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〇〇は誰だ  作者: 北崎世道
一章
23/43

試合当日

 ────夢を見た。


 だが内容は思い出せない。


 良い夢だったか悪い夢だったさえも分からぬまま、忘却の彼方へ飛び去ってしまった。


 だが、おそらく悪い夢だったのだろうと思う。


 これまでの経験上、良い夢よりも悪い夢を見る方が圧倒的に多い。


 現実だってそうだ。


 良い事よりも悪い事の方が遥かに多い。


 思うに、これは人間という存在が正しさよりも悪辣さを優先させる生き物だからだ。


 故に、脳にこびり付いてるのは悪い事ばかり。

 ならば悪夢ばかり見るのは当然の流れだ。

 夢とは観測者の記憶を元に創られる。


 悪い事ばかりがこびり付く脳髄で良い夢が見られる訳がない。

 現実で良い事が起きてないのに、良い夢を見られる道理なんて端から存在しないのだ。



 ◆



 目を開き、身体を起こす。

 汗はそれほどかいてない。

 息も特に乱れていない。

 鼓動はやや早いが、特別高鳴ってる程でもない。

 いつも迎えるような普通の朝だ。

 特別な事は何も起きていない普遍的な朝だ。


 しんと冷えた床に立ち、カーテンを開く。

 一日中ずっと明るい部屋だが、窓から差す太陽の光は照明灯とは違った明るさがある。

 暖かい。耳を澄ますと、遠くから鳥の声が聞こえてくる。

 どことなく寂しげな声。

 まるで助けを請うかのように。

 夢の中の誰かのように。


「…………」


 僕はぼんやりとした頭で窓の外を眺め、少し鼓動が落ち着いてから、ゆっくりと振り返り、部屋を出る。

 真っ白な廊下を歩き、洗面所に向かう。

 鏡の前には誰もいない。蛇口を捻り、流水に触れる。

 水のあまりの冷たさに、痛みが走る。

 やや躊躇いつつも、その冷水を手で掬い、顔を洗う。


 冷水で顔を流す度に、思考の靄が剥がれていくようだ。

 意識が徐々に現実へと近づいてくる。

 鏡を見ると、ようやく見慣れてきた自分の顔が映っている。

 けれどそこにはどことなく違和感がある。

 記憶の彼方へ飛び去って行った夢のカスがこびり付いている。


 誰だろうか、と鏡の中の己に問う。

 少し間を開け、これは自分だと言い聞かす。


 不意に鏡の中の自分が微笑んだ、ような気がした。

 邪悪な微笑み。

 自分では出せないような暗黒の笑み。

 誰だと問う。

 今度は間を開けずに、これは自分ではないと言い聞かす。


 問い掛けを終え、歯を磨き、再度顔を洗い直したところで、自室に戻る。

 そして寝巻からジャージへと着替える。

 寝巻とは異なるジャージ。寝巻と然程変わりはないようにも思えるが、一応は外行き用。

 黒くて、ちょっと生地が厚い。

 身体を動かして、着心地を確かめるが、特に不自由はない。


「────よし、こんなもんか」 


 ついでに軽く柔軟を行い、身体をほぐす。

