冬到来④
そうなると、ダグマも孤児だったのだろうか。アデリーの疑問にニコラスは問われる前に答えていく。
「ダグマは違うよ。代々近衛騎士を出している由緒正しい家系だ。アンナの事があって世捨て人みたいに家を出たけど、本来なら家督を継いでる身なのさ。あそこは他に頭のいい弟も居るし、ダグマが家を出てもなんとかなるからお咎めなしらしい」
ニコラスはテーブルの横に置いてある樽から一掴みのライ麦をとって石臼に追加した。
「それほどアンナの死はダグマの人生に影を落としたわけなんだ。そして、俺達のもね。アンナは街の居酒屋で働いていた赤毛の、そりゃぁ、元気な女だったんだ。誰からも好かれてて、居るだけでその場が明るくなるような人でさ、俺もホント大好きだったよ。俺達は人を殺めることもあったから、そんな日はやっぱり気持ちが落ち込むだろ?」
石臼の間からサラサラになったライ麦粉があふれ出て、そのまま下の台へと落ちていく。
「誰も理由なんて言わないけど、そんな日はアンナに会いたくなるもんだった。弾けるような笑顔で迎えてくれるアンナが、女神に思えてね。ま、ダグマがアンナと親しいことは周知のことだったから、皆ただ笑顔を見たいだけって感じで──ほら、神の元に祈りに行ったりするだろ? ただ、心を落ち着かせたいから行くじゃないか──そんな感じでアンナの店は俺達の憩いの場だったんだよ」
見たこともないアンナが朧げながら形になっていくようだ。薄暗いが楽しげな居酒屋に騎士たちが集い、中心にはジョッキを運ぶ笑顔の女性。僅かに出た後れ毛は赤く、例えばニコラスがその後れ毛を摘んで叱られたり──。
「そんだけ来てりゃ、目も付けられるよな。アンナが拉致されたのは俺達の落ち度に他ならない。もう少し気を使っていれば防げただろうに、俺達はアンナを守ることを失念してたんだ。そもそも守るものなんてなかったから、守らなきゃならないって概念がなかったのかもしれないけど……そんなの言い訳に過ぎないな」
ニコラスの手が止まった。僅かに震えているようだったが、思い直したように石臼の取っ手を握りしめた。
「拉致されたアンナは気丈にも俺達が助けに来るのを信じて疑わなかったらしい。こんなこと言うのもあれだけど……男達に毎日弄ばれて」
声が震えニコラスは天を仰ぐ。
「ボロボロになっても信じてくれていたって聞いた。あまりに不憫に思った敵の一人がアンナの首を絞めて息を引き取るまで俺達を信じてた──」
アデリーは瞬きを繰り返す。ニコラスが涙をこぼさないように必死に耐えているのに、アデリーが泣くわけにはいかないのだ。泣くわけにはいかない。そう思っているのに、視界がぼやけて涙がこみ上げてきて仕方がなかった。
「俺達のもとに遺体を運んでくれたそいつは自分には妹がいて、こんな事をされたら辛すぎると思ったってさ。このまま仲間に見つからないうちに姿を消すっていなくなった。残されたアンナのなきがらを俺達は埋葬したんだ。ねぇアデリー?」
急に話を振られて、アデリーは慌てて鼻をすする。
「は、はい」
「君もご家族が無事だと信じているんだろ?」
なぜここでアデリーの家族の話になるのか理解が追いつかないが、素直に頷いた。
「希望って言うのは人を勇気づけることもあるが、逆に残酷なことを引き起こすこともあるんだよ。俺は今から君に事実を話す。アデリーに嫌われるかもしれないけど、俺は事実を受け止めることはとても大事だと思う」
必死に堪えていた涙が、もうとめどなく頬を伝い出していた。今はアンナを思って涙が流れているわけではない。ニコラスが話そうとしている内容に心が悲鳴をあげていた。
「アデリーの家族はもう居ない。神の元に旅立ったよ。俺は君の故郷に足を運んだんだ。トリダム領だろ。美しいところだったんだろうね。今は……見る影もないよ」
口元に手を当ててアデリーは目を見開いた。家族を失っただけではなく、故郷の風景もなくなったというのか。
「領民は……領民たちは」
「逃げ出した者もいるし、逃げられなかった者は重税に苦しんでいる。たった数ヶ月前にこんなに荒廃するなんてな」
アデリーは手の甲で涙を拭って、また拭って、もう追い付かなくなって顔を覆っていた。
アデリーがのほほんとこの場所で生活している最中に、苦しんでいる人たちがいたのだ。そして父や母、それから兄は──。
「ごめんよ、アデリー。辛いよな。ちょっと待っててくれ」
ニコラスはそう告げると部屋から足早に立ち去った。




