10:成長
リュナが「カイ!」と発語してから、三年半。
リュナは五歳、カイは九歳になっていた。
ルーメン家の日常は、天才児・リュナの存在により、もはや平穏とは程遠い。
特に父レイヴンにとって、娘の優秀さは「世界規模の天災」でしかなかった。
三歳を過ぎた頃、リュナの《書見の慧》はすでに暴走気味だった。
ある日、レイヴンが机に向かっていると、隣で絵本を広げていたリュナが顔を上げる。
「とーさま。この前、ロイにーさんが読んでいた『古代魔導国の流通と税制に関する覚書』、
あれは記述ミスですよ」
「な、なんだと? どこだ!」
レイヴンは慌てて分厚い古文書を開いた。
「ええと、『銅貨の流通上限』の箇所。その覚書が編纂された頃、すでに銀貨が導入されていましたから。
『銀貨の流通上限』が正しいです」
「くっ……(この子は、なぜそんなマイナーな専門知識を!)」
レイヴンは額の汗を拭いながら、書物を閉じた。
「ロイ!すぐに古書店へ行って、その覚書が本当に銀貨と記載されているか確認しろ!リュナの言うことが正しければ、この屋敷の結界を四重にする!」
「承知しました、旦那様。しかし、結界は現在三重で、町の魔術師団が『過剰だ』と……」
「『過剰』ではない!『備え』だ!」
リュナはそんな騒動をよそに、次のページで新たな古代語の解読に挑戦し、「ふむ」と満足そうに頷いていた。
(面白いわね。知識は、人をこんなにパニックにさせるのね。
前世で正史が本を読みたがった理由がよく分かるわ)
九歳になったカイは、リュナの専属護衛である事を誇りに思っていた。
「リュナちゃん!僕はもう九歳!背も伸びた!しっかり護るから、僕から離れないでね!」
「かーい、ありがと」
庭で遊んでいると、リュナは滑るように移動して、一瞬でカイの背後に現れたりする。
リュナは《月華の脚》を使っているのだが、カイにはそれが「リュナちゃんの神出鬼没なワープ」のように見えていた。
「リュナちゃんは、なんでそんなに移動が早いの?」
カイが尋ねた。
「ふー。ふぅい」
リュナは言葉にならない返事をする。
(全力で走ったら、町の結界を突破しちゃうからね。
この『疲れ知らずの滑空』が限界よ。でも、カイが転びそうになったら……)
その時、カイがボールを追って工房の熱い魔法染料の桶に危うく突っ込みそうになった。
「うわぁっ!」
カイが叫んだ瞬間、リュナは「消えた」。
カイが体制を立て直す間もなく、染料の桶はすでに壁際に静かに移動されていた。
「あれ?」
カイは目を擦る。
「桶が……ワープした?」
「もう、カイ!」
フェルシアが工房の窓から顔を出した。
「染料桶に近づいちゃだめでしょう!リュナが『手の届く距離に移動させた』わよ!」
「え?リュナちゃんが?そんな重いものを?」
カイは信じられない顔でリュナを見る。
リュナは涼しい顔で、工房の隅にあった大きな石のブロックに手を触れた。
次の瞬間、そのブロックは完璧に磨かれた美しい彫刻に変わり、リュナの足元に敷かれていた。
(《創紡ぎの手》で、重さなんて関係ないわ。それよりも、カイが怪我したら大変じゃない)
「リュナは、その手が『神様の道具』なんだから、もっと丁寧に使いなさい」
フェルシアは呆れながらも、娘の才能に頬を緩めた。
リュナはカイに向かってニッコリと笑った。
「かーい。だいじょぶ」
カイは感激で胸がいっぱいになった。
「リュナちゃん……僕、君を守るためにも、もっと修行するよ!」
レイヴンは遠くからその様子を見て、青ざめた。
「フェルシア!リュナがテレポートの能力と重力操作まで覚えたぞ!結界を六重!今すぐ六重に!
そして、カイをリュナの『結界外移動時の緊急防護アイテム』として正式に任命する!」
ルーメン家の至宝・リュナの成長は、今日も家族の喜びと、父レイヴンの新たな悲鳴と共にあった。