 凝りようなモノを充分にほぐし終え、呼吸が温まったところで、部屋を出て、食堂に向かう。


 食堂にて朝食を取る。

 早朝であるが故に、空席が多い。

 席を選ぶ余裕さえある。

 僕は適当に座り、ぱっぱと平らげ、人心地着いたところでさっさと食堂を出る。


 時間を見る。魔闘場が開くまで、まだ少し猶予がある。


 クリネさん経由で、ヤオ・ワンに時間は伝えてあるので、連絡等を行う必要もない。

 武器の用意だってしてある。


 今のところすべき事はない。時間が来るまで待つだけだ。



 ◆    



 適当に歩き、寮付近まで戻ってくる。

 今から自室でゆっくりするのも微妙な時間帯。

 とはいえ、このまま魔闘場に行っても、手持無沙汰で待つ羽目になる。


 少し考え、自室に戻る事にした。

 この世界には暇を潰す道具がそんなに多くない。

 自室にあるのも、精々カナ・ニサンお勧めのグラハム本ぐらいだ。

 それなら自室でゆっくりしてても然程問題ない。

 ただ、時計がないので、あんまりゆっくりするのも難しいのだが。


 一応、目的地が決まったので、歩みの速度をあげる。

 と、寮の前にスタイルがやたらいい女性が立っていた。

 あの見覚えのある、足の長い女性は────ヒオカさんだ。


 ヒオカさんはきょろきょろと辺りを見渡していた。

 まるで誰かを探しているかのようだ。

 と、思ったら僕と目が合い、こちらに歩み寄ってきた。

 もしかして僕を探していたのだろうか。

 僕が軽く会釈をすると、歩みの速度が上がった。

 やはり僕を探していたようだ。


 彼女につられて、僕も軽く歩く速度を上げ、ヒオカさんの下に向かう。


 距離が十メートルを切った辺りで、歩みの速度を抑え、挨拶を行う。


「おはようございます」


「おはよう、ゴンベー君」


 ヒオカさんはいつもの様子とは少し違った。

 何が違うのか一瞬判らなかったが、すぐに気付いた。

 笑顔じゃなかったのだ。

 そういえば彼女はいつも笑顔だったという事に今更ながら思い至った。

 勿論、笑顔じゃない時もあっただろう。ただ、今回は何かしらの理由があって、笑みが消されているという印象だったのだ。


「どうしたんですか? 何かありました?」


 いつもとは違う神妙そうな顔のヒオカさんに、僕は正面から尋ねた。


「うん。少し気になる事があってね」


 ヒオカさんも誤魔化すようなそぶりは見せずに、正面から答えた。


「ゴンベー君は、サムさんのところで買った家具はどうしたんだい?」


 心臓が掴まれたような心地がした。


「あ、はい」と僕は言った。元の世界の僕だった。


 ヒオカさんは僕の返答にやや困惑しつつも、説明をしてくれた。


「実は、今日のヤオ君との試合があるから、ちゃんと起きてるかなと気になって、部屋を見に行ったんだ。でも、ノックしても返事がないし、鍵も掛かってないし、悪いとは思ったが、勝手に上がらせてもらったんだ。そしたら部屋の中が空っぽだという事に気付いてね」


