44 割れた光の盾
その日の夜は、翌朝オリビアが起こしに来るまで全く眠りが浅くなることなく、夢も見ずに深い深い眠りについた。
人生で一番疲れた日だと思う。今までも色々あったけど、昨日ほど目まぐるしい日はなかった。
本当はまだ眠っていたいけれど、一度目覚めてしまえばこれからのことが気になって、もう目を瞑ってなんていられない。
今日もきょうとて頑張ろうと胸に秘めながら朝の支度を済ませた。
「光の盾が割れた!?」
またいつ自我を失うか分からないからと、ヴェール様は頑なに檻の中から出ようとしないため、私たちは椅子や照明を運び入れて檻の前に並べて座った。私、お姉さま、セバスチャン、オリビアの四人と、檻の中のヴェール様の五人。それに、何かあった時の伝達係として少し離れた場所に一人、メイドのメイが控えで立っていた。
本体は相変わらず意識のないまま。獣姿のヴェール様が、何故光の盾の仕事である負の感情の回収が止まり、更には体が分裂してしまったのかを説明し始めて全員が驚愕した所だった。
「正確に言えば、ひびが入って今にも割れそうな状態です。短期間に何度も感情の回収と浄化を繰り返して、限界を迎えてしまったようなのです……」
恐らく私の力が。と声の調子を落として付け加えた。こんなことになっても尚、ヴェール様は自分に光の盾としての才が薄いことを気に病まれているのかと思うと胸が苦しくなる。今回の件は全く関係ないのに。
ヴェール様は自身の体に起きた異変と、光の盾の現状について分かる範囲で話して下さった。
盾にひびが入ってしまったことで、ひびの入った水がめのように、負の感情が入った傍から漏れ出ていってしまい、溜めることが出来なくなっていること。
負の感情の回収が止まるのはローレンス家の血筋が途絶えた時のみのため、今も変わらず続いている。けれど盾が役目を果たしていないので現状何もしていないのと同じになってしまっていること。
勿論浄化もされていないので、国中から回収された負の感情は、眠り続けているヴェール様の本体の中に入りそのまま素通りしてまた国中に戻されているということ。
人間の本体と、浄化の際に変身する獣の姿が分裂してしまった本当の理由はヴェール様自身にも分からないらしい。けれど恐らくは自己防衛本能が働いたのではと推測されていた。
盾にひびが入り、負の感情の受け皿がないにも等しい状況でその体にいればどうなるか。あくまで想像でしかないけれど、いいことになるとはこの場にいる誰も思わない。
ヴェール様からの一通りの説明が終わった後、暫くの間誰も何も言えなかった。
言葉を失っているのか何かを思案しているのかはそれぞれだと思うけれど、軽い気持ちで声を掛けられないのは全員同じだったと思う。
ヴェール様は既に国中で囁かれている噂と元凶についてご存知で、知った時には驚きよりも諦めたような表情をされていたらしい。もしかすると以前から国王の歪んだ性格を見て来ていたのかもしれない。
国内を明るく照らす光の剣という尊い存在が、国を汚し曇らせている。内容と理由から考えて、改心させられる可能性はとても低い。時が経って息子へ代替わりするまで待つしかないのかな。
でもそんな悠長なことを言っていたら、ヴェール様は助からないし国だって荒れてしまう。私たちに出来る事は何なのだろう。
思い返せばヴェール様は誰よりも国王に近しいはずの存在なのに、その口から話が出たのは一度きりだった。私たちの結婚の報告から帰って来られた時だけ。
「もしかして、王宮に連れて行って下さらなかったのは、私を守るために……?」
沈黙を破って不意に出た言葉がそれで、あまりにも今までの話との脈絡のなさに自分の額を叩いた。頭の中では色々考えて整理していたつもりだけど、口に出すと突拍子もなさ過ぎて自分に驚いた。
「……リアナを見た時に、あの王がどのような反応を示すかは予想がついていたので」
突然の話題にも当たり前に返答してくださって、私は恐縮して肩を竦めた。だけど全然知らなかった。赤い目を国王に見せるのは不敬だとか、好奇の目に晒させないためだと思っていた。いくら聞いても理由を教えてくださらなかったのは、そういうことだったのね。
「王宮ではヴェール様の結婚を祝したパーティが行われて、楽しい時間を過ごされていたのだとばかり思っていました。確か滞在期間が一週間のはずが三週間に伸びましたよね……」
ヴェール様の外見に嫉妬したくらいで光の盾の仕事の負担をわざと増やして追い込んで、少しも悪びれる様子のない国王。
そんな人が、本当にパーティなんて開いたの? ヴェール様が着飾ればそれこそ本当に国王様より国王様のように見えてしまうのに? だったら仕事? ヴェール様はこの城でもいつもお仕事が忙しそうだから、国王と顔を合わせれば話し合うことはいくらでもあるはず。だけど国王がヴェール様と顔を合わせていたいか? という疑問が再び私の中で持ち上がる。
「あの時、一体王宮で何をなさっていたのですか?」
「それは……」
話したくないのか話せることがないのか、ヴェール様は口ごもってそのまま黙ってしまい、気まずい沈黙が流れていく。触れてはいけないことだったらしい。
何か別の話題に変えなければと、座っている人たちの顔を見るとお姉さまと目が合った。
「残念ながら部外者である私には解決策は思いつかないけど、私にしか出来ない仕事は見つかったわ」
二ッと笑ったお姉さまは、席を立ってヴェール様に近付いた。
「……それはどのような仕事ですか?」
「このままだと庶民による暴動が起きて、ローレンス城に人が押し寄せる可能性があります。感情の回収が止まって既に一日半、昨日の時点で町は結構な混乱が起きていたし、噂の元を辿れば光の盾公爵とその夫人を倒そうと攻めて来ないとも限らないでしょう。それを阻止します」
ハッと、その場にいた全員が息を呑んだ。全く考えもしなかったけれど、確かにその通りだと、みんなが気が付いた音だった。
現状の認識とこれからどうするべきか、どうしたらいいのかとそればかりに目がいって、荒れた国内の民のことまで頭が回っていなかった。
私たちは国王のバカな噂のせいで、国家転覆を目論む呪われた夫婦になってしまっている。この城は人里離れた森の中にあるため普段の警備は薄い。何かあった時に対処できない。というかそもそも、”何か”はないはずだったんだ。負の感情を回収しているから。ああ、バカバカ、把握できてるようで全然出来てないじゃない。
「他国であれば取るに足らない噂話でも、負の感情への耐性のないこの国では大ごとになる可能性は確かに高いですね……」
「オリヴィエ様、一体どのようにして阻止されるのでしょう。この老人にも分かるようにご説明頂けますか」
「この城で働いている者の中に、魔法使いはいる?」
セバスチャンの問いかけに答えないままお姉さまが聞くと、一瞬困惑しながらも直ぐに頷いた。
「一人おります」
「じゃあ至急連れてきてください。その人の能力次第で決めます」




