転生モブ令嬢は、自分の途を行く
「マリエル嬢は、将来をどう考えているのだ?」
そう、レイノルドに正面から尋ねられたのは、領地に戻って数年経った頃。
既にマリエルも『嬢』と言われるのは気恥ずかしい齢になっているが、レイノルドに他意がないこともわかる。それくらいは共にいた。
かと言って親しくない者が邪推するような、男女の関わりはほぼない。基本的に、領地の重要人物とその護衛、という関係を崩さない。まれに、領外の関わる社交でパートナーが必要なときにはペアを組むくらいだ。
もっともそうした席でパートナーになるということは、将来的には結婚する相手とみなされる。お互いそれは承知の上での行動だ。
時間というのは偉大なもので、行動を共にしているうちに気心も知れ、互いの思考や価値観も知る機会が多くなった。そうして、まるで最初から決まっていたかのように気心は知れて付き合いは深まっていく。
それは、マリエルにとっては燃えるような愛でも夢のような恋でもなかったが。
静かに時間をかけてしみこんでいくような、互いの存在が側にあることが当たり前に感じられるような、そういう関係になっていた。時間をかけてのことなので、本当にいつの間にか、という印象だ。
「悪いことではないわよ」
ライラはにこやかに宣う。
「マリエルも、誰かとは結婚しなくちゃいけなかっただろうし。彼ならまあ、お祖父様やお祖母様も納得するでしょうから」
「そういう、ものですか?」
「そうよぅ。下手な見合いを持ち込まれるよりは良かったんじゃない?断れないと困るでしょ」
「それはまあ……」
辺境とは言え、或いはだからこそ、この土地の領主、その一族という立場には求められるものが多い。個人として、以上にその立ち位置故に必要とされる諸々は少なくないが、例えば婚姻相手もその一環となりかねないのだ。
それでもマリエルはまだ直系としては外れている分、気楽ではある。当のライラなど、実父が次の辺境伯と目されているために夫も領地の有力者の家系だ。
だからこそ、マリエルの相手として既に実家の後ろだてを失っているレイノルドが認められたというのはある。
もっともライラにしても、互いの相性は十分に考慮され、上手くやっていける相手として認められたからこそ、結婚まで至ったと言える。政略にのみこだわるのではなく、本人同士が上手くやれるかを重視するのが、辺境流ではある。
その伝でいけば、マリエルとレイノルドの相性は意外なくらいに良かった。価値観がかなり近く、互いの判断が違っていても相手の話を聞いて理解できる。
それが実は一番大事なことなのだ、と祖母の辺境伯夫人は宣う。
「人間同士の相性なんて、意外と地位にはよらないものだけど。同じ時期に王都で生まれて同じような教育を受けたことは、決して無関係ではないでしょうね」
だからこそ、価値観や判断基準が理解し合える可能性はあるし、そうした相手は貴重な存在である、と。全く同じである必要はない。だが違うからこそ、互いのすり合わせができ、かつ理解が進むことはある。
それをマリエルも実感している。
最初、レイノルドに対しては、『攻略対象』である、という認識しかなかった。義姉のことで声をかけられても、正直面倒としか思えなかったし、関わり合いになりたくなかった。
前世の元の『ゲーム』でもそこまで熱心なファンではなかったのだ、イベントなど見てみたい気もあまり起きなかった。この世界に生きていると、『イベント』もあまりに無理があるとわかったせいもある。
リラも、初登場時は周囲が恐れ戦くとんでもヒロインだったが、ちゃんと話してみればごくごく普通の女の子で。ただこの世界の貴族令嬢としての教育がされていないだけだった。
令嬢教育が足りないのは異母姉のチェルシーもそうだったが、こちらは両親から真っ当な貴族としての常識がないタイプで、手の施しようがなかった。そして彼女と関わる時のレイノルドは、感情がうかがえなくて余計に虚構の人物ぽく見えていた。
あの時点では、ゲームの影響があったのではないかと今のマリエルは思っている。リラに対してもチェルシーに対しても、そしてフォスティーヌやその他ゲームに登場する人間の振る舞いが、教育を受けた貴族のものとは言い難いものだった。また、周囲の反応も後で思えば真っ当とは言い難く。その辺り、強制力、とまで言わずとも何らかの影響はあったかもしれない。
だがその異常も既に終わったこと。おそらくリラがリチャードを選んでエンディングを迎えたことで、その影響は消えたのではないだろうか。
現実として、リチャードたちの卒業後はリラは貴族教育に四苦八苦し、またフォスティーヌは望んで婚約を結んだディビスと思ったようには交流できなかったらしい。
今になって言えることだが、ゲームの『登場人物』はあまり良い道を選べていないように思う。
主人公のリラはリチャードを選んだが、結果的に彼はかなり地位を下げた。領地運営もとりあえず回ってはいるが、まだいろいろ苦労も多いらしい。
彼に従って領地についていったアールは、元々平民なので、その補佐としてやっていくならまずまずの出世ではある。先行きが若干怪しくはあるが、現時点では十分だろう。