 ヒオカさんの説明に僕は黙る。


「アレは一体どうなのかな?」


 僕は目の前が真っ白になった。

 何を言えばいいか分からず、口をパクパクさせていた…………と思う。

 自分でもどういう状態かよく分からない。

 頭が回らない。

 世界がぐにゃんぐにゃんと揺らいでいる。


「まさかとは思うけど……、捨てたりしてないよね?」


「…………すいません」


 僕は頭を下げる。


「そんな……っ」


 ヒオカさんの悲痛な声が聞こえる。


「どうしてそんな事を……」


 どうしてと言われても……アレはどうしようもなかった事だ。

 僕だって、あんな事になるとは夢にも思わなかった。


「すいません」


 と、僕は再度、頭を下げた。


 色々釈明の言葉は出てきたが、それらは頭の中に浮かんでは消えるを繰り返しで、何一つ口からは出てこなかった。

 結局、何を言っても言い訳にしかならないと思ったからだろう。

 家具が壊れた事には変わらないし。

 ヒオカさんの気持ちを踏みにじってしまった事にも変わりはない。


 顔を上げると、ヒオカさんはとても悲しそうな顔をしていた。

 今にも泣きそうな顔だった。


「…………そうか。残念だよ」


 そう言って、ヒオカさんは寮へと戻っていった。


 僕は当然その背中を追う気にはなれず、踵を返して、魔闘場の方へ向かった。


 もう何も考えられなかった。



 ◆



 気付いたら知らない場所にいた。

 いや、知らない場所ではない。

 なんとなく覚えている。

 ヒオカさんと別れて、魔闘場の方に行って、魔闘場前で開くのを待って、開いたらさっさと控室に行って…………そうだ。ここは控室だ。

 シャワールームやロッカーがついた控室。

 そこに独りでパイプ椅子に座っている。


 とまぁ、思い出したのはいいが、ここに来るまでの過程が曖昧だ。

 ぼんやりとしか覚えていない。

 ヒオカさんと別れてから頭の中がぐちゃぐちゃになって、どうにもあまりうまく回らない。

 感覚的にはいつの間にかだけど、ずっと長い間、暗闇の中にいる気もする。

 矛盾した感覚が両立している。

 とりあえず辛い事だけは確定している。


「やっほー。元気にしてるぅ?」


 ぼんやりと天井を眺めていたら、ややハイテンションかつ能天気な声が飛び込んできた。

 振り向くと、そこにはクリネさんとコアカさん、それから扉の影に隠れたカナ・ニサンの三名がいた。


「おはようございます」

 とコアカさんが軽く頭を下げる。

「体調は如何ですか? 先程、ヤオ・ワンさんも相手側の控室に入った事を確認しておりますよ」


 機械的な挨拶に、僕も「どうも」と返す。

「教えてくれてありがとうございます」


 カナ・ニサンは控室の出入り口の扉の影に隠れて、こちらを覗き込んでいる。

 いつも通り前髪で顔の大半が見えないが、どことなく怪訝そうにこちらを見ているような気がする。


「調子はどう? ヤオちゃんには勝てそう?」


 クリネさんがそう言って、僕の肩をポンポン叩いてくる。


「折角、昨日わたしが訓練に付き合ったんだから、ちゃんと勝たないと駄目だよ」


「え、あ、はい。頑張ります」


「うーん。だいぶ固くなってるようだねぇ」


 僕の反応が気に入らないのか、うりうりと、クリネさんは僕の肩を揉んでくる。


 確かに彼女の言う通り、僕は緊張している。

 肩に力も入っている。

 ヒオカさんの件で気持ちはかなり落ち込んでたけど、それはそれとしてヤオ・ワンとの戦いに対して緊張もしている。

 今朝から、いやむしろ昨晩からソワソワして寝つきが悪かったし、起きた後もなんだかセンチメンタルみたいな感じになっていた気がする。

 それが良い意味で気持ちがしっとりしてればいいのだけど、おそらく駄目な意味で気持ちがじっとりしていたように思う。

 元の世界の僕に戻っていた気がする。

 己の殻に閉じ籠って、空虚な時間に無理やり意味を持たせようとしていた時の自分に。

 独りが嫌いなのに、他人と居る事を苦手としていた時の自分に。


「…………わざわざ応援に来てくれて、ありがとうね」


「いいって事よ」

 とクリネさんが僕の肩に肘でぐりぐりしながら笑う。


「ていうか、カナちゃんはいい加減部屋に入りなよ」


 言われてカナ・ニサンはおずおずと控室に入ってくる。

 たった数日で、人見知りするカナ・ニサンが懐かしく思えてきた。



「気分悪いの?」



 不意打ちでカナ・ニサンが僕に尋ねてきた。


