それは、初めての贈り物でした
不機嫌な声とともに肩を強く引っ張られ、体が傾く。後ろに倒れる直前、ポスンと受け止められた。背中越しでも分かる、弾力があり、しっかりとした感触。そこから広がる温もり。
顔をあげると、そこには……
「ライル、様?」
私を包み込むように背後に立つライル様。私の肩に大きな手をのせ、しっかりと支えている。ただ、濃緑の瞳は険しく厳しい。
警戒心を露わにしているライル様にフェルナン様が軽く肩をすくめた。
「なにか用ですか?」
「こいつはオレのだ」
その言葉に私の胸がキュッとする。でも、さっきのキュッとは何かが違う。痛みはなくて、ドキドキして、ふわふわして、不思議な感覚。
でも、フェルナン様はライル様の言葉を鼻で笑った。
「本当にそうですか? 聞けば、あれだけの時間があったのに、いまだに結婚式を挙げていないとか」
「……何が言いたい?」
「例えば、結婚式をセシリア皇女が拒否をしている、とか」
思わぬ言葉に私は声が出ていた。
「私は拒否などしておりません! ライル様はとてもお優しくて。他の獣人の方々も、とても良くしてくださってます」
「それはセシリア皇女がお優しいから、そのように感じているだけなのかもしれません」
「え?」
フェルナン様が薄い水色の瞳を細める。その中には同情するような色があり。
「獣人との結婚など汚点でしかありません」
その発言に私は目が丸くなった。
「汚点? 汚点とは、汚れやシミ。好ましくない点。不名誉な点。ということでしょうか?」
「……そ、そうです」
私の質問にフェルナン様が少し表情を崩しながらも、しっかりと頷く。
その姿に、私の中で感じたことがない気持ちが湧き出してきた。
「つまり、獣人の方との結婚は不名誉でしかない、ということですか?」
私のことはどう言われてもかまわない。でも、ライル様やアッザ、獣人の方々は悪く言われたくない。
そのままフェルナン様に迫ろうとしたら、予想外の声が私をとめた。
「やめとけ」
肩に置かれた手に力が入る。振り返ると、いつもの不機嫌な顔も、怒ったような顔もない、無表情のライル様。
初めて見る顔に私は釘付けとなった。
焦げ茶色の髪が風に遊ばれ、涼やかな目元を隠す。それでも、感じる強い視線。目が離せず惹きつけられる。
ライル様に魅入っていると、フェルナン様が低い声で場を切った。
「興が削がれました。セシリア皇女。また明日、お会いしましょう」
「え……?」
私の返事を待たずにフェルナン様が従者を連れて去る。
突然のことに呆然としていると、ライル様が私に声をかけた。
「……少し歩くか?」
「は、はい」
ライル様が薔薇の庭へ。急いで後を追うと、咲き乱れる薔薇の数々と甘い香りに迎えられた。
湧き出していた感情が洗い流されていくほどの美しさ。
「ふぁ……すごいです」
近くから見る薔薇は、また別の意味で圧巻される。大きく立派な一輪花だったり、たくさん集まった小さな花だったり。花びらがクルンと丸まっていたり、広がっていたり。
種類は様々だけど、どの薔薇も立派に咲き誇り、彩りを添える。
見事な光景に目を奪われ、先を歩いていると、背後でアッザがこっそりとライル様に訊ねていた。
「謹慎中ではないのですか?」
「それは、反省文を書いて……って、済んだことだ」
ライル様が慌てて話を終わらる。でも、アッザは軽く驚きを含んだ声で続けた。
「まさか、ライル様が反省文を書かれるとは……盛大にやらかして国王に書けと命令された時でも断固拒否されたのに」
その内容に私は振り返った。
「ライル様は反省文がお嫌いなのですか?」
私の質問にアッザが苦笑する。
「自分の非を認めて反省を綴る文ですから、お好きな方はあまりいないかと」
「あ、そうですね」
特にライル様はそういうことが苦手そう。
納得しているとアッザがニヤリと口角をあげながらライル様に視線をむけた。
「嫌いな反省文を書いてでもセシリア様の近くにいたいということでしょう」
「クッ……」
否定も同意もせず顔を背けるライル様。私は少しだけ考えて、すぐに閃いた。
「お飾りの妻とはいえ近くにいないと、先程のフェルナン様が言われたような誤解をされかねませんしね」
「…………そういうことにしておきましょう」
呆れたように微笑むアッザ。その隣ではライル様が額を押さえて沈んでいる。
「ライル様? どこか悪いのですか?」
「いや。なんでもない」
ライル様が平然と体を起こす。その動きは滑らかで不調そうな様子はない。
