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第十五話 微笑み

 年季の入った書物に囲まれたこの執務室の中。

 しかし、そのような古美術(こびじゅつ)の薫り漂う部屋の中には重苦しい空気が立ち込めていた。

 

 両手の拳を固く握り、俯くアラヤ。そんな彼女をシセンは逃がすまいと睨みつけていた。

 シセンはアラヤの旅をする本当の理由である「里から逃げ出したかった」という言葉を聞き、呆れとも言えぬ表情をしていた。

 カップから香り立つ甘い紅茶の匂いは今のアラヤには届かない。

 

「…それが君の本音(・・)か」

 

「…」

 

 自分自身でも認めたくない旅の動機にさらに追い打ちをかけてくるシセン。

 

「何も言えないのか」

 

 彼の表情をみるまでもなく呆れているのがアラヤには分かった。

 

「アラヤ君。私は君を責めようとは思っていない。旅人が旅をする理由なんてなんでもいいと、そう思っているからね」

 

「だが」とシセンは前置きをし、続ける。

 

欺瞞(ぎまん)に満ちた旅は周囲の人間どころか、自身の身を滅ぼすことになる。そうは思わないか」

 

 シセンの言葉の全てがアラヤに重くのしかかる。

 バースでのケイオスとの戦闘、エストリアでの惨劇。

 

(私に覚悟が足りなかったから…なのかな)

 

 そんなアラヤを見てもシセンからの追及の手は緩まなかった。

 

「更に言うと、君の旅の目的…『人を助ける』も『里から出る』もどちらも、カナギでできたのではないか?」

 

 ツバラキの里の民は代々、妖赫魔法を一族で継承してきた。

 そのため、人体の構造や身体・血液と魔素の関係性などを幼少期から教育される。そのうえ、妖赫魔法を持つ人間は魔力も身体能力も、持たない人間より高い傾向にある。

 それにより、里を出た民は医療の道に進む者やカナギの軍に入隊する者、学術研究の道に進む者がおり、それらの分野で顕著な功績を残している人が多い。

 

 そのことをシセンはアラヤに伝えた上で、もう一度聞いてきた。

 

「これらは里を出て、人を助けることができる道だ。なぜ君は旅なんだ?」

 

 なにも反論ができなかった。

 建前の理由であった「人を助ける」でさえ、旅ではなくてもカナギ国内でできたこと。

 アラヤも妖赫魔法の存在によって、ある程度人体について知識もあり、それを深く学べば医学の道にでも行けた。

 

「君は旅を経て、何をしたいんだ」

 

 シセンの最後の質問は核心に迫るものだった。

 しかし、アラヤはすぐにその質問に答えることはできなかった。

 

「里から逃げ出したかった」

 確かな本音。しかし、今までの旅はそれだけではなかった。

 胸の奥には、この旅がそんな空虚な理由だけでできていたわけではないと感じさせる何かが、まだ眠っている気がした。

 

「…私は、里から逃げ出したかった。それは本当です」

 

 不本意ながらもこれは認めなければならない。

 けれども、この本音がなくてはアラヤの旅は始まらなかった。

 

「でも、今までの私の旅路は嘘じゃない。人の力になりたいと思ったことも、そのために強くなりたいって思ったことも。全部、本当の私だった」

 

 窓から差し込む陽が格子の影を真っすぐに映し、昼が近いことを知らせる。

 紅茶の香りが鼻を再び掠めた。

 

「最後に望む結果にならないかもしれない。それでも、私は私の本当を貫いて、たくさんの人の力になりたい。そして――」

 

「最後には…里の人たちに私が厄介者じゃないって、みんなを助ける力がある人間なんだって認められたい!」

 

 胸の奥で煙のように掴むことのできなかった本当の感情を、やっと手の中に収めることができたような気がした。

 アラヤが話をしている間、シセンは静かに彼女の話を聞いていた。彼女の言葉を見極めるように。

 

「…そうか」

 

 シセンはその一言を言った後、ソファに深く掛け直し、カップに口をつけた。

 再び二人の間に静寂が訪れた。先ほどとは異なり、どこか緩い空気を孕むが、依然としてアラヤの緊張の糸は張り詰めたままであった。

 

 短いようで長い沈黙が続いた。

 その間、アラヤは身動きを一つもせず、ただひたすらにシセンの次の言葉を待ち続けた。

 

「…先ほども言った通り、旅の理由なんてなんでもいい。ただ君の今までの旅と、そしてこれからの旅が君にとってどんなものなのかが、よく伝わった」

 

(それはつまり…どういうこと?)

