それは、苦しい感情でした
突然の緊急報告は、集団となった魔獣がライル様の城を襲っているというものだった。
ライル様の城がある場所から南側は昔、大量の魔石が取れる草原だった。それが大量の魔石の採掘により砂漠と荒野へ。そして、魔獣が溢れるようになった。
その魔獣が北上して獣人の国に広がらないように、ライル様が砂漠の城に移住して定期的に魔獣を駆除していた。
「私が毎朝、歌うようになってから砂漠の魔獣は徐々に姿を表わさなくなったとお聞きしておりましたが」
「そうでしたですが、ここ数日で魔獣たちが集まり北上を始めまして。ライル様の城より北にある獣人の国の王都に増援を求めましたが、途中にある河が雨期のため増水で足を取られ、すぐには来れないと。そこで、距離的には王都より近いストファリア帝国の帝城にいるライル様に報告に参りました」
サナジャブが人型になったウカーブに治療魔法をかけながら言った。
「この怪我は魔獣の群れの中を抜ける時に負ったものか」
「はい。魔獣の動きが活発な夜に大群の上空を抜けましたので」
「一斉攻撃されたわけか」
アッザが思い出したように頷く。
「ライル様の城まで薬草を取りに行った時、魔獣の群れがおりましたが……あの時はたまたま遭遇したのかと考え、時間がなかったのもあり魔法で逃げ切りましたが、まさかこんなことになっていようとは」
「その頃は小さな群れでしたし、城から距離がありました。そのため対処できておりましたが、ここ数日でその小さな群れがまとまりまして……かなりの大群となり、今は城に近づかせないだけで精一杯となっております」
ウカーブからの報告を聞き終えたライル様が立ち上がる。
「至急、城に戻る。足が速い獣人らを集めて部隊を編成しろ」
「足が遅いのは、どうするの?」
ラナ様の質問にライル様がきっぱりと答えた。
「足が遅い獣人らは帝都に置いていく。体が重くて馬での移動もできないからな」
その決断に宰相たちが異議を唱える。
「いくら足が遅いとはいえ、貴重な戦力を置いていくなど愚策ですぞ!」
「足の遅い獣人らが砂漠の城に到着する頃には王都からの増援も到着する。それなら、ここで復興作業を手伝っているほうがマシだろ」
「まさか、我々のために……」
呟き声にライル様が顔を背けた。
「勘違いするな。魔獣の相手などオレと足が速い獣人らで十分なだけだ」
でも、耳はそわそわと動いていて恥ずかしさを誤魔化しているみたい。
ラナ様が立ち上がって軽く言った。
「じゃあ、さっさと荷物をまとめて行きましょう」
「ラナ王女まで行かれるのですか!? それでは、獣人たちは誰がまとめるのですか!?」
「それはグリラと宰相に任せるわ。何かあったらグリラに言って」
「いや、そんなあっさりと!?」
「たぶん、なんとかなるわ」
「たぶんでは困ります!」
ザワつく宰相たちにラナ様が妖艶に微笑む。
「あら、獣人と人族が共存できる国を作るんでしょ? これぐらいのことで取り乱してどうするの? それとも、さっきの言葉は嘘だったのかしら?」
ラナ様の美しさと圧力に押されて黙る宰相。
簡易テント内が静かになったところでライル様がアッザに命令した。
「おまえはセシリアと神殿に残れ」
思わぬ言葉に私が意識する間もなく叫んだ。
「行きます! ライル様と一緒に!」
私の声の大きさにテントの外を歩いていた足音まで止まる。
ライル様が諭すように低い声で私に言った。
「ダメだ。危険すぎる」
「危険なのは承知です。ですが、ここで待っているだけなんて……」
力がないのは分かっている。でも、私にもできることが……
「歌を……歌をうたわせてください! 私が歌っている間、魔獣が現われなかったのなら、歌が効くのかもしれません!」
「だが、おまえは今、歌声が出な…………わりぃ」
ライル様が口を押さえて私から顔をそらした。口は悪いけど、私のことを考えてくれて。私が傷つかないようにしてくれて。
でも、今だけは……
