達との距離なんて、後数歩の距離なのに、レオと言い合っていたんだから、気付くに決まっている。

 私は恐る恐る後ろを振り返ると、男達は私達の事を見ていた。さっきまでとは違い、一切笑っていなく、こちらを警戒しているようだった。


 「アンタら、何?」


 馬鹿みたいに騒いでいた声色とは違い、警戒と苛立ちが混ざった低い声。普段の私だったら、怖気付いて逃げているが、今の私は違う。レオに手首を掴まれたままでも、この際いい。私は正面を向き、そいつらと向き合う。


 「それ、こっちのセリフ。来て、騒いで、嫌がってる子の手を無理やり掴んで何したいの」

 「は?」

 「何この女」


 一度言い出すと、次々に言葉が溢れて止まらない。


 「嫌がってるのも分かんないくらい馬鹿なの? 今日、初めて店員さんの事、見た私でも嫌がってる事くらい分かるけど。目、悪いの? それとも、普段女の子に構ってもらって無いから分かんないとか? 」


 「キモすぎ」と、言い放とうとした時、後ろに腕を引かれ、私の背中がレオの胸元にぶつかる。突然の事に何が起こったのか分からなかった。


 「なっ、何するん…っ!!」


 抗議しようと振り返ろうとすると、レオに手で口を塞がれた。剥がそうと彼の手を掴んだが、びくともしない。


 「それ以上はやめろ」


 低い声が頭上から聞こえてくる。さっきまでの押し問答とは違う、有無を言わせない声。

 その一言だけで、見えなくなっていた周囲の様子が見える。張り詰めている空気も、こちらに向けられている視線も、全部。私が、あのまま口を開いていたら、きっと私に殴りかかってきていただろう。そう思うと背筋が凍る。

 怒りで麻痺していた感覚が元に戻っていく。


 「男に守ってもらって良かったな?」


 男は立ち上がり、嘲るような声で言ってきた。神経を逆撫でするような言い方に、せっかく冷えかけていた熱が戻ってくる。口を塞がれているせいで、言い返せない。その苛立ちに、レオの手を掴む指先に力がはいる。


 「それ以上、この子に近付かないで貰えるかな」


 言葉と同時に男と私の間へ、ノアが割って入った。穏やな口調なのに、この場を静かに制圧するような存在感があった。


 「それと、その子の腕も離してくれる? 見てるだけで不愉快だから。後、今すぐ、ここから立ち去ってくれたら嬉しいな」


 ノアの顔は見えないが分かる。彼は無表情で淡々と言葉を言い放っている。


 「……調子乗ってんじゃねぇぞ」


 男の声が聞こえるのと同時に、複数の椅子が軋む音がした。視界の端で影が動き、他の男達も、一斉に立ち上がっていくのが影で見える。さっきまでとは明らかに違う空気に緊張が走る。ノアは依然として動かない。

