努力とは奴隷が力いっぱい仕事すること
努力というとなんか素晴らしい言葉のように思われている気がしますが、努という言葉は奴の力と書きますね。
奴というのは古代では男性の奴隷を示す言葉です。
ちなみに婢が女性の奴隷を示す言葉ですね。
つまるところ”努力”というのは奴隷が主人に認められるための行動ということですね。
「努める」・・・努力する
「勤める」・・・勤務する
「務める」・・・あたえられた任務を果たす
なので”つとめる”という言葉自体大体同様なニュアンスです。
だからこそ努力と言う言葉は、辛いことを我慢することを連想するのではないでしょうか。
楽しむために趣味でやっているのに辛いことを我慢してまで”努力”することはない気がします。
「ほら、これだけ私は行動(努力)したんだから、それに見合った成果をちょうだい?」
「いや成果は結果の問題だろ?」
となってしまうわけですしね。
「努力しても報われないことがあるだろうか。
たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。
それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか」
という王貞治さんの言葉。
「練習は嘘をつかないって言葉があるけど、頭を使って練習しないと普通に嘘つくよ」
というダルビッシュ有さんの言葉。
この二人の言葉の差はおそらく時代の違いでもあるのでしょうけど。