「え? いきなり何言ってるの?」


「なんだか様子が変に見えるから。無理してるように見えるよ。具合が悪いなら、試合を延期してもらった方がいいと思う」


「別に大丈夫だよ」と僕は言う。「

 確かに試合前だから緊張して、色々と固くなってるけど、そんなこと言ったら、いつまでも試合ができなくなっちゃうし」


「そういう事じゃ……」


 カナ・ニサンは何かを言いかけるが、結局は黙ってしまう。


 確かに、精神的には一旦、試合を延期してもらいたいぐらいの気持ちではある。

 だけど今回の試合、僕が挑発して無理やり始めさせた試合だ。

 そもそも試合を延期してもらうこと自体が難しい。

『なら、あたしの不戦勝ね』と、ヤオ・ワンならそれぐらい平気で言いそうだ。



「…………もしかして、ヒオカさんと何かありましたか?」



 不意にコアカさんが核心を突いてきた。

 当然、僕は誤魔化す。


「なな、何を根拠に?」


「いえ、今朝のヒオカさんの様子がなにやら変でしたので、もしかしてと思いましてね。まぁその反応で確信しましたけど」


 僕は黙る。


「理由をお話ししていただけませんか? 断るなら今からヒオカさんの方へ向かわせてもらいますが」


「…………実は」


 観念して、僕は家具の件について洗いざらい説明した。



「成程、そういう事があったんですね」

 とコアカさんが納得した様子をみせる。


「えぇ、部屋のモノが勝手に壊されるとか酷くない。あ、あの時の事情聴取ってそういう事だったんだ」 


 クリネさんも少し遅れて理解を示す。


「てか、犯人って絶対……」


「今はその話は置いておきましょう」コアカさんが被せるように言う。

「根拠が印象以外ありませんし。それに今は優先すべき話があります」


「…………そうだね」


 やや不満そうにしながらも、クリネさんがコアカさんの言葉に同意する。


「ゴンベー君はなんで、お姉ちゃんにきちんと説明しなかったの?」


 二人に構わず、カナ・ニサンが嗜めるように、僕に尋ねてくる。


 それをコアカさんが優しく宥める。


「まあまあ。突然、秘密がバレて混乱したのでしょう。うまく頭が回らなくて説明が言葉足らずになる事はよくあります。カナさんも似たような経験がおありでしょう?」


 コアカさんの指摘にカナ・ニサンが黙る。


「ひとまずヒオカさんへの誤解はワタシが解いておきますので、貴方はもうすぐ試合が始まるので、そちらの集中してください」


「誤解って、家具が壊れたのは事実なのに……」


「誤解ですよ」とコアカさんが強い口調で言う。「

 ヒオカさんは貴方が自分の意思で家具を捨てたとお思いです。まずはその誤解を解いておきましょう。大丈夫です。ワタシに全部任せてください。ヒオカさんは絶対、貴方の事を嫌いになりませんよ」


「コアカちゃん、すっごい頼りになる……ママぁ……結婚して……」


 クリネさんがときめいた顔でコアカさんを見つめる。


 彼女の茶化しに、コアカさんが鋭いローキックを入れる。


「ヒギャアッ!」

 クリネさんの色気のない悲鳴。

「酷いっ。てか重い! 鉈で足をぶった切られたかと思った!」


「ふざけるからですよ。あと、ワタシはママじゃありません」


「ごめんなさい……今度はパパにします……ヒギャァッ!」


「……ははっ」


「あっ、笑った!」


 僕が笑うと、クリネさんが即座に反応した。

 どうやら僕を元気づける為にわざとふざけてたらしい。


「やったね。ゴンベー君、元気出た?」


「はい。出ました。ありがとうございます」


「あはは、堅苦しいよ。あ、これなんか最初にも言った気がする」


 そういえば寮であいさつ回りの時に同じような事を言われた覚えがある。

 あの時に僕の名前が決まったんだっけか。


「それじゃあワタシはヒオカさんの説明しながら貴方の応援もしますので、お先に失礼します」


「え? ヒオカさんも来てるの?」


「ええ。あの人はヤオさんの方に顔を出してます」


 そう言ってコアカさんが一足先に控室を出た。


「もう少しで時間だけど大丈夫? ヤオちゃんは武器を用意してると思うけど、ゴンベー君は何か用意してないの?」


「用意してるよ。クリネさんとの訓練でも使ったでしょ。あの木刀をまたレンタルしてる」


「え?」


 途端、クリネさんの顔が強張った。


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