 何も喋らず静かに、その場の中心で立ったまま男達を見据えていた。沈黙が逆に男達を煽るように広がっていく。

 次の瞬間、何かが起こっても、おかしくない緊張が満ちていた。


 「ヨミちゃんの言った通り、この人達馬鹿みたいだ」

 「このっ…!!」


 ノアに殴りかかろうと踏み出した、その瞬間。誰も来ないと思っていた、店の扉が開いた。


 「あれ…お前ら何してんの?」


 軽い驚き混じりの声と共に店内に入ってきた。男達の動きを止めた。


 「ラ、ライルくん」

 「今日は来ないはずじゃ…」


 ライルと呼ばれた人物が来た瞬間、男達の雰囲気が変わった。ノアに殴りかかろうとしていた男の腕が行き場を失ったように、中途半端な位置で止まる。


 「暇になったから来たんだよ。つーか、何でミラの手首掴んでんの」

 「い、いや! これは…!」


 言い訳を探すような声が、さっきまでの強気とは違い焦りを帯びていた。たった、一言で場の主導権がライルへと移るのが分かる。


 「言い訳とかいいから、さっさと手離せよ」

 「あっ、うん…! ご、ごめん」

 「俺にじゃなくて、ミラに謝れよ」

 「そ、そうだよね。ミラちゃん、ごめん…」


 本当に、さっきまで騒いでいた奴らと同じ人物かと疑いたくなるほど、態度が豹変していた。


 「お前も相手見て殴りかかろとしろよ。騎士何か殴ったら大変な事になるぞ」

 「き、騎士?」


 ライルに言われて初めて自分が、殴りかかろうとした人物が騎士なのだと気付いたのか、男は後ずさるように一歩下がった。


 「気分転換に来たってのに」


 そう言いながら、ミラへと近付いて行くのが分かる。視界の端で見えるだけだったが、ブロンドの髪を手でかきあげオールバックにしていくのが見えた。その何気ない仕草が場違いなほど落ち着いていて、逆に空気の緊張を際立たせていた。


 「ミラ、ごめん。今日は帰るわ」

 「あ、うん…」

 「ほら、帰るぞ」


 たった一言で男達が慌てたように店から出て行った。ライルは男達が出て行ったのを確認してから歩き出した。帰る際、私達の方を横目で確認するように見られて、私と一瞬だけ目が合うと口角を僅かに上げた。私は何故か彼を見て胸が高鳴った。


 (何で、こんなに落ち着かないんだろ…。もう男達は居なくなったのに)


 考えても分からない。ただ目が合っただけだ。


 (まっ、まさか…! これが一目惚れってやつか!?)


 そんな考えが浮かんだ。有り得ないと思うのと同時に、私は一目惚れの経験がない為、どう判断していいのか余計に分からない。

 そんな事を考えていると、ライルは手を挙げ「じゃーな、ミラ」と短い別れの言葉を残して、ライルはそのまま扉の向こうへ消えていった。店内には、ようやく静けさが戻ってきたのと同時に、私の胸の高鳴りも落ち着いていく。


 (うん。これは一目惚れじゃないな)


 そう判断した。


 「何とかなったね。お嬢さん、手首は大丈夫?」


 ノアがミラに近付きながら、そっと手首の様子を確かめる。

 

 「はい…。平気です」


 ミラの声は小さかったが、表情が和らいでいくのが見て分かった。


 「そう。なら、よかった」


 その表情を見て私も消えかけていた怒りも完全に消え去った。それと同時に、今、私が置かれている状況を思い出す。

 レオに手で口を塞がれ、背中は彼にピッタリとくっついている事を。


 (ち、近いというレベルではない!! 私が死ぬレベルの近さ! 死ぬ!)


 顔に熱が帯びていくのが分かる。胸が高鳴った時とは違い、恥ずかしさで心拍数が上がっていく。掴んでいた手を離し、彼の腕を軽く叩く。


 「んーーっ!!」


 塞がれているせいで、言葉は出せずに、ただ必死に手で抗議するしかなかった。それに気付いたレオは、やっと手を私の口から離れた。


 「すまない。忘れていた」


 あまりにもあっさりとした謝罪をされてしまった。私は慌てて彼から離れ距離をとる。


 「し、死ぬかと思った……」


 胸を押さえながら呟く。後、数秒遅かったら顔を真っ赤にさせ、気絶していただろう。さっきまでの騒ぎより、今の方が落ち着かないのは気のせいだろうか。私はその場で深呼吸をし、落ち着きを取り戻していく。


 「あ、あの!」

 

 深呼吸をしている最中にミラが声を上げた。どうしたのかと思い、ミラを見ると、彼女は胸元で両手を握り私を見ていた。


 「はっ、はい!」


 声が裏返る。


 「先程は、ありがとうございました…!」


 そう言いながらミラは頭を下げた。お礼を言われる事はしていない。私のせいで、逆に状況を悪化させてしまった。それに、すぐ助けられなかったのだから。それなのに、感謝を向けられて、どう反応すればいいのか分からない。分からいなが何か言わないと、と思い私は口を無理やり開いた。


 「お礼を言われる事は、まったくしてないです…! 逆に状況悪化させちゃったし…」

 「そんな事はありません!」


 きっぱりと否定し、真っ直ぐな目で見つめられ、私は思わず顔を伏せてしまった。その事を不思議に思ったのか「どうかしましたか…?」と、ミラは少し心配そうに問いかけてくる。本当にお礼を伝えるべきなのは、レオとノアにだ。