「歌声は大丈夫です! 今の声でも泉が浄化されているのですから、魔獣にも効くはずです!」
私はライル様に必死に訴えた。体を精一杯近づけて、背伸びをして、ライル様の顔に少しでも近づくように。
その結果。
「分かった! 分かったから離れてくれ!」
ライル様の顔が真っ赤になりました。顔は必死にそらしているけど、これだけ密着していれば、いくらでも覗けるわけで。
ラナ様がパンパンと手を叩く。
「はい、はい。ライルの負けね。セシリアちゃんの護衛はアッザに任せましょう。荷物は最低限で、すぐに出発するわよ」
こうして私はライル様の城に戻ることになったのだけれど……
※※
「あ、あの……本当によろしいのでしょうか?」
「いいから、さっさと乗れ」
獣人の方々はそれぞれ動物の姿になり荷物を背にくくりつけている。そのため背中が空いているのはライル様しかおらず……
私の前にはライオン姿になったライル様。
焦げ茶色の立派な鬣を風になびかせ、濃緑の瞳が私を睨む。少し口を開ければ鋭い歯。太い前足に丸い足先。胴体も太く、細い尻尾を悠然と揺らす立派な雄ライオン。
戸惑う私にライル様が追い打ちをかけた。
「それとも、走るか?」
「乗ります!」
私の体力と足では帝城を出る前に置いて行かれる。それは分かっている。
覚悟を決めた私はライル様の背中に跨がった。
「うわっ」
バランスが取りにくくて落ちそうになる。そこに乾いた風が吹き、体を支えられた。
「魔法で補助した。走っている間は魔法が解けない限り、落ちることはない」
「あ、ありがとうございます」
そこで目の前に袋が現れた。少し視線を動かせば袋を咥えたガゼル姿のアッザ。
「携帯食料と水です。途中で休憩をいたしますが、それまでに空腹や喉の渇きがありましたらお取りください。ライル様が魔法で守られているので、少しぐらい動いても大丈夫でしょう」
「は、はい。ありがとうございます」
「食べるどころか、寝ても大丈夫よ」
琥珀の瞳を細めて言ったのはライオン姿のラナ様。太い足だけどシュッとした体。黄金の毛が艶やかに波打っている。
「おめぇら、オレは馬車じゃないんだ。好き勝手言うんじゃねぇ」
「す、すみません!」
私が慌てて謝るとライル様がプイッと前をむいた。
「……セシリアはいいんだよ」
あまりにも小さな声で聞き取れなかった私は前屈みになって顔をライル様の頭に近づけた。ふかふかな耳が! 目の前でピクピクと動いて!
私は触りたくなる衝動を抑えて訊ねた。
「申し訳ありません。よく聞こえなかったので、もう一度言っていただけないでしょうか?」
「……出発するぞ」
「は、はい」
そんな言葉だっただろうか? 首を傾げながら体を起こす。
すると、何故か周囲から生温かい視線で見られました。
※※
それからは、すごいスピードで移動が始まり。景色は見る間もなく背中に流れ、道なき道を一直線に走っていく。
ライル様に乗っている私は掴まるところもなくて不安定なはずなのに、とっても安定していて。しかも背中の短い毛がフワフワしていて、つい撫でたくなる。
(そんなことを考えている場合ではないのに! でも、抱きついたら気持ちよさそう……って、ダメ、ダメ!)
考えを振り払うように頭を振る。すると、ライル様が振り返ることなく声をかけてきた。
「疲れたか?」
「いえ! なんでもありません。失礼いたしました」
「そうか。疲れたら無理せずに言え……おまえはすぐに我慢するから」
ライル様が私を心配して……
それだけで嬉しいような、心がふわっとする。でも、次にくるのは、なんとも言えない悲しみ。私はお飾りの妻だから。盟約のためにも生きないといけない。そのための言葉。
「ありがとう、ございます。私は……大丈夫ですので」
グッと手を握りしめる。
(これが終わったら、ライル様がお慕いされている方を探して、ライル様にも幸せになっていただかないと)
左手の指輪に一滴の雫が落ちた。