私はホッとしつつ目を伏せた。
「あの……先ほどは、どうして止められたのですか?」
「さっき?」
「フェルナン様が言われた……」
「あぁ、汚点ってヤツか」
ライル様が合点いったように頷く。
「同じ種族同士でも意見の違いで争いは起きる。獣人は多くの種族の集まりだ。過去に様々な争いをしてきたし、今もある。それが、獣人と人族となれば尚更だ。いちいち気にしていたら切りがない」
「それでも、誤解されたままは嫌です! 仲良く……とまではいかなくても、せめて誤解は……解きたい、です」
最初は威勢がよかった私の声も、最後は消え入りそうなほど萎んだ。
神殿には獣人に関する書物があまりなかった。そのため、獣人の歴史はほとんど知らないし、人族と獣人の関係は詳しくは分からない。ただ、帝城で働いている人たちの様子から、あまり良い関係でないのは感じ取れる。
獣人と人族の間で私が何ができるのか、と言われたら、きっと何もできない。それでも、どうにかしたいと思う気持ちはあって……
もどかしいような、歯がゆいような気持ちが心を占める。
そこにライル様が一言。
「それでいい」
「え?」
顔をあげると、濃緑の瞳がまっすぐ私を見据えていた。その輝きは、まるで大粒の翠玉みたい。
「おまえは、おまえがやりたいことをやれ」
予想外の言葉に思わず聞きかえてしてしまった。
「私がやりたいこと……を、してもよろしいのですか?」
「あぁ」
しっかりと頷くライル様。
それは想像以上に嬉しくて。私がやりたいことをしてもいい。私を認めてもらえた。
「わかりました!」
両手で拳を作って気合いを入れる。
(使用人の方々が持たれている獣人の誤解を解きながら、ライル様がお慕いされている方を探しましょう!)
決意をする私の隣で頭を抱えるアッザ。
「…………間違った方向に解釈されている気がします」
「え?」
苦悩するアッザに視線をむけると、ライル様が私に声をかけた。
「おい」
「は、はい」
ライル様が私の前に立つ。スラリとした長身。私の頭なんてライル様の肩にようやく届くぐらい。こうして向き合うと私の背の低さが際立つ。
そんな私が考えていることなど知るはずもないライル様が私から視線をそらした。尻尾を忙しなく動かしながら、どこか恥ずかしそうに口を動かす。
「左手を出せ」
「はい」
私は躊躇うことなく左手をライル様に出した。
小さくて細い手。でも、アッザの手入れのおかげで手荒れはなくなり、爪はピカピカ。少し前の私からは想像できないほど綺麗。
ライル様がそんな私の白い手に褐色肌の左手を添えた。そして、右手で私の指に触れ……
「え?」
ライル様が無言で手を離す。そこに残されたのは、金色に輝くリング。複雑な模様が彫られ、中央には小さな翠玉が鎮座した……
「指輪?」
私は自然と手を空に掲げていた。光を弾き、煌めく指輪。まるで、夜空に輝く月みたい。
「やる」
その言葉に私は慌てた。
「えっ!? でも、こんな高価なモノをいただくわけには……」
「妻なら夫からの贈り物は受け取っておけ」
私は指輪を見ながら考えた。
(そういえば、指輪には婚約をしているという証の意味もあるとか。それなら、指輪をしていないのは、逆におかしいかも)
大きく頷いて私は両手で握り拳を作った。
「そうですね! お飾りの妻として、立派に勤めを果たします!」
私の決意にライル様が呆気にとられたような顔になる。それから慌てたように表情を崩した。
「待て! それは、そういう意味ではなく……」
「セシリア様、日が暮れてしまいます。早くお部屋に戻りましょう」
アッザが話を切るように私の体を回してライル様に背を向ける。
「ですが、ライル様とのお話が……」
「ご自分の口で気持ちを伝えず、物で誤魔化そうとするヘタれは放っておきましょう」
少しだけ振り返ると、何か呟きながら地面に沈んだライル様の姿が。
私は急いでアッザに言った。
「ライル様が地面に! 調子が悪いのでしょうか!?」
「セシリア様はお気になさらなくていいですよ、自業自得ですから。それより早くお部屋に戻らないと、料理番が夕食を準備して待っていますよ」
「は、はい」
背中を押されるまま歩く。ふと視線を左手に落とせば、キラリと光る指輪。それだけで、心がぽかぽかして、ほわほわするような、顔が自然と緩む。
(この感情は……どういうものでしょう? 神殿にある書物にも書かれていなかったような)
不思議な気持ちと一緒に私は部屋へ戻った。