 私は顔を恐る恐る上げ、思いっきって口を開いた。


 「わ、私は……」

 「はい?」

 「面倒事なんか嫌だって、関わりたくないって思ってました…」


 言葉を口にすると自分の胸が少しだけ痛む。ミラは驚いたように目を見開いたが、黙って続きを待っていた。


 「でも、貴方が無理やり座らされようとしてたのを見て…」


 そこまで言って、一度言葉が途切れる。


 「私は助けるために、ここに来たのかもしれないのに、見ているだけの自分に腹が立って…仕方なかった。もっと早く何か行動してればって…。いざ、助けようとしても状況悪化させちゃったし、レオさんとノアさんに助けてもらう始末で…」


 言いながら、どんどん声が小さくなっていく。


 「だから…その……ごめんなさい!」


 勢いよく私は腰を曲げ頭を下げた。こんな事を伝えて、私はどうしたいのだろう。自分の罪悪感を少しでも軽くしたいだけなのか、それとも許してほしいのか。自分でも分からないまま、頭を上げられず唇を噛み締めていた。


 「顔を上げてください」


 彼女の声は驚く程、穏やかだった。恐る恐る、顔を上げると優しく笑っていた。


 「私は嬉しかったです。早いとか遅いとか、どちらでもいいんです。誰かが助けようとしてくれた事、それだけで十分です。だから、ありがとうございます」


 真っ直ぐ向けられた感謝の言葉に胸が温かくなる。さっきまで抱えていた、自分の情けなさや後悔が救われた気がした。


 「……っ」


 上手く言葉が出てこなく、小さく息を呑む。産まれて初めての出来事過ぎて、私はどうしたらいいのか分からない。不思議な感覚でいっぱいだ。


 「えっと…!あの……そのですね…!」


 何か返さなきゃと思うのに、焦れば焦るほど言葉がまとまらない。そんな私を見て、くすりと小さく笑った。


 「あっ…。やっぱり、笑顔可愛いですね」


 彼女の笑った顔を見たら、思わず口にしていた。


 「えっ!? あ、その……! ありがとうございます…!」

 

 ミラは目を丸くした後、頬を赤くして慌てたように頭を下げた。


 「ははっ。ヨミちゃん、女殺しだね」


 口を挟まず黙って見ていたノアの言葉を聞いた、ミラは更に顔を赤くした。


 「これからは、女殺しのヨミと呼んでください」


 真顔でそう返すと、一瞬だけ場が静まり返る。


 (や、やばい…! 変に安心しきって、友達とふざけてる時みたいな事、言っちまった!)


 一人でなんて事を言ってしまったんだと慌てて、弁解しようか、どうしようかと考えて頭を悩ませていると、次の瞬間、ノアが耐えきれなかったかのように吹き出した。


 「や、やっぱりヨミちゃん、面白いね!」


 肩を震わせながらノアは爆笑していた。こんなに笑われるとは思ってもみなかった。頭を悩ませた意味は無かったようだ。レオは呆れたように、ため息をついた。


 「ノア、笑い過ぎだ」

 「だって、ヨミちゃんが…真顔で言うから!」

 「だからってな…」

 「それに、ほら。ヨミちゃんが言ってたでしょ? 笑うと幸せホルモンとか、リラックス効果があるって」

 「お、覚えてたんですね」


 あんな事を覚えてるとは思っていなく、思わずそう返す。ノアの笑いも、ようやく落ち着き涙を指で拭い取ると、ノアは得意気に笑った。


 「もちろん。 ヨミちゃんの話は全部覚えてるよ。それに今日の朝、聞いたばっかりだしね」


 ノアに言われるまで忘れていた。朝の出来事だったのに、私には数日経っていた気がした。それくらい、今日は色んな出来事が起こりすぎていた。もう今日は何も起こらない事を願うばかりだ。