ディビスは微妙なところだ、彼は以前から女性にだらしないと噂されていたが、実際は問題になる行いはしていない。ただ最終的に婚約したフォスティーヌとは、若干微妙な関係に至っているという。彼女と認識のズレがあったらしいが、今更互いにどうにもできない。
一番立場を悪化させたのはスレイだった。マリエルへの讒言もあったが、元々側近として仕えていたリチャードの都落ちに対し、彼を見捨てた形になったのはとても心証が悪かった。
不忠、というのは貴族社会、と言うか封建制度では嫌われる。もちろん権謀術数渦巻くのが政治の世界ではあるが、だからこそ体面を取り繕うことも出来ない人間は相手にされないし、その振る舞いに正当性を持たせられない時点で能力がないとみなされても仕方がない。
スレイ本人がわかっていたかは知らないが、王宮の文官は(騎士も)普段の行動も審査の対象となっている。その意味では、彼が合格するはずがなかったのだ。今も毎回文官試験を受験しては落ち続けているらしい。親からもその振る舞いが良くないのだと諭されても意固地になっているようだ。
逆に、最初の想定より立場をあげたのがレイノルドだった。
一度は実家から除籍され貴族籍を失ったものの、今の彼は辺境伯家の兵士となり、その中でもマリエルの専属護衛という地位に就いている。少なくともこの辺境領においては、出世株と言って良い。
マリエルだけでなく、他の関係者から見てもレイノルドはあまり権謀術数渦巻く中枢の社交界には向かない、と思われていた。その点では、辺境の方が彼には合っていたのかもしれない。
今のレイノルドは、通常はマリエルの護衛をしながら、彼女が文官として働いている間は他の兵士の指導をしたり事務仕事の補助に入ったりと、結構役立つ人材になっている。今となっては、領地のためにも手放しがたい。
「将来的、という意味では。この領地をよくしていきたい、というのが希望というか願いになりますかね」
「……なるほど」
二人の主立った勤務先である領内の政を司る領主館は、いつも賑わっている。領主として辺境伯が公務を行う場所でもあり、その部下たちが活動する拠点でもある。
領軍はまた別に専用の建物が与えられていおり、領地の魔法使いたちもそのための場所がある。そういう意味では王都よりもゆとりがあり待遇も決して悪くない。どんな職種でも、希望すれば宿舎も入れるし、食料の援助や医療を受けることもできるし、審査はあるが資金を借りることさえ可能だ。
郷里から家族を呼び寄せる者もいるし、逆に金を貯めたら職を辞し田舎に帰って暮らしを立て直す者もいる。
そうした意味では、辺境伯領はかなり福利厚生が行き届いている土地だ。代々『人』という資産を重く見ている。
古くは辺鄙な土地に人がいつかず、せっかく開拓しても放棄する羽目になった時代もあるという。辺境は広さの割に人口が少なく、また凶暴な魔獣も多く棲息していた。そうなると、『人』が重要な財産になることを歴代の領主たちはよく承知していたのだ。
今は魔獣も討伐が進んで、滅多に人里近くには現れない。とはいっても絶対ではないし、更に居住地や農耕のための土地を得るにはある程度対応する必要もある。
蓄積された知識や経験を生かして、辺境領は発展してきた。王都の社交界からは軽んじられているが、隣国との交易もこの領地を通る街道が主流だ。
つまり、外国からの新しい物品や流行は、基本的にこの辺境領経由で入ってくる。単に『辺境』という呼び名だけで辺鄙な土地と侮る方が愚かなのだ。
だが王都ではその認識がまかり通っており、祖父たちも敢えてそれを放置している。言ってもわからない者はしょうがないし、実際に流通や領地運営に関わってそのことに思い至れない愚か者は、相手にする必要がない、と判断されているのだ。なかなか狷介ではあるが、そうした用心がこの土地を護り、領民たちの暮らしを安定させてきた。
マリエルもその先祖たちの判断を尊重するし、尊敬もしている。中央の政争に近づいていいことなど何も無い。
「……では、私はこの土地を護りたい。あなたが良くしていこうとする、その全てを」
淡々とレイノルドは言う。
けれど今のマリエルは、その素っ気ないような物言いが彼にとって精一杯だということを知っている。
かなり感情的に不安定な母親に過干渉で育てられた彼は自身の感情表現がひどく不得手で、真剣になればなるだけ能面のような無表情と堅い口調になってしまう。
「どうか、私と共に生きてもらえないだろうか」
マリエル自身も決して表情豊かとは言い難い、王都の貴族令嬢の中ではそれなりではあったが。辺境の領地では、もっと無邪気に笑って泣いて怒っていいとわかっていてもなかなかそうすることが難しい。
その意味では彼の気持ちも、朧気ながらわからないでもないのだ。
「……ええ、レイノルド」
頷いて、微笑みかければレイノルドは微かに目元をほころばせた。それも、ある程度親しい人間でなければそうとわからないような、ほんの微かな表情の変化。
「一緒に、この領地を護って良くしていきましょう。あなたと一緒になら、もっといろいろなことが出来ると思うし、一緒にやっていけたらきっと楽しいと思うわ」




