創作におけるエロやグルメ、戦闘やギャンブルなどは実は恐怖という刺激ではなく安心、例外もありますけど
さて”創作における刺激と癒しは厳密に言えば恐怖と安心”の感想で”エロは刺激なのか癒しなのか?”というものがありました。
基本的には純愛系のエロは昔のノベル系エロゲーやコンシューマー移植に伴うエロシーンのないギャルゲーでも基本は安心感つまり癒やしに近いと思います。
これは性行為にせよ自慰行為にせよ男が射精を行う瞬間はドーパミンが出ています。
その後のいわゆる「賢者タイム」はプロラクチンと呼ばれるドーパミンの分泌を抑制させるホルモンの作用によって急激に冷めてしまうようですけどね。
射精を行うというのは子供を作って自分の遺伝子を残す事ができるということなのでドーパミンが出るのですね。
また糖質の甘味は脳内報酬系を刺激するためかなり強い中毒(依存性)になりやすいのですが、それ以外の味覚でもアミノ酸の旨味や塩の塩っぱ味、更にはカルシウムに対する味覚や脂質に対する味覚、更に痛覚の一部である辛味も脳内報酬系を刺激してエンドルフィンやドーパミンを出します。
これらは基本的に人間の生存に不可欠な存在であるためそれを取り入れられることで安心するのでしょう。
尤も”甘いものは別腹”と言うのはドーパミンによる中毒症状の一種なので必要以上に甘いものを食べないほうが良いのですけどね。
逆に酸味は腐敗、苦味は毒物、また一部の匂いも毒や腐敗と知覚されるのでノルアドレナリンが放出されます。
子供は特に苦いものへの忌避感が強いのですがそれは摂取すると嫌悪系を刺激するからなのでしょう。
大人になってくると苦味や酸味や匂いの強いものに対しても平気になってくるのは20歳をピークに味蕾がどんどん減っていってしまい苦味などを感じにくくなるからだそうです。
ギャンブル物も主人公は基本的にはギャンブルに勝つのでその勝ちに同調してドーパミンが出るようですし、リアルのギャンブルでも勝った瞬間はドーパミンが出てその経験がギャンブルにのめり込ませるようですね。
そして報酬系や嫌悪系のような外部からの刺激に対する判断は生存に直結しているため”古い脳は自分と他人、現実と虚構を区別できない”ので創作における恋愛や性行為、食事、戦闘やギャンブルでの勝利などは自分の感情と勘違いするわけです。
なので、女の子に迫られたり性行為に至ったり、美味しいものを食べたり、戦闘とかギャンブルに勝つ描写などを読んだり見たりするとドーパミンが出て安心するというわけですね。
とはいえ恋愛でもすれ違いや勘違いで彼女が去っていったり、誰かに奪われたり、親しい人が裏切って命を狙ってきたりすればそれは嫌悪系を刺激するので、精神状況によってはとても受け入れられないとなるわけですけど。
エロの場合陵辱・SM・NTR・リョナ・触手・丸呑みと言った特殊な性癖の場合は癒やしだけではないと思いますが、そういったシチュエーションをどういう立場でみてるかによって恐怖と見るかざまあと見るかも分かれるのでしょうね。
映画のカーチェイス物や対戦する人間お実力が拮抗している場合のゲームのレースゲーム、対戦格闘ゲームは勝ち負けがつくまではアドレナリンがでて、勝てばドーパミンが出るので敗北するかも知れないという恐怖による興奮と安心を両方手に入れられるのかも知れません。
これはリアルのスポーツに参加したり、ファンとして個人やチームを応援したりしているときも同じような状態でしょう。
弾幕シューティングやパズルゲーム、シミュレーションゲームなどはゲームの難易度とプレイヤーの腕次第で変わってきそうです。
安心感が強いの順でならべていくに追加するならば、いわゆるきらら系といわゆる男の出てこない日常系、>一般的な童話>人の死なないコメディ作品>グルメ物>なろう系ハイファンタジー>スポーツ、カーチェイス、実力が拮抗してる状態での対戦系ゲーム>多くの学園系ラブコメ、ノーマルな学園系エロ>多くの演劇>格闘物や戦記物>特殊性癖のエロ>ギャンブル物、刑事ドラマ、ミステリ>人が死にまくるデスゲーム系、ホラー、サスペンス、戦争、という感じでしょうか。