 「片付けるか」


 レオが男達の居た席を見ながら言った。騒ぎの余韻が残る椅子や、立った時にでも零れた飲み物がテーブルや床を濡らしていた。


 「そうですね…片付けましょ!」

 「いいですよ! お客さんなんですから!」


 ミラが両手を振る。けれど、ここまで散らかしてしまったのは、私のせいでもある。何もしないで、いる方が落ち着かない。


 「皆でやった方が早く片付きますし、手伝いますよ!」

 「僕達のせいでもあるしね」

 「本当にいいんですか…?」

 「勿論だ」


 レオの言葉に同意するように私とノアは頷く。


 「ありがとうございます…!」


 私達は早速片付けに取り掛かった。倒れていた椅子を戻し、テーブルに零れている飲み物は布巾で拭き取っていく。濡れた床は丁寧にモップをかけていく。ミラはジョッキを洗いにカウンターの方へ行っていた。

 さっきまでの騒ぎが嘘だったみたいに、穏やかな時間が過ぎていく。

 粗方、片付けも終わり元の状態に戻っていた。ミラにもう少しで終わる事を伝えようと、カウンターの方を見るとマスターが見当たらない事に気付く。私は首を傾げながら、店内を見回した。しゃがんだりして、見えていないだけかと思い、カウンターに近付き覗き込むが、姿が見えない。


 「あ、あれ…?」


 私の声に気が付いたミラが手を止め、「どうかしました?」と不思議そうに、こちらを見る。


 「マスターのおじいさん、居なくないですか?」


 そう言いながら、もう一度店内を見回すが、やはり姿は見当たらなかった。


 「えっ?」


 ミラも驚いたように辺りを見回した。


 「本当だっ! ど、どこに行っちゃったんだろ…! おじいちゃーん!」


 店の奥へ向かって呼びかけるが反応は無くミラは焦っていた。どうやら、マスターはミラの祖父らしい。その様子を見て、私も探し始めようとすると、店の扉が開いた。


 「ミラ!!」


 今から探そうとしていたマスターが大声と共に姿を現した。ミラは肩を跳ねさせ、すぐにそちらへ駆け寄る。


 「何処、行っていたの!」

 「無事だったのか!」

 「えぇ、無事よ。ここに居る皆さんに助けてもらったから」


 ミラの言葉でマスターの視線がこちらへと向けられる。慌てて私は頭を軽く下げた。


 「そうだったのか…」


 安心したように目元を緩めた。


 「どうもありがとうございます」


 マスターはそう言って、深々と頭を下げた。丁寧過ぎる感謝に私は戸惑ってしまう。


 「何とお礼をすればいいのか…」

 「お礼なんて、いいんですよ。だから、顔を上げて下さい」


 戸惑っていた私の代わりにノアが答えてくれた。ノアの言葉に、マスターはゆっくりと顔を上げた。初めて見た時の印象とは違い、穏やかな目をして孫を大切そうに見つめいている姿があった。その視線の先にいるミラは、安心した表情を浮かべていた。


 「おじいちゃん、何処に行ってたの? 心配したんだから…」

 「ミラを助けようと、裏口からこっそり出てルカを呼びに行ってたんだよ」

 「えっ!? る、ルカさんを…!?」


 ルカと名前を聞いたミラが目を見開き、頬を赤くしていた。


 (おっと…? これは…)


 その様子を見た私は感付いてしまった。


 「そっ、それで……ルカさんは?」


 ミラは視線を泳がせながら、どこか落ち着かない様子で指先をいじっている。


 「おっと、そうだった…」


 ミラが無事な事が分かって安心していたせいで、マスターはその人物の事を、すっかり忘れているようだ。思い出させるように、元気な声と共に明るいオレンジ髪の青年が店内へ飛び込むように入ってくる。

 

 「じいさん! ミラちゃんは無事だったか!?」


 走ってでも来たのか、肩で息をしていた。その勢いのまま、真っ先にミラへ視線を向けた。


 「るっ、ルカさん…」


 ミラは顔を真っ赤にさせ、息を詰まらせながら彼の名前を呼んだ。


 「あぁ…良かった! 無事だったんだな!」


 ルカはミラの無事が分かると、安堵したように大きく息をついた。


 「はいっ…!ここに居る方達に助けてもらって」

 「そうだったのか…!」


 ミラが伝えるとルカは私達の方へ向き直り、勢いよく頭を下げた。


 「本当に、ありがとう!」

 

