第4話 修道院の静寂に咲く薔薇
王都から馬車で二日。緑豊かな森の奥深くに、その修道院はひっそりと佇んでいた。
石造りの古い建物を包むのは、張り詰めたような静寂。私は案内された中庭で、その人を待った。
「お待たせいたしました、ヨーク公爵令嬢」
振り返った私は、思わず息を呑んだ。
現れたのは、質素な修道服に身を包んだ女性――キャロライン・オンタリオ元侯爵令嬢。
かつて母をいじめた「希代の悪役令嬢」として修道院へ幽閉されたはずの彼女は、しかし、惨めさとは無縁の場所にいた。背筋を美しく伸ばし、その瞳には凛とした誇り高さがある。まるで、静寂の中にひっそりと咲く一輪の薔薇のようだった。
「キャロライン様。突然の不躾な訪問をお許しください」
「構いませんわ。……ふふ、あなたがあのフランソワ様の娘さん。お父様にそっくりね」
キャロライン様は穏やかに微笑み、私をお茶に誘ってくれた。
木陰のベンチに座り、私は意を決して本題を切り出した。
「キャロライン様。私は、十五年前の真実を知りたくてここへ参りました。……あなたは、私の父、フランソワを愛していらしたのですか?」
私の不躾な問いに、キャロライン様は遠い目をして、寂しげに微笑んだ。
「……ええ、愛していましたわ。私はフランソワ様の婚約者であることを誇りに思っていたし、政略結婚だとしても、いずれ彼と温かい家庭を築けると信じていました。彼の、冷徹な裏にある不器用な優しさが好きだったの」
彼女の口から語られたのは、かつて父を純粋に慕っていた、一人の少女の切ない恋心だった。
「だからこそ、コレットさんが現れた時、私は嫉妬に狂ってしまった。……世間では私が苛烈ないじめをした悪女とされていますが、それは事実よ。私の取り巻きたちが、彼女を精神的に追い詰めるような真似をした。私はそれを、止めることができなかったの。いいえ、嫉妬ゆえに、止める気が起きなかった。……すべては、私の未熟さが招いた罪です。こうして修道院で悔い改めるのは、当然のことなのよ」
彼女は今も、自分の過ちを深く後悔していた。けれど、その表情に昏い怨みはない。
「けれど、ここへ来て救われました。高位貴族としての重い義務や、他人の視線から解放されて、私は初めて『自分自身』として生きられている気がするの」
キャロライン様は、聖母のような笑みを浮かべて私を見つめた。
「フランソワ様とコレット様は、今も仲睦まじくお暮しなのでしょうね。羨ましいことですわ。国中を敵に回しても貫いた『真実の愛』なのですもの。そんなお二人を引き裂こうとしたのですから、私が修道院へ送られたのも仕方のないことです」
「…………」
私は、言葉を詰まらせた。
現在の両親が、冷え切った仮面夫婦であること。母が遠く離れた領地で引きこもるように暮らしていること。そんな生々しい現状を、この気高い女性に伝えることは、どうしてもできなかった。
私はただ、そっと俯くことしかできなかった。
(ああ、そうか……)
私は胸の内で、新たな答えを導き出す。
愛とは、どんなに純粋で、どれほど強く相手を想っていても、両思いでなければ成り立たないものなのだ。キャロライン様の愛は本物だった。けれど、父の心が離れてしまっていたから、彼女の愛は実を結ばず、ただの凶器に変わってしまった。
「キャロライン様。お話ししてくださり、ありがとうございました」
「いいえ。あなたのこれからの未来が、祝福に満ちたものであるよう、お祈りしていますわ」
修道院を去る間際、私は中庭の入り口で、一人の整った容姿の壮年の男性とすれ違った。
仕立ての良い上着を着たその男性は、この地を治める領主であるノータリー伯爵だった。彼は私に礼儀正しく一礼すると、足早にキャロライン様の元へと向かっていく。
「キャロライン殿、今日の孤児院への寄付の件ですが、あなたの意見を聞きたくて……」
「まぁ、伯爵様。わざわざお越しくださるなんて」
振り返ると、二人はとても親しげに、そして互いへの深い尊敬を込めた眼差しで言葉を交わしていた。
まだキャロライン様は気づいていない。けれど、貴族の義務から解放され、この地で慈悲深く生きる彼女の美しさに、領主伯爵が激しく心を奪われていることに。
歴史の表舞台から消された気の毒な元侯爵令嬢。
けれど神様は、彼女を見捨ててはいなかった。
ここから数年後――キャロライン様がこの修道院のある領地の領主に深く請われ、その後妻として迎えられる幸福な未来を、今の私はまだ知らない。
けれど、彼女が本当の幸せを掴む物語は、すでに静かに始まっていた。
キャロライン様の気高い横顔を胸に刻み、私は馬車に乗り込んだ。
残るピースは、あと一つ。
お伽話のヒロインであり、今は遠い領地で眠るように暮らす、私の母――コレットの元へ。
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