それは、突然のことでした
あれから、すべての視察を終えたラナ様は名残惜しそうに王都へ戻られ、私はいつもの日々に。
体調は良く、ダンスの練習も順調。神殿の書物の中にあった、充実した日々、という言葉の意味を実感している。
そんな、ある日――――――――
私はダンスの練習をするため、城にある広間にきていた。この広間は壁の一部が鏡になっていて、ダンスの姿勢や振り付けの確認がしやすい。そのため、午後からはここでダンスの練習をするのが日課になっているのだけど。
アッザがテーブルにレモン水を準備しながらぼやく。
「ライル様、遅いですねぇ。嫌そうな顔をしながらも、練習の時間には必ず姿を現していましたのに」
「私が何か粗相をいたしましたのでしょうか……」
「そのようなことはありません! 仕事が押しているのかもしれませんし、もう少し待ってみましょう」
そこにウカーブが飛び込んできた。
「こちらにライル様は……おられませんね」
「どうしました?」
アッザが訊ねると、ウカーブが白髪をかきながら困ったような顔をする。
「昼からライル様の姿が見えなくなりまして。いつものサボりかと思い、探しているのですが……この時間になっても現われませんで」
「たしかに、ダンスの練習の時間になっても姿を現さないのはおかしいですね」
「はい。表面上はイヤイヤな顔をしておりましたが、裏では満更ではない様子でしたから」
「あまり想像できなせんが、ライル様になにか起きた可能性も……」
顎に手を添えて考えるアッザ。
黙って聞いていた私は二人の間に入った。
「私もライル様を探させてください!」
「「えっ?」」
アッザとウカーブが顔を合わせる。無言で見つめあった後、二人がそろって頷いた。
「では、セシリア様は私と一緒に探しましょう。ウカーブ、まだ探していない場所はどこですか?」
「城内はほとんど探しました。あとは城外になりますが……城の敷地から出てはいないと思います」
「なら庭を探しましょう。セシリア様は私から離れないように」
「はい!」
私はアッザとともに庭に出た。いつも通りの乾いた砂と強い日差し。遮る物はなく、人影も物陰もない。
「「わふっ! わふっ!」」
アッザと二人で庭を見渡していると、ワヒとナンが走ってきた。
「コラ、おまえたち。今は遊べないわよ」
たしなめるアッザをすり抜けて二頭が私に駆け寄る。
「わん! わん!」
「くぅん! くぅーん!」
ワヒとナンが私の服の裾を噛んで引っ張る。アッザが私から二頭を引き離そうと手を出した。
「だから、今は遊べないと言っているでしょう」
しかし、ワヒとナンが何かを訴えているように拒否する。
私は屈んで二頭の首を撫でた。
「なにかありましたか?」
「「わん!」」
声をそろえて吠えるとワヒが走り出した。ナンが誘導するように私の背中を頭で押す。
「えっと……ワヒについていけば良いのですか?」
「わん!」
ナンが『その通り!』とばかりに吠える。困った私はアッザに視線を向けた。するとアッザも困惑した様子で。
「頭が良い二頭ですからね……なにか見つけたのかもしれませんし、ついて行きましょう」
「わん!」
言葉を理解したのかナンも走り出す。その速さに後ろを走っていた私はすぐに息が切れた。
「失礼します」
「きゃっ」
アッザが走りながら私を抱き上げる。そして、グンッとスピードをあげた。振り返りながら私たちを確認していたワヒとナンも走る速度を上げる。
まっすぐ走っているためか、前のように目を回すこともない。茶色の大地が徐々に草におおわれた緑へと変わっていく。
「え? どうして草が?」
いつも眺める庭は砂と少しの植物だけ。足下を覆うほどの草が生えている場所はない。
「この周囲は特殊な魔法がかけられておりまして、遠くからは砂漠にしか見えないようになっております」
「どうして、そのようなことを?」
「ここは水が湧き出ておりまして、貴重な水源となっておりますが、それを狙う悪党もおります。そのため、簡単には見つけられないように魔法で守っております」
「そうでしたか」
草原とまばらに生える木々の中心。大きな岩に囲まれた先に泉があった。太陽に照らされ、キラキラと輝く透き通った水。
思わぬ光景に目を奪われていると、ワヒとナンが泉の近くで止まった。青々と茂った大木の影。その下に焦げ茶色の塊が。
「「わふ! わふ!」」
二頭が私にむかって吠える。塊だと思ったモノが微かに動いた。
「ライル様!」
アッザの腕から飛び降りた私は転げるように駆け寄った。左腕を押さえてうずくまるライル様。その手は真っ赤に染まり、血がとまることなく流れている。
私はスカートの裾を口にくわえると勢いよく破いた。私の行動にアッザが慌てる。
「セ、セシリア様! ハンカチを……」
「ハンカチでは長さが足りません! ライル様、失礼いたします」
私は力が入っていないライル様の手を退けて、傷の少し上を破いたスカートの布で強く縛った。それから、アッザに渡されたハンカチで傷を押さえる。
「アッザは治療が出来る方を呼んでください!」
「ですが、それではセシリア様を守る者がおりません」
「私は大丈夫ですから。それより急がないとライル様が!」
アッザが私とライル様を見比べる。そして、きつく目を閉じた。
「……わかりました。急いで助けを呼んでまいります」
「お願いします」
アッザが目を開けて私の両肩を掴んだ。
「すぐに戻ります。ここから動かないでください」
「はい」
「ワヒ、ナン。ライル様とセシリア様をお願いします」
「「わん!」」
決断したアッザの動きは早かった。私に背を向けると、振り返ることなくあっという間に走り去った。
「私も出来ることをしなければ」
私は持っているハンカチを出して泉の水をしっかりと含ませた。それからライル様の傷を押さえていたハンカチをはずして水をかける。
「クッ!」
ライル様が苦渋の表情になる。それでも、私の手を振り払う様子はない。いや、その力もないのかも。
「傷をみますね」
傷の上を布で縛った効果か出血の量は減ってきた。ただ傷の周囲が青黒くなり悪臭を放つ。
「これは……普通の傷ではありませんね。たしか書物で読んだ……毒をもった魔獣に噛まれた時の状態と似ているような。とにかく、毒に効く薬草を……綺麗な水辺に生える毒消し草なら、この辺りに生えているかもしれません」
神殿の泉の近くにも様々な薬草が生えていた。マクシム陛下からの鞭の傷も、体調が悪い時も、書物で薬草を調べて、調合して治療に使用していた。その知識がここで役立つとは。
私は泉の周囲を探した。その間もワヒが私を守るように側を歩き、ナンがライル様の隣に座って周囲を警戒する。二頭のおかげで、とても心強い。
「ありました!」
目的の薬草を見つけた私が手を伸ばそうとした時、聞いたことがない低いうなり声がした。
「え?」
ドロリとした闇の影がこちらへ這ってくる。
「ま、魔獣!?」
弱っているのか、こちらを警戒しているのか、動きはとても遅い。それでも、ゆっくりと距離を詰めている。
少し先にはライル様の治療に必要な薬草。手を伸ばせば届く位置。でも、それは魔獣からの攻撃が届く場所でもある。
脳裏に浮かぶライル様の苦しそうな顔。
私は全身に力を入れて覚悟を決めた。
「えいっ!」
勢いよく薬草に手を伸ばす。待ってましたとばかりに私の手に飛びかかる魔獣。
私は目を閉じて薬草を掴んだ。