 真っ直ぐな感謝に照れくさくなる。今回も何も言えずにいると、ノアがまた答えてくる。


 「いいんだよ」


 そうノアが言うと、ルカは顔を上げた。すると、目を見開いていく。ノアとレオを交互に指をさし始めた。


 「なななななっ! 何で!」


 言葉にならないまま、驚いた様子で固まっている。その反応に、ルカ以外の全員も首を傾げた。


 「どうかした?」


 ノアが不思議そうに尋ねる。


 「なっ、何で! ここにっ!」


 ルカは信じられないものを見たように、ノアとレオを交互に見ている。


 「…知り合いですか?」


 私が二人に聞くと、二人揃って首を横に振った。


 「いや」

 「違うと思うな」


 何でルカは二人に、あんな反応してるのだろう。更に私は首を傾げてしまう。ルカはまだ信じられないといった様子で、二人を見比べている。


 「なっ、何でここに…! 騎士団のノアさんとレオさんが居るんですか!?」


 勢いよく飛び出した言葉に、私は目を瞬かせた。


 「この子の付き添いでね」


 ノアはそう言いながら、私に近付いて肩に手を置いた。


 「ぎゃっ!?」


 心の準備も出来ていないのに、いきなり触れられてしまい変な声が出てしまうと、ノアは吹き出す。


 「ごっ、ごめんね。驚かせちゃったね」


 ノアは笑いを堪えながら謝ってくる。絶対、反省していない。むしろ面白がっているようにしか見えない。

 私はジトっとした目でノアを見上げた。すると、ノアは誤魔化すように視線を逸らす。


 「それで、ここに居るんだよ」


 何事も無かったかのように話を戻されてしまった。


 (切り替え、はやっ!)


 ルカはまだ落ち着かない様子でソワソワしていた。


 「そっ、そうだったんですね」


 上擦った声で返事をしながら、視線はチラチラとノアとレオへ向けている。憧れの人を前にして緊張している、そんな反応に見えた。


 「……見すぎだ」


 ルカから視線を逸らしたまま、レオが呟く。その言葉にルカは、ハッとしたように背筋を伸ばし謝っていた。


 「すっ、すみませんっ! 憧れの二人に会えた事が嬉しくて、つい……」


 シュンと肩を落とすルカに、困ったようにノアは笑った。


 「レオは別に怒ってないから大丈夫だよ」


 ルカはホッとしたように息を吐いた。一方レオは、否定も肯定もせず静かに視線を逸らしたままいる。その反応にノアは小さく苦笑いを浮かべた。


 「ルカさん、良かったね。憧れの人に会えて」


 ミラはクスクス笑いながらそう言うと、ルカは元気よく「あぁ!」と頷いた。


 (素直だ…)


 嬉しそうにしているルカを見て、ミラも嬉しそうに笑っていた。穏やかな雰囲気の中で、マスターは安心したように息をついていた。


 「……無事で本当に良かった」


 その呟きには、心から安堵しているのが分かった。


 「何か言った? おじいちゃん」

 「何でもないよ」


 そう言って、優しく目を細めた。その光景を見て、私は一人で考え込んでいた。


 (私がここに来た理由って、これだったのかな……? これしかないよね…)


 不審者から貰った指輪を指でなぞる。冷たい感触が触れた指に伝わってくる。


 (これから、どうなってくんだろ…)


 

 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈




 誰もいない道を男は、クッキーを食べながら歩いていた。


 「それにしても…ヨミちゃんって面白い子だよね〜。考えてる事、顔に出過ぎだし! いや〜、まさか彼女があんな大胆な行動にでるとは思ってなかったな~。いや、でるか? 俺と会った時も走って逃げるくらいの子だし……。ははっ、これから楽しみだな〜! 」


 軽い足取りで、ひとり楽しそうに笑いながら夜道を進んでいった。

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