動物でも大豆のような植物タンパク質を食べて生きていくことは一応可能だが現実は難しい
さてさて、肉食菜食での論争が起きていますが、実際問題としては動物でも通常の花が咲いたりするいわゆる植物でもないものだけを食べて、タンパク質を十分摂取して生きていくことは一応可能です。
それは何かといえば、最近は健康食品的なサプリとしてそれなりに人気な、淡水性単細胞緑藻類のクロレラと強アルカリ塩湖に好んで自生する微細藻類のスピルリナですね。
特にスピルリナはフラミンゴが主食としていて、どちらもほぼそれだけを食べても生きていけます。
また古来より塩湖による塩害により農耕や牧畜に適さない地での住民の食糧源となっていて、アフリカのチャド湖、メキシコのテスココ湖などの周辺ではスピルリナが周辺州民の主食となっていた時期もあったようです。
では、クロレラやスピルリナの何が問題かといえば、一言で言えば”ものすごくまずい”ゆえにそれを食べ続けるのは難しいということです。
藻類としてよく食されているコンブ、ワカメ、アサクサノリ、アオノリなどが仮に蛋白質豊富な完全栄養食品だったとしても、それだけを毎日食っていきたいとは思わないでしょう。
カロリーメイトもほぼ完全栄養食ですが、カロリーメイトだけ毎日一生食べ続けるのはきついでしょう。
クロレラやスピルリナはそれらより美味しくない事がほとんどです。
人間がなぜ味覚を持っていて旨味はアミノ酸、甘味は糖類、塩味、カルシウム味はミネラル、脂味は脂肪分、酸味は腐敗、苦味と辛味は毒、渋味は弱めの毒、とそれらを感じることで体が必要としているは体にとって害であるかを判断します。
本来は体に良いものが美味しいと判断され、体に悪いものほどは不味いと感じられるわけです。
しかし、糖分などの過剰摂取が行われるようになった結果、体に良いものは不味く、体に悪いものが美味しいといわれる状況になっていますけどね。
クロレラやスピルリナは光合成能力が高く、空気中の二酸化炭素、水、太陽光とごく少量の無機質があれば大量に増殖させることができ、宇宙時代の宇宙食としても研究されていましたので、培養技術も十分にありますが、食糧危機解決の手段にならなかったのはクソまずくてとても毎日食ってられないからです。
なのでこれらを美味しく食べられるように改良した上で、培養すれば肉食野菜食の問題はおそらく解決するでしょう。
人間が肉などに含まれるアミノ酸を美味しいと感じるのはそれが身体の維持に必要だからで、大豆ではそれを感じないのは基本的に豆は毒を含んでいたり非常に食べづらかったりするからですね。
大豆 毒 と調べれば結構色々でてきます。
で、日本では精進料理が発達した結果、食べ続けることが楽になるように旨味を加えるだし文化ができてそれにより旨味という味覚の存在も日本が証明したわけです。
また本来、野菜というか葉っぱは果実が食べられない時に代用で食べるものでしか無く、基本的に人間は自然なままの野菜は好きではありません。
アクを抜いたり、煮込んで柔らかくしたり、ドレッシングやマヨネーズなどの何らかの調味料で味をごまかしてようやく食べられるというものがほとんどです。
まあ肉に関しても肉の分解がある程度進んでアミノ酸が十分にある状態でないと、美味しくは感じないことが多いはずですけど、肉や魚はとりあえずは塩だけかければ食えるだけ手間はかかりません
あとは、環境破壊を問題とするなら現代的農業そのものが最大の環境破壊だったりします。
農耕を行うことで、草原や森を畑にすることで雨や風から土壌を守っていた木や草がなくなり、その結果、土壌が流され飛ばされて、ついにはなくなってしまって不毛化してきた例は中東からギリシアにかけては暇がありません。
土地を耕すところから作物の収穫に至るまで、農業ではトラクターなど機械を動かすための化石燃料が消費され、農薬や化学肥料の生産にも同様に莫大なエネルギーが費やされています。
ビニールハウスを用いた主にフルーツなどの促成栽培では、昼夜を問わず冷暖房を必要とする場合がありここでも無駄なエネルギーが費やされています。
田畑にまかれた農薬のためにメダカやタニシ、ホタルなど多くの生物は死んでいっています。
ブラジルの鶏などを問題とするならば所得の低い人々がわずかな賃金で作った服などに使われる布の原料になるコットンやバナナやコーヒー豆、カカオ豆などを、わざわざエネルギーを使って遠い地域へ輸送し食わせたり飲ませることが環境に良いと言えるでしょうか。
カカオ豆 児童労働 と検索すればチョコレートを食べるということがどういうことか少しわかるでしょう。
あなたが歩いている道路の舗装は環境を破壊していない?
あなたが済んでいる住宅は環境を破壊していない?
農業は畜産より本当に環境に優しい?
植物だけ食べてる自分たちは環境破壊に関与していない?
可愛そうな存在を生み出していない?
そういう前提は本当に正しいのか、まず考えていったほうが良いように思いますね。
無論、最終的に行き過ぎた近代化現代化は将来に禍根を残して自分たちの首を絞めているということを意識するのは大事なのでしょうけど。
それ以前の問題として日本では年間2,759万トンの食品廃棄物等が出され、まだ食べられるのに廃棄される食品は643万トンあるそうですが、そういったことをまずなくしていく事を考えたほうが良いと思います。
無理やりブームを煽って毎年大量に作られては廃棄されている恵方巻きとかにもちゃんと怒った方がいいんじゃないかな? と私などは思います。
なお環境に配慮して縄文時代と同じ狩猟採取焼き畑生活を行おうとするなら、日本列島全体で養える人口はおそらく20万人くらいだと思いますから、今更環境破壊がどうこう言っても人類が農耕を始めてしまった時点で手遅れだと私は思ったりしますけどね。
環境問題ではグレタ・トゥーンベリさんに賛否両論で、そんなに環境に配慮すると言うなら当然、飛行機も電車も自動車も一切使わないよな? とか揶揄されたわけですが、こういった問題の解決は簡単ではないですね。
もしも人類全体がブレサリアンになれ、呼吸するだけで何も摂取世辞とも身体を維持できる用になり食事をする必要がなくなるとしたら生きていくために必要な労働はほとんど必要なくなるでしょうけどね。
そうなったらそうなったで退屈に耐えられなくなって結局ろくでもないことはし始めそうですが。




