それは、お飾りの嫁という宣言でした
青年の登場に私も急いで席を立ち、膝を折った。
「……おまえがセシリアか」
ライルと呼ばれた青年の低い声が私に圧しかかる。
「はい」
「結婚相手だか、なんだか知らんが、オレはおまえの相手をする気はない」
(あ、この獣人が私の……)
今更ながら嫁いできたのだと実感する。頭をさげていても伝わる、私を突き刺す視線。
「それにしても細いな。飯はしっかり食え。人質は生きてこそ価値がある」
「……人質」
「だから、オレがおまえを愛することもない。お飾りの嫁だ。そのことは、しっかり心しておけ」
状況を考えれば分かること。驚くことではない。そもそも、色なしの私が誰かに愛されるということがありえない。
ただ、こんな私に人質としての価値もあるのか……
「どうした? 現状を知ってショックでも受けたか?」
「いえ。あの、私は……生きて、よろしいのでしょうか?」
思わず出た本音に喉が絞まる。ここまで言うつもりはなかったのに。でも、訂正できない雰囲気。
濃緑の瞳が私を睨んでいるのを感じる。黙っていると、ぼそりと言葉が落ちてきた。
「おまえのここでの仕事は生きることだ。死にさえしなければいい」
「死なずに、ここにいること……それが私の仕事でしょうか?」
「…………そういうことだ」
(こんな天国みたいな場所で! それだけで良いなんて!)
私は思わず顔をあげた。
「ありがとうございます!」
礼を言った私に対してライル様は、あぁ……と言葉を濁し、無造作に伸ばしている髪で表情を隠した。よく見れば丸い耳が左右にピクピクと動き、こちらを気にしているのが分かる。
そこに漂う焼きたてパンの香り。
(もしかしてライル様はお食事がまだなのかも。空腹だと機嫌が悪くなるって書物にも書いてありましたし)
「あの、ライル様。ご一緒に食事は、いかがでしょうか?」
「……は?」
「スープがとっても美味しくて。パンも……あの、まだ食べていませんが、とても良い匂いがして、ぜったい美味しいと思います」
必死に勧める私をポカンと見下ろすライル様。その大きく丸くなった濃緑の瞳が印象的で。
「ライル様の目は朝露に濡れた葉のように綺麗ですね」
思わず心の声が言葉になっていた。
「なっ!?」
ライル様の褐色の肌が一気に赤くなる。
「どうされました!? 熱ですか!? 薬草の準備を!」
慌てる私からライル様が顔をそむけた。
「な、なんでもない。とにかく、オレに必要以上に関わるな」
そう言うと、ライル様がバツの悪そうな顔で部屋から出ていった。
その後ろ姿にアッザが頬に手をあてて軽く息を吐く。
「気になるのであれば、素直に様子を見にくればよろしいのに。どうしても余計なことを言われるんですから。あ、セシリア様はお気になさらず。どうぞ、椅子にお掛けください」
私はアッザに促されて再び椅子に座った。
「あの、ライル様は大丈夫でしょうか? お風邪でしたら、よく効く薬草を知っておりますので、採取に行かせてください」
「セシリア様、自ら薬草の採取に? そんな、滅相もない。なにかありましても、治癒魔法が使える治療師がおりますので大丈夫です。それに、あれは風邪ではありません」
「そうなのですか?」
「はい」
「それは安心しました」
胸をなでおろした私にアッザが苦笑する。
「それにしても、セシリア様は見た目より豪胆な方ですね」
「豪胆、ですか?」
「そうですよ。いくら嫁がれるとはいえ、初対面で第二王子のライル様にあそこまで言えるなんて」
「だ、第二王子!?」
まさかの事態に私は叫びに近い声が出てしまった。
私の前にパンを置いたアッザが訊ねる。
「ご存知、なかったのですか?」
「はい……」
「もし、よろしければ……どのようにお話をお聞きになって嫁がれたか、教えていただけませんか?」
私は話している途中で行儀が悪いと思いながらも、香ばしい匂いの誘惑に負けてパンを手に取った。その温かさに驚きながら質問に答える。
「今朝、獣人の国に嫁ぐように、とだけ言われました。相手の方などについては知らない、と」
「そのお話は、どなたからお聞きになられました?」
「私の父の弟……叔父になります」
私は垂れそうになるヨダレを我慢しながら、パンを千切った。湯気とともに小麦の香りが広がる。
(温かいパンや料理なんて何年ぶりだろう)
密かに感動しながらパンを口に入れた。柔らかくて、数回噛んだだけで溶けてしまう。
「叔父上のお名前をお聞きしても、よろしいでしょうか?」
私はゆっくりとパンを味わいながら言った。
「マクシム陛下です」
アッザが元々丸い目をますます丸くする。
「マクシム陛下の兄……ということは、セシリア様は先帝のご息女」
「はい、そうです」
私の回答にアッザの目が落ちそうなほど大きくなった。でも、今の私にはパンのほうが重要で。
「こんなに美味しいパンでしたら、先程のスープと一緒にいただいたら、もっと美味しくなったかもしれませんね。惜しいことをいたしました」
後悔する私にアッザが呆気にとられた後、笑顔で提案した。
「でしたら、スープのおかわりを準備しましょう。あと、メインの肉もありますから、そちらと食べるのも美味しいですよ」
「お肉と一緒にいただくのも美味しそうですね」
「早く食べたい、という顔に出ていますよ。さぁ、どうぞ」
いけない! と顔を引き締めるけど、目の前に出されたお肉が……ホロホロに崩れるまで煮込まれた赤み肉にソースがかかり、肉の香ばしい匂いが食べてとばかりに私を誘う。
私はフォークに肉を刺し、ソースをしっかりと絡めてかぶりついた。
「ふぉいひぃです」
あまりの美味しさに、飲み込む前に感想を口にしてしまった。
「お口に合いましたか」
「はい、とっても。お肉をいただいたのは数年ぶりで……」
ふと、思い出す。最後に肉の食事が準備されたのは、いつだろう。母が亡くなってから、年々食事は減っていき、最近は固いパンと干からびた野菜や豆が数日おきに置いてあるぐらい。
黙ってしまった私にアッザが明るく声をかける。
「では、料理番たちに伝えておきますね。明日の朝食も喜んで作りますよ」
「明日の朝も!? こんなに美味しい料理がいただけるのでしょうか!?」
まだ食事の最中なのに、明日の朝食を想像して、ついヨダレが……
慌てる私にアッザがハンカチを差し出す。
「はい。ですから、無理に食べず満腹になりましたら休みましょう」
「……ありがとうございます」
ヨダレを拭いた私は嬉しさと恥ずかしさから俯いた。心がぽわぽわとして温かい。
お腹いっぱい食事をいただいた私はアッザが準備してくれた、ふかふかのベッドに入った。滑らかな肌触りのシーツに、柑橘系の爽やかな香り。
不思議な安心感に包まれ、まぶたが重くなっていく。
「馬車の中でも、あんなに寝てしまったのに。夢なら、どうか覚めないで……」
私は自然と眠りについていた。
――――――――その頃、第二王子であるライルの部屋では。