 

 シセンの言葉から、アラヤの旅の目的についてどう考えているのかが分からなかった。

 納得したのか、はたまた下らない理由だと考え旅をする資格がないと考えているのか。

 

「姿勢を崩したまえ。これからの準備についての話に移ろうか。」

 

「…あの、つまり…?」

 

「どうした?」

 

「いえ、えっと。私の旅の理由については…」

 

「言っただろう。旅の理由はなんでもいい、と。立派な理由とは言えないが、悪くはなかった。」

 

「…! ありがとうございます…」

 

 ここまで聞いてアラヤは安心し、漸く深くソファに腰を沈めることができた。

 シセンも小さくうなずき、話の続きをしだした。

 

 緊張の糸が一気に緩み、あまり話に集中できなかったが、準備については予想通り遠征のための準備期間のことだった。

 期間は一ヵ月。初期費用はシセンが負担するが、それでも足りなければ各自で稼げとのことだった。

 体力をつけるのも、魔法書を読んで使える習得魔術を増やすのも、その一ヵ月の間に自分たちで判断して進めろという話らしい。

 

 一通り準備に関しての話を受けた後、アラヤはシセンに気になっていたことを聞いてみた。

 

「あの、どうしていきなり私の旅の理由について聞こうと思ったんですか?」

 

「そんなことを聞いてどうする」

 

「いえ…ちょっと気になって…」

 

 旅人の旅の理由についてそこまで関心のない人が、アラヤに対してここまで詰めてきた理由が気になるのは当然だった。

 さらに言えば、アラヤとシセンは同郷とはいえ、昨日今日知り合ったばかりのほぼ他人。

 そんなシセンがアラヤに対してここまで注意を向ける理由が分からなかった。

 

「そうか…。強いて言うならば、縁の導きと私の性分のせいだね」

 

(縁の導き…?)

 

「縁というのは…」

 

 シセンはまるで過去を懐かしむかのように、遠くを見つめて言葉を紡いだ。

 

「私もアラヤ君と同じく、ツバラキの者なんだ。そして、君の両親との縁も深くてね。数か月前に君の両親から、君が私のもとに訪れるようであれば気に留めてやってほしい、と頼まれたんだよ」

 

(だから、ツバラキの里の事情についても詳しかったのかな)

 

 あまりの衝撃の事実に少し肝を抜かれてしまった。

 それと同時に、アラヤのこれまでのことが両親の耳に届いてしまっているのかと思うと、不安になった。

 里を出た理由には両親に迷惑をかけたくないからというのも含まれていたため、このことが里に広まれば余計に両親が里の人たちから白い目で見られてしまうかもしれない。

 

 そう考えると気が気でなかった。

 

「それと私自身、覚悟や動機といった何かを行うための土台が確立していない人間を放置しておけなくてね。君の両親からの頼みと私の性分も相まって、少し強く君を詰めすぎてしまったよ」

 

 シセンは柔らかく微笑んでそう言った。

 窓から差す陽光と重なり、この人の微笑みが思いのほか柔らかく見えた。

第十五話を読んでいただきありがとうございます!


今回はアラヤが自身の旅とどうやって向き合っていくのか。そのためのエピソードでした。

あまりにも自己中心的な目的ですけれど、人間らしさや内なる子供を考えるとしたら、こんな感じになるのかなと思います。

もっと旅をメインとした話を書きたいのですが、やっぱり目的や理由がしっかりしていないとダメですからね。


次回以降も『赫、燦々と』をよろしくお願いします!

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