喜界島巴 003
とある商店街を喜界島を連れて歩く。既に陽は沈み辺りは暗くなっている。こんな寂れた商店街の明かりといえば点滅する街灯くらいしかない。三十三のテナントのうち、三十三のテナントがシャッターを閉めているのでそれも当然だろう。
「曲間水面同級生、私をこんな暗いところへ連れ込んで何をする気かしら」
喜界島巴が呟くように言った。その目には依然として疑いの色が伺える。
「女性とのデートにこんな所をピックアップするなんて甲斐性の無い男ね」
「誰がデートだ。そんなつもりは無いぞ」
『肉屋 よしざき』のシャッターを横目に、路地裏に入る。そこは電灯も無く、真っ暗に近い環境が形成されていた。しかも暗いだけじゃ無い。若干臭うだろうし、ゴミも散乱していて実に汚い。暗い臭い汚いの3Kだ。
その路地裏をしばらく歩いたところで如何わしい看板が見えてくる。『探偵事務所』とだけ書かれたネオンが眩しい。たぶん茶色の木製のドアを開けるとそこには地下へと続く階段だけが出現する。まるで深淵に、地獄にも繋がっていそうな階段だ。狭い。狭い。人一人がやっと通れる幅だ。
「一段一段がキツいから気をつけろ」
「もう三度転けそうになったわ。早く言って頂戴」
「そうか。一、二回転け掛けた時点で学習して頂戴」
大体二十段降りたところで、もう一つ、蛍光灯に淡く照らされる扉が。
それを開けると、またもや、チラついた蛍光灯に照らされた廊下に出る。三歩進んで右側にトイレ。この前来た時、この、トイレの扉の下から蜚蠊が__黒い彗星が這い出てきたのを見てからこの扉はなるべく見ないようにしている。
もう三歩進むと、「社長室」という、仰々しいプレートが貼り付けられた扉が。
「やあ水面氏。今日は良い天気だね。外は晴れていたのかい?」
一気に明るい部屋に出る。部屋、と言って良いものか、さっきとは打って変わって広さ三十畳はあろうかという大広間だ。そのど真ん中に奴はいた。本当に社長が使っているような机に足を乗せ、電子タバコを咥えて踏ん反り返っている。喜界島が僕の陰に隠れる。隠れているのか、盾にしているのか。
「おやおやおや、なかなかなかに可愛いお嬢さんを連れているね。新しい彼女かい?」
「そのセリフはどうかと思うぞ。白魚」
おっさんはごめんごめん、とおちゃらけたように謝り、喜界島に自己紹介を始めた。
「こんばんは。僕はハクサカヘンマと云う。白い魚に門戸の札の扁、そして馬だ。見た目の通り、探偵をやっている者だ」
ワッフル柄のトレンチコートを着崩して、大胆に開いた前から人気テーマパークのマスコットキャラクターが顔を覗かせているシャツを着ている、見た目ホームレスに探偵と言われても実感は無いだろう。僕だってそうだった。
「私は__」
と、喜界島が口を開こうとした所で、白魚は手を出し、言葉を制した。
「僕は無駄が嫌いでね。録画したドラマやアニメは一回しか見ないタチなんだ」
「____?」
「つまり、君の名前が喜界島巴と言い、ピアノの実力者で、それを以ってして楔無に特待生入学、中学時代からは誰とも口を利かず、病弱少女という萌え要素を匂わせつつ、その実は自身の影が無いという通常ではあり得ない事象をひた隠しにする事に奔走し、日の出る前に登校し、人が居なくなった時に下校する、そんな努力を惜しまずこれまで過ごして来たが一時の気の迷いで夕日を鑑賞した所を水面氏に鑑賞され、それに関して口止めをしようとカッターナイフで水面氏を切り刻んでも水面氏は死なず、それどころか微かな蜘蛛の糸を垂らされて__」
何が凄いって、こいつ、噛まずに、息継ぎもせずに今の台詞を聞き取りやすく言うんだ。もしかしたらこいつも人間じゃあないかもしれない。少なくとも、今の場面は忠実にアニメ化なんて出来ないな。出来る声優が居たとしたら、僕はその人を尊敬する。
「水面氏に連れられて此処に来たとか。そんな事は省いて、僕の知らない事を教えてくれないかい?」
「____曲間水面同級生を切り刻んでなんか、いません」
喜界島は似合わない、掠れた、弱々しい声で、僕の右耳元で囁いた。僕の服を握る手に、更に力が込められる。
「あら? そうなのかい? てっきり僕は人間サイコロステーキが作れる程に切り刻んだのかと思ったよ。楔無高校特別教室棟の廊下でね」
眉間に皺を作る事に暇の無い喜界島の顔を極限までの上目遣いで観察した後、ははっ、脅かしちゃったね、との一言に添えて白魚は続けた。
「で、巴嬢については僕が知ってる事が全てって事でいいのかな。少なくとも、今回の一件については」
「だろうな。ほら、いつものセリフ、言ってみろよ」
「あら? 言って良いのかい? なら遠慮なく」
僕に知らない事なんて何一つとしてこの世に無いんだよ。白魚はキメ顔でそう言った。
「で、白魚、お前は喜界島が影を失った原因も知っているのか?」
「知っているのか、知っていないのかだったらもちろん知っているさ。君も、僕も、巴嬢も。産まれた時から死ぬその時まで、一時も忘れず、その事を知っている」
そんな白魚の気取った発言に思わず眉を顰める喜界島。恐らく僕も同じ顔をしていただろう。
「いやあ、それにしても今回の一件は随分奇遇だね」
僕たちの目線に気付いたのか、白魚は仕切り直すように言った。
「奇遇__どういう事だ?」
「水面氏と巴嬢__まるで、巻き込まれるべくして巻き込まれたような感じがするよね。って思ってさ。僕だって白魚だしね」
と、ドヤ顔で言った後、喜界島に向かってもう一度訊いた。
「で、巴嬢、君はどうなりたいのかな?」




