新しいモノ〜ライル視点〜
一礼したセシリアがウサギのように廊下を走っていく。その足取りは今にも転けそうで危なっかしい。すぐにアッザが追いかけたから大丈夫だろうが。
「慌ただしいヤツだな」
ふと足下を見れば袋が落ちている。手にとれば甘い香りが袋越しでも漂った。
「……クッキーか?」
「あら、美味しそうな匂い」
背後からラナが覗き込む。
「なんだ? ほしいのか?」
「セシリアちゃんが持ってきてくれたのでしょ? 当然、ほしいわよ」
「当然なのか」
「当然」
断言しやがった。いつの間に、ラナに気に入られたのか。いや、ラナだけではない。
城内のヤツらも最初は人族の嫁を嫌悪していた。だが、気が付けば懐柔されており、今では悪く言うヤツのほうが袋だたきにされるほど。
「あいつのどこがそんなに良いのか」
「それより、さっさとそのクッキーを私にちょうだいよ」
「……」
オレは手に持っている袋に視線を落とした。白い袋に紫のリボンで可愛らしくラッピングされている。まるで、セシリアの色のような……
「どうしたの? 私にあげるのが惜しくなちゃった?」
「そんなことねぇ」
ニヤリと笑うラナにクッキーを押しつける。袋を受け取ったラナは椅子に座り、テーブルにあった皿に袋から出したクッキーを並べる。
「シンプルだけど、可愛らしいクッキーね」
丸や四角や星の形をしたクッキー。飾りもなにもないシンプルなもの。
「ん。素朴な味で美味しいわ。なんか懐かしい感じもする。ほら、あんたも食べなさいよ」
ラナに促されたオレは渋々、椅子に腰をおろした。それからクッキーを摘まんで眺める。
たぶんセシリアの手作りなのだろう。あの炭クッキー以来、厨房で何度かクッキー作りに挑戦している姿を見かけた。失敗しても失敗しても諦めない、その直向きな姿勢に心を動かされた者も多いらしい。
あとは、どんなに無下に扱っても屈託のない笑顔で礼を言い、誰に対しても同じ態度。その姿に毒気をぬかれ、己の態度を顧みて、そして徐々に絆されていくという。
「……バカバカしい」
オレは悪態を吐きながらクッキーを口に放り込んだ。
程よい甘さとバニラの風味が広がる。前の炭のようなクッキーに比べれば普通に食べられるし、魔力はこもっていない。
「味はどう?」
「……普通だ」
「あら、そう?」
「……言いたいことがあるなら言え」
「別にぃ?」
ニヤリと笑ったその顔が! 癪に障る!
だが、ここで感情をみせれば、ますますからかわれる。オレはカップを持ち、紅茶でクッキーを流し込んだ。
そこにノックの音が響く。入室の許可を出せば、書類の束をかかえたウカーブがドアを開けた。
「なんだ?」
「少々、仕事がたまってきておりますので」
「……わかった」
普段なら拒否するところだが、今の空気が変わるなら仕事でもなんでもやってやる。
オレはウカーブから書類の束を受け取り、ざっくりと内容を確認した。たしかに、いつもより書類の枚数が多い。
「なんでいつもより仕事が多いんだ? なにか問題になるような事でも起きたか?」
「一つはセシリア様の報告書が入っております」
「これか」
オレは報告書を見つけて軽く目を通した。内容は想像通り。
「やはりロクな扱いをされていなかったか。しかも、最後は厄介払いのように嫁がされた、と」
「はい。母親が生きていた頃はもう少しマシだったようですが、嫁がれる前の食事は数日に一回、食材の差し入れのみ。その他の衣類などの補充は一切なく、皇族以外は入れないという仕来りのため、人の出入りもなかったそうです」
「なにそれ!? 皇族なのに!?」
ラナが怒りに任せてテーブルを叩く。かなり良い音がしたが、力加減はしたようでテーブルは割れなかった。軍人でもあるラナが本気で叩けば、こんなテーブルは一瞬で粉々だ。
ウカーブが淡々と報告を続ける。
「現在の皇帝は先帝の弟ですが、かなり仲が悪かったようです。とはいえ、弟のほうが一方的に兄を憎んでいたようで。その憎しみが兄の娘であるセシリア様にも向けられていたそうです」
「なによ、それ! セシリアちゃんは、とばっちりじゃない!」
「はい。あと先帝は謹厳実直で仁政をおこない、民からも慕われていたそうです。その性質は幼い頃からで、現在の皇帝はなにかと比べられて育ったとか」
オレは身に覚えがある話に目を伏せた。
「出来が悪い、愚弟として側近にも囁かれていたそうで。先帝が亡くなられた時は弟による暗殺説の噂も流れるほど」
「……暗殺して王座に就いたとしても、そこからまた比べられるだけなのにな」
優等生の兄と劣等生の弟。評価する方は簡単だろうが、比較される側はたまったもんじゃない。ただでさえ敷かれたレールなのに、嫌でもそこから外れたくなる。
「こんな環境でも、セシリアちゃんが捻くれずに純粋に育って良かったわ」
「普通なら、もっと卑屈な性格になるか、オレみたいに捻くれるところなのにな」
思わず呟いてしまった言葉に気付いたオレは顔をそむけた。しかし、ラナが面白そうに追求する。
「あら、自覚があったの?」
「自覚なら、とっくの昔にある。ただ、向き合ってこなかっただけだ」
「素直なライルなんて気持ち悪いわぁ。どんな心境の変化があったのやら」
ラナの嫌み半分の言葉を聞きながら、オレは書類を机に置いた。
以前のオレなら、ここで怒ってラナを部屋から追い出していただろう。だが、不思議とそういう気分にはならず。むしろ、素直に受け入れている。それは、たぶん……
「あんな純粋培養の愚直な姿を見せられたら、嫌でも自覚するだろ」
「あらあら。しっかりセシリアちゃんの影響を受けているのね」
「……うっせぇ」
小さくこぼしたオレをラナとウカーブが生暖かい目で見る。
オレは慌てて書類を叩いた。
「だが、それだけだと書類が多すぎる! 他にもあるだろ!」
「はい。実は人族側で動きがありまして。そのために仕事を前倒しで片付けていただきたいのです」
「動き? なんだ?」
ウカーブが黄色の瞳を鋭くする。
「人族が城で舞踏会を開催するそうで、ライル様とセシリア様にぜひ出席していただきたいと。お二人に招待状が届きました」
「……ぜったい、裏があるやつだろ?」
「そう思います」
「なら、行かねえよ。なんでわざわざ自分から罠にかかりに行かないといけない……んぐぅ!」
ラナがオレの口にクッキーを突っ込む。
「ふぁ、ふぁにすんだ!?」
「出席しなさい」
有無を言わさない圧力。オレに似た顔で琥珀の瞳が睨む。それは軍人として出陣する時と同じ眼差しで。
「そして、全力でセシリアちゃんを守ること」
「……なにが、起きるんだ?」
オレの質問を無視してラナがいつもの雰囲気に戻る。
「あと。ダンス、踊れるわよね?」
舞踏会。ダンス。オレの背中に嫌な汗が流れる。必要ないと、まともに練習することなく逃げてきた。
「獣人の代表として出席するのだから、無様なまねは許さないわよ? ちなみに、これは王命だから」
「王命って、どういうこ……ぐっ!」
再びクッキーを口に押し込まれた。
「悪いようにはしないから。それに、人族の国に行ったら探している子に会えるかもよ?」
その言葉にグラリと意思が揺れる。オレはクッキーを飲み込むことしかできなかった。